虚構の群青

笹森賢二

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#21 月の無い夜

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   ──マージナル。


 月の無い夜は気を付けた方が良いよ。暗いから? 違うよ。今は色んな所に灯りが在るから君は忘れて仕舞ったんだ。月はね、其の光でずっと君を守って呉れて居たんだよ。そう言えば、今夜は月が見え無いね。早く他の灯りを見付けた方が良いんじゃないかな。何か良くない事が起こる前にね。


 越したばかりでその道が街灯も家から漏れる光も届かないと気付かなかった。短い道。数日は月灯りが照らしてくれていた。だから、新月の夜、黒い影に体を引き摺られるまで気付かなかった。


 灯りの少ない庭。家から漏れる光はあるが、遮蔽物が多く街灯は入って来ない。高い位置、松や楓の上の方は見える。
 だから、判らない。揺れたのか、狙いを定めているのか、滑るように闇を這うそれが何なのか解らない。これから俺がどうなるのかも。


 今宵は三日月。その下には雲がベッドのように敷き詰められている。下界は雨だろうな。三日月の端に座る兎はそう思った。どうせ見られないだろうとすっかり休日モードの月の女神はどこから仕入れたのかポテトチップスを頬張りながらコーラを飲んでいる。あまつさえ携帯端末で動画を見ている。人間には絶対に見せられない姿だ。
「相変わらず固いわねぇ、バレなきゃ良いのよ。」
 女神はポテチを咥えたまま三日月の上に横になってしまった。それでも携帯端末は離さない。兎は呆れたため息を吐きながら、さっさと晴れてくれれば良いのにと思った。


 もう何度も通った道だ。ナビもスマホのアプリも正常に動いている。それなのに、目的の旅館が見当たらない。それでも四苦八苦の結果漸く辿り着いて、愕然とした。一応建物としての外見は残っているが、壁は汚れ、エントランスへ続く石畳からさえ草が生えている。周囲はもっと酷い。まるで長年手入れをされていないような有様だ。少し前に来た時はまともな旅館だった筈だ。
「ここ、だよな?」
 恋人に問い掛ける。
「ええ、ナビもアプリもここですって。」
「でも、名前も違ってるだろ。」
「そう、ね。でも、一応灯りは点いてるわよ。」
 確かに灯りは点いている。よく見ると石畳から生える草を踏んだ跡もある。仕方なくエントランスに入った。正面左にフロント、右に広い階段。前と配置が違うが、フロントには二人の従業員が居て受付も済ませてくれた。それに外と違って内部は綺麗だ。予約した二階の部屋に入る。一応浴室はあるが、一階の奥に温泉もあるらしい。
「全然違うのね、リフォームでもしたのかしら?」
「その割に外はあれだぞ? なんかおかしくないか?」
 考えても仕方がないか。とりあえず湯に浸かろうと二人で一階へ向かった。時間的にはそう遅くないが、他の客とはすれ違わなかった。男女別の温泉に入りかけて、二人で慌てて飛び出した。荷物を取り、一階に戻るとフロントには誰も居なかった。内装も外と同じように荒れ果てて居た。
「で、出よう!」
「う、うん!」
 逃げるようにエントランスを抜けて石畳を駆け抜ける。車に乗ると彼女は安堵したようだったが、俺はそれどころではなかった。エンジンが掛からない。セルは回っているのにエンジンが回らない。
「ね、ねぇ、さっきまでこんなに明るかった?」
「月でも出たんだろ!」
 空は曇天。もうすぐ雨が降り出す予報だった。漸くエンジンが回った。思いっ切りアクセルを踏み込んで一気に走りだす。サイドミラーは明るい。後ろから二つか、三つか、それ以上か、青白い球体が追いかけて来ていた。
 
 
駐車場の隅で煙草を吸っていた。ふと見上げると新築の家の二階の窓に猫が居た。
「何見てるのよ。」
 頭に直接響くような声だった。周囲には誰も居なかった。


 奇妙な店だった。常に薄暗い。店主は黒づくめの服の女性。顔も黒いヴェールに覆われている。商品も普通の物は無い。素顔が見えるメガネや過去を映す鏡。数十秒だけ時間を戻す懐中時計。対価も変わっている。
「此の指輪ですか。二百、にしましょうか。」
 腕を出す。店主は手慣れた様子で注射器を扱い俺の腕から血を抜き取り、指輪を収めたケースを渡してくれた。
「毎度有難う御座います。またのお越しをお待ちしております。」
 外に出ると目眩がした。少しこの店を使い過ぎたか。まぁ、良いさ。それだけの価値はある。好意を操るという指輪をポケットにしまい込み、歩き出した。


 涼しくなるのを待ってランニングに出た。涼しい時間帯と言っても走れば当然暑い。喉も乾く。自動販売機に小銭を入れてボタンを押す。取り出し口に手を入れて、すぐに引き抜いた。さっさと帰ろう。取り出し口で俺の手を掴んだのは、人間の手だ。


 面倒だ。今時書類を郵送とは時代錯誤だと思う。電子メールやスマホの認証を使えば良いだろう。それでも赤いポストは存在しているし、配達員のバイクは今日も走っている。糊付けした封筒に切手を貼って投函する。紙が落ちる音、投函口が閉まる音がする、筈だった。けれど聞こえて来たのはむしゃりと噛みつく音と、ぐちゃぐちゃと咀嚼する音だった。果たして書類は届くのだろうか。いや、そんな事はどうでも良い。こんな得体の知れないモノから早く離れよう。


 随分前に手放した本がまた読みたくなった。古本屋に行くと目当ての本があった。値段は安く、状態も悪くない。購入して読んでいると付箋が貼ってあった。アラビア数字と漢数字が書いてある。頁を捲って行くとまた貼ってある。結局六枚程あったが、貼られている間隔に法則性は無いように思えるし、数字も同じだ。
 後日パズルが得意な友人に訊いてみると、興味を持ったようでぱらぱらと頁を捲り始めた。
「貼ってあった頁は変えてないか?」
「ああ。そのままだ。」
「読み終わったならさっさと売った方が良いぞ、これ。」
 彼が言うにはアラビア数字は行数、漢数字は上からの文字数らしい。漢字や平仮名、片仮名も指定されているが、整理して読み直すと文章になった。
「こ、ろ、し、に、い、く?」
 その本はその日のうちに売り払った。


 後輩と二人で廃墟探索を終えた。雰囲気のある映像、写真が撮れた。ただ、悪戯書きやゴミは気に食わなかった。出来る限りは処理して来たが、今度はそっちをメインに考えても良いかも知れない。
「でも、元からあったものと区別するの難しくないっスか?」
 初めから在ったものには手を付けたくない。
「多少は仕方ないだろ。」
「まぁ、多少なら良いですよ。」
 神様にはなれない。できる事をしよう。
「あ、そうだ、先輩、そろそろその人の紹介して下さいよ。中で会ったんですか?」
 隣を見た。白いワンピースに白い帽子の可憐な女性。俺はこの人を知らない。


 最近学校に変な噂が広がっている。表題も著作者の名前も書かれて居ない真っ黒な本があるらしい。厚さはそれ程なく、図書館の隅や教室のロッカー、音楽室の楽譜に紛れていたり他の教室の資料に埋もれている事もあるそうだ。そしてその本を開くと不幸が訪れるらしい。
「探すとないもんだねー。」
 二つ目か三つ目の教室を物色しながら友人が言う。
「今日は止めない? もう帰ろうよぉ。」
「もう一ヶ所だけ、ね? お願い。」
 興味を失いかけた友人に頼みこむ。
「仕方ないなぁ。」
 わざわざ不幸を探すのも変な話だが、カモフラージュなんてそんなものだろう。今日は絶対に見付からない。前の本は呪いと一緒に消滅したし、次の本は未だ仕掛けていないのだから。


 帰りが少し遅くなっただけで辺りが薄暗い。夏の終わりが近いのだろう。彼岸も近いのだったか。風は無かったが涼しい。公園に差し掛かった。少し前まで子供達が居たのだろうか、ブランコが揺れていた。それなら、アレはなんだろう。雲梯の上に座る、首の無い子供。


 苛々する。文章は浮かぶのに漢字が出て来ない。書いて居る時間より辞書を引いて居る時間の方が長い気さえする。また漢字が出て来ない。溜め息を吐きながら頁を捲り、凍った。ある筈の無い赤地の頁に黒い文字。規則性も無く、大きさも不揃いで乱雑に死やら呪やら殺やら苦やら憎やら、印象の悪い言葉ばかりが並んで居た。咄嗟に辞書を閉じ、横から見てみてると赤い頁は見当たらない。疲れて居るのだろう。其れでも、流石に気味が悪く其の辞書は塵として処分して新しい物を買い直した。


 良い灯りも悪い灯りも、あはは、ごめんごめん、此れは忠告しなかったね。どっちもあるんだよ。月の灯りは君を守って呉れるけれど、今、君の上、手元にも在る灯りはどっちだろうね?
 
 


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