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第一章
第40話
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高坂はまだ眠る博美を寮に残し、いつもの朝のルーティーンに出かけた。ホテルの外周から駅舎、自転車置き場、派出所前、お社までを掃き掃除するのが彼の日課だ。その後、釣り竿を改良した道具でホテル周りの蜘蛛の巣を取り除く。
ひと仕事終わる頃、タクシーが一台、ゆっくりと近づいてきた。窓が開き、運転手がにこやかに声をかける。
「おはよう! いつも感心だね」
「おはようございます。そんなに褒められることじゃないですよ」高坂は軽く頭を下げる。
「いやいや、高坂さんが入社してから休み以外は毎朝見かけるよ」と矢野という顔なじみの運転手が言った。
「社長との約束ですから」
「高坂さんの姿を見ないと朝が始まらないんだよ」
「こんな眠そうな顔を見て、ですか?」と高坂は自嘲気味に笑う。
「眠そうな顔だなんて思わないよ、いつも清潔な感じだから若々しいよ」
「幾つに見えます?」
「三十代とは言わないけど、四十前半じゃない?」
「今年で五十五ですよ」
「えっ、見えないなぁ!」
「そうですかね、脳みそが足りないからでしょうか」と冗談めかす高坂。
矢野は少し考え込んだような顔をしてから話を続けた。「そういえば、先日このタクシーでお客さんを湖畔まで送ったんだけど、夕食時に親切で面白い男性スタッフがいたって聞いたんだ。もしかして高坂さんのことかな?」
「それが私だったら元気百倍で、今日も一日絶好調ですね!」
「ホテルの女性スタッフにもモテてるんじゃないの?」
「そんなことないですよ」
「うちの妻も、高坂さん見て『カッコイイ』って言ってたんだよ」
「奥様によろしくお伝えください。今日も一日、安全運転で!」と高坂は笑顔で応えた。
挨拶を交わし終えた高坂は、寮にいる博美を迎えに行き、そのまま事務所に戻った。
※ ※ ※
その後、倉庫で牛乳やジュースの箱を台車に載せていると、山中が現れた。「高坂さん、おはようございます。先日はすみませんでした」
「え? 私に謝っているんですか?」
「はい」
「専務に任したことだから、私に謝るのはおかしいですよ。それより、もう持ち帰っちゃダメだからね」
「はい、もう二度としません」
高坂は穏やかに微笑んだ。「山中さんはいつも元気でお客様に接しているのがいいところなんだから、そのまま期待を裏切らないで頑張ってね」
「はい」と山中は嬉しそうに倉庫を後にした。
「還暦過ぎのおばさんを激励して、俺は何をやっているんだか……」高坂は苦笑いを浮かべつつ倉庫に戻った。
そこへ愛美がやってきた。「おはようございます」
「おはようございます!」高坂は元気よく返事をした。
「山中さんにも口の上手いことを言って、もしかして狙っているんじゃないですか?」と愛美が冗談っぽくからかう。
「勘弁してくださいよ。私だって選ぶ権利がありますからね」と高坂はおどけて言った。
「ってことは、山中さんみたいな熟女はタイプじゃないのですか?」と愛美が少し真剣な顔で問いかける。
「まあ、そういうことかな」軽く返す高坂。
「今度のお休みに私と会ってくださいね」と愛美は突然、真剣な表情を浮かべた。
「ご主人がいるじゃないですか。それに、私も妻がいますし」と高坂は笑いながらも少し困った様子で答えた。
「主人は帰ってこないんです」愛美は悲しそうに言った。
「だからって……」高坂はため息をつき、彼女を見つめた。
「また浮気性だって言われちゃいますよね?」と愛美が自嘲気味に笑う。
「そうかもしれませんね。今はまず、ご主人と仲直りするのが先決だと思いますが?」高坂は諭すように言った。
「確かに、そうですね」愛美は納得したようにうなずきながらも、元気なく答えた。
その後、愛美は高坂の後ろをついてレストランへ向かい、それぞれのスタッフに挨拶をして回った。
高坂は牛乳やジュースを所定の場所に片付け、台車を倉庫に戻す。そして、昨夜作っておいたカウンターの注意書きを所定の場所に貼り付けた。外国人の客がディスペンサーや電気ポットの使い方を知らずに無駄にしてしまうことが多かったので、英語で使用方法の注意書きを用意したのだ。
カウンターに高坂がいるときは問題がないが、忙しくてホールを手伝うとき、時折コーヒーやお湯をこぼしてしまう客がいた。しかし、インバウンドの客も徐々に理解し、正しく使うようになっていた。
残念だったのは、高坂が休みの日に社長がカウンターに入り、注意書きが棚に仕舞われていたことだ。社長は自分のやり方を貫きたかったのだろう、と高坂は思った。
ひと仕事終わる頃、タクシーが一台、ゆっくりと近づいてきた。窓が開き、運転手がにこやかに声をかける。
「おはよう! いつも感心だね」
「おはようございます。そんなに褒められることじゃないですよ」高坂は軽く頭を下げる。
「いやいや、高坂さんが入社してから休み以外は毎朝見かけるよ」と矢野という顔なじみの運転手が言った。
「社長との約束ですから」
「高坂さんの姿を見ないと朝が始まらないんだよ」
「こんな眠そうな顔を見て、ですか?」と高坂は自嘲気味に笑う。
「眠そうな顔だなんて思わないよ、いつも清潔な感じだから若々しいよ」
「幾つに見えます?」
「三十代とは言わないけど、四十前半じゃない?」
「今年で五十五ですよ」
「えっ、見えないなぁ!」
「そうですかね、脳みそが足りないからでしょうか」と冗談めかす高坂。
矢野は少し考え込んだような顔をしてから話を続けた。「そういえば、先日このタクシーでお客さんを湖畔まで送ったんだけど、夕食時に親切で面白い男性スタッフがいたって聞いたんだ。もしかして高坂さんのことかな?」
「それが私だったら元気百倍で、今日も一日絶好調ですね!」
「ホテルの女性スタッフにもモテてるんじゃないの?」
「そんなことないですよ」
「うちの妻も、高坂さん見て『カッコイイ』って言ってたんだよ」
「奥様によろしくお伝えください。今日も一日、安全運転で!」と高坂は笑顔で応えた。
挨拶を交わし終えた高坂は、寮にいる博美を迎えに行き、そのまま事務所に戻った。
※ ※ ※
その後、倉庫で牛乳やジュースの箱を台車に載せていると、山中が現れた。「高坂さん、おはようございます。先日はすみませんでした」
「え? 私に謝っているんですか?」
「はい」
「専務に任したことだから、私に謝るのはおかしいですよ。それより、もう持ち帰っちゃダメだからね」
「はい、もう二度としません」
高坂は穏やかに微笑んだ。「山中さんはいつも元気でお客様に接しているのがいいところなんだから、そのまま期待を裏切らないで頑張ってね」
「はい」と山中は嬉しそうに倉庫を後にした。
「還暦過ぎのおばさんを激励して、俺は何をやっているんだか……」高坂は苦笑いを浮かべつつ倉庫に戻った。
そこへ愛美がやってきた。「おはようございます」
「おはようございます!」高坂は元気よく返事をした。
「山中さんにも口の上手いことを言って、もしかして狙っているんじゃないですか?」と愛美が冗談っぽくからかう。
「勘弁してくださいよ。私だって選ぶ権利がありますからね」と高坂はおどけて言った。
「ってことは、山中さんみたいな熟女はタイプじゃないのですか?」と愛美が少し真剣な顔で問いかける。
「まあ、そういうことかな」軽く返す高坂。
「今度のお休みに私と会ってくださいね」と愛美は突然、真剣な表情を浮かべた。
「ご主人がいるじゃないですか。それに、私も妻がいますし」と高坂は笑いながらも少し困った様子で答えた。
「主人は帰ってこないんです」愛美は悲しそうに言った。
「だからって……」高坂はため息をつき、彼女を見つめた。
「また浮気性だって言われちゃいますよね?」と愛美が自嘲気味に笑う。
「そうかもしれませんね。今はまず、ご主人と仲直りするのが先決だと思いますが?」高坂は諭すように言った。
「確かに、そうですね」愛美は納得したようにうなずきながらも、元気なく答えた。
その後、愛美は高坂の後ろをついてレストランへ向かい、それぞれのスタッフに挨拶をして回った。
高坂は牛乳やジュースを所定の場所に片付け、台車を倉庫に戻す。そして、昨夜作っておいたカウンターの注意書きを所定の場所に貼り付けた。外国人の客がディスペンサーや電気ポットの使い方を知らずに無駄にしてしまうことが多かったので、英語で使用方法の注意書きを用意したのだ。
カウンターに高坂がいるときは問題がないが、忙しくてホールを手伝うとき、時折コーヒーやお湯をこぼしてしまう客がいた。しかし、インバウンドの客も徐々に理解し、正しく使うようになっていた。
残念だったのは、高坂が休みの日に社長がカウンターに入り、注意書きが棚に仕舞われていたことだ。社長は自分のやり方を貫きたかったのだろう、と高坂は思った。
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