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第一章
第37話
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愛美が帰った後、妻の博美は家事をしていた。高坂は静かにベランダに立ち、設置したばかりの屋根を見上げた。「これで明日から洗濯物を外に干せるな」と心の中でつぶやく。しかし、彼にはもう一つこのベランダでやりたいことがあった。ハーブや野菜の水耕栽培だ。
かつて経営していたレストランの屋上では、セルフィーユやディール、レモンバーム、ローズマリーなどを一年中育てていた。それらの香りは、料理を引き立て、訪れた客たちを魅了した。夏にはフリーダムキュウリやミニトマト、ナスなどの夏野菜を育て、それらを使って作る料理は、季節の味わいを感じさせた。緑のある生活は、心に豊かさを与えてくれるものだった。
今、その安らぎを手に入れるためには、もう少し時間が必要だ。大塚旧宅の清掃や生垣の伐採、そしてホテルの掃除も終わらせなければならない。だが、すべてが終われば、彼はようやく安らぎの時間を手にすることができる。
そんな高坂の頭の片隅には、大久保社長一家のことがちらついていた。彼らは社員を大切にせず、建てたホテルの設備のメンテナンスすら行わない。社長は、かつての親しみやすい性格から変わってしまい、釣った魚に餌をやらない主義になってしまったのだ。
かつての社長は、スタッフ思いの優しい社長だった。高坂と博美が結婚する前、まだプチホテルに勤務していた時代、社長はサイパンへの社員旅行に招待してくれた。高坂は退職するので辞退しようとしたが、「自分で店を始めたら、もう旅行なんて行けないから今、行っておきなさい」と、彼と博美の旅行費用を負担してくれた。その優しさに高坂は深い感謝の念を抱いた。
サイパンでは、他のスタッフたちが豪遊する中、高坂と博美はホテルで慎ましく過ごし、昼食はスーパーで食材を買い、手作りで食べた。その姿を見た社長は、帰りの飛行機でこう言った。「高坂、お前たちは豪遊せず、慎ましく過ごしていた。お前たちが始めるレストランは、必ず成功する」。その言葉は、高坂にとって忘れられないものとなった。
レストラン開業の際、社長に招待状を送ったが、返信もなければ訪れることもなかった。だが、一周年の日、忘れもしない一九九一年二月十四日、社長から胡蝶蘭が届いた。「祝 一周年、おめでとう! 大久保正和」の札が添えられていた。それを見た高坂は、すぐに社長のホテルへ向かい、感謝を伝えた。
それ以来、高坂は毎年、盆と暮れに社長の元を訪れ、半年ごとの報告を欠かさなかった。しかし、社長が銀行から多額の借金を抱え多くのホテルやガソリンスタンドなどを建て始めた頃から、その性格は大きく変わってしまった。今や、大久保家との関係をどうすべきか、高坂は悩んでいた。
もちろん、愛美のことは大切にしたい気持ちもあったが、彼女がセックス好きならば、徹底的に焦らしてみようと、高坂は内心で決めていた。社長にとって目に入れても痛くないほど可愛がっている一人娘の愛美の援護は、会社にとっても大きな武器になるだろうと思っていたのだ。
そして愛美からどこかで妻には内緒で会いたいとの申し出を受けた時、その申し出を実行に移すつもりはなかったが、彼女の気持ちは素直に受け入れることにした。彼女を味方につけておくことは、この先、有利に働くだろうと考えていたからだ。
ただ、新婚早々の夫がいるにもかかわらず、他の男との交際を求める彼女の性格には驚きを隠せなかった。愛美は高坂の若き頃、結婚をした前妻の真凛を思い出させるような女性だと感じた高坂だった。
かつて経営していたレストランの屋上では、セルフィーユやディール、レモンバーム、ローズマリーなどを一年中育てていた。それらの香りは、料理を引き立て、訪れた客たちを魅了した。夏にはフリーダムキュウリやミニトマト、ナスなどの夏野菜を育て、それらを使って作る料理は、季節の味わいを感じさせた。緑のある生活は、心に豊かさを与えてくれるものだった。
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レストラン開業の際、社長に招待状を送ったが、返信もなければ訪れることもなかった。だが、一周年の日、忘れもしない一九九一年二月十四日、社長から胡蝶蘭が届いた。「祝 一周年、おめでとう! 大久保正和」の札が添えられていた。それを見た高坂は、すぐに社長のホテルへ向かい、感謝を伝えた。
それ以来、高坂は毎年、盆と暮れに社長の元を訪れ、半年ごとの報告を欠かさなかった。しかし、社長が銀行から多額の借金を抱え多くのホテルやガソリンスタンドなどを建て始めた頃から、その性格は大きく変わってしまった。今や、大久保家との関係をどうすべきか、高坂は悩んでいた。
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ただ、新婚早々の夫がいるにもかかわらず、他の男との交際を求める彼女の性格には驚きを隠せなかった。愛美は高坂の若き頃、結婚をした前妻の真凛を思い出させるような女性だと感じた高坂だった。
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