サレ夫が愛した女性たちの追憶

しらかわからし

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第1章

17話-1 大家さんの奥様にお呼ばれした土曜日

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 "大悪路王"との戦いから1ヶ月後。
 関ヶ原の戦いの勝者にして、江戸幕府初代将軍徳川家康の召し出しを受け、建築中の江戸城の大天守閣を訪れた桃姫と五郎八姫。

「……む?」

 徳川家臣団を左右に並べた家康が開かれたふすまの向こうから現れた桃姫の姿を見て眉根を寄せながら声を漏らした。
 桃姫は白い手拭いで目元を覆い隠しており、五郎八姫の手に引かれながら杖を突いて現れたのである。
 その様子を見た家臣団が一斉にざわつくなか、桃姫と五郎八姫は大天守閣の大広間を歩いて進み、家康の前で膝をついて正座した。

「天下人、徳川家康公の召し出しを受けて、ただいま馳せ参じました。伊達家当主、伊達五郎八姫にございます」
「……伊達家の女武者、桃姫にございます」

 五郎八姫と桃姫はそう言って家康に頭を下げると、家康は口を開いた。

「うむ。遠路遥々、奥州よりよくぞ参られた。苦しゅうない、面を上げよ」

 家康の言葉を受けて、桃姫と五郎八姫が頭を上げた。

「して……その目は如何にしたのだ、桃姫殿よ」

 家康がたずねると五郎八姫が横目で桃姫を見る。そして、桃姫が静かに口を開いた。

「はい。私の状態に関しましては、あの日何が起きたのかについてから話させて頂きたいと思います──まず、桃配山の山頂にて、私が役小角の野心から生まれた"大悪路王"を打ち倒したことは、家康公もご存知のことかと思われます。その際、私は日ノ本最高神天照大御神様と己の体とを融合させました」
「──オオオオ……」

 桃姫の言葉に大広間に居並んだ徳川家臣団が一斉に驚きの声を上げた。

「私は天照大御神様の力を得て、極光天衣を身に纏い、関ヶ原の黒く染まった大地に対して浄化を行いました。そして諸悪の根源、"大悪路王"の胸奥にいる役小角を浄化する際に、極光の奔流が、私と役小角を飲み込みました」

 家康は目を見張りながら、桃姫の言葉に耳を傾けた。

「目覚めた私と役小角はとても不可思議な白い空間にいました。その場所は流れる時間が現実とは異なっており……とても説明のしようがない空間でした……そこで私は役小角の真の目的を知りました。私は激昂して、役小角を床に何度も叩きつけました……」

 桃姫の隣に座る五郎八姫が膝の上に乗せた両手に力を込めて聞き届ける。

「役小角は罪滅ぼしの為に──日ノ本を護る風になると……そう言い出したのです。その瞬間、役小角の体から猛烈な突風が吹き荒れると私は桃配山の頂上で役小角を光の粒子に変えていました。それと同時に、私の目に強烈な熱を感じて、それでも……"大悪路王"を完全に浄化するまではやめられないと思い……力を使い果たすまで、極光を放ち続けました」

 桃姫はそう言うと、手拭いで覆われた顔を家康に向けた。

「そして私は、いつの間にか気を失っていました。桃配山にて倒れていたところを駆けつけた五郎八姫によって発見され、介抱されたのです……それから数日が経ち、私が仙台城の布団の中で目を開いた時──」

 桃姫は自身の目元を覆っていた白い手拭いを解いてみせた。

「──私の目からは光が完全に失われていたのです」
「……なんと」

 桃姫の言葉とその白く染まった瞳を見て家康と家臣団が驚きの声を上げた。

「そうか……そなたは自らの体を天照大御神に捧げて日ノ本を救い清める光となったのだな……さらに、桃姫殿。そなたは悪鬼羅刹と化した大谷吉継からもわしの命を救ってくれた……そなたの多大な功績を鑑みれば、それは筆舌に尽くしがたいものがある」

 家康は感慨深く言うと、桃姫の顔を見て告げた。

「桃姫殿、そなたはその"見返り"に何を求める。金銀財宝に所領、何でも良い。申してみせよ。この天下人、家康の威信にかけて、万事、叶えてみせようぞ」
「……では、一つだけ……お願いがあります」
「うむ、申してみせよ」

 桃姫は手に持った手拭いを握りしめながら口を開いた。

「天照神宮を、復興してください。役小角によって燃やされ、破壊された天照神宮を復興さえして頂ければ、それより他に私が望む事は何もありません──」

 白桜に乗った桃姫と月影に乗った五郎八姫が江戸城を離れながら会話をしていた。

「もも……本当にあれだけで良かったのでござるか? 狸爺のあの勢いなら何を言っても通りそうでござったよ?」
「うん……でも、私は欲しい物もないし、破壊された天照神宮だけが心残りだったんだ。だから復興の約束が出来たなら、それだけで良いんだよ」

 桃姫の言葉を受けて、五郎八姫は頷いてから口を開いた。

「ふーん。しかし、ももの話を聞いていると、結局、役小角の望んでいた通りに事が運んでしまった気がするでござるよ。叶えた夢の後始末をももにさせるだなんて……」
「うん……そうかもしれない。でも、役小角は日ノ本を護る風になるって言ったよ」

 桃姫が言うと、五郎八姫は首をかしげた。

「その"風になる"ってのがいまいちわからんのでござるよ……この大空に吹いている風が役小角だって言うのでござるか?」
「……どうだろう。風に直接聞いてみたら?」

 桃姫が提案すると、五郎八姫は空に向かって大声を発した。

「……おーい、役小角! 日ノ本をめちゃくちゃにしやがって! 父上を返せ! この自己中千年ジジイっ!」

 五郎八姫の声が青空に吸い込まれて消えていく。 

「うーん……まあ、ちょっとはすっきりしたでござるかな。でもこれ、青空に向かって大きい声を出したからではござらぬか?」
「……あははは」

 五郎八姫の言葉に桃姫は静かに笑って返した。

「あの、いろはちゃん……実はいろはちゃんにも、一つだけ、お願いがあって──」

 それから半月後、桃姫は花咲村に居た。
 乾いた秋の風が吹き、鬼の襲撃によって破壊され燃やされた村は何一つ変わらない姿のまま取り残されていた。
 誰もいないその廃村で、白桜に乗った桃姫は半壊した生家に辿り着くと、目が見えないながらも出来る限りの片付けをして暮らしていたのであった。
 そして今日は、桃姫が18歳を迎える誕生日でもあり、忙しい合間を縫った五郎八姫が仙台城から月影に乗って花咲村にやってくる日でもあった。

「……もも、本当にこのままこの村で暮らしていくのでござるか……?」
「……うん。相変わらず目は良くならないけど、白桜が私の目の代わりになってくれてるんだ……だから、大丈夫」
「そうでござるか……」

 煤けた座布団の上に座った桃姫と五郎八姫が脚が欠けたちゃぶ台を挟んで会話をしていた。

「"自分の生まれた村に帰りたい"……そうももにお願いされたら、断ることは出来ないでござるよな」
「うん……ありがとう、いろはちゃん。私は伊達の女武者なのに、勝手なことして、ごめんね」
「問題ないでござるよ、もも。日ノ本の戦は終わったし、鬼もいなくなったのでござるから」
「……うん」

 座布団の上であぐらをかいた五郎八姫が笑みを浮かべながら言うと、脚を崩して座った桃姫も笑みを浮かべて頷いた。

「あ、そうだ、もも。18歳になったももに、嬉しい贈り物があるでござるよ」
「……え?」
「もも、両手を出すでござる」

 五郎八姫はそう言うと、懐から小箱を取り出して開き、両手を差し出した桃姫の手の上に小箱の中身を置いた。

「これ……っ」

 両手を握って感触を確かめた桃姫は白く染まった目を見開いて声を上げた。

「関ヶ原で見つかったのでござるよ」
「っ……三つ巴の……摩訶魂……」

 桃姫は、三つに割れているが、その感触から想起した言葉を口に発した。
 桃姫が両手で確かめる三つ巴の摩訶魂は、それぞれに亀裂が入り、三つに分裂していた。

「発見した者によると、桃配山の山頂、ももが倒れていた付近に落ちていたという話でござるよ」
「そう……最後まで、一緒にいてくれたんだね……雉猿狗」

 五郎八姫の言葉に頷いて返した桃姫は、砕けた三つ巴の摩訶魂を大切に胸に抱き入れた。
 それからすぐ、五郎八姫は慌ただしく仙台城に向けて帰っていくと、桃姫は親友を見送ってから白桜に乗って三獣の祠に向かった。
 祠の前で白桜から降りた桃姫は、祠の扉を開けた。
 祠の中にある小さな陶器製の骨壷には、犬、猿、雉、それぞれの絵柄が藍色の墨で描かれていた。
 これは、桃太郎が筆で自ら描いたものだった。
 その小さな骨壷の蓋の上に、桃姫は三つ巴の摩訶魂のかけらを一つずつ丁寧に置いていった。
 三つ並んだ骨壷の上に円を描くように並べられた雉猿狗の魂のかけら。
 桃姫は祠の中から手を引くと、両手を合わせて祈りを捧げた。

「雉猿狗……護ってくれて……ありがとう……」

 光を失った桃姫の眼から大粒の涙が溢れ出し、頬を伝い、顎を伝い、ポタポタと落ちて、合わせた指先を濡らした。

「──桃姫様──こちらこそ、ありがとうございます──」

 雉猿狗の声。桃姫は光を失った両眼を大きく見開き、三獣の祠を見ようとするが、ただ暗闇を映すのみであった。

「雉猿狗っ!? いるの……!?」

「──桃姫様──雉猿狗は──桃姫様のお供になれて、本当に幸せ者でした──」

 優しい声が桃姫の耳に届くと、背中から暖かく抱きしめられる感触がした。

「雉猿狗……っ!」

 体の透けている雉猿狗の幻影が後ろから桃姫を優しく抱きしめ、合わせている両手に自らの両手を重ね合わせた。
 桃姫の涙は止まらず、次々と零れ落ちた涙が、雉猿狗の手をすり抜けて桃姫の手を濡らした。

「──だから、もう泣かないでくださいね──私の大好きな、桃姫様──」

 重ねていた雉猿狗の手が、左手で桃姫の頭を撫で、右手で桃姫の眼を撫でた。

「雉猿狗っ!」

 桃姫が大声でその名前を叫んだとき、突然膨大な量の光が桃姫の眼に飛び込んできた。

「……ああっ」

 視界に見えるのは白い石造りの三獣の祠と桃姫の隣で大人しく待つ白桜。
 耳に飛び込んでくるのは木々の葉を揺らす風の音色。鼻にむせかえるような山の匂い。
 背中には既に暖かさはなかった。

「……う、うう……!」

 桃姫は腕で目元をこするが、既に涙は流れていなかった。
 そして、ゆっくりと後ろを振り返り、光を取り戻した濃桃色の瞳で8年前に破壊された花咲村の景色を一望した。

「……雉猿狗」

 その名を呼び、一瞬だけ。ほんの一瞬だけ10歳の時の幼い顔つきを見せた桃姫。だが、すぐにその面影は消えた。

「私、もう泣かないよ」

 18歳になった桃姫は透き通るような秋の青空を見上げて、弥勒菩薩のような慈悲深い笑みを浮かべて言った。

「──私、強くなれたよ」

 桃姫様 第三幕 覚心 -完-
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