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3章 FLOW

26. お前は単なるタンドリーチキン、俺はすこぶる感度いい詩人

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◇◇◇
26. お前は単なるタンドリーチキン、俺はすこぶる感度いい詩人


ケイジが宿で目を覚ますと、もう夕方近くだった。

思ったより消耗していたようだった。
たった一戦とは言え、相手が相手だったこともあり、意識していないプレッシャーもあったに違いない。

部屋にライムの姿は無い。
机の上に書置きがあり、所々読めないが一旦家の用事に戻るということだけはわかった。

「賭場へ行くには…時間的に少し遅いか。情報収集は明日かな…」

実はこの日、昨日の試合でフロウが負けたせいで十数年ぶりの万馬券が発生してしまい、勘定所も両替場も次の試合に賭けに来た観客までもが大混乱していた。
そんな中に騒動の張本人が行けば、いよいよ収拾がつかない事態になっていたのは疑いなく、結果的にケイジが遅く起きて良かった。

「今日こそステージ衣装を買いに行くか…?昨日のフロウも派手な衣装で目立っていたし、下手すりゃ俺が出場者で一番地味だったんじゃないか? やっぱ印象も大事だよな…」

ひとまず腹が減っていたのでご飯を食べようと思ったが、半端な時間帯で宿の食堂は準備中だったため、外に繰り出した。

夕食までさほど時間も無いので、この時間に食べるのは実に微妙だった。
するっと食べられるラーメン屋のようなものがあればベストだったが、この国にそんな文化は無い。

露店が並ぶ通りも、夜に向けて仕入れ中の店ばかりで、精々タピオカミルクティーレベルのものしかない。
いい加減疲れて、パンくらい無いものか、とよろよろ歩くケイジの鼻に、ふと懐かしい香りがよぎる。

「あれ…これ、この匂い…知ってる、これは―」

通りの隅の、やや小汚い露店に引き寄せられる。

「カレーだ…!」

鼻孔を甘く辛く突き抜けていくスパイスの香りは、カレーに間違いなかった。

「よおぉあんちゃん、また会ったなぁ、ええい?」

聞き覚えのある声は、あの浮浪者だった。
――いや、実は浮浪者じゃなくカレー屋だったのか。

店に寄り付く者はそうおらず、明らかに流行っていなかった。
カレーはここらの人間にはかなり異国的で刺激的に過ぎるらしい。

「カレー…売ってるのかい…?くれ!一杯くれよぉ!」
「いや、カレーと言うかカレーパンなんだけどねぇ、」
「カレーパン…!今の俺にベストだ、2つか3つくれよぉ!」
「肝心のタンドリーチキンを切らしちまってねえ、売り切れだぜ、ええい?」
「カレーパンにタンドリーチキンて要るのか…?じゃあチキン無くてもいいからさぁ」

深鍋にはたっぷりルーが残っているようだった。

「ダメだぜ兄ちゃん、チキンが無きゃうちのカレーパンになんねえYO」
「いや、チキン込みのねだんでいいからさあ、なぁ?」
「兄ちゃん、金がどうこうじゃねえんだよ、うちのパンはチキンと合わせて初めて意味を持つように設計されてグダグダグダグダ…料理人の意気ってのは最高のものを最高の状態でグダグダグダグダ…」

「わかった!わかったよ、…ちょっと何だか懐かしい香りだったからさ、思わず釣られちゃったんだ。今度はチキンがあるときに来るよ、じゃあ!」

「…えっ?あっ、おい、え?そこで引くか…?ルーあるよ?ルー。もう一声こいよぉ、ええいめぇん!?」

出直そうとするケイジの袖を浮浪者もといカレーパン屋が引き止める。

「ルーあるから!ルーだけなら半額でいいから!なぁーみん!?」
「最高のものを最高の状態で、じゃなかったの…?」
「それぞれが最高だから合わせても最高なんだよぉー、
 大体、一度カレーの香りに惹かれちまったら、今食わなくても後々思い出しちまって辛いぜ?兄ちゃん」

前世のかすかな記憶が強烈によみがえる。
カレーの匂いを嗅いで食べたいと思った際に食べられないと、寝る時までずっとカレーの呪縛に捉われる。

一度カレーを食べたいと思ったら、一日、逃れる術は無い。

「くっ…のどごしは良いんだろうな…!?」


結局、大き目の木の実の殻にルーだけ盛られたものを買った。
紙や植物質のコップや皿は、この国ではそれより少しだけコストのかかるものだった。

歩きながらズルズルとカレーを飲む。
すきっ腹に染み渡る、絶妙な辛さと甘さ、そして日本企業の既製品のようなコク。
この国のスパイスだけでこれほど日本人好みの味が作れるのかと、ケイジは感心する。


ただし圧倒的な誤算は、これを飲み干す前よりずっとカレーライスが食べたくなってしまったことだ。

「カレーライス…くっ…何よりタンドリーチキンが死ぬほど食べたい…!!
 この食欲を掻き立てるスパイス加減、…チキンを主役に作ったカレーとは…こういうことか…。タンドリーチキン…くああっ…タンドリーチキンが食べたいッ…」

しかしカレーパン屋が露店街の最後の一角だった。
ケイジは空腹の渇望を抱え、ふらふらと広い草原にたどり着く。

カッサネール領に面した、国立公園だった。

もう日暮れなので、散歩者や日光浴客の姿は無い。
かなり遠くだが、それなりの人数が集まって火を灯して騒いでいる様子が見える。
バーベキューか何かだろう、ちょっと羨ましいと思いつつも、混ざりに行くほどの元気も気概も無く、ケイジは近くのベンチに座り込む。

「ダメだ、タンドリーチキンに脳内を占領されてる…。
 ちょっと自主練でもするかなぁ」

公園でラップの練習をしていて、「下手なラップの練習禁止」と張り紙をされた記憶は、明瞭では無いがその屈辱感と自分が迷惑者になっていたというショックだけは残っていた。
この国のこの場所なら、さすがにそんな心配もないだろう。


まずは素振り。

素振りがラップを何倍にもする気がする。
動きがカッコいいだけで、相手はそれなりにプレッシャーを感じるし客もアゲやすくなる。

結局未だにフレミングの法則のような例の指の形は使われる。
人差し指で地面を指すだけでもかっこいい。

ハッタリのようなものではあるが、思わず相手が視線を逸らしたりすると「目を合わせないのかよ!」と罵倒の対象になる。

軽く汗をかくくらい続けると、今度は声を出したくなった。


さっきのバーベキュー連中の明かりが大きくなり、声も聞こえ始める。
複数人数が大きな像か何かを囲んでバースを投げ合っている。

「サイファー(※少人数でのラップの応酬会)か…楽しそうだな…」

少し覗きたいとも思ったが、空腹に加えて人見知り根性が歯止めをかける。


――今は個人練に専念しよう。


この国のバトルでは4小節が多いが、前世では8小節とか、もう少し長いものが多かったように思う。
ケイジの身体に染み込んだリズム感がそう告げている。

短いバースに慣れて息切れをするようでは話にならない。

長めの独りラップを、ケイジは久しぶりに空へぶつけたくなった。

辺りを見回して、顔が判別できる距離には人がいないことを確かめ、息を大きく吸う。
心のビートはもう止められない。



「お前は単なる臆病者タンドリーチキン 俺はすこぶる感度いい詩人 

 ビートはDOPEなバンドに一任 痺れるバース 俺が先取り

 俺は最高にアゲられる お前はアガれねえぜ 麻雀じゃ焼き鳥 

 不細工な面にかけるスパイス 混ぜるカレー粉 刺激のパレード」



なぜかタンドリーチキンをディスる内容になってしまっているが、結構気分が乗ってきた。

 

「ウザいくらいに浮かぶスマイル 焦げる前に引っ繰り返すスタイル  

 8小節でたっぷり料理してやる ラップもCOOKも上手いし

 SPICYなチキンには目が無い俺 まったく目じゃないWACKなお前 

 目にも止まらぬ包丁の腕前 天が裁く前に俺が捌く」



空腹への怒りが天に届いたのか、一瞬、光がケイジから空へ駆け上る。

「ふぅー…。 チッ、これじゃただの腹ペコラップだぜ。
 なんでタンドリーチキンと戦ってんだよ…メッセージ性も何も無いし、つか俺別に料理上手くねえしな…」


ちょうどその時、バーベキューのあたりでは大きく光が弾け、彼らの盛り上がりが最高潮に達した。

「盛り上がってんなぁ…そろそろ食い物屋も開いただろうし、帰るか…」



すっかり日の落ちた街道を、繁華街の明かり目指してトボトボと歩き出す。

バーベキュー連中の騒ぐ声は一層大きくなり、ケイジの空腹に響いていた。



◇◇◇
(第27話に続く)
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