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第三章 役立たず付与魔術師、魔術学院に通う

第三三話「もう私、騙されてあげるほど純粋じゃないの」

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 推理するほどのことではない。
 錬金術の授業のため、ということで作るのを手伝っていた調合薬の中に、違和感を覚えるようなレシピがいくつか混ざっていたというだけのことである。


 本来、錬金術とは、卑金属を金に変えて人を不老不死にすることができる"賢者の石"を作り出すこととされる。
 そして、その探求のためにアグラアト先生もまた研究を続けていた。
 だが、そのお題目にしては不可解だったのが、ゴエーティアの研究の偏りだ。


 人文主義者ピコ・デラ・ミランドラは、魔術には悪霊の業である神霊魔術、ゴエーティアと、自然哲学の完成形である自然魔術、マゲイアの二種類があると論じた。
 ゴエティア(Goetia)はギリシア語の γοητεία、すなわち呪術・妖術などを意味する語である。
 古代ギリシアでは呪術師が霊を呼ぶためにうめき声――γοάω(ゴアオー)をあげるのだが、ここから彼らの使う呪術・妖術・奇術をγόης (ゴエース)と呼ぶようになった。


 錬金術は、どちらかといえば後者にあたる自然魔術の要素が大きい。
 真理を探求する性格上、どうしても自然や神秘を解き明かす科学的態度が根底の思想に見え隠れする。
 錬金術にも当然、神霊魔術的な要素があるのだが、それにしてはアグラアト先生の研究は、悪魔学に寄りすぎていた。


 グリモワール『レメゲトン』の第一書、ゴエティアは、かのソロモン王が使役したとされる七二柱の悪魔を呼び出して様々な願望をかなえるための手順(魔法円、印章のデザインの制作法、そして呪文など)を記したものである。


 そして、校庭のいたるところにある五芒星の魔法円は、一見すると単なるセーマン(安倍晴明の好んだ魔法陣)の模様のように見えるが、実際は血をささげるための魔法陣として運用されている痕跡があった。
 この異変は、血液魔術スキルがある俺だから感知できたのだ。


(何者かが、悪魔に血を捧げている)


 セーマンだけではなく、いくつかの特殊な形をしたシジルにも血は捧げられていたが、やっていることは同じだ。


 悪魔に詳しい誰かが、こっそり夜に魔法陣に血を捧げている。


(学院の講師を疑って正解だった。いろんな先生に贈り物を渡すふりをして彼らの研究室をこっそり覗いてみたが、候補はやはりアグラアト先生だ)


 夜の校舎を注意して歩く。
 状況証拠だ。
 チェルシーではないが、彼女の言葉を借りるならば、状況証拠がアグラアト先生を示している。


 夜に出歩く学生たちを襲撃する手順を想定する。


 まず、校舎内を夜に出歩いても、講師であれば言い訳がしやすい。「不審な人物がいないか見回り警備をしてます」「最近の盗難事件を警戒して、一時的によその大学から借りている研究資料が盗み出されないか監視を強化してます」など、学生よりも言い訳が立つ立場だ。
 加えて、彼女の言動だ。「新月の夜に研究室を訪ねてほしい」だって? 夜中に襲撃事件が起きている学校内で、仮にも先生の立場で学生を夜中に呼び出すだと? 不自然極まりない。


 疑いたくはない。
 錬金術の奥深い談義も、知性とユーモアに溢れる会話も、すべて俺の好みの女性であった。


 だが――もしも彼女が犯人であると仮定すれば、辻褄が合う。










 その日の夜、俺はあらかじめアグラアト先生の居室への訪問の約束を取り付けていた。
 いつもならば俺一人だけで訪れるのだが、今日は念のためにクロエにも随行してもらっていた。


 月が雲で陰る夜。明かりに乏しい夜の学院は、フクロウの鳴き声がやけに大きく聞こえる。
 本来ならば人気のないはずの校舎内――しかし、今目の前には一人の女性が立ちはだかっていた。


「あら、こんばんは。ミロク君? 一人で来る約束じゃなかったの?」


 その女性は、一言で言えば夜空を切り取ったようなすらっとしたシルエットで立っていた。
 事実、彼女の身体は空と地続きであった。
 星の粒一つ一つの輝きが彼女の髪、服、影、すべてを透き通ってその場所の夜一帯を食んでいた。


 彼女の肌を隠す影のすべては、夜。
 俺はその時、彼女の身にまとう魔力の渦に気が付いた。


「やあ、俺がそっちに行くまで待ちきれなかったかい? 今日のアグラアト先生はいつにも増してきれいだ」


「そうね――待ちきれなかったの。あなたが今夜来るって聞いてから、居ても立っても居られなくて、年甲斐もなくおめかししちゃったわ」


 メレケト・ハ・シャマイム(מְלֶכֶת הַ שַּׁמַיִם)。
 旧約聖書『エレミヤ書』にて、天の后と例えられた女神のことである。
 アスタルト、アーシラト、アナーヒターなどの女神が習合した一つの概念としての女神。


 彼女の身体を静かにめぐっている魔法陣が、そして典礼言語の呪文の数々が、彼女が今何者なのかを示唆している。


 夜空を羽織る女性。
 それはウガリット、ケイナーン、シュメールにて名を馳せたかつての女神の成れの果て。
 欲情に忠実であり、慈悲深くありながら冷酷なる存在。


「確認させてくれ。俺はあなたと戦うつもりはないって言ったら、信じてくれるかい?」


「素敵ね、ミロク君。でもあなた、すでに大罪の討伐者でしょう? ――もう私、騙されてあげるほど純粋じゃないの」


「本気なんだけどな」


「あらまあ、続きはまた今度ね」


 星屑が輝きの糸を引いた。
 彼女の指先がその光条に触れて、澄み渡るハープの音を、一つ一つ丁寧に紡いでいく。
 静謐な闇が音に震えた。





 それはセフィロトの樹生命の樹の対存在、クリフォトの樹の"無感動"にあたる存在。
 それは天の中心。
 その名は憂鬱。その名は大罪。
 虚ろなる魔王、アシュタロト。

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