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第60層 悪辣湖沼地帯 -シニスター-

第75話 お日柄も良く、討伐日和です

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 このダンジョンという世界で食料を得る方法は2種類ある。即ち、討伐か採取だ。その辺を歩くモンスターを狩るか、生えている植物を採取するか。植物に関してはそっち系のモンスターを倒してもいい。罠のように待つ草を刈るか、木になる果実を採るか。肉や魚はモンスターからしか得られない。解体しなくていいのは楽だが、やはりドロップアイテムとなると出る出ないの問題が発生する。それは肉も草も同じだ。

 そうなると一番楽に食材を回収できるのは、採取だった。なにせ、取れば採れるのだから。

「こんなもんかぁ?」
「将三郎さん、手袋が溶けてます」
「こわ……」

 肘近くまで覆う布を裏返して手袋を脱ぎ捨てる。モンスターの皮でできた分厚い手袋も、酷使の末には穴も開くということか。

 僕らはシキミの案内で毒性の強い果実が成る木が多く生えるエリアにやってきていた。手渡れた手袋を身につけ、手当たり次第に回収しては、中和素材が塗布された布の上へと放り投げる。一定数貯まったら荷運び担当のベノムエルフが持っていく。

 そうして積み上げられた多くの果実は、もがれたことで追熟し、甘い匂いを放つ。その匂いは淡い紫色の煙となって天へと昇っていく。目に見えて変化していくそれを横目に、僕達はせっせと薬剤を湖に流し込んでいた。

「これが中和剤、ですか?」
「そうでござる! すり潰して乾燥させたドクヨモギの根と砕いた紫毒水晶の粉を混ぜ合わせたものでござる。これらは別々の区域にあるものなので、普通は同じ場所にないものでござる。故に合わせることで解毒効果が発生するでござる。拙者らの里の湯を引く水路も、同じ仕組みでござるよ!」

 なるほど。だからこの毒の世界で源泉かけ流しなんて真似ができた訳か。今回はこうして直接ぶち撒けているが、里の場合はろ過材として使っているのだろう。いくら大変な工事とはいえ、その方が効率的だしな。

 シキミの講釈を聞きながらせっせと中和剤を湖に撒いていくと、徐々にではあるが紫色をした湖の色が薄まっていく。やがてそれは透明な見慣れた綺麗な水となっていった。

 この湖は浅いが広い。だからこそ作戦に選ばれたのだが、立地も相まって素晴らしい環境が整っている。周囲は森だし、身を隠せば殆ど分からなくなるはずだ。

 痛む腰を伸ばし、次の中和剤を取りに岸へ上がった。浅いとはいえ広さがあるから中和剤の量も多く、僕は自然と溜息を漏らしていた。



 半日も投入を続けていると、湖は一切の濁りのない美しい姿を取り戻した。しかしこの美しさも、ヘイロンを討伐しなければ徐々にまた濁り始める。元を絶たねば世界は毒に埋め尽くされるのだ。

「さて、今日のところはこれで仕舞いだ。明日の朝、もう一度少量の中和剤を撒いて流入した毒を取り除く。その頃には果実の追熟も良い頃合いになる。待ち伏せてヘイロンを倒すぞ!」

 アザミの言葉にベノムエルフ達の力強い返事が空気を震わせる。今日やるべきことは終わったので、ベノムエルフとバイオウルフから数名を選出し、見張りをさせて残りの人間は集落へと戻った。


  □   □   □   □


 翌朝。やはり少量の毒が流入していたのか、湖は絵具のついた筆を洗った後のような、もやもやとした薄紫の毒がマーブル状に広がっている。そこへ持ってきた中和剤を撒くとそれはすぐに溶けて消えてしまう。

 積み上げられた果実は追熟の影響で、まるで狼煙のように煙が立ち昇っていた。あれならどこにいても見つけられるだろう。甘ったるい匂いも、ここまで濃縮されると頭が痛くなるほどだった。

 あの煙も有害なガスだ。吸ったら体が痺れたりするらしいが、幸いなことに本日は無風。毒ガスに巻かれてこっちが被害を被ることもない。まっすぐ煙が伸びてくれれば遠くからでも視認できるし、本日は完璧にヘイロン討伐日和だった。

「さて、各自身を潜めるぞ。僕は湖の南側。アザミ達ベノムエルフ族は東側。シキミ達バイオウルフ部隊は西側だったな?」
「そうだね。北の根元から来たヘイロンは王様のいる南側の果実の前に降り立つ。果実と王様、その二つが囮になっている間に左右から私達が詰める!」
「よし、じゃあヘイロン討伐戦、開始だ!」

 各々が、湖の周りに茂っている森の中に身を隠す。僕が隠れた場所にはアイザとヴァネッサ、それに八咫もいた。これが色んな意味で大事な作戦であることは3人には既に伝えている。僕達も頑張るが、一番はアザミ達が頑張ってもらうのが大事な作戦の要となる。その為、出しゃばり過ぎない程度に僕達はヘイロンを虐めなければならない。

 アイザはいつも通り、弓を手に。昨夜は短剣も研いでいたから遠近とも頼りになる。
 ヴァネッサは戦闘モードの八頭身スタイルで胡坐をかいている。が、視線はしっかりと湖を見据えていた。
 八咫もまた、人間状態でいつもの黒ずくめの装備を身に纏い、木の根元に腰を下ろして背を預けている。

 そして僕もまた、八咫と同じように黒い装備を身に着けている。灰霊宮殿アッシュパレスの主であり、灰燼兵団独立隠密部隊【黒烏】総指揮官である八咫と同じような格好だ。何故ならば、僕は八咫の部下になっているからだ。
 大きなフードの付いたコート、【夜鴉のコート】は僕の存在感を希薄にさせるスキル【黎明の影ドーンシャドウ】を持ち、その上から身に着けたショルダーアーマーは、特に効果らしい効果はないが灰霊宮殿アッシュパレス産のハイティアアイテムだ。
 右腰には揺れたり落ちないように革のベルトで固定した魔導書の原本、【エンティアラの雷光】がある。この雷魔法も日々勉強は欠かさずしている。左腰には王である証【王剣スクナヒコナ】が。そして右足には何でも入る八咫特性のレッグポーチ。
 足周りは僕の移動の要である【金烏きんうの靴】を履いている。脚力を爆発的に増大させるスキル【烏輪の火デミウリエル】にはめちゃくちゃ助けられている。

「ふぅ……都合の良い理由を見つけてリスナーに久しぶりに装備自慢できたし、良い気分だ」

『売れ』
『売れ』
『売れ』
『買う』
『売れ』

「売らねーよ! 自慢した意味ないだろうが!」
「うるさいぞ将三郎。黙って座ってろ」
「ぐぬぅ……」

 八咫に怒られた。どうにかこのやるせない気持ちが物理的な攻撃となってリスナーに飛ばないものかとスマホを握り締めることで試してみるが、そんなことは起きなかった。

「見えた。ヘイロン」

 ヴァネッサの言葉に、すぐに身を低くして北の方を睨む。目を凝らすと、まるでズーム機能でもついているかのように遠くの黒い一点が蛇行するように此方へ向かってくるのが見えた。
 黒龍と言われていたから、勝手に僕の中でドラゴンの印象が強くなっていたが、見えた姿は東洋の龍そのものだった。なるほど、ラスボスに相応しい姿と言える凄みがあった。黒い鱗に反射する光は鈍く、たなびく毛髪は血のように赤い。あれを今から倒すのかと思うと、恐怖と興奮が胸中を埋め尽くした。

「さて、気合いを入れて取り掛かろう。本日の主役の登場だ」

 抜き放つスクナヒコナの切っ先が、その切れ味で触れた足元の葉っぱを音もなく二つに分ける。この葉のように、楽に倒せることを祈りつつ、僕達はヘイロンの到着を静かに待った。
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