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第60層 悪辣湖沼地帯 -シニスター-
第77話 根を絶つということ
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結局のところ、ダンジョンを攻略するのは人間である。人と同じ姿、言葉、知識を持っても、モンスターにダンジョンは攻略できない。成功体験という名の独りよがりを、ヘイロンの目が思い出させてくれた。
結局のところ、矢面に立って立ち続けなければいけないのは人間であり、攻略者であり、王である僕だけだった。
「ヴァネッサ、急いで中和剤を回収してくれ。どんな方法でもいい、それを湖に投入するんだ」
「承知の助!」
腕の翼を広げたヴァネッサが風よりも早く飛び立つ。中和剤と一緒にやられたエルフ達も回収してくれたら嬉しいが、そこまで指示を出す余裕はない。今もこうしてヘイロンとかち合った視線を外せずにいる。ヴァネッサに任せるしかない。
僕の後ろ弓の弦を引き絞る音が聞こえた。
「アイザ、一旦待て」
「ですが将三郎さん……!」
「エルフ達を頼む。こいつは僕がやる」
「……ッ、分かりました!」
駆けていくアイザを、ヘイロンは追わない。完全に僕だけを敵として狙いを定めていた。
僕は手にしていたスクナヒコナを鞘に仕舞い、代わりにレッグポーチから【王剣リョウメンスクナ】を引き抜く。正面からぶつかる今はこのリーチが欲しい。
新たな得物を手にした僕を見て、満身創痍のヘイロンは溢れ出る血も気にせずに口角を歪めてみせた。まだ勝てると思っているらしい。勿論、僕は勝てると思っているが、何があるか分からない。それに心做しか、降り立った時よりも今の状態の方が明らかに死にかけなのにそれを忘れさせる凄みがある気がした。何か隠しているのかもしれない。油断せずに一撃一撃をとどめと思って戦うとしよう。
「……行くぞ!」
僕が駈け出すのと同時にヘイロンが大きく息を吸う。ブレスの予兆だ。それを予測して躱し、胴体に一太刀浴びせようと……して、慌てて距離を置いた。
視界の端に見えたのは毒々しい紫色の液体を細く捻じったような鋭い槍だった。それが勢いよく僕に向かって飛んでくるのを転がるように避ける。更に避けた位置に向かって頭上から紫槍が降り注いでくる。
「チッ……!」
どう考えてもあれは毒を凝縮した槍だ。剣で受ければ碌な目に遭わないのは目に見えている。避け続けることしか出来ず、しかもヘイロンとの距離が開いていくことへの苛立ちが募る。防御不可魔法……厄介だな。
ここは一か八か、賭けに出てみるのもいいかもしれない。
「【流転する紫電】!」
エンティアラ族の魔本の力が紫電の縄を生み出す。僕の意志で動くそれの先端が湖面に触れる。その一瞬で湖を介した雷が、呑気に湖の中でちゃぷちゃぷしているヘイロンを襲った。
「ギャオアァアアア!?」
更に紫電の縄は伸び、先程斬ってやったヘイロンの左腕に巻き付く。更に強烈な電撃にヘイロンが暴れる。
「ぐ、ぬぁぁぁあああぁああああ!」
体に流れる魔力をフル稼働させて全力で縄を引く。魔力で補強された力に引っ張られたヘイロンが為す術もなく引き倒される。跳ねる毒の水飛沫から顔を【夜鴉のコート】のフードで隠しながら駈け寄り、横たわるヘイロンの首に向かってリョウメンスクナを振り下ろす。
「死ねぇえ!!」
「……ッ!?」
倒した。と、思った。絶対に首を落としたと思ったのに、一瞬、見開かれた奴の目と視線がかち合った。その目には憎悪とか怒りとか痛みとか、色んな色が混じっていた。
その中に恐怖の色が見えた。見えてしまった。
その瞬間、僕の意志に反して体が……心が剣を止めてしまった。
「……」
「……」
互いに無言の間が続く。薄皮一枚で止まり続ける剣と、身動きできない龍。
最初に動いたのは、僕だった。
「将三郎さん……?」
大剣を首から外し、レッグポーチに仕舞う僕を見て戸惑うような声を発したアイザに向き直る。
「中止だ」
「えっ?」
「ヘイロン討伐は中止だ! 各々、持ち場に戻って待機!」
首を持ち上げたヘイロンから攻撃してくる様子はなかった。アイザ達も弓を下げ、エルフ達も武器を下げた。
しかし1人だけ、これに異を唱える者がいた。
「ふざけるな! お前、王だろう!? この地を、世界を、平らかに統べると言ったはずだろうが!」
「アザミ」
「ふざけるなよ……私達がどれだけこいつの毒に怯え、虐げられながら生きてきたかも知らずに、勝手な真似をしやがって……お前から最初に殺してやってもいいんだぞ!?」
吠えるアザミを必死になってシキミ達が抑えている。アザミの目には怒りしかなかった。僕がヘイロンを殺す直前で気付いた感情の色は一つもない。
「お前に僕は殺せないよ。殺させない。だから、僕にお前を殺させないでくれ」
「ふらっと来ただけの人間が調子に乗りやがって……」
「姉さま、言いすぎでござる! 相手は王様でござるよ!?」
「知るか!! この地は私の縄張りだ! 元々この地を支配していた王は私だ!」
支離滅裂のように聞こえるが、アザミの言い分は至極当然のものだった。たまたま八咫に選ばれただけの一般人が王を名乗るなんて、滑稽以外の何物でもなかった。
自分の力を確かめる為に何の罪もないモンスターを歯牙に掛けた馬鹿だ。自分が何者かもわからず、考えもせず、浮かれたままに、何も考えずに行動をして自分の兵を殺した。八咫に言われたからとか、そんなのは言い訳にならない。
あれ以来、ずっと考え続けている。ここに住むモンスターは本当に敵なのかと。
考え続けているが、まだ答えは出ていない。ガーニッシュのような悪人や、白骨平原や黒刻大山脈に住むモンスターだって、敵対しなければ普通に生きているだけの存在だった。
「八咫」
「何だ」
八咫はいつも戦闘に参加しない。必ず僕達の後ろで、見ていた。彼女が鉄槌を下したのは迷宮喰いだけだ。彼女は敵対するモンスターは自分が殲滅するとまで言ったのに、こうして大所帯でヘイロンを倒そうというのに指先一つ、動かさなかった。
その意味が、答えが……分かった気がする。
「このダンジョンを制覇したら、ダンジョンの支配権で構造を変えることはできるか?」
「可能だ。我が灰霊宮殿の深奥にはダンジョンコアがある。それを利用する権利があれば構造は勿論、モンスターの特性も変更可能だ。文字通り、貴様の支配するダンジョンとすることができる」
欲しかった言葉だった。これに関してはリスナーに聞いたり、夜中に自分で調べていたので分かっていた。
「なら、ヘイロンの毒を取り除くこともできるよな?」
「可能だ」
「……ッ!?」
僕の言葉にアザミが息を飲んだ。アザミに向き直るが、その表情にはまだ怒りの色が強く残っている。
「アザミ。もうしばらく待ってくれればこの地から、別のやり方で毒を取り除ける。無駄な争いをせずに、世界を変えられるんだ」
「……それまで、私達は毒に苦しめと、敵に襲われても反撃するなと?」
「そうじゃない。いや、そうかもしれない……今まで生きてきたように生きてくれて構わない。ただ、ヘイロンは殺すな。こいつはこういう生態で生きているだけだ。好きで毒をばら撒いている訳じゃない」
事の成り行きを大人しく静観しているヘイロンと目が合う。その目に、もはや敵意はなかった。
もうヘイロンは敵じゃない。いや、元々敵じゃなかった。だから八咫は攻撃しようとしなかった。互いの生態の違いが、ちぐはぐな環境の所為でこんな風に争うしかなかっただけだったのだ。それはダンジョンでも、ダンジョンの外でもありえることで、その度に人は争いながらも落としどころを見つけてきた。
今回の僕の落としどころは、少し気付くのが遅くなってしまったが、ここだった。
「ヘイロンは殺さない。出来る限り早くこのダンジョンを制圧してダンジョンコアからヘイロンの毒を取り除く。そうすればこの地は浄化され、禍津世界樹は世界樹に生まれ変わる」
「……」
僕の決定にアザミは視線で反抗してくる。王であるならばそれを咎めなければいけないはずだが、今の僕の言葉はアザミには届かないだろう。言葉に重みを乗せるには実績という結果があまりにも足りない。それは僕自身が一番理解していた。
結局のところ、矢面に立って立ち続けなければいけないのは人間であり、攻略者であり、王である僕だけだった。
「ヴァネッサ、急いで中和剤を回収してくれ。どんな方法でもいい、それを湖に投入するんだ」
「承知の助!」
腕の翼を広げたヴァネッサが風よりも早く飛び立つ。中和剤と一緒にやられたエルフ達も回収してくれたら嬉しいが、そこまで指示を出す余裕はない。今もこうしてヘイロンとかち合った視線を外せずにいる。ヴァネッサに任せるしかない。
僕の後ろ弓の弦を引き絞る音が聞こえた。
「アイザ、一旦待て」
「ですが将三郎さん……!」
「エルフ達を頼む。こいつは僕がやる」
「……ッ、分かりました!」
駆けていくアイザを、ヘイロンは追わない。完全に僕だけを敵として狙いを定めていた。
僕は手にしていたスクナヒコナを鞘に仕舞い、代わりにレッグポーチから【王剣リョウメンスクナ】を引き抜く。正面からぶつかる今はこのリーチが欲しい。
新たな得物を手にした僕を見て、満身創痍のヘイロンは溢れ出る血も気にせずに口角を歪めてみせた。まだ勝てると思っているらしい。勿論、僕は勝てると思っているが、何があるか分からない。それに心做しか、降り立った時よりも今の状態の方が明らかに死にかけなのにそれを忘れさせる凄みがある気がした。何か隠しているのかもしれない。油断せずに一撃一撃をとどめと思って戦うとしよう。
「……行くぞ!」
僕が駈け出すのと同時にヘイロンが大きく息を吸う。ブレスの予兆だ。それを予測して躱し、胴体に一太刀浴びせようと……して、慌てて距離を置いた。
視界の端に見えたのは毒々しい紫色の液体を細く捻じったような鋭い槍だった。それが勢いよく僕に向かって飛んでくるのを転がるように避ける。更に避けた位置に向かって頭上から紫槍が降り注いでくる。
「チッ……!」
どう考えてもあれは毒を凝縮した槍だ。剣で受ければ碌な目に遭わないのは目に見えている。避け続けることしか出来ず、しかもヘイロンとの距離が開いていくことへの苛立ちが募る。防御不可魔法……厄介だな。
ここは一か八か、賭けに出てみるのもいいかもしれない。
「【流転する紫電】!」
エンティアラ族の魔本の力が紫電の縄を生み出す。僕の意志で動くそれの先端が湖面に触れる。その一瞬で湖を介した雷が、呑気に湖の中でちゃぷちゃぷしているヘイロンを襲った。
「ギャオアァアアア!?」
更に紫電の縄は伸び、先程斬ってやったヘイロンの左腕に巻き付く。更に強烈な電撃にヘイロンが暴れる。
「ぐ、ぬぁぁぁあああぁああああ!」
体に流れる魔力をフル稼働させて全力で縄を引く。魔力で補強された力に引っ張られたヘイロンが為す術もなく引き倒される。跳ねる毒の水飛沫から顔を【夜鴉のコート】のフードで隠しながら駈け寄り、横たわるヘイロンの首に向かってリョウメンスクナを振り下ろす。
「死ねぇえ!!」
「……ッ!?」
倒した。と、思った。絶対に首を落としたと思ったのに、一瞬、見開かれた奴の目と視線がかち合った。その目には憎悪とか怒りとか痛みとか、色んな色が混じっていた。
その中に恐怖の色が見えた。見えてしまった。
その瞬間、僕の意志に反して体が……心が剣を止めてしまった。
「……」
「……」
互いに無言の間が続く。薄皮一枚で止まり続ける剣と、身動きできない龍。
最初に動いたのは、僕だった。
「将三郎さん……?」
大剣を首から外し、レッグポーチに仕舞う僕を見て戸惑うような声を発したアイザに向き直る。
「中止だ」
「えっ?」
「ヘイロン討伐は中止だ! 各々、持ち場に戻って待機!」
首を持ち上げたヘイロンから攻撃してくる様子はなかった。アイザ達も弓を下げ、エルフ達も武器を下げた。
しかし1人だけ、これに異を唱える者がいた。
「ふざけるな! お前、王だろう!? この地を、世界を、平らかに統べると言ったはずだろうが!」
「アザミ」
「ふざけるなよ……私達がどれだけこいつの毒に怯え、虐げられながら生きてきたかも知らずに、勝手な真似をしやがって……お前から最初に殺してやってもいいんだぞ!?」
吠えるアザミを必死になってシキミ達が抑えている。アザミの目には怒りしかなかった。僕がヘイロンを殺す直前で気付いた感情の色は一つもない。
「お前に僕は殺せないよ。殺させない。だから、僕にお前を殺させないでくれ」
「ふらっと来ただけの人間が調子に乗りやがって……」
「姉さま、言いすぎでござる! 相手は王様でござるよ!?」
「知るか!! この地は私の縄張りだ! 元々この地を支配していた王は私だ!」
支離滅裂のように聞こえるが、アザミの言い分は至極当然のものだった。たまたま八咫に選ばれただけの一般人が王を名乗るなんて、滑稽以外の何物でもなかった。
自分の力を確かめる為に何の罪もないモンスターを歯牙に掛けた馬鹿だ。自分が何者かもわからず、考えもせず、浮かれたままに、何も考えずに行動をして自分の兵を殺した。八咫に言われたからとか、そんなのは言い訳にならない。
あれ以来、ずっと考え続けている。ここに住むモンスターは本当に敵なのかと。
考え続けているが、まだ答えは出ていない。ガーニッシュのような悪人や、白骨平原や黒刻大山脈に住むモンスターだって、敵対しなければ普通に生きているだけの存在だった。
「八咫」
「何だ」
八咫はいつも戦闘に参加しない。必ず僕達の後ろで、見ていた。彼女が鉄槌を下したのは迷宮喰いだけだ。彼女は敵対するモンスターは自分が殲滅するとまで言ったのに、こうして大所帯でヘイロンを倒そうというのに指先一つ、動かさなかった。
その意味が、答えが……分かった気がする。
「このダンジョンを制覇したら、ダンジョンの支配権で構造を変えることはできるか?」
「可能だ。我が灰霊宮殿の深奥にはダンジョンコアがある。それを利用する権利があれば構造は勿論、モンスターの特性も変更可能だ。文字通り、貴様の支配するダンジョンとすることができる」
欲しかった言葉だった。これに関してはリスナーに聞いたり、夜中に自分で調べていたので分かっていた。
「なら、ヘイロンの毒を取り除くこともできるよな?」
「可能だ」
「……ッ!?」
僕の言葉にアザミが息を飲んだ。アザミに向き直るが、その表情にはまだ怒りの色が強く残っている。
「アザミ。もうしばらく待ってくれればこの地から、別のやり方で毒を取り除ける。無駄な争いをせずに、世界を変えられるんだ」
「……それまで、私達は毒に苦しめと、敵に襲われても反撃するなと?」
「そうじゃない。いや、そうかもしれない……今まで生きてきたように生きてくれて構わない。ただ、ヘイロンは殺すな。こいつはこういう生態で生きているだけだ。好きで毒をばら撒いている訳じゃない」
事の成り行きを大人しく静観しているヘイロンと目が合う。その目に、もはや敵意はなかった。
もうヘイロンは敵じゃない。いや、元々敵じゃなかった。だから八咫は攻撃しようとしなかった。互いの生態の違いが、ちぐはぐな環境の所為でこんな風に争うしかなかっただけだったのだ。それはダンジョンでも、ダンジョンの外でもありえることで、その度に人は争いながらも落としどころを見つけてきた。
今回の僕の落としどころは、少し気付くのが遅くなってしまったが、ここだった。
「ヘイロンは殺さない。出来る限り早くこのダンジョンを制圧してダンジョンコアからヘイロンの毒を取り除く。そうすればこの地は浄化され、禍津世界樹は世界樹に生まれ変わる」
「……」
僕の決定にアザミは視線で反抗してくる。王であるならばそれを咎めなければいけないはずだが、今の僕の言葉はアザミには届かないだろう。言葉に重みを乗せるには実績という結果があまりにも足りない。それは僕自身が一番理解していた。
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