揺れる波紋

第一章

第28話

予約客が全員帰り、片付けが終わった頃、山形と高坂夫妻、そして愛美は一緒に賄いの夕食を囲んでいた。食卓に静かな空気が流れる中、山形が口を開いた。

「愛美さん、三か月もの新婚旅行は楽しかったですか？」と、少しイヤミを含んだ声で尋ねた。

「へぇ、三か月も新婚旅行？」と高坂が驚いたように相槌を打つ。

「でもね、実は喧嘩になって一か月で切り上げて、東京に帰ってきたの」と愛美が淡々と答える。

「それにしても、一か月も旅行できるなんて、さすがはお金持ちね」と、またしてもイヤミっぽく山形が続ける。

「パパが全部出してくれたの」と愛美は平然と答えた。

山形は呆れたように顔をしかめ、「そうなのね」と言ったが、それ以上は突っ込まなかった。高坂夫妻は、そのやり取りを黙って聞きながら、静かに食事を続けていた。

やがて山形が、わざとらしく口を開いた。「高坂さんたち、普段は私と三人だけの時はよくしゃべるのに、今日はずいぶん静かね？」

「えっ、そうですか？　いつもは山形さんが一人でしゃべってるじゃないですか？」と高坂が笑いながら返す。

「そんなことないわよ」と山形は軽く笑い返すが、どこか気まずい空気が漂う。

「私、お邪魔だったのかしら？」と愛美が少し不安そうに言った。

「そんなことないですよ、気にしないでください」と博美が優しくフォローしながら、話題を変える。「新婚旅行はどちらに行かれたんですか？」

「フランス、イタリア、スペイン、トルコ……ほとんどヨーロッパでした」と愛美が答える。

「外国はカルチャーショックを受けますよね。私も、叔父の会社に勤めていた時、一人で外国に行かされて、税関で三時間以上止められたことがありましたから」と高坂が自身の経験を思い出しながら話す。

「そんなことがあったんだ？」と山形が驚いた顔をする。

「はい、まあ、いい勉強になりましたよ」と高坂が笑いながら返すと、すかさず「で、愛美さん、ご主人とは仲直りできたんですか？」と訊いた。

「それが、できなくて……私だけこっちに帰ってきたの」と愛美は少し申し訳なさそうに言う。

「つまり、新婚早々、別居状態ってこと？」と山形が半分冗談交じりで訊く。

「ええ、恥ずかしいですが、そういうことになります」と愛美が認めた。

「でも、ご主人も愛美さんと結婚してから会社を辞めて、この会社の営業部長になったんでしょう？」と山形が興味深そうに言った。

「そうですね、まだ別れる話にはなっていないんですけど……」と愛美は曖昧に答えた。

その時、高坂が少し真剣な表情で言った。「愛美さん、それ以上は社員に話さないほうがいいですよ。私たちは口が堅いので外には出しませんが、あなたはこの会社の常務ですから、変な噂が立つと銀行や取引先にも影響が出かねませんから」

愛美は少し戸惑いながらも、「いつも高坂さんには守ってもらって感謝しています」と静かに言った。

それを聞いた山形が首をかしげた。「えっ、それってどういうこと？」

高坂は慌てて言葉を補った。「愛美さん、どういう意味ですか？」

愛美は気まずそうに微笑み、「余計なことを言っちゃったみたいで、ごめんなさい」と謝り、そのまま席を立った。

彼女が去った後、山形がぽつりと呟いた。「愛美さん、怒っちゃったのかな？」

「いや、そんなことないでしょう」と高坂がフォローし、話題を切り替えるようにして、食事を終えた高坂夫妻は静かに寮へと帰っていった。