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第60層 悪辣湖沼地帯 -シニスター-

第72話 里長

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 夜でも明るい町を『眠らない街』と表現することがある。朝でも昼でも夜でも賑わい、常に人が行き交う場所だ。その街を構成するのは殆どは飲み屋や、ちょっと行きにくいお店だったりと俗物なものばかりだ。夜でも灯りは消えないが、朝になれば灯りの意味がなくなって消されるが、気怠さと共に街は低空飛行で起き続ける。

 対してここは昼間でも暗く、そして灯りは灯し続けている。まるで眠らない街を延々と繰り返しているようだ。なのに、人が行き交う姿はない。賑やかさも、華やかさもない。死後の世界のような静けさだけがこの場に満ちている。

 眠らない街の後の起き続ける街ですらないこの異様な空間の最奥に、城塞の如く頑丈な壁で囲われた中に里長の家は鎮座していた。

「シキミ、ただいま戻りました」

 出迎えも見張りもいない門を抜け、そのまま家まで直行したシキミは入口で一礼し、敷居を跨ぐ。通りでも見ていたが、家の造りは殆ど奥ゆかしい日本家屋と言っていい。ただ、先程も見ていたように屋根だけが頑丈な岩製で、その重量を支える為の太い柱が必要以上に置かれているのだけが大きな違いだ。

 ガタガタと少し引っ掛かりながら開けられた引き戸。田舎のおばあちゃんの家を思い出すね……。

「お邪魔します」

 自然と口をついて出た言葉だったが、振り返ったシキミは嬉しそうに頬を緩ませていた。やはり忍者(仮定)だけあって和の礼儀は通じるらしい。後に続くアイザやヴァネッサも僕を真似して挨拶をしてから家の中へと入ってきた。八咫だけは『邪魔する』とちょっと偉そうだったけれど、神だからしょうがない。

 靴を脱いで上がるのもやはり礼儀のようで、自然と体がそう動くがアイザ達は馴染みがないので戸惑っていた。というかヴァネッサに関しては裸足だ。野生児かこいつは。

 レッグポーチから布と水を取り出し、玄関に座らせたヴァネッサの足を綺麗に拭いてやり、気を取り直してシキミに向き直す。

「悪いな。僕は何故か何となく馴染みのある文化だから全然これっぽっちも気にならないけれど、他の皆はそれぞれの暮らしがあったから礼儀を欠いた行動や言動をするかもしれない。大目に見てやってくれ」
「全然気にしてないでござるよ。もっと拙者達のことを知ってもらえたら嬉しいでござる。さ、案内するでござるよ~」

 先を歩き出したシキミの後に続いて家の中を進む。

 広い玄関。狭い廊下。並び立つ太く頑丈な柱。木製の床。既知と未知が交り合う光景に懐かしさと真新しさが入り乱れる。 

 左右に襖が並ぶ廊下を突き進み、途中で廊下を曲がる。その先にもまた廊下は続き、やがて一番奥の行き止まりに両開きの襖が現れた。

「まるで迷路だな」
「最後の砦でござるから、簡単には辿り着けないように工夫されてるでござる。まぁ、道を知ってたら単純なものでござるが」

 確かに出入口や分かれ道が多かったが、経路としては単純なものだ。口頭で説明するなら『突き当りを右』だ。けれど選択肢が増えればその単純明快な解答を導き出すのは簡単ではない。

「しかしこれで皆は道を知ったでござる。もう後戻りはできないでござるよ」
「戻るつもりはないから心配しなくていいよ。等しく僕の臣下だ」
「んふふ! それでこそ王様でござる! ……しかし今は客人の身。まずは我らが里長、アザミ様にご挨拶を」

 襖の前に正座したシキミは丁寧な手つきでそっと襖を開く。旅館とかで見た事があるやつだ。音もなく開かれた扉からは中の人物が見えない。横に移動したシキミが視線で促すので、こくりと頷き、入口の前に立つ。

「失礼します」

 挨拶をして一歩踏み出した足の裏にこれまた久しぶりの感触。畳だ。思わず視線が下を向く。

「ベノムエルフの里、イリノテへようこそ」

 声のした方へと視線を向ける。畳から順に、まず赤い布が見えた。その布と布の隙間から黒い足が伸びている。そのままゆっくりと視線を上げると、毒が目に入る。零れ落ちそうな巨大な二房が着物に包まれ、互いにぶつかりあってひしゃげいている。ギリギリ放り出されてない双丘から早急に視線を外し、ご尊顔を拝見させてもらう。

「私がそこのロリ巨乳の姉であり、里長をしているアザミだ。よろしく、王様」

 シキミが大人になったらこうなるのかと、分かりやすく外しようがない濃い血を感じさせる美人が肘掛に身を預けながら僕を出迎えてくれた。

「月ヶ瀬将三郎と申します。この里を覆うダンジョン、【禍津世界樹の洞】の王様やらせてもらってます」
「硬い硬い! もっとフランクに接してくれないと泣いちゃうぞ?」
「あはは……」

 ここに来るまでの異様な雰囲気や、ふにゃふにゃと笑うシキミがしっかり対応したりと今までに見せてない姿をするから実はかなり緊張していた。常在戦場の心でこの階層に来たからというのもある。

 まぁでも、今この階層で出会った中で一番偉い人がフランクで良いと言ってるんだから良いだろう。無礼講だからって何しても良い訳ではないのは社会人として知り尽くしているので適切な対応は余裕である。

 正座するつもりだったところを胡坐で座り、アザミと向き合う。座った僕の後ろにアイザとヴァネッサが座る。八咫だけは僕の隣に腰を下ろした。最後に入室したシキミはアザミの後ろに正座した。

「さて、揃ったところでお話をしよう。まず最初に王様、私達は王様に逆らうつもりも、神に仇をなすつもりもない。喜んで傘下として加わることを約束しよう」
「それは有難い。僕達も争うつもりはないし、敵対しないのなら等しく臣下だ。八咫に王様認定されたばかりの未熟者ではあるけれど、互いに助け合えればと思う」

 一番最初に一番大事な話ができた。どう切り出すかいつも悩むこの会話だが、こればっかりはアザミのお陰と言っても過言ではない。素早い対応、感謝の極みでござる。

「それで、この町はどうだった? ここに来るまでに見てきただろう? 感想が聞きたい」
「そうだな……理に適った造りだ。町というより砦だな。しかし砦でありながら町でもある。戦いと生活、両方が基盤になっていて不思議な感覚だった。自分の感情を抜きに語れば、外部の人間に対する警戒心の高さは感服するレベルだったよ。よく教育が行き届いているね」
「はっはっは! まぁそこはかなり苦労した部分もあるけれどねぇ。町の造りに関しては私が生まれた時からこうだったから、築いてきた歴史と文化の賜物って感じかな。まぁでもそうだな。里に招き入れて良いと私が判断した客人に対し、必要以上の警戒心の高さは無礼だ。そこはしっかり再教育するとしよう」

 なんだか怖い笑みを浮かべているが、聞かなかったことにしたい。

「王様、あんたの話も聞きたい。色々話してくれないか?」
「あぁ、いいとも。お互いを知る場だ。アザミの話も聞かせてくれよ?」
「勿論だとも!」

 他愛ない話は夜更け過ぎまで続いた。気を利かせたシキミとアイザが抜け出して夕飯や夜食を持ってきてくれるくらいに話は続いた。気付けば皆その場で雑魚寝するくらいに話は続き、僕達とベノムエルフは、とても良い関係を結ぶことになった。
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