揺れる波紋

第一章

第45話

高坂はいつも通り、長期保存の牛乳とジュース類が置かれている台の下を覗き込んだ。今日は十分に在庫があったので、補充はしないことにした。ホールスタッフに軽く挨拶をしてから、洗い場へ向かうと、そこには鈴木と高田がいた。いつもなら目黒がいるはずなのに姿が見えない。

「目黒さん、今日はお休み？」高坂が訊ねると、鈴木が振り返って答えた。

「何か用事があるって言ってたわ」

「そうなんだ……」高坂は少し寂しそうに呟いた。

「気になるの？」鈴木が目を細めて聞いた。

「そりゃあ、気になるよ」と高坂は率直に答えた。

「目黒さん、巨乳だもんね？」鈴木は軽口をたたき、話題を下ネタに持ち込もうとした。

高坂は苦笑しながら、「まあ、あれだけ魅力的だったら、男なら誰でも気になるだろうね」と軽く流した。

すると鈴木はおどけた調子で、「私、巨乳じゃないけど、高坂さんなら揉ませてあげるよ」と冗談を飛ばした。

「朝から何を話してるんだろう、俺たち……」高坂は急に現実に戻ったように呟いた。

「何よ、急に良い子ぶっちゃって！」鈴木はふてくされた様子で口を尖らせた。

その後、高坂は調理場に向かい、元気に挨拶をした。「おはようございます！」

調理場全員が一斉に「おはようございます！」と声を揃えた。高坂は心の中で「マーベラス！」と呟いた。そんな様子を、また愛美が静かに見ていた。

やがて、朝食の時間が始まると、愛美は専務とは違い、よく動いていた。専務は会計でほとんど身動きせず、外部から来店した客に対応していた。高坂は、愛美が社長に似ていることに気付き、専務とは対照的だと感じた。

ふと、高坂は思った。「愛美の旦那はまだ来ないけど、どうしてだろう？」

この朝は土曜日ということもあり、外国人の客が半数を占めていた。およそ五十名が外国人で、残りの五十名が日本人だった。この状況を見ながら、高坂は考え込んだ。「もし何か天変地異が起こってインバウンドが途絶えたら、このホテルだけじゃなく、観光業や飲食業全体が大打撃を受けるだろうな……」

驛前ホテル二号館は低料金で運営しており、特にインバウンド客をターゲットにしていた。幸い、今日の朝食も問題なく終わり、片付けを済ませた後、賄いを取ることにした。愛美も一緒だった。

「食事しながら、少しミーティングをしませんか？」高坂が提案した。

「はい。スリランカ風のティールームを作る計画なんですよね？」と愛美が話を切り出した。

「ええ、そうみたいですね」と高坂が相槌を打つ。

「その前段階として、高坂さんと私でスリランカ大使館のスタッフと県庁や第三セクターとの交渉を担当することになったんです」

その話を聞いていた妻の博美が、突然口を開いた。「じゃあ、私はもう必要ないみたいですね」

高坂は慌てて説明した。「今朝も愛美さんにその話をされたから、俺も一緒にお前と地元に帰りたいって伝えたんだよ」

博美はため息をついて、「だったら、もう帰りましょうよ。無理やり連れて来られたようなものだし、あの寮も黴臭くていられないわ。後は愛美さんご夫妻に任せて、社長に話をつけてよ」

高坂も深く頷いた。「そうだな。そうするよ」

しかし、愛美は困った表情で懇願した。「ここでそんなことを決めないでください。私から社長と専務に再考してもらうように話しますから」

「それでは、愛美さんにお任せしますが、私たち夫婦の意見も尊重して話してください。それでは、食事を始めましょう」と高坂は穏やかに締めくくった。