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2章 RHYME

15. お買い物のENCOUNT、誤解の公然HAUND

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15. お買い物のENCOUNT、誤解の公然HAUND


古風に言えば草木も眠る丑三つ時。
月はなく星明りだけが窓から漏れている。

広めのベッドに仰向けになって寝息を立てているケンジ。
倒れこんでから大分時間が経過している。


その身体に、馬乗りになっている人影があった。


「(…?あれ、ライム…?)」

寝返りの際にほんの少し意識が戻ったケイジは、重いまぶたの隙間でぼんやり人影を捉える
暗さによる錯覚か、いつもの碧い瞳と金の髪が真っ赤に染まっている様に見えた。

ライムは何も言わない。馬乗りなのに体重も感じられない。
ケイジは金縛りにあったように、身体どころか指一本動かせない。

「(夢…かな…?)」 

夢の最中に夢だと気づくことはたまにあった。
猛烈に消え行く意識は肉体に抗うことができず、ケイジは再び深淵に落ちていく。

「  ―ケイジさん…」


窓からの朝日で起きると、当然のようにケイジ一人だった。

脱ぎ捨てられた自分の服と椅子の上の荷物。ライムがいたような痕跡もない。
よく覚えていないが、ライムは自宅に戻っているのだし、夢だったに違いない。ケイジは少し安心し―

――うわっ…最悪だ…!!
  なに中学生みたいな夢見てんだ俺アホか…!!

ベッドの上でのた打ち回った。

夢うつつのライムの姿はまた全裸だった。
若いケイジの肉体は欲求不満なのかもしれなかった。







宿の食堂で朝食を終えたところで、もう昼までさほどもなかった。

ケイジは朝に弱いつもりはなかったが、疲れていたせいか、結局目覚めると日は高かった。

――さて、今日はどうしようかなぁ

今日は完全に独りぼっちの予定だった。

昨日同様に予選を見学しに行ってもいいのだが、そうでなくともよい。
実力者がどんどん勝ち抜けて、あまり面白い試合が見られないかもしれない。

むしろこの世界へ来てから一度もやっていない、自主トレに充てるのはどうか。

ケイジには遠い記憶だが、前世では毎晩のように一人で練習していた。
実戦経験の無かったケイジを支えているのは精神面が大きいが、思いつく言葉をキチンと音にできるのは紛れもなく日々の練習の賜物だった。

「よし、買い物に行こう!」

ケイジは街に出ることにした。
初日に酒場を探す以外、全く歩いていないこの街。
ちょっと気分を入れ替えに散策するというのも悪くないはずだ。

というより、自主トレには必要なものがあった。

ペンとノートだ。

多くのラッパーがそうするように、新しく思いついたライムリリックを書き留めておくために、ノートが必要なのだ。
練習を重ね、ページがびっしりライムで埋まったノートが溜まっていくと、それが自信になる。
後藤啓治は自主トレの時間と同じくらい、毎晩ノートを眺めてニヤニヤしていた。

この世界の文字はなんとなくでしか読めないケイジだが、腕に染み付いた日本語の書き方は覚えていた。
言葉が通じているということは、ケイジはこの世界の言葉を話しているわけだが、ひらがなやカタカナならば音に対応しているので表記することはできるだろう。

――この世界でもノートを作ろう。書き溜めよう。

  それを積み上げた高さが、俺の上がれるステージの高さだ。


ケイジは上着を取りに部屋へ戻った。





カッサネール領は領主の治世が良く、街には活気があった。

この街で初めてケイジが意識づいたとき同様、浮浪児や汚物などはなく、街というよりはテーマパークのようだった。
広場の噴水の向こう側の区画に、衣料品や生活用品の店が並んでいたのを思い出す。

――ノートとペンのついでに、部屋着とかも買おうかなぁ。
  それに、本戦に出るんだから、気合の入る衣装が欲しいし。
  俺の勝負服ってやつが。

「うへへ、勝負服か…」

また将来の自分のイメージを思い描いて、ケイジはニヤニヤする。

「なるべく悪そうなヤツがいいなぁ…いや、悪そうな相手を颯爽と倒すシックな感じもいいか…?
 でもオーディションなわけだし、やっぱ目立つ方が…ブツブツ」

街行く人々は、村人らしい麻の服の人から、兵士なのか甲冑を着た人、冒険者らしい弓や槍など武器を背負った人、明らかに格闘を生業とするであろう半裸で筋骨隆々な人、と様々だった。

一方ケイジの服装はといえば、短めの外套は纏っているものの、ほとんど町人と変わらない平凡な布の服だった。
装備が何も無い、駆け出しのLV1の冒険者と言えばそれに当たるかもしれない。

見た感じでいかにも弱そうな、ただのガキだった。

むしろ服装の方を優先すべきかもしれない。
絡まれやすいのも見た目の弱さに起因するところがあるだろう。

雑貨を並べた店の奥に衣類も見えたので、ケイジは暖簾をくぐる。

文房具に調理器具、照明器具から寝具まで、生活雑貨が節操無く並んでいた。
武器や魔法具、呪具といったものは別の取り扱い資格が必要で、雑貨と一緒に置く店は無い。

文房具と言っても、ゲルインクのボールペンやミリ方眼のリングノートなどが置かれているはずも無く、ケイジは鳥の羽の付けペンと紙束を紐で閉じただけのノートを手に取る。

そのまま奥の衣服コーナーを覗く。
が、これは想定外だった。

現代で言えば、コスプレショップだった。

否、真に想定外はそこではなく、

一人の少女がフリフリのゴスロリ服を身体にあてがって鏡に向かっていた。


昨日バトルした忍者少女だった。


「あれ?おまえは…」

「げっ、お兄ちゃん…!」

昨日と違って頭巾も無ければ髪も下ろしていたが、この国からすれば異国風の顔つきは見間違えようがない。
なるほど、おそらく珍妙な忍者の衣装もここで買ったものだろう。
手に持ったゴスロリ服も、着ればおそらく人形のようにかわいらしい姿になることは、ケイジにも想像がついた。

「あ…別に…これを買おうとかそういうことじゃないからね?」
「着てみたいの?」
「いや別に着たいとかそういうことじゃないから。
 ここにあったから、あるぞーっていう意味で持ってただけだから」
「似合うと思うし着たらいいんじゃね?」
「いや着るとか着ないとかじゃなくて、これは服ですよー、っていうだけだから」
「なぜそんな確認を…?」
「外国語の勉強で、最初に“これはペンです”っていうセルフチェックを習うだろう?
 その服版だよ」
「着たいの?」
「着たい」

脇に試着室があったので試着することになり、ケイジはなぜかそれを待つことになった。
カーテンの向こうでガタガタと苦戦している音が聞こえる。

「言うまでもないことだけど、この服はボクの趣味とかそういうんじゃなくて―」

しつこい言い訳がまた始まる。忍者少女は粘着質だった。

「昨日お兄ちゃんから推薦状を奪えなかったボクは、もう組織には戻れなくてさぁ。
 他の町に逃げたフリをして、変装してしゃあしゃあとこの辺に残る作戦なんだ」
「そう言って油断した俺から推薦状を奪うつもりか?
 言っとくが俺は持ってないよ、とっくに提出されてるはずだ」
「やあ、今日じゃもう意味無いんだなぁこれが―」

いきなりカーテンがガサッと雑に開かれる。
やはり不意打ちかと、ケイジは身構える

「お兄ちゃん、ちょっとここのホックを止めてくれないかな?」
「一人で着れないもんを着るな」
「女の子の服はそういうもんなのさ」
「おまえ昨日女扱いするなみたいなこと言ってたじゃん」
「女は生まれつき女なんじゃない、いつしか女になるのさ」
「昨日の今日でなったのか」

正面を向いて「どう?」とばかりにスカートの裾を持ち上げる忍者少女の姿は、想像どおり人形のようだった。
日本のゴスロリに対する妙なイメージが無ければ、上流家庭の子に見えるかもしれない。

ただ、目を欺く変装としては目立ちすぎる、とケイジは思った。

「バトルにはまるで向かない衣装だ。
 ――本当に今俺と争う気はないみたいだな」
「試着室から出てきた女子に対してそれかい?」
「ガキに性別はねえよ。でも似合ってるとは思う」
「おっ?おっ?照れたかい?照れた?」

務めも果たしたところで、ケイジはノートとペンの会計に向かう。

店員の前で、ライムからもらったお金を入れた袋を開いたところで、ケイジははたと気付く。

――これ、どれがいくらの貨幣なんだ…?

袋には数種類の、色も大きさも様々な硬貨が入っていた。
この世界でケイジが買い物をするのはこれが初めてだった。

「ええと、これで足りますか…?」

文房具に金色の貨幣はさすがに無いだろうと、無難に銀色のものを出してみる。
一瞬、店員の表情が固まる。

「あ、ああ、外国から来た方ですか?これでしたら2枚いただけるとお釣りが出ますよ」
「そうですか、じゃあ―」
「触るな!」

袋からもう一枚貨幣を出そうとしたところを、忍者少女が制止した。
そのまま少女は目の前に置かれた貨幣をつまみ上げる。

「バカだなあお兄ちゃん、この小ミスリル貨じゃ文具どころか店ごと買えちゃうよ」

「「…!?」」

「え、そうなの…!? こんなちっこいの1枚で!?」
「ペンとノートとボクの服なら、ほら、銀貨2枚でお釣りが来るよね」

忍者少女はケイジの袋をひったくって別の硬貨を出す。

「店員さんも見間違えちゃったんだね? ね?」
「こっ…、これは大変失礼いたしました!!慌てて見間違えてしまいました…!」

忍者少女の言葉の圧に慄きながら、店員はお釣りを用意する。

「あのっ、インクをもう一本おまけしておきますのでっ!ま、またのお越しをー!」

流れで二人は一緒に店を出る。

「…ライムの奴、一体俺にいくら持たせたんだ…?
 これを毎日持ち歩くのは問題があるな…」

この町には銀行の先駆けのような両替商はあったが、金庫などの仕組みは無かった。

「つうかお前コラ、しれっと服代を俺に払わせやがって!」
「やあ、いいじゃないかそのくらい。大金を騙し取られるところだったんだ。」
「…!そりゃ…まあ…助かった」
「まあ店員も出来心ってやつだよ、ミスリル貨幣なんてめったにお目にかからないからさ。
 お兄ちゃんがこの町をホームにしてるなら、ことを荒立てるほどじゃないよ」

ケイジは自分の迂闊さを恥じた。
オーディション対策以上に、この国の常識の獲得が急務だった

「ちなみにお兄ちゃんのペンとノートは合わせて大銅貨3枚ってとこだよ」
「じゃあさっきの銀貨は―」
「大銅貨10枚で小銀貨1枚、小銀貨10枚で銀貨1枚だよ」
「ほとんどお前の服代じゃねえか!」
「勉強料、勉強料。
 ボクもお金で仕事請けてるからね。信頼はお金から、だ。
 お金に関することについて、ボクは嘘をつきたくないのさ」
「お前昨日“自分が負けたら懸賞金あげる”って嘘ついただろうが」

「―ボクが負けを認めるのは、ボクが死んだときだけだ。
 軽々しく勝ち負けなんて言葉を使うもんじゃあない」

「強キャラみたいな台詞言うんじゃねえよ」



「止まれ」


これで何度目かになる、突然の声がケイジにかかる。
このワンパターンさはWACKSだろうなぁ、とケイジにもわかったが、ここは人目の多い商店街だった。

正面の路地から一人、ゴツめの男と線の細い女が姿を現す。

「楽しそうなところ悪いんだけどねー」
「身なりのいい小娘を連れた貧相な小僧…間違いない、こいつらだ」

問い返す必要も無く彼らはWACKSだった。

「…いいぜ、今日は自主トレのつもりだったが、実戦あるのみだ」

ケイジは構えを取る。
ラップバトルに構えはさほど実用的な意味は無いが、気構えの問題だ。


「おお怖い怖いーあんたと戦る気なんざ無いよー」

線の細い女は掌をヒラヒラと振って見せる。
ゴツい男の方も明らかに戦闘態勢ではなかった。

「アタシたちには―ねッ!!」

言い終わらないうちに、女は走り出す。
咄嗟のことでケイジは身体が動かない。

「…!オイお前ら何を…!?」

声が出せたときには、女は忍者少女の後ろに回りこんでいた。
そのまま下半身にタックルするように、忍者少女を抱え上げる。
米俵のように担がれた少女の表情はケイジには見えない。

「アッハハ!じゃあボウヤ、ご機嫌ようー!」

女は線の細さに似合わない脚力でその場から駆け出す。
ケイジは目で追うのがやっとのスピードだった。

「…ッ!? 待っ…」


「こちらの狙いはわかっているだろう。小娘を返してほしくば、この場所まで来てもらおうか」


一方でごつい男が、オモリをつけた紙をケイジに放る。

開いてみると地図が書かれてあり、その一箇所にペケ印が付けられていた。
人質を取った上での決闘状のようなものであった。

が、問題は、ケイジがこの辺の地理に全く明るくないということだった。

この地図だけでは、記された地点に辿りつく事は至難。
当のごつい男も合流するのだろうから、それに便乗して案内してもらうしかない。


――いや、それ以前に、そもそも――。


ケイジは言葉を呑む。
言うべきかどうかを迷った言葉を、一度呑む。


「…さらう役と残って説明する役が逆じゃないか…?」

「ほう、この期に及んで余裕だな…それとも揺さぶりか?
 残念だが俺もお前の相手ではない。
 お前には我が頭領―神田HAL様が直々に手を下される」

「頭領」。WACKSの爪弾き者の集団であり、組織でも手綱を取りきれていない“バジリスク”を統率する存在。
その魔法名たる「神田HAL」は、魔法師あるいは裏の人間たちには知れ渡っているものだった。

―当然、ケイジの知るところではない。

「ククッ…この名を聞いて声も出んようだな…。
 震えているのか? 足はまだ動くか? 落ち着く時間くらいはくれてやるぞ」

ケイジは相手の言葉に逆説的に応じて、焦燥に飲まれる。


――こいつら、忍者少女とライムを間違えてるんだ…。あああ~…。


忍者少女は今や(元)忍者少女であり、組織を欺くために変装していたのだから、同じWACKSと言えど本人確認ができなかった。
そのことはケイジにも充分伝わっていたし、その時点でこの相手は恐るるに足りなかった。


一方、相手があれほどカマしてくるのだから、おそらく神田HALなる人物はかなりの腕に違いない。
そんな人物を相手取る理由が、果たしてケイジにあるか。



無い。



人質に取られたのは家族でも友人でも恋人でもパトロンでもない、行きずりの(元)忍者少女。

昨日、自分の持つ推薦状を狙って略奪バトルを仕掛けてきただけの子供。
敵だった子供。
大体その子供自身、元々彼らの仲間ではないか。

明確な相手陣営の誤爆。
こちらの身内―おそらくライムを狙った非道な手口の誤爆。


そんな間抜けに付き合うほどケイジはお人好しではない。

相手にする筋合いは無い。



無いが。



忍術少女は他のWACKS構成員と決定的に違っていた。


昨日のバトル。

どんなに汚い手段を用意していても、
どんなに手練手管を配していても――

直接対峙したケイジにはわかった。


彼女はケイジとのバトルを、心から楽しんでいた。



「あのガキは――もう俺のマイメン友達だ…!」



ケイジは新調できず短いままの外套を翻し、男を追って路地に入った。




◇◇◇
(第16話に続く)
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