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#02 月光の夢
しおりを挟む──月と太陽。
長谷川瑠璃。僕が通っている高校で屈指の変人だ。まるで昔の男のような言葉を選んで使う。髪はずっと短く揃えていたが、最近になって伸ばし始めた。知っている連中はついに何かあったのかと、心配しているのか楽しんでいるのか分からないような目で見ていたが、内面に変化が全く見えなかった所為か単なる気紛れだろうという事で落ち着いた。表情が無い。怒っているのか楽しんでいるのかさえ読み取れないが、やや細い目と整えてはいないらしい細い眉の挙動でほんの僅か分かる。鼻筋は通っていて、唇は薄いか。全体としては肌も綺麗だし整った顔をしている。けれど男に人気があるという事は無い。どちらかと言えば、男性からは同性の友人を見るような、女性からは異性を見るような目で見られているらしい。当人は気にしていないそうだ。何かを目指して今の自分がある訳ではなく、結果として今の自分になっただけなのだから、意識して変える必要は無いと言っていた。
「君が望むならば少し変えてみても構わないがね。」
喫茶店の窓辺に座る瑠璃がそう言った。その向かいに座っている僕は恐らく苦笑いでもしたのだろう。瑠璃が少し眉と目蓋を動かした。
「誰が迷惑してる訳でもないだろ。そのままで良いよ。」
「ふむ、君は中々難しいなぁ。」
僕らはここで長い話をしていた。瑠璃がそうしたいと言ったからだ。瑠璃は僕から見た彼女の評価を訊いたのだった。
「何故僕が難しいなんて言われなきゃいけないんだ。」
「別に非難している訳ではないよ。そもそもこれは僕の問題だ。」
瑠璃は自分を僕と呼ぶ。一人称など好きに使えば良いのだろうが、周りと比べて違和感を覚えてしまう。これは僕の悪い癖なんだろうな。
「僕はね、君を理解したいんだ。」
そう言われた僕は、視線を窓の外へ送った。空調の利いている店内と違って外は真夏だ。行き交う人は日傘を差したり手に持っている物で扇いだりしているが、それでも流れる汗を拭いながら歩いている。
「君は嫌いだろうがね。」
少し語弊がある。嫌いなのではなく、苦手なのだ。僕の両親は不和を起こして離婚した。原因や理由は忘れたいから忘れた事にしている。以来僕は父と二人で暮らしている。そんな経緯がある所為か、そもそも持って生まれたのか、僕は人を理解するのが苦手なのだ。理解したと思えてもどこかで疑っている。どこかに一点の濁りがある。その濁りは徐々に広がってゆき、やがて全てを濁った水に変えてしまう。とはいえ色が分るほど濁っている訳でもない。目を凝らさなければ分らない程度だ。
「まぁ、僕はこの通りだから中々上手く人を理解できないのだがね」
それは違う。瑠璃は他人の事が分からないのではなく、分かった上で興味を持っていないだけだ。
「そうかい? いずれにせよ君は難解だ。」
そう言って瑠璃はストローに唇を付けた。僕は少し困ってアイスコーヒーに浮かんでいる氷をストローでかき混ぜた。
「興味があるよ。」
瑠璃は真っすぐに僕の瞳の奥を見つめて言った。僕は気が付かないフリをして、少し薄くなったコーヒーを飲み干した。
「さぁ、そろそろ行こうか。」
「ふむ、確かに良い時間だね。まぁ、遅れても構わないのだが。」
瑠璃の家では本屋をやっている。恐らく知っている人間は誰も経営しているとは言わないだろう。彼女の祖父の趣味らしいその店には古今東西珍しい本ばかりが積まれていて、やってくる客もどこかそれに似合う姿をしている。瑠璃は暇な時間をそこで過ごす。客は殆ど来ないから様々な国の辞書を片手に本を読んでいるのだ。どうやら瑠璃の特徴的な言動はそうやって育ったものらしい。最近は僕も付き合わされている。とは言え僕は日本語すら危ういから、瑠璃の話を聞いているだけなのだが。
「うわ、凄いな。」
店の外に出た瑠璃が眩しげに空を見上げた。予想以上の熱気と湿気がそこにはあった。
「早く行こう。全く、こんな暑い中を好んで歩き回る奴の気が知れないよ。」
ほんの少し足を速めて瑠璃の隣に並んだ。鳴り響く蝉の声が暑さに拍車をかけているように思える。
「僕は矢張り月のある夜の方が良いな。」
何気なく見上げた空には真っ白な月が浮かんでいた。
「君は、昼の月でさえ何か見付ける事ができるのかね?」
「昼寝してる兎ぐらいしか。」
心の中で違う言葉を呟いた僕を瑠璃は右手で口元を隠して笑った。
「そうか、兎の昼寝か。成程、面白いな。」
僕はため息を吐いて、陽炎が昇る道の先を目指して歩いた。
月の光
──青く褪めた光の中で。
「さて、何か見つかったかね?」
長谷川瑠璃はまた少し長くなった髪を払ってそう言った。肩を過ぎて伸びるその髪は月の光を浴びてとても綺麗だった。
「僕の事など訊いていないよ。」
他の誰かなら、喋らなければという注意書きを付けるだろう。僕はそうは思わないのだが、彼女は相当な変わり者、らしい。一人称は僕だし、最近は伸ばし始めたようだけれど、髪はずっと短く纏めていて、服装も女性らしさを感じさせない物ばかり好んで着ていた。言葉使いも前時代的というか芝居がかっているというか、周りが使わないようなもので、その内容は常識から、いや、世間から少し離れているらしかった。そうでなければ、僕が見た夢や、幻の類を真剣に検討したりしないだろう。
「久瀬悠君。」
瑠璃が眼鏡の位置を直しながら僕の名を呼んだ。
「君は相変わらず僕の話を聞いていないようだね?」
「聞いてるよ。月と瑠璃の髪が綺麗な以外は特に何もないな。」
今夜は月が綺麗だったからと言って瑠璃が僕を連れ出してくれた。車の運転をしたのは僕だが。小さな山を登り、見晴らしの良い場所まで来た。一応山頂なのだろうか。展望台らしき物があった。遮蔽物も邪魔な光もなかったから、月の灯りが辺り一面に広がっている。
「ふむ、僕を褒めちぎったところで何も出やしないよ。」
そんな事はないと思うが、確かに主旨からは外れている。仕方なく周りを見渡してみたが、それらしきものはなかった。
「おや、これなんかどうかね?」
辺りは恐らく芝が広がっているが、その中に一輪、ぽつんと鈴のような白い花が咲いていた。
「スズランだね、君影草、谷間の姫百合とも云う。花言葉は、そうだなぁ、意識しない美しさ、純粋さ、それから幸福かな。」
「相変わらず詳しいな。」
「興味がある事にはね。」
青白い光を浴びて、スズランは気まぐれな風にその身を揺らせていた。何故そこにあるのかは考える必要も無いだろう。その純粋な美しさと、ああ、そうだ、瑠璃に良く似合うような気がする。
「僕にかい? どうかな、花ならばもっと女性らしい人の方が。」
瑠璃が言っていた花言葉を呟いた。
「弱ったな、全く、悠は本当に変なところばかりちゃんと聞いていて、変な事ばかり言う。」
嬉しそうに俯く姿を見て、僕の目的は達せられたと思った。
「本当に、悠は変な奴だよ。」
「そりゃどうも。で? 瑠璃は何か見付かった?」
瑠璃が僕の目の奥を見た。
「スズランにはね、毒があるのだよ。触れるなら気を付け給え。」
それは、知らなかったような知っていたような話だ。
「僕の探し物もどうやら見付かってしまったようだ。帰ろうか。」
瑠璃が手を差し出した。僕はそっとその手を握る。青く褪めた光の中を、僕らはゆっくりと歩き始めた。
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