ひまつぶし

チゲン

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ひまつぶし

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 電車の座席に座って、男は絵を描いていた。
 乗客はまばらで、男の座っているロングシートには誰もいない。背後の車窓を派手なビルが横切っていったが、男は気にも留めなかった。
 手元のA5版クロッキー帳の紙上に、向かいの席の少女の姿が完成しつつある。鉛筆が服のラインを描くたび、少女はもどかしそうに揺れ、今にも飛びだしそうにそわそわしている。
 少女の隣には母親がいて、とりとめのない話を続けている。楽しげななかに、少し疲れた様子が見える。
 男の手が止まった。少女が車内広告に目をやったときだ。
 白い首筋に、男は視線を送った。
 電車が停車し、ドアが開く。二人の客が下り、三人が乗ってきた。一人は男の座っていたロングシートの端に座り、もう一人はドアの側に立った。
 電車が動きだすと、母親がまた話を始めた。
 騒音にき消されて、その内容は判らない。男の耳には、鉛筆と紙がれあう音しか届いていない。
 向かいの窓を、反対方向に向かう電車が走り抜けた。驚いて振り返った少女の二の腕に、今度はホクロを見付けて、男の動作はまた止まった。
 少女が体の向きを戻したとき、目が合った。
 二人の視線は絡みあう。
 開いた窓から吹き込む風に、意識をさらわれそうになる。
 少女がかすかに笑ったように見えた。その表情をもう一度見たいと男は願い、鉛筆を持つ手に力を込める。すると頭の隅に詩の文句めいたものが、うっすらと浮かんできた。
 色の違う特急列車が、男の背後を追い越していった。
 少女の目はそれに釘付けになり、後は母親とその話題ばかりになった。男は絵を完成させることに気持ちを切り替えた。
 小さなクロッキー帳のなかで、少女の姿が、しだいに鮮明になっていく。足をぶらつかせ、靴の爪先を見つめるいとけない姿が。
 やがて電車が止まり、ドアが開くと、母親が慌てて席を立った。
 少女も軽やかにスカートを翻すと、母親の背中を追って下車した。
 男はその後ろ姿を目で追った。
 発車ベルが鳴り、ドアが閉まり、電車が動きだす。
 少女の二の腕にホクロを描こうとして、鉛筆を止め、男は新しいページを開いた。

 (完)
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