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草原都市ヴィスタニア篇

第二十一話 黒牢街

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 普段は目が覚めてもウダウダと誰に言うでもなく文句を垂れながらベッドの中で窓から差す光を避けているのだが、今日ばかりは自然と上体が起き上がった。

 ベッドから下り、足を乗せた床は冷たい。木の感触が心地良いが心は床以上に冷えている。真っ直ぐに洗面所へと向かい顔を洗った俺は朝食の準備を始める。卵を炒めただけの簡単な物とパンを半分に切っただけの朝食。沸かした湯で、市場で買ったコーヒーを淹れる。あの日以来、俺は少し濃い目のコーヒーが好きになっていた。

「おはよう、ウォルター」
「おはようございます、チトセさん」

 部屋着姿のチトセさんが洗面所から出てくる。起きているのは料理中に気付いていた。足音の静かさから、俺以上に油断なく研ぎ澄まされているのが分かっていたから声は掛けなかった。

 チトセさんが席に着いたのを見て俺も対面に座る。

「いただきます」
「どうぞ」

 両手を合わせたチトセさんが食べ始めるのを待ってから俺もパンに手を伸ばした。


  □   □   □   □


 身支度を終えた俺達は現在、『黒鉄の時計塔』を見上げていた。

「本来は上を目指すダンジョンなんだけれどね」
「俺達がこれから向かうのは下ですか」
「そうだね。光も差さない地下都市。とはいえ、街灯はあるからね。君の作った魔道具、頼りにしてるよ」
「任せてください。何度もテストしました。効果は十分ですよ」
「よし、じゃあ行こうか」

 黒い木製の扉を開くと、其処は暗い石造りの空間が広がっていた。一歩進めば其処はもうダンジョンだ。だが、見た目はダンジョン特有の異質さがまったくなく、本当にただの時計塔にしか見えない。ただの時計塔だがモンスターは出るし、一番上の階層にはダンジョンボスも存在している。

 俺達が目指すのは脇に見えている階段ではなく、中央にある柵で囲われた歯車の隙間だ。一見すると歯車同士が噛み合い、一定の間隔で回っていて隙間なんてあるように見えない。だが横から見ると人1人が入れるくらいの隙間があった。

「此処を入っていくんですか……?」
「気を付けてね。巻き込まれたら大変だから」
「はい……」

 ガタン、ガタンと音を鳴らす歯車を真横に見ながら軸やら何やらに足を掛けて下っていくのは中々に恐怖だった。

 しかしある程度下りていくと隙間は広がっていき、やがて空間となっていった。ご丁寧に階段まで出てきた。といっても壁から石の板が伸びてるだけの簡素な物だが。

 等間隔に置かれた松明が階段と壁を照らす。円形の塔の造りは地下も継続しているようで、螺旋状に下っているとだんだんと時間の感覚がなくなってくる。どうやら地下はモンスターも出ないようで、それが感覚を鈍らせるのに拍車をかけた。

 もう何分下っていたか。暫くして漸く、松明が床と一枚の扉を照らし出した。

「やっと着きましたね」
「うん。あの先が『黒牢街』だよ」

 黒牢街、ヘイル・ゲラートか……出現するモンスターは人間、シャドウ。きっと胸糞悪くなるだろうなという諦念と共に、俺は扉を押し開いた。

「う、わぁ……普通……ですね」

 扉の先に広がるのは普通の街並みだった。地下だからか、暗い。

「いや、違う……? 暗いんじゃなくて、黒いんだ……!」

 上を見上げても天井があるようには見えない。かといって空が広がっている訳でもない。星も月もない。ただ黒い空間が広がっているのだ。だから夜なんだろう、暗いんだろうと勘違いしていた。よく見れば石畳も暗いから黒く見えるのではなく、石畳それ自体が黒い石で作られている。民家も黒い素材で建てられているようだ。その証拠に、一定の間隔で生えている街灯が照らす部分は照らされても尚、黒かった。

「天も地も黒一色の出口のない町……それが黒牢街の由来だそうだよ」
「なるほど……納得ですね」

 しかし拙いな。こうも黒いと遠近感が鈍る。街灯の届かない所なんて段差があるのかどうかも分からなかった。こういった地形の複雑さが難易度を上げる原因の1つでもあるのだろう。

「……っと、悠長に眺めてる場合じゃないですね。早くダンジョンボスを倒さないと」
「地図は覚えてきた?」
「全部は覚えられてないです。噴水広場までは」
「よし、じゃあとりあえずは大丈夫そうだね」

 流石に住んでもいない町1つ分の地形は頭に入りきらない。一旦噴水広場まで覚えるのが精一杯だった。

 俺達はすぐに行動を開始し、噴水広場へと一直線に向かうことにした。



 町は静かだった。家が沢山並んでいるが、その中には誰かが住んでいるような気配は一切なく、本来は明かりが灯るであろう玄関先やリビングに設置された窓の向こうは真っ暗で何も見えない。屋内からは物音1つしなかった。
 鳴り響く音は俺とチトセさんの革靴が石畳を踏みつける音や剣が服、鎧に当たるガチャガチャとした雑音ばかりだ。

「止まって」
「!」

 突然の制止。ぴたりと動きを止めた俺は素早く傍の家の外壁に身を寄せた。俺の先、外壁の角でしゃがみながら曲がった先を確認しているチトセさんが指だけでこっちに来いと合図を出した。

「あれが人間シャドウだよ」
「……本当に人間そっくりなんですね」

 黒い軍服に黒い金属製の兜を身に付け、黒い剣を握った兵士姿のシャドウが3人、固まって辺りを見回している。

「何をしてるんですか? あれは」
「町に異常が無いか見回っているんだよ」
「……本当に人間みたいですね」

 モンスターが哨戒班を組んでいるのか。厄介極まりないな。

「見つかると魔笛と呼ばれる音の出ない笛を吹いて仲間を呼ぶから気を付けてね。それさえ吹かせなければ援軍は来ないから」

 聞けばシャドウというモンスターは指示された場所はちゃんと見張れるが、指示されていない場所には勝手に移動できないらしい。勿論、見つかればそれはまた別だが、此方から最速で殲滅すれば大きな音が出ても移動はしないらしい。其処は良くも悪くもモンスターということなのだろう。

「つまり見つける前に見つかると詰みですね」
「一気に包囲されるからね……」

 音のない笛。暗闇に紛れ込む軍服。どっちが襲う側なのか混乱してきたな、まったく。

 俺達はまず、あのシャドウ達をどうにかすることにした。あの場に居座られると少々厄介だった。何故なら噴水広場に行くにはあの場所を通らないと大回りになってしまうからだ。

 それを見越して家を建てたのか、それを見越してあの場に居座っているのか……。恐らく後者だとは思う。ならば尚更、あれを排除せねば時間ばかり浪費してしまうことになる。

「身を隠せるような道具ある?」
「色々取り揃えてますよ。これとこれと、あとこれも身に付けてください」
「ちょ、多過ぎるよ!」

 虚空の指輪アカシックリングから取り出した3つの指輪はそれぞれ『気配遮断』と『身体力上昇』と『治癒力上昇』の特性を錬装した指輪である。しかしこれはベテランの冒険者なら誰もが持っている物だ。だが俺が錬装した物は市販の物よりも高性能だ。どれもが役に立つものだろう。とはいえ、ちょっとまだ特性レベルは低い。それでもこの場を制するくらいなら訳ないだろう。

「同じのある?」
「既に装備済みです」
「オーケー、じゃああたしが右と奥。ウォルターが左ね」
「了解です」

 振り返ったチトセさんが両足に力を込める。白い靄のような光が薄く体を包むのが見えた。あれが『身体力上昇』の効果が現れた証拠だ。俺も同じように指輪に魔力を込め、靄のような光を纏う。

 瞬間、駈け出したチトセさんが右に立つシャドウを殴り飛ばした。綺麗にパンチが入ったシャドウは石畳を滑るように飛んでいき、民家の外壁にめり込んだ。

 それを横目に、俺は左側に立つシャドウの顔に蹴りをお見舞いしてやる。無抵抗に蹴られたシャドウは街灯の支柱を曲げる程の威力で激突した。

 振り向くとチトセさんは軽くジャンプし、袈裟斬りのように蹴り下ろした。防御しようとしたシャドウではあったがそれは叶わず、地面に叩き付けられ、嘘みたいな跳ね方をして先程のシャドウがぶつかった外壁の向こうへ飛んでいった。

「よし」
「強ぇ~……」
「ウォルターも十分強いよ」
「いやぁ、『身体力上昇』の効果ですから」
「いやいや、ちゃんと体重を乗せたキレのあるパンチだったよ」

 特性の重ね掛けの効果だとは思うがこうも真正面から褒められると流石に照れ臭い。感情のやり場に困った俺は痒くもない頬を掻いていた。

 と、いつまでも掻いてる場合でもない。殴り飛ばしたシャドウを確認するとちょうど粒子となって消える瞬間だった。その場に残ったのは少年の拳程の大きさの魂石だ。こうして見るとやはりあれはモンスターなのだなと実感……いや、安心出来た。

「はぁ……でもやっぱり良い気分ではないですね」
「まぁ、ね」

 モンスター退治も相手が人間そっくりになると途端に殴る蹴るの暴行になってしまうのが本当に嫌だ。

「戦うたびに気落ちしていっては勝てる戦いも勝てなくなる。心は一旦、此処に置いて行こう」
「……わかりました」

 出来るかどうかは分からないが、そうしようという意思は大事だ。気持ちだけでもそうすることで俺は自分の心を守ることにした。

 チラ、と隣に立つチトセさんを見る。落ち着いている。慣れているんだろうか。壮絶な人生歩んでるもんな……。俺よりも戦闘経験は勿論多いし、人としても立派な人だから、平気なのかもしれない。心の守り方が上手なのだろうな。

 俺は手早く魂石を拾い、アカシックリングに仕舞う。隠密行動中だが拾える物は拾う主義である。

「その通りの先も多分居る」
「了解です」

 次に入る路地へと続く通りを目指す。運良くシャドウ達を先に見つけることが出来た俺達はその後も順調に噴水広場へと歩を進められたお陰で思っていたよりもかなり早く広場の傍までやってくることが出来た。

 噴水広場らしく、円形に切り拓かれた空間が広がっていた。中央にはやはり黒い石造りの噴水が設置されていた。しかし残念ながら水は噴き上がっていない。あの支柱に施された装飾に水が弾ける様はきっと美しかっただろう。

 そんな噴水の傍に立つ1つの影。其奴は他のシャドウのように周囲を警戒する素振りは一切無く、抜き身の剣の上に組んだ手を置いて真っ直ぐに正面を向いて立ってた。

「あれがこの町を管理するヘイル・ゲラート地方軍軍団長、シャドウメイカー。ダンジョンボスだよ」
「強そうですね……」
「強そうっていうか、強いね」
「あぁ、俺は強いぞ」
「!?」

 小声での会話にシャドウメイカーが混ざってきた。見ればしっかり目も合う。『気配遮断』の効果で存在感は希薄なはずなのに感覚器官優秀過ぎるだろ……。

 一瞬、チトセさんと目を合わせる。小さく頷いたチトセさんに頷きで返し、揃って路地から歩み出る。

「貴様らか。この町の平和を乱す賊は」
「まぁ、そうなるかな」

 嫌な役柄認定に答えるのはチトセさんだ。

「一部の隊との連絡がつかない。やってくれたな」
「すまないね」

 わざわざ答えてやる必要性は全くないはずなのにチトセさんは律儀に会話を続ける。それに何の意味があるのか……恐らく、これも心を保つ為の手段の1つなのだろう。役というものになりきり、自らの心と切り離す。そういう行動であればなるほど、理解も出来る。

 俺の場合は此奴等はモンスターだと割り切ることで心を守ろうとしていた。まだ上手く出来ている自信はない。だからこそ、俺は此奴と会話をしたくなかった。話せば相手の立場を理解してしまうし、理解してしまうと情が湧いてしまう。

 だから、俺は会話を切り上げる為に先手を打たせてもらう。

「ぬぅ!?」
「チィッ……!」
「会話も出来ぬか!」

 『身体力上昇』の効果を乗せた一撃はギリギリのところで防がれた。シャドウメイカーの首筋に触れた刃を黒い血が伝う。

 初手を防がれた俺は力いっぱいに剣を押し込み、押し返されるタイミングで一気に身を引く。急に反動がなくなってシャドウメイカーがよろめいたところに赫炎を宿したチトセさんの《幻陽》が襲い掛かった。

「ハァッ!」
「ぐぅ……ッ!?」

 よろめいた姿勢から前転で躱そうとしたシャドウメイカーの左足を幻陽の一閃が届いた。足首から先が切り飛ばされたシャドウメイカーが痛みに呻く。

「これで、勝ったつもりか……!」
「!」

 黒い血が噴出する足を黒い影が覆うと瞬時に失ったはずの足が再生していた。これじゃあいくら斬ってもきりがない。

「あの再生には魔力を使ってる。だから殺し続ければ殺せる!」
「ッ、はい!」

 吐きそうになった弱音を飲み込み、エッジアッパーを振り上げた。
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