虚構の幻影

笹森賢二

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#15 虚構の幻影

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    ──傍にあるもの。



 季節が進む。太陽と月の角度が変わる。その分だけ影の長さや濃さが変わる。そして、それはそこに居る。
(了・序)


 何軒回ったのかもう覚えていない。最初に何人でどの店に入ったのも覚えていないし、もう真っ直ぐ歩けている自信はないが、せめて吐き気がないのと、最後の店から徒歩で帰れるのは救いだった。最後まで俺を連れ回した友人は、珍しくフェンスの無い比較的大きな排水路に吐いた。
「だから吐くまで呑むなっての、勿体ない。」
「うるせぇ、やる時は徹底的にやるもんだ。」
 ややすっきりした様な顔の奴が差し出した両手にペットボトルの水をぶちまけてやると、口元と顔を洗い、そのままペットボトルをひったくって口をすすいで排水路に向かって吐き出した。
「それ、お前が持って帰って処分しろよ。」
 ため息を吐きながらタバコをくわえる。
「しかし、お前は何だってそんなに強いんだ?」
 袖口で口を拭い、今度は水を飲みながら奴が言う。吐いて少しは楽になったらしい。
「無茶な呑み方してないだけだ。つーかいい加減呑み方覚えろよ、もう大学生じゃねぇんだぞ。」
「そりゃウチの馬鹿上司に言ってくれ。」
 社会人になってそれなりになるが、避けられないストレスはあるらしい。
「ま、機会があったらな。」
 街灯と脇道が見えた。奴は真っ直ぐに、俺は脇道に入ればすぐに家だ。
「んじゃ、また今度な。」
「ああ、二日酔いにはコーヒーがいいらしいぞ。」
 まだ少し冷たい風が吹いた。奴は少し足を速めて真っ直ぐに歩いて行った。俺はタバコの煙を吐き出しながら道を曲がる。丁度街灯が真後ろになると、自分の影が前に伸びる。煙さえ薄く影になっている。ふと、違和感を覚えた。何かを見落としたような、何かが引っかかるような。しかし、ろくに回っていない頭は深く考える気さえおきなかった。
 翌日、昼のニュースで奴が死んだと知った。美人だが滑舌の悪い女は、泥酔した末路面に飛び出して大型車にはねられ、と言っていた。確かに別れた時、寒さに押されるように早足になっていたが、足取りはそこまでふらついていなかったように思う。友人の死を飲み込もうとしている間に昨晩の違和感の正体に気づいた。足早に街灯の下を歩いて行った奴には、煙程程薄い影すらなかった。
(了・死の予兆)


 退屈な仕事を片付け、面倒な付き合いをこなして、家に帰り、シャワーを浴びる。冷蔵庫から麦酒を取り出すついでに中身を確認する。食料はまだある。明日買い出しに行く必要はないだろう。久々の連休はのんびり家で過ごせそうだ。
 ディスプレイに映る映像を適当に見ながら適当に呑んで、適当につまんで、適当に片付けた。それから寝室に敷きっぱなしになっていた布団を引っ張り、中央に戻す。
「今夜は邪魔しないでくれよ。」
 電気を消す。それでも分かる。それでも見える。まだ闇に慣れていない目でも、壁に映る、俺の布団を壁際に引っ張ろうとしている影が。
(了・壁と暗闇と影)


 築何十年かも分からないようなボロアパート。靴箱も置けないような狭い玄関から一歩先は中途半端に広い台所。正面にリビング、その隣に寝室兼物置きの和室が一つ。エアコンは付いているし、お湯は使えるし、トイレと風呂は別。もっともシャワーは後付けらしく扉の隣に付いている所為でよくホースが扉に挟まる。それでも、男の一人暮らしには充分だ。
 一つだけ。
 タバコは台所にしか無い換気扇の下で吸う。台所にも蛍光灯はあるが、リビングの光で足りるから夜でも台所の電気は点けずにタバコを吸う。シンクによりかかるようにしてリビングから零れてくる光を眺めながら吐き出す煙を換気扇が吸い込む。必ず、と言う訳ではないし、昼は気づいていないだけかも知れない。足首から少し上位までだろうか、黒い影が光の中を横切って行く。往復する事もあれば、そのままリビングに消えていく事もある。もう二年も経つからすっかり慣れてしまったが、俺はこのボロアパートで誰と暮らして居るのだろう?
(了・姿なき同居人)


 前から使い勝手が悪いと思っていた。ボロアパートの玄関の扉についたサビ付いた郵便受けは直接外から入るタイプではなく、入れ口から一度内側に付いた受け口に落ちる物だ。確かに覗かれる心配はないが、受け口が深さの割に狭いせいで大きな物は入れるのが大変らしく、入り切らずに挟まっていたり、深すぎるせいで小型の郵便物は来た事に気が付かない事もある。受け口が全て鉄製のせいで開閉の音もうるさく、遅い時間は余り開閉したくない。一応横のスリットが何本か入っているが、顔を近付けても中身は確認できない。唯一、スリットが暗くなっていれば大きな何かが挟まっているなと分かるだけだ。
 今夜も寝る前に一応、と見てみると、リビングからさし込む光を受けるスリットが黒くなっていた。何か入っているのかと開けてみると、何も無かった。不思議に思いながら閉めると、スリットの奥、やや錆びた白い受け口の背が見えた。入っていた物は、一体何だったのだろう。
(了・ポストの中の影)


 どこにでもある。どこにでもいる。ほら、君の足元にも。
(了)
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