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第一章
第47話
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高坂は、その日の休憩あけも疲れが体中に染み渡っていた。眠りから覚めたのは、夕食の準備の時間が迫ってからだった。昼寝のつもりが、気がつけばもう出勤時間ぎりぎり。二人は慌てて起き上がり、眠そうな顔のまま寮を出た。頭がまだぼんやりしている。寮から職場までの道のりを、車に乗って行く。
ホテルの裏口から事務所に入ってタイムカードを押し、気合を入れ直そうと深呼吸をしてから、レストランの扉を開けると、既に女子高生のアルバイトが準備を始めていた。しかし、他には誰も来ていない。
「お疲れ様です」と女子高生に軽く挨拶を交わし、高坂はそのまま洗い場へ向かった。そこには鈴木がすでに待っていた。鈴木はいつものように手際よく準備を進めていたが、どこか浮かない顔をしていた。
「訊いた?」と鈴木が声をかけてきた。
「何を?」と高坂が聞き返すと、鈴木はため息をついて答えた。
「富田さん、辞めるってさ」
「え? 初耳だよ。何か理由があるの?」
「疲れたんだってさ、もうやってられないって」
高坂は無言でうなずいた。富田の気持ちは痛いほどよく分かる。疲労が溜まるこの仕事は、体だけでなく心も蝕んでいく。「確かに疲れるよな。俺も、もう限界だと思うことがある」と高坂は静かに言った。
「そうよね。高田さんも辞めるって言ってたし」と鈴木が続ける。
「洗い場の高田さんも? 何で?」
「同じ理由よ。疲れちゃったんだって。このホテルの社長と専務、洗い場を目の敵にしてるからさ。目に見えて厳しく当たるし、年末のボーナスは洗い場だけもらえなかったから」
「え、その話し本当? まさか鈴木さんは、辞めないよね?」と高坂は慌てて訊いた。
「それは高坂さん次第かな」と鈴木は笑った。
「何、言ってんだよ」と高坂も少し笑いながら返したが、その笑顔はすぐに消えた。
「冗談はさておき、実際、二人でこの洗い場はきついよ。特に朝は地獄だから。百人分の食器を洗うのはさすがに体力が持たないし、手も荒れるから高級なクリームは必需品だしね」と鈴木は苦笑いを浮かべる。
「朝、俺が洗い場に居た時は、皿を同じ大きさや形で重ねてくれていたけど、今はカウンターにいるから」と高坂は言った。
「うん。誰もそれをやってくれないよ」と鈴木。
高坂は少し真面目な顔をして、「それね、皆やってあげたいんだけど、専務が事務所に居る時は監視カメラで見てるから、洗い場に手を出すと怒られるんだよ」と説明した。
「なるほど。そういうことだったのね。でも、高坂さんは強いからやってくれていたってことね」と鈴木。
「違うよ。俺は全然強くないけどただ、洗い場が一番大変な部署だと思ってるから、できるだけ助けたいだけなんだ。修行時代は三年間、洗い場だったからさ」と高坂は肩をすくめた。
「そう言ってくれるだけでありがたいよ」と鈴木は感謝の気持ちを表しつつも、続けて別の話題を持ち出した。「ところで、高坂さんの寮ってゴミ屋敷なんだって?」
高坂は驚きながら、「誰がそんなこと言ったんだ?」と訊いた。
「山形さんがさ、だって裏の家でしょ?」
「まぁ、確かにそうだよ。でも随分、綺麗にはしたけどね」と高坂は苦笑いを浮かべたが、話の本質が少し見えた気がした。
「このホテルの社長と専務って、ほんとにケチだし、人のことを大切にしないよね。どんなに立派な建物を建てても、働く人がいなきゃ意味ないのにさ」と鈴木は肩をすくめ、皮肉めいた笑顔を浮かべた。
「おっしゃる通りだね」と高坂は静かに相槌を打ちながら、「さて、調理場に挨拶に行ってくるよ」と鈴木に言い残し、彼は重たい体を引きずるようにして調理場へ向かった。
調理場に着くと、忙しそうに働くスタッフたちが目に入る。皆、疲れた顔をしていたが、それでも黙々と仕事をこなしていた。高坂はその姿を見て、自分だけではないと、ほんの少しだけ安心した。けれども、それ以上に、このホテルの人材不足と過酷な労働環境が、いつか限界を迎えるだろうという不安が頭をよぎった。
「おはようごさいます」と調理場のスタッフたちに挨拶をすると、彼らも口々に「おはようごさいます」と返してくれた。しかし、その声には、どこか張りがなかった。
高坂はそのまま仕事に戻りながら、心の中でふとつぶやいた。「この先、どうなるんだろうな……」
ホテルの裏口から事務所に入ってタイムカードを押し、気合を入れ直そうと深呼吸をしてから、レストランの扉を開けると、既に女子高生のアルバイトが準備を始めていた。しかし、他には誰も来ていない。
「お疲れ様です」と女子高生に軽く挨拶を交わし、高坂はそのまま洗い場へ向かった。そこには鈴木がすでに待っていた。鈴木はいつものように手際よく準備を進めていたが、どこか浮かない顔をしていた。
「訊いた?」と鈴木が声をかけてきた。
「何を?」と高坂が聞き返すと、鈴木はため息をついて答えた。
「富田さん、辞めるってさ」
「え? 初耳だよ。何か理由があるの?」
「疲れたんだってさ、もうやってられないって」
高坂は無言でうなずいた。富田の気持ちは痛いほどよく分かる。疲労が溜まるこの仕事は、体だけでなく心も蝕んでいく。「確かに疲れるよな。俺も、もう限界だと思うことがある」と高坂は静かに言った。
「そうよね。高田さんも辞めるって言ってたし」と鈴木が続ける。
「洗い場の高田さんも? 何で?」
「同じ理由よ。疲れちゃったんだって。このホテルの社長と専務、洗い場を目の敵にしてるからさ。目に見えて厳しく当たるし、年末のボーナスは洗い場だけもらえなかったから」
「え、その話し本当? まさか鈴木さんは、辞めないよね?」と高坂は慌てて訊いた。
「それは高坂さん次第かな」と鈴木は笑った。
「何、言ってんだよ」と高坂も少し笑いながら返したが、その笑顔はすぐに消えた。
「冗談はさておき、実際、二人でこの洗い場はきついよ。特に朝は地獄だから。百人分の食器を洗うのはさすがに体力が持たないし、手も荒れるから高級なクリームは必需品だしね」と鈴木は苦笑いを浮かべる。
「朝、俺が洗い場に居た時は、皿を同じ大きさや形で重ねてくれていたけど、今はカウンターにいるから」と高坂は言った。
「うん。誰もそれをやってくれないよ」と鈴木。
高坂は少し真面目な顔をして、「それね、皆やってあげたいんだけど、専務が事務所に居る時は監視カメラで見てるから、洗い場に手を出すと怒られるんだよ」と説明した。
「なるほど。そういうことだったのね。でも、高坂さんは強いからやってくれていたってことね」と鈴木。
「違うよ。俺は全然強くないけどただ、洗い場が一番大変な部署だと思ってるから、できるだけ助けたいだけなんだ。修行時代は三年間、洗い場だったからさ」と高坂は肩をすくめた。
「そう言ってくれるだけでありがたいよ」と鈴木は感謝の気持ちを表しつつも、続けて別の話題を持ち出した。「ところで、高坂さんの寮ってゴミ屋敷なんだって?」
高坂は驚きながら、「誰がそんなこと言ったんだ?」と訊いた。
「山形さんがさ、だって裏の家でしょ?」
「まぁ、確かにそうだよ。でも随分、綺麗にはしたけどね」と高坂は苦笑いを浮かべたが、話の本質が少し見えた気がした。
「このホテルの社長と専務って、ほんとにケチだし、人のことを大切にしないよね。どんなに立派な建物を建てても、働く人がいなきゃ意味ないのにさ」と鈴木は肩をすくめ、皮肉めいた笑顔を浮かべた。
「おっしゃる通りだね」と高坂は静かに相槌を打ちながら、「さて、調理場に挨拶に行ってくるよ」と鈴木に言い残し、彼は重たい体を引きずるようにして調理場へ向かった。
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「おはようごさいます」と調理場のスタッフたちに挨拶をすると、彼らも口々に「おはようごさいます」と返してくれた。しかし、その声には、どこか張りがなかった。
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