揺れる波紋

第一章

第12話

厨房に入ると、良太と午後の調理パートのスタッフが二人、汗を流しながら床の清掃をしていた。高坂はその様子に軽く笑い、「風邪ひかないようにね！」と声をかけた。そして手を洗い終わると、レストランのショーケースにある牛乳やジュースが少なくなっていることに気づき、置き場所から運び補充を始めた。

その時だった。背後から女性の鋭い声が響く。

「アンタ！ 誰に聞いてそこやってんのよ！？」

思わず振り返ると、見たことのない女性が箒と雑巾を持って睨みつけていた。

「先日、入社しました高坂と申します。主任の大崎さんとパートの富田さんに教えていただいて補充していたのですが……」

しかし、その女性は高坂の説明を無視し、険しい表情で言い放った。

「全然、やり方が成ってないのよ！ 富田さんが休みの時は私が大崎さんから頼まれてやってんの！」

怒りの剣幕に、高坂は面倒なトラブルを避けたいと感じ、「それでは、教えてください」と素直に答えた。その女性は手も洗わずに牛乳とジュースの箱から次々とパックを取り出し、冷蔵庫内に並べ出した。

「これからはこの順番で並べてよね！」と彼女は言い放つ。

「承知いたしました」と高坂は冷静に答えたが、その時、副支配人の品川が近づいてきた。

「青井さん、掃除はどうしたのかな？」と品川が尋ねると、その女性は、青井という名の清掃パートだと判明した。

青井は高坂を指さし、「この人が冷蔵庫の補充をしていたけど、やり方が違うから叱ったんです！」と誇らしげに答えた。しかし品川は呆れたようにため息をつき、高坂に向かって頭を下げた。

「高坂さんは一週間ほど前に入社された社員だよ。高坂さんはプロ中のプロで社長が頼みに頼んで再就職してもらった方だから、その仕事に口出ししちゃダメだよ、青井さん！」

青井は驚き、顔を曇らせ、「社員さんだったんですか…すみませんでした」と小さく頭を下げた。高坂はふと疑問を抱いた。このホテルでは、パートが社員に対して異常に敏感だ。それを考えながらも作業を続けた。

その後、品川は高坂の補充作業を見守りながら言った。「いつもホテルの清掃、ありがとうございます」

「社長との約束なので」と高坂は軽く応えたが、品川は不思議そうに眉をひそめた。

「え？　どういうことですか？」

「初日にシェフに意見した時のこと、覚えてますよね？ あれで波風を立てた罰を与えるのはおかしいと社長が言い、自分で何か考えなさいと言われたんです。それで、掃除が行き届いてないと感じてやっているだけです」

品川は驚きながらも頷き、「青井さんがあれだけ掃除しないのも、その結果ですよね」と苦笑した。

その時、青井が真っ青な顔で戻ってきた。

「高坂さん、先程は本当に失礼しました！」彼女は深く頭を下げた。

「ええ？　どうしたのですか？」と高坂は戸惑ったが、青井は続けた。「渋谷さんから聞きました。高坂さんがグラン・ド・シェフに意見を言った方だと……」

「グラン・ド・シェフに？」と高坂は苦笑した。

「はい。私ごときがそんな方に意見を言ってしまって、本当に申し訳ありませんでした！」

高坂は深く息をついて答えた。「パートさんが社員に意見を言うこと自体は問題じゃないんです。ただ、頭ごなしに怒鳴るのはやめた方がいいですよ。そして、掃除した後は手を洗ってから食材に触れてくださいね」

「はい……申し訳ありませんでした」と青井は反省がにじむ態度で言った。

「高坂さんのおっしゃる通りだよ、青井さん。だから、掃除をちゃんとしてね！」と品川が鋭く指摘した。

高坂は、仕事もせずにプラプラしているこの青井でさえ、「グラン・ド・シェフ」と言って彼をバカにする姿に思わず笑いがこみ上げた。青井は六十歳を過ぎているという。それにしても、このような人物をなぜ雇っているのだろうか。首にするか、きちんと仕事をさせればいいのに……高坂はそう思わざるを得なかった。