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第40話 異世界行商その⑥:シフォン生地のシュミーズ
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貴族令嬢に贈る生地は決まったが、それ以外にも売ってみたい生地がなかったわけではない。
特に試したい生地としては、シースルー系の透ける生地があった。
(シースルー生地が本格的に世に出回ったのは、主に18世紀。この頃の風刺画『Parisian Ladies in their Full Winter Dress for 1800, 1799./アイザック・クルークシャンク』にもある通り、フランスで流行していたとされる)
アイザック・クルークシャンクはスコットランドの著名な風刺画家である。
彼は、当時のパリの女性たちがちらほら着ていた透ける婦人服を非難するため、この風刺画を描いたという。
だが裏を返すと、当時の女性たちにこの先鋭的で大胆な服装が受けていたという証左でもある。
衣服の下の肌の質感やシルエットを前面に出したいという思い。
街行く人たちの目を釘付けにしたいという思い。
そういった願いを実現するための服装だが、この透け感を出すにあたっては、18世紀まで技術的に難しかったのだ。
そしてそれは、この世界においてもあながち間違っていないようで、イルミンスールでシースルー系の服装をしている者は誰もいなかった。
「むう……なんと大胆な。このような意匠の織物、初めて見ました」
「でしょう? この薄さとこの透明感、きっと貴族階級に非常に珍重がられると思いましてね」
いつもの帝国質屋:天秤座にて。
俺の持ってきた生地を見るなり、アルバート氏はそれにすっかり夢中になっていた。否、当惑していたとも言えるかもしれない。目が釘付けになるとはまさしくこのことであった。
もちろん、今までにない新しい素材なのだから、アルバート氏の反応もおかしくはない。むしろ審美眼があると言っていいだろう。見たこともない珍奇なものだと切り捨てることなく、こうやって価値を見出してくれたのだから。
シフォン生地。
それが今回俺の持ってきた生地である。
ドレープ性が強いこの生地は、ゆったりとしたひだ感を帯びている。身体の線にそって落ちる、いわゆる『落ち感』のある素材。
このシフォン生地を使って服を作れば、柔らかく、透けて見えて、かつ身体の線をより表現することが出来る。
すなわち――。
「こちらがシフォン生地のシュミーズです。薄く透けて、とてもいいでしょう?」
横に立っているアルルがその場で一回転した。彼女の着ている白いシュミーズがふわりと揺れた。
今回はゾーヤだけでなくアルルも連れてきて正解であった。こういう可愛らしい服は、可愛らしい人が着るとなお良い。
幻想的。そんな言葉がふさわしい。
肌が透けるので今はあえて裏布をつけているものの、裏布を無くせば煽情的になるだろう。だがシフォン生地の優美さのせいか下品な印象は受けない。
日の光に照らされたその服は、まさに天女の羽衣を彷彿とさせる美しさを醸していた。
「これを部屋着や寝間着にと考えております。いかがでしょうか?」
俺はアルルの着ているこのシュミーズを見せびらかしながら提案した。
ご覧の通り、このシフォン生地のシュミーズは、身を縛らない優雅なナイトウェアやルームウェアとしてぴったりなのだ。
そもそもシュミーズがそういうルームウェア・ナイトウェアに向いた服である。
シュミーズの起源は不透明だが、概ね古代のチュニックが13世紀頃にはシュミーズになっていったものと考えられている。
そして、16世紀から17世紀にかけて、上流階級では頭からすっぽりと着られるスモック形式の夜着用シュミーズが用いられていた。
恐らく、こちらの世界でもシュミーズのようなものは考案されているに違いない。寝間着としてのシュミーズが定着しているかどうかは不明だが、長袖つきのワンピース形式ぐらい、別にこの世界に生まれていておかしくはない。
重要なのは、「これほど柔らかくて透け感のあるシュミーズは珍しい」という点である。
透け感を実現しつつ、着心地も追求するとなると、この時代の職人でそれを両立するのは極めて厳しいであろう。
加えて美しさまで実現するとなれば、難易度は格段に跳ね上がる。この服は、いうなれば現代社会の工業力の賜物なのだ。
「柔らかく、しかし絹らしくないこのしゃりしゃりした肌触り……これは一体……」
アルバート氏は、いかにも不可思議なものを見たような顔付きになっていた。
ポリエステル・ナイロンですとはとても言えそうにない。
この時代の素朴な亜麻、麻、綿などの繊維と比べると、この化学繊維シフォンは耐久性にも弾力性にも優れている。ただ、薄く柔らかいシフォンに仕立てる以上、その耐久性も大幅に下がってしまうことになるが……それはやむ無しというものだ。
とにかく大事なのは、透け感のある柔らかい服という点に尽きる。
こんな服を着てみたくないか、と世の女性に訴えかけるのだ。
「……こちらの服ですが、一体何着ほど調達することができますかな」
「望みとあらば十着でも二十着でもご用意しますよ」
俺の言葉を聞いて、アルバート氏はいよいよ顔を険しくした。気付けばゾーヤも同じぐらい険しい顔をしていた。二人して渋い顔になるとはどうしたことだろうか。
ゾーヤが軽く咳払いをした。
「……一言補足させていただこう。我が主殿はこう言っているのだ、『貴族たちや大手商会の御令嬢たちとつてのあるアルバート殿であれば、この品物を卸しても適切に捌いてくれるだろう』と」
「……ははあ、そう言っていただけるとは光栄です。確かに、こうも上質な服ですと、まず間違いなく貴族や富豪相手にしか売れますまい」
なるほど、と俺は内心で納得した。
要するに俺は、あまりにも高価に見えるものを見せびらかしてしまったらしい。
一着たったの数千円のシュミーズ(※セクシーなナイトウェアで検索したらでてくるやつ)なのだが、時代や場所が違えば受け取られ方も違うということだ。
つまり、今のアルバート氏には、この服が「シルクのドレス」並に高価なもののように感じられているということだ。
「ふむ……しかし、恐れながら指摘させていただきますと、真珠を縫い付けたりして意匠を凝らせようとするには強度不足のようにも感じられます」
痛いところを突いてくる。
アルバート氏は早速、シフォン生地の弱点である『生地の強度』に気付いたらしかった。装飾に向かないのは確かに大きな欠点になる。この世界の貴族社会では、装飾をごてごてにつける着飾り方が主流なのだ。
「絹織物と同じなのだ、店主殿。我が主殿の持ち込んだこれは、絹織物と同様に丁寧に扱う必要がある代物だ」
「ふむ……儀典用の礼装などに使うのも有り得そうですね」
全く予想をしていなかった使い道を向こうが出してくれた。
助け舟だと思うが乗らない手はない。俺は首肯した。
「そうですね、慶事や祭事を祝福して踊る踊り子たちに着せるのもよいですね。きっと見栄えすることでしょう。こんな美しい服は中々ないでしょうから、踊り子を見て羨ましくなってこの服を欲しがる人たちもたくさん出てくることでしょう」
「……ふむ、いやはや面白い、売り込み方を色々考えられそうです。商人側の腕が試されますな」
アルバート氏は隣のディケ嬢と何かを耳打ちしていた。
多分この商談の落とし所を見つけたのだろう。客の前で耳打ちするのは失礼なことではあるが、俺はそんなことで目くじらを立てるつもりはなかった。何せ、この場はディケ嬢の商談のお勉強も兼ねているのだ。快く協力させていただくつもりだ。
(すけべな貴族に売りつける趣味用の服という使い道を考えてたけど……それ以外にも色々ありそうだよな)
普通にインナーを着て重ね着すれば、それだけで立派なお洒落である。
うまく行けば、この綺麗なシフォン生地を着ているのがお洒落扱いされる世の中がやってくるかもしれない。
などと考えていると、ディケ嬢の計算が終わったらしかった。
「……お待たせしました。百着まとめて納品いただけるとのことで、金貨二十枚と魔道具と交換でいかがでしょうか」
「魔道具はどんなものを?」
「えっと、精神集中の指輪ですね」
集中力が高まる効果の指輪らしい。
普通に欲しいと思ったが、ゾーヤが「効果が主観的で不確かな指輪だな、もう一つ何かつけてくれ」と咄嗟に口を挟んだ。
眠気覚ましのコーヒー代わりになるなら俺にとっては十分だが、その程度ではゾーヤは満足しないみたいである。
「そうは言ってもこの精神集中の指輪は、本当に効果があるのですよ。悪くない取引のはずです」
「“クタニ焼き”の銘款の件では大変世話になったな。あの時の会話を借りるなら、『懸念が払拭されない限りは、この商品に高値を付けることは難しい』だったか。精神集中に効果があるのは結構だが、客観的にその効果を説明できないものは低く価値を見積もらざるを得ない、だろう?」
「む……」
ディケ嬢は少し言葉に窮したらしい。ややあって、指輪の逸話や出自を語り始めて立て直しを図るも、あまり響かなかった。こちらは効果の信憑性そのものを聞いているのだ。
傍から見ればゾーヤの方が旗色がいいだろう。
「ディケ。もう一つつけなさい」
「! しかし!」
「こちらもきちんといいものを用意したつもりですが、向こうの出された品物もまた本当にいいものです。記憶の指輪がいいでしょう」
アルバート氏の一声で、指輪がもう一つ増えることになった。
ゾーヤは追及の手を緩めることなく、もう一声「それもまた効果の有無の判断が難しいものだな」と粘ろうとしたが、それもやんわりと躱されてしまった。
「もとより自分に作用する魔道具は効果の立証が難しいものです。なので実際にお試しされて、気に入ったものを持ち帰られるのがよいでしょう。判断は自己責任、気に入らなければ指輪ではなく金貨で交渉、それがよろしいはず」
「確かにそうだが……集中力が上がったり記憶力が上がったりをどう試すのだ。眉唾ものといえばそれまでだぞ」
「すべて金貨であれば、金貨四十枚までならご用意できます。ですが金貨二十枚をこの指輪二つに換えても問題ありません。どちらの判断がハイネリヒト殿のお気に召すか、でしょうね」
今度はゾーヤが攻め手を失ってしまった。
俺の答えは決まりきってる。
魔道具が欲しい。お金にはさほど困っていない。金貨も貰いつつ魔道具が増えるならそっちのほうがありがたい。
それを分かっているから、ゾーヤは『そんな魔道具はいらない』と突っぱねきれないし、アルバート氏もそこに話を誘導してくるのだ。
俺が出来るのはせいぜい、嫌な指摘を続けるぐらいだろうか。
「売れない魔道具を体よく処分しようとしてますね?」
「いいえ。ですが金貨を即金で用意するのが難しく、四十枚までしかお支払いの準備がないので、魔道具に換えたほうがお互いに得だと思っております」
「他のところに話を持ちかけるとは思ってないですか?」
「構いません。引き止める権利はありません。ですが、貴族相手とも付き合いがあり、商人ギルドともつながりがあり、複数の商会とも渡りのある我が商会だからこそ、百着の服を捌き切る自信があります。他の商会の若造たちに負けるような私ではありませんよ。一着一着で見れば高値をつけるところはたくさんあるでしょうが、百着まとめてこの条件を提示できるのはうちだけでしょう」
押しも引きもディケ嬢より上手だ、と俺は思った。
泣き所を押さえているのがその証拠である。
魔道具が欲しい。
百着まとめて捌きたい。
そんなこちらの要望をしっかり把握されている。
もっと言えば、どんなに高価で売り捌くのが難しい品物でもアルバート氏に丸投げすれば何とかしてくれる……というこちらの魂胆までも見透かされている気がする。
「……七十着で金貨十枚、魔道具二個でいかがですか? アルバートさんは金貨の持ち出しを少なく出来るし、百着売り捌く負担が七十着に減るはず。うちは一着あたりの儲けが増えるので、両者得だと思いますが」
「それなら五十着で金貨十二枚、魔道具一個、のほうが良いですね。この魔道具はいい代物ですのでね」
粘ってみたがあっさり切りかえされてしまった。我ながら悪くない提案をしたと思うが、アルバート氏の返しが早かった。
魔道具は二個欲しい。悩ましい。
「魔道具は二ついただきたいが金貨は十枚以上欲しい。シフォン製のシュミーズ七十着にもう少し色をつけて、胡椒一袋をつけましょう」
「……なるほど、それなら文句はございません」
なんだかこちらのほうが商談の勉強をしているような気分になってきた。
一端の商人になったので、これぐらいの商談には慣れていかないと駄目なのだが、やはり緊張はする。
多分、アルバート氏はやろうと思えば、俺からもっと買い叩くこともできるのだろう。だがあえてそれをしていない。ディケ嬢のためという名目で、俺もゾーヤも鍛えようとしてくれている……ような気がする。
「大変面白い商品でした。これからもいい取引をお願いします」
握手を求めてきたアルバート氏に、俺はやや苦笑いを浮かべながら応じた。こちらとしても魔道具二つに金貨十枚以上を得られたので何も文句はなかったが、うまいこと落としどころに運ばれたな、という気持ちはあった。
とはいえシュミーズを何十着も売り下ろすつてが俺にはないので、アルバート氏の提案に乗るのが一番いいことだと俺は思った。
特に試したい生地としては、シースルー系の透ける生地があった。
(シースルー生地が本格的に世に出回ったのは、主に18世紀。この頃の風刺画『Parisian Ladies in their Full Winter Dress for 1800, 1799./アイザック・クルークシャンク』にもある通り、フランスで流行していたとされる)
アイザック・クルークシャンクはスコットランドの著名な風刺画家である。
彼は、当時のパリの女性たちがちらほら着ていた透ける婦人服を非難するため、この風刺画を描いたという。
だが裏を返すと、当時の女性たちにこの先鋭的で大胆な服装が受けていたという証左でもある。
衣服の下の肌の質感やシルエットを前面に出したいという思い。
街行く人たちの目を釘付けにしたいという思い。
そういった願いを実現するための服装だが、この透け感を出すにあたっては、18世紀まで技術的に難しかったのだ。
そしてそれは、この世界においてもあながち間違っていないようで、イルミンスールでシースルー系の服装をしている者は誰もいなかった。
「むう……なんと大胆な。このような意匠の織物、初めて見ました」
「でしょう? この薄さとこの透明感、きっと貴族階級に非常に珍重がられると思いましてね」
いつもの帝国質屋:天秤座にて。
俺の持ってきた生地を見るなり、アルバート氏はそれにすっかり夢中になっていた。否、当惑していたとも言えるかもしれない。目が釘付けになるとはまさしくこのことであった。
もちろん、今までにない新しい素材なのだから、アルバート氏の反応もおかしくはない。むしろ審美眼があると言っていいだろう。見たこともない珍奇なものだと切り捨てることなく、こうやって価値を見出してくれたのだから。
シフォン生地。
それが今回俺の持ってきた生地である。
ドレープ性が強いこの生地は、ゆったりとしたひだ感を帯びている。身体の線にそって落ちる、いわゆる『落ち感』のある素材。
このシフォン生地を使って服を作れば、柔らかく、透けて見えて、かつ身体の線をより表現することが出来る。
すなわち――。
「こちらがシフォン生地のシュミーズです。薄く透けて、とてもいいでしょう?」
横に立っているアルルがその場で一回転した。彼女の着ている白いシュミーズがふわりと揺れた。
今回はゾーヤだけでなくアルルも連れてきて正解であった。こういう可愛らしい服は、可愛らしい人が着るとなお良い。
幻想的。そんな言葉がふさわしい。
肌が透けるので今はあえて裏布をつけているものの、裏布を無くせば煽情的になるだろう。だがシフォン生地の優美さのせいか下品な印象は受けない。
日の光に照らされたその服は、まさに天女の羽衣を彷彿とさせる美しさを醸していた。
「これを部屋着や寝間着にと考えております。いかがでしょうか?」
俺はアルルの着ているこのシュミーズを見せびらかしながら提案した。
ご覧の通り、このシフォン生地のシュミーズは、身を縛らない優雅なナイトウェアやルームウェアとしてぴったりなのだ。
そもそもシュミーズがそういうルームウェア・ナイトウェアに向いた服である。
シュミーズの起源は不透明だが、概ね古代のチュニックが13世紀頃にはシュミーズになっていったものと考えられている。
そして、16世紀から17世紀にかけて、上流階級では頭からすっぽりと着られるスモック形式の夜着用シュミーズが用いられていた。
恐らく、こちらの世界でもシュミーズのようなものは考案されているに違いない。寝間着としてのシュミーズが定着しているかどうかは不明だが、長袖つきのワンピース形式ぐらい、別にこの世界に生まれていておかしくはない。
重要なのは、「これほど柔らかくて透け感のあるシュミーズは珍しい」という点である。
透け感を実現しつつ、着心地も追求するとなると、この時代の職人でそれを両立するのは極めて厳しいであろう。
加えて美しさまで実現するとなれば、難易度は格段に跳ね上がる。この服は、いうなれば現代社会の工業力の賜物なのだ。
「柔らかく、しかし絹らしくないこのしゃりしゃりした肌触り……これは一体……」
アルバート氏は、いかにも不可思議なものを見たような顔付きになっていた。
ポリエステル・ナイロンですとはとても言えそうにない。
この時代の素朴な亜麻、麻、綿などの繊維と比べると、この化学繊維シフォンは耐久性にも弾力性にも優れている。ただ、薄く柔らかいシフォンに仕立てる以上、その耐久性も大幅に下がってしまうことになるが……それはやむ無しというものだ。
とにかく大事なのは、透け感のある柔らかい服という点に尽きる。
こんな服を着てみたくないか、と世の女性に訴えかけるのだ。
「……こちらの服ですが、一体何着ほど調達することができますかな」
「望みとあらば十着でも二十着でもご用意しますよ」
俺の言葉を聞いて、アルバート氏はいよいよ顔を険しくした。気付けばゾーヤも同じぐらい険しい顔をしていた。二人して渋い顔になるとはどうしたことだろうか。
ゾーヤが軽く咳払いをした。
「……一言補足させていただこう。我が主殿はこう言っているのだ、『貴族たちや大手商会の御令嬢たちとつてのあるアルバート殿であれば、この品物を卸しても適切に捌いてくれるだろう』と」
「……ははあ、そう言っていただけるとは光栄です。確かに、こうも上質な服ですと、まず間違いなく貴族や富豪相手にしか売れますまい」
なるほど、と俺は内心で納得した。
要するに俺は、あまりにも高価に見えるものを見せびらかしてしまったらしい。
一着たったの数千円のシュミーズ(※セクシーなナイトウェアで検索したらでてくるやつ)なのだが、時代や場所が違えば受け取られ方も違うということだ。
つまり、今のアルバート氏には、この服が「シルクのドレス」並に高価なもののように感じられているということだ。
「ふむ……しかし、恐れながら指摘させていただきますと、真珠を縫い付けたりして意匠を凝らせようとするには強度不足のようにも感じられます」
痛いところを突いてくる。
アルバート氏は早速、シフォン生地の弱点である『生地の強度』に気付いたらしかった。装飾に向かないのは確かに大きな欠点になる。この世界の貴族社会では、装飾をごてごてにつける着飾り方が主流なのだ。
「絹織物と同じなのだ、店主殿。我が主殿の持ち込んだこれは、絹織物と同様に丁寧に扱う必要がある代物だ」
「ふむ……儀典用の礼装などに使うのも有り得そうですね」
全く予想をしていなかった使い道を向こうが出してくれた。
助け舟だと思うが乗らない手はない。俺は首肯した。
「そうですね、慶事や祭事を祝福して踊る踊り子たちに着せるのもよいですね。きっと見栄えすることでしょう。こんな美しい服は中々ないでしょうから、踊り子を見て羨ましくなってこの服を欲しがる人たちもたくさん出てくることでしょう」
「……ふむ、いやはや面白い、売り込み方を色々考えられそうです。商人側の腕が試されますな」
アルバート氏は隣のディケ嬢と何かを耳打ちしていた。
多分この商談の落とし所を見つけたのだろう。客の前で耳打ちするのは失礼なことではあるが、俺はそんなことで目くじらを立てるつもりはなかった。何せ、この場はディケ嬢の商談のお勉強も兼ねているのだ。快く協力させていただくつもりだ。
(すけべな貴族に売りつける趣味用の服という使い道を考えてたけど……それ以外にも色々ありそうだよな)
普通にインナーを着て重ね着すれば、それだけで立派なお洒落である。
うまく行けば、この綺麗なシフォン生地を着ているのがお洒落扱いされる世の中がやってくるかもしれない。
などと考えていると、ディケ嬢の計算が終わったらしかった。
「……お待たせしました。百着まとめて納品いただけるとのことで、金貨二十枚と魔道具と交換でいかがでしょうか」
「魔道具はどんなものを?」
「えっと、精神集中の指輪ですね」
集中力が高まる効果の指輪らしい。
普通に欲しいと思ったが、ゾーヤが「効果が主観的で不確かな指輪だな、もう一つ何かつけてくれ」と咄嗟に口を挟んだ。
眠気覚ましのコーヒー代わりになるなら俺にとっては十分だが、その程度ではゾーヤは満足しないみたいである。
「そうは言ってもこの精神集中の指輪は、本当に効果があるのですよ。悪くない取引のはずです」
「“クタニ焼き”の銘款の件では大変世話になったな。あの時の会話を借りるなら、『懸念が払拭されない限りは、この商品に高値を付けることは難しい』だったか。精神集中に効果があるのは結構だが、客観的にその効果を説明できないものは低く価値を見積もらざるを得ない、だろう?」
「む……」
ディケ嬢は少し言葉に窮したらしい。ややあって、指輪の逸話や出自を語り始めて立て直しを図るも、あまり響かなかった。こちらは効果の信憑性そのものを聞いているのだ。
傍から見ればゾーヤの方が旗色がいいだろう。
「ディケ。もう一つつけなさい」
「! しかし!」
「こちらもきちんといいものを用意したつもりですが、向こうの出された品物もまた本当にいいものです。記憶の指輪がいいでしょう」
アルバート氏の一声で、指輪がもう一つ増えることになった。
ゾーヤは追及の手を緩めることなく、もう一声「それもまた効果の有無の判断が難しいものだな」と粘ろうとしたが、それもやんわりと躱されてしまった。
「もとより自分に作用する魔道具は効果の立証が難しいものです。なので実際にお試しされて、気に入ったものを持ち帰られるのがよいでしょう。判断は自己責任、気に入らなければ指輪ではなく金貨で交渉、それがよろしいはず」
「確かにそうだが……集中力が上がったり記憶力が上がったりをどう試すのだ。眉唾ものといえばそれまでだぞ」
「すべて金貨であれば、金貨四十枚までならご用意できます。ですが金貨二十枚をこの指輪二つに換えても問題ありません。どちらの判断がハイネリヒト殿のお気に召すか、でしょうね」
今度はゾーヤが攻め手を失ってしまった。
俺の答えは決まりきってる。
魔道具が欲しい。お金にはさほど困っていない。金貨も貰いつつ魔道具が増えるならそっちのほうがありがたい。
それを分かっているから、ゾーヤは『そんな魔道具はいらない』と突っぱねきれないし、アルバート氏もそこに話を誘導してくるのだ。
俺が出来るのはせいぜい、嫌な指摘を続けるぐらいだろうか。
「売れない魔道具を体よく処分しようとしてますね?」
「いいえ。ですが金貨を即金で用意するのが難しく、四十枚までしかお支払いの準備がないので、魔道具に換えたほうがお互いに得だと思っております」
「他のところに話を持ちかけるとは思ってないですか?」
「構いません。引き止める権利はありません。ですが、貴族相手とも付き合いがあり、商人ギルドともつながりがあり、複数の商会とも渡りのある我が商会だからこそ、百着の服を捌き切る自信があります。他の商会の若造たちに負けるような私ではありませんよ。一着一着で見れば高値をつけるところはたくさんあるでしょうが、百着まとめてこの条件を提示できるのはうちだけでしょう」
押しも引きもディケ嬢より上手だ、と俺は思った。
泣き所を押さえているのがその証拠である。
魔道具が欲しい。
百着まとめて捌きたい。
そんなこちらの要望をしっかり把握されている。
もっと言えば、どんなに高価で売り捌くのが難しい品物でもアルバート氏に丸投げすれば何とかしてくれる……というこちらの魂胆までも見透かされている気がする。
「……七十着で金貨十枚、魔道具二個でいかがですか? アルバートさんは金貨の持ち出しを少なく出来るし、百着売り捌く負担が七十着に減るはず。うちは一着あたりの儲けが増えるので、両者得だと思いますが」
「それなら五十着で金貨十二枚、魔道具一個、のほうが良いですね。この魔道具はいい代物ですのでね」
粘ってみたがあっさり切りかえされてしまった。我ながら悪くない提案をしたと思うが、アルバート氏の返しが早かった。
魔道具は二個欲しい。悩ましい。
「魔道具は二ついただきたいが金貨は十枚以上欲しい。シフォン製のシュミーズ七十着にもう少し色をつけて、胡椒一袋をつけましょう」
「……なるほど、それなら文句はございません」
なんだかこちらのほうが商談の勉強をしているような気分になってきた。
一端の商人になったので、これぐらいの商談には慣れていかないと駄目なのだが、やはり緊張はする。
多分、アルバート氏はやろうと思えば、俺からもっと買い叩くこともできるのだろう。だがあえてそれをしていない。ディケ嬢のためという名目で、俺もゾーヤも鍛えようとしてくれている……ような気がする。
「大変面白い商品でした。これからもいい取引をお願いします」
握手を求めてきたアルバート氏に、俺はやや苦笑いを浮かべながら応じた。こちらとしても魔道具二つに金貨十枚以上を得られたので何も文句はなかったが、うまいこと落としどころに運ばれたな、という気持ちはあった。
とはいえシュミーズを何十着も売り下ろすつてが俺にはないので、アルバート氏の提案に乗るのが一番いいことだと俺は思った。
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※本作はカクヨム様にも掲載しております。
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称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~
しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」
病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?!
女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。
そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!?
そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?!
しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。
異世界転生の王道を行く最強無双劇!!!
ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!!
小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!
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