異世界往来の行商生活《キャラバンライフ》:工業品と芸術品でゆるく生きていくだけの話

RichardRoe(リチャード ロウ)

文字の大きさ
上 下
57 / 60

第57話 踊る芸術サロン⑦:それは小さな蛍

しおりを挟む
「こちらが本日最後の品物になります」

 ゾーヤから品物を受け取った俺は、多少勿体をつけて目の前にそれをお出しした。
 気分は高級レストランの給仕係である。どんな風に驚いてくれるのか今から楽しみである。もしかすると貴賓の方々に今日のフルコースの主菜の一品メインディッシュを渡す時、給仕係たちも皆、こんな感じの気持ちになっているのかもしれない。

(どちらかというとデザートなんだけどね、俺が選んだものは)

 最後に選んだ布は、例によってシフォン生地である。
 薄く透ける生地を何層にも重ねて、一体今から何が出てくるのかと期待感を高めるためにそうさせてもらった。
 分かりやすいシルクの10もんめシルク特有の上品な光沢と、透け感のある繊細な薄さを両立させている。6もんめよりも厚手の10もんめにすることで透け感がやや落ちるものの、しなやかで柔らかな風合いであることに変わりはない。
 また、強撚糸のジョーゼット(いわゆるシフォンジョーゼット生地)でもあるので、さらさらした手触りになっている。
 いわゆる『丹後ちりめん』に近い生地である。『丹後ちりめん』そのものにしなかった理由は、いつか西陣織の丹後ちりめんで度肝を抜いてやるつもりだから温存しただけだが――。

 今回は、毛足の長いふわりとした天鵞絨ベルベット、模様の凹凸のある西陣織ジャガード織、さらりとしたシフォン生地と、三つとも触って楽しい布にしたつもりである。同じ生地では芸がない。

「……これね、天使の羽衣だの言われているものは。合点がいったわ」
「天使の羽衣?」

 アルバート氏にちらと目を向けると、彼は静かに頷いていた。
 昔に売り卸した、シフォン生地のシュミーズのことだろう。あれはあれで、しゃり感が強い面白い生地だと思うが――。

「あれはもっと砂のような、亜麻のような、不思議な手障りだったと思うけれど……こんなにさらさらした手触りにもできるのね……」

 令嬢はやや躊躇ったように手元を遊ばせていた。

「……一つ聞くわ。馬鹿な質問だと思って結構よ」
「? 御随意に」
「……、く」

 く?
 何を言うのか分からないが、言葉がそこで途切れた。
 顔を赤らめた令嬢が、何か意を決したようにようやく言葉を紡ぎ出す。

「……く、どいて、ないわよね……?」
「ないです」
「はい馬鹿な質問! お馬鹿! もう嫌!」

 一人で令嬢が騒ぎ出した。
 何のことだと一瞬呆けたが、後ろからゾーヤがこっそり補足を入れてくれた。

「(……ここまで破格な貢ぎ物、常識に当てはめると、婚姻の申し入れぐらいしか考えられないからな。これほどの上物を用意できるかは別として、平民が貴族令嬢を口説くとなると、かなりの結納品が必要になる)」
「(……あー、そういう)」

 じゃあもしかしてあの令嬢は、ひょっとするとこれは情熱的な求婚なんじゃないかと心のどこかで考えていたのかもしれない。ずっと。
 それは何というか……可哀そうなことをしてしまった。
 見たところまだ少女なので、少しませた考えだとも思うが――俺みたいな平々凡々な男に捕まってしまうと不幸になると思うので、そこはきちんとした身なりのちゃんとした貴族男性を捕まえて幸せになってほしいところである。

 俺なんかに絆されたら、泣きを見ると思うが。

「(……確かに主殿あるじどのの伴侶は苦労するだろうな。何をしでかすか分かったものではない)」
「(うるせえ)」

 ゾーヤが半分苦笑のようなよく分からない表情をしていたが、どういう感情なのだろうか。
 ともあれ今や場は収集が付かなくなっている。令嬢は顔を真っ赤にして「違うの! 違うから!」と必死に力説しているが、周囲の阿呆な商人たちは「後二年もすればこの男の気持ちも変わりましょうよ、お嬢様は大変美しい」などと何をどう慰めているのか分からぬ世迷言を吐いている。
 このままだと色々まずそうである。

「ではお披露目に移りますね」
「あっ」

 令嬢の手を取って無理やり開かせた。ちょっと手が汗ばんでいるのが分かった。何というか、彼女にはちゃんとした人を見つけてちゃんとした恋をしてほしい。





 シルクの薄く透けるシフォン生地から現れたのは、小さな白磁の器だった。
 細かな蛍手とうでの施された意匠。光を透かすシフォン生地とはこれ以上ない組み合わせだった。

「白磁 蛍手 小鉢<光盤>です」





 ◇◇◇





 パーシファエ嬢は生まれついて、領地継承権をほぼ持たない少女であった。
 嫡流の血統ではあるものの、四女という生まれでは下から数えたほうが早いぐらいで、この都市ミュノス・アノールの統治を引き継ぐのは長兄だとほぼ決まっていたようなものだった。
 良からぬことを企てる家臣がいて、年端もないパーシファエを担ぎ上げて政治の神輿にしようとしたこともあった。だがそれらは悉く粛清された。
 パーシファエは幼い頃から、野心を抱くことの愚かさを目の当たりにしてきた。

(この都市の繁栄こそが我が喜び。栄華をこの街にもたらすことが、我がミュノスの血族の使命)

 利口な彼女は、この街の発展のために己の立場を活かすことにした。
 商業と芸術の更なる躍進。即ち、交易都市としてのミュノス・アノールの地位向上である。

 荘園迷宮を自前で保持しているこの都市ミュノス・アノールは、迷宮出土品を輸出することができる恵まれた領土である。そして活発な交易により、少なくない金貨が街に落ちた。経済状況は近隣の都市と比較しても良好であった。
 下手なことをせず、現状を維持するのが最も良い――そう思われていた。

(中央宮廷の法衣貴族たちから、『芸術を理解しない田舎者』と思われ続けるのはミュノスの名折れ。せっかく領地経営が上手くいっているのだから、より権力を持つ貴族と婚姻関係を結んだりして縁戚になって、土台を固めに行かなくては)

 この時代、領地の発展を狙う方法はいくつかあった。
 兵力を高めて近隣の領地に侵攻をかけるか、商業に力を入れて経済的に豊かになるか、外交に力を入れて味方を増やすか。

 定期的に夜会サロンを開き、街の商人たちや有力者たちと芸術について語らっているのは、商業と外交の一端である。

 ミュノス家は広く芸術に精通しており、決して田舎のもの知らずではない――と主張するためでもあり。
 遠い地から工芸品を持ち込めるような情報網の広い商人たちから、市井の価格の変動や、遠くの地の情勢を聞き出すための関係性を維持するためでもあり。
 己自身がより貴族らしく、洗練された所作を身に着ける練習のためでもあり。
 有望な商人たちが貴族と付き合うための基礎教養を積むためでもあり。

 顔役を担っているアルバートが仲介に入っているのも、そう言った理由からである。
 経験豊かな老練の商人であり、色んな商人と広い付き合いがある彼だからこそ、この夜会サロンを上手に立ち上げて、今までとりなすことができた。

 我が儘で世間知らずの令嬢の思い付き――それがいつしか、芸術についての基礎教養を領内の商人たちに施す貴重な場になり替わっていた。

 中心に居続けたパーシファエ嬢もまた、非常に洗練されていった。

(芸術について熱を入れあげるなんて、不良娘だと思われたでしょうね。家政を取り仕切れない女が、立派な貴族様に娶ってもらえるはずがないもの)

 貴婦人の嗜みといえば、家事の基本、刺繍、典礼語(※公用語ではない上流階級や司祭階級が利用する言語)の読み書き、詩作である。
 領地経営を行う封建貴族にとって婦人の仕事は、館の使用人たちに掃除、洗濯、子育て、刺繍、機織り等の仕事を指示し、時に行政の手助けを行うこと。家事の基本や典礼語の勉強はそのために必要になる。

 それらを疎かにし、芸術に入れあげるパーシファエ嬢は、と思われた。
 だがしかし、夜会サロンの試みはミュノス家にとってとも認められた。

 教養の深さは、時に上流階級の貴族の胸を打つ。
 ミュノス家から公文書を出したり、貴族と私文書を取り交わすとき、小洒落た表現を考えるのにパーシファエ嬢はちょくちょく駆り出されていた。

 パーシファエ嬢のことを芸術倒れだと揶揄するものもいたが、それは彼女の英邁さを知らぬが故のこと。
 領内の商人たちと広い関係を持つ彼女は、巷の情報に耳敏くなっていた。

(領地継承権を長子と争うにも不向きで、結婚外交にも向かない不良娘、されどミュノス家にとっては有用。私にとってほぼ望み通りの展開よね)

 こうなるとほとんど結婚は諦めたも同然なので、都合のいい金持ちの商人でも捕まえて穏やかに生きられたら上々である。欲を言えば、芸術趣味を満たしてくれる若い商人が良いが、そこまでは求めない。

 ともあれ、パーシファエ嬢の夜会サロンは、交易都市として君臨するミュノス・アノールの領内の商人たちにとっても一種のステイタスになっていた。
 色んな物が行き来する交易都市であるからこそ、芸術に一定の理解があるということが力になっていた。

 いうなれば、彼女の夜会サロンはすでに品評会のようになっていたのだ。

 このミュノスの都市において、パーシファエ嬢に認められた商人――。
 そのお墨付きを求める熱意ある商人たちがいて、中心に立つ聡明な少女がいて、この夜会サロンは成り立っていた。

 今日までは。

(……これが、蛍手とうで、ですって?)

 令嬢は、常に芸術について広く深い知識を持つことを求められる。
 商人たちには手厳しく、しかし芸術を啓蒙する存在であり続ける必要がある。
 ぽっと出の一介の商人に好き放題されるようでは、夜会サロンの品位が問われるのだ。
 だがしかし――。

(透かし彫のせいで、焼成時にひび割れや歪みが生じやすい蛍手とうでを……これほどの白磁に仕上げた、ということ?)

 これもまた、青みを取り除いた白い磁器。
 そして点描画を想起させるほどに精巧で規則正しい透かし彫り。

 げに恐ろしきは人のわざ
 理解を超えたを目の前にして、パーシファエ嬢の心臓は大きく高鳴った。





 ―――――
 Q.花瓶じゃなかったんですか?
 A.こっちの方が面白そうだったので変えました!

 業物という単語の使い方が違う気がしますが、一旦これで行きます。言葉遊びなので、校正が入ったら直すかもです。

 今回の<光盤>の元ネタは、新里明士さんの蛍手<光器>です。とてもきれいなので是非調べてみてください。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生

野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。 普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。 そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。 そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。 そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。 うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。 いずれは王となるのも夢ではないかも!? ◇世界観的に命の価値は軽いです◇ カクヨムでも同タイトルで掲載しています。

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

集団転移した商社マン ネットスキルでスローライフしたいです!

七転び早起き
ファンタジー
「望む3つのスキルを付与してあげる」 その天使の言葉は善意からなのか? 異世界に転移する人達は何を選び、何を求めるのか? そして主人公が○○○が欲しくて望んだスキルの1つがネットスキル。 ただし、その扱いが難しいものだった。 転移者の仲間達、そして新たに出会った仲間達と異世界を駆け巡る物語です。 基本は面白くですが、シリアスも顔を覗かせます。猫ミミ、孤児院、幼女など定番物が登場します。 ○○○「これは私とのラブストーリーなの!」 主人公「いや、それは違うな」

おっさんなのに異世界召喚されたらしいので適当に生きてみることにした

高鉢 健太
ファンタジー
 ふと気づけば見知らぬ石造りの建物の中に居た。どうやら召喚によって異世界転移させられたらしかった。  ラノベでよくある展開に、俺は呆れたね。  もし、あと20年早ければ喜んだかもしれん。だが、アラフォーだぞ?こんなおっさんを召喚させて何をやらせる気だ。  とは思ったが、召喚した連中は俺に生贄の美少女を差し出してくれるらしいじゃないか、その役得を存分に味わいながら異世界の冒険を楽しんでやろう!

転生エルフによる900年の悠久無双記~30歳で全属性魔法、100歳で古代魔術を習得。残り900年、全部無双!~

榊原モンショー
ファンタジー
木戸 稔《きど・みのる》 享年30。死因:交通事故。 日本人としての俺は自分の生きた証を残すこともなく、あっけなく死んでしまった。 死の間際に、「次はたくさん長生きして、自分の生きた証を残したいなぁ」なんてことを思っていたら――俺は寿命1000年のエルフに転生していた! だからこそ誓った。今度こそ一生を使って生きた証を残せる生き方をしようと。 さっそく俺は20歳で本来エルフに備わる回復魔法の全てを自在に使えるようにした。 そして30歳で全属性魔法を極め、100歳で古代魔術の全術式解読した。 残りの寿命900年は、エルフの森を飛び出して無双するだけだ。 誰かに俺が生きていることを知ってもらうために。 ある時は、いずれ英雄と呼ばれるようになる駆け出し冒険者に懐かれたり。 ある時は、自分の名前を冠した国が建国されていたり。 ある時は、魔法の始祖と呼ばれ、信仰対象になっていたり。 これは生ける伝説としてその名を歴史に轟かしていく、転生エルフの悠々自適な無双譚である。 毎日に18時更新します

完結【進】ご都合主義で生きてます。-通販サイトで異世界スローライフのはずが?!-

ジェルミ
ファンタジー
32歳でこの世を去った相川涼香は、異世界の女神ゼクシーにより転移を誘われる。 断ると今度生まれ変わる時は、虫やダニかもしれないと脅され転移を選んだ。 彼女は女神に不便を感じない様に通販サイトの能力と、しばらく暮らせるだけのお金が欲しい、と願った。 通販サイトなんて知らない女神は、知っている振りをして安易に了承する。そして授かったのは、町のスーパーレベルの能力だった。 お惣菜お安いですよ?いかがです? 物語はまったり、のんびりと進みます。 ※本作はカクヨム様にも掲載しております。

称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~

しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」 病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?! 女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。 そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!? そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?! しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。 異世界転生の王道を行く最強無双劇!!! ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!! 小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

処理中です...