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第45幕
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最後の一体が、咽び泣くような声をあげ、崩れ去った。
夜風が吹き渡ると、土の山はサラサラと流れ、冷たい大気のなかに溶けあっていった。
土くれは大地に還り、無念の嘆きはレラの睫毛を撫でていく。
「掃除は終わりました……母様」
「そのようですね」
二人は向きあった。
リヨネッタは、レラを静かな眼差しで見つめている。体が微かに震えているのは、恐怖からではなく、魔力が底を尽きかけているからだ。
「なぜなのです、レラ」
それでも彼女は、膝を折ろうとはしなかった。立っているのもしんどいだろうに。
「なぜあなたは、そうまでしてあの王を守ろうとするのです。あなたにとっても、父親の仇なのですよ」
「お母さんは、この国もこの国の人たちも愛してました」
「…………」
「だから王が死に、この国が乱れたら、お母さんが悲しみます」
「そうですか」
姉さんらしい、とリヨネッタは呟いた。
「ですが、まだ詰めが甘い」
「えっ?」
不意にレラの足元の土が隆起し、一体の土人形が生まれでた。
「な……」
土人形が、レラの腰にがっしりとしがみつく。
デイジアの姿で。
「!?」
『ウフフ。レラ、会いたかったわぁ』
デイジアは虚ろな目で笑った。口のなかが、深淵のように暗かった。
「母様、あなたは……!」
デイジアが、力強く、レラの腰を締め上げる。
「ぐっ……」
内臓がひしゃげるほどの激痛に、レラは呻いた。
デイジアの腕を引きはがそうとするが、ぴくりとも動かない。むしろ締め上げる力はますます強くなっていく。
『ねえレラ。わたし、お腹空いちゃったぁ。ご飯まだぁ?』
どす黒い低周波が混ざったような声で、デイジアがごろごろと甘えてくる。
「デイジア姉様……はなして……」
そのとき、レラの目の前の土が隆起して、さらにもう一体の土人形が生まれた。
血染めの美しいドレスを着て、シンシアの姿をした土人形。
「シンシア姉様……」
『レラ、今度こそあんたを殺してあげるわ』
シンシアは、さも愉快げに笑った。虚ろな目と、深淵の口から流れる黒血をてらてらと輝かせながら。
「母様、自分が何をしてるか判ってるのですか!」
「それが魔女というものです」
実の娘が土人形と化し、醜い姿で現れても、リヨネッタは眉ひとつ動かさない。
「この程度で狼狽えているようでは、まだ半人前もいいところですね」
「……正気じゃない」
「そんなものは、とうの昔に……姉さんを殺すと決めた日に失くしています。さあ、我が娘たちよ!」
シンシアが短剣を両手で掲げ、にたりと笑い、レラの喉元目がけて振り下ろした。
「くっ!」
その手首を掴む。
『往生際が悪いわよ、レラぁ』
シンシアの腕に力がこもる。短剣の刃が、じわじわと喉に迫ってくる。
『ねえねえ、お腹空いたってばぁ』
腰にしがみついたデイジアが、台詞だけは無邪気に、レラの体を締め上げてきた。
「がはッ!」
激痛に顔が歪む。
シンシアの短剣の刃が、喉に触れた。その先端が食い込み、ぷつりと血が溢れだす。
『さっき私を殺したんだから、今度は私に殺されなさいな!』
『レラぁ、早く早くぅ!』
「……いい加減に」
レラが歯を食いしばる。その肌から、無数の光の粒子が浮かび上がってきた。
「これは……」
リヨネッタの顔に初めて動揺が走る。
輝きは徐々に増してくる。
「まさか、サンドラ姉さんなの?」
レラの肌に浮かんだ粒子。それは彼女が地下水路で浴びた、サンドラの灰だった。
「もういい加減にして下さい……姉様ぁ!」
レラが絶叫する。
無数の粒子が……サンドラの灰が、凄まじい勢いで四散した。
『レラァァッ!』
『レラぁぁっ!』
シンシアとデイジアの体が吹き飛ばされた。
『……アアァァァ……』
その体が、跡形もなく霧散する。
「なんという……」
愕然とするリヨネッタ。いまや彼女は完全に独りだった。
「レラ、これを!」
ユコニスが、レラに向かって彼女の短剣を投げて寄越した。先程の爆発で、先王の土人形も消滅したようだ。
空中で巧みにその柄を握り取ると、レラはリヨネッタに向かって踏み込んだ。
「母様!」
「まだです!」
リヨネッタが咄嗟に両腕を前にかざす。その先に、円形状の光の盾が出現した。
短剣と光の盾が交錯する。
バシッ!
光が爆ぜた。
「くっ!」
「ぐ……」
光の盾が、レラの刃を正面から受け止めていた。
「まだ!」
レラの魔力が、光の奔流となって短剣に流れ込む。徐々に光の盾を圧倒していく。
リヨネッタの額に脂汗が浮かぶ。
「この程度で終わる訳には……!」
リヨネッタが目を見開いた。光の盾に残る全ての魔力を注ぎこむ。
「あぐ……」
今度は光の盾がレラを押し返した。
レラの額にも脂汗が浮かんだ。
「これが……」
あれだけの魔力を放出しながら、まだこれほどの力を有しているとは。
「がはッ!」
リヨネッタが吐血した。
それでもまだ、彼女は魔力を放ち続けた。
「母様、そんなになってまでも、まだ続けるというんですか」
リヨネッタは蒼白の顔で、血走った目で、レラを睨んだ。
「これが魔女の……わたくしの生き様なのです。わたくしには、もうこれしか残されていないのです」
「だからって……」
「あなたもそうでしょう、レラ」
「え……」
「己が命を懸けて、母の仇を討ちにきたのでしょう」
「…………」
「それこそが人の情念。人のあるべき姿です」
「情念……」
ピシリ。
レラの短剣の刃に、皹が入った。
同時にリヨネッタの光の盾にも、亀裂が走った。
「正義でも悪でもない。理性や理屈でもない。情念の強い方が勝つのです」
リヨネッタが最後の魔力を振り絞った。盾がさらなる閃光を放ち始める。
「く……」
魔女リヨネッタの情念に、レラは気圧された。
短剣に、さらに皹が入る。
「レラ」
不意にレラの手を、何者かの手が包みこんだ。
ユコニスだった。
「だめ、逃げて。あなたまで巻き込んじゃうわ」
「今度こそ君を守りたいんだ。力不足かもしれないけど」
ユコニスの手に力が込められた。その温もりが、まるで浄化するようにレラの体を駆け巡った。
「ありがとう」
レラは短剣を握る手に力を……ありったけの魔力を込めた。
「見せてみなさい、あなたの情念を!」
「母様!」
レラの短剣とリヨネッタの盾に、最後の情念が迸る。
カッ!
エネルギーがぶつかりあい、ついに空間が爆発した。
『!!』
短剣と盾が粉々に砕け散った。
レラとユコニスの体が吹き飛ばされ……周囲はまばゆい光に包まれた。
世界は白く染まった。
夜風が吹き渡ると、土の山はサラサラと流れ、冷たい大気のなかに溶けあっていった。
土くれは大地に還り、無念の嘆きはレラの睫毛を撫でていく。
「掃除は終わりました……母様」
「そのようですね」
二人は向きあった。
リヨネッタは、レラを静かな眼差しで見つめている。体が微かに震えているのは、恐怖からではなく、魔力が底を尽きかけているからだ。
「なぜなのです、レラ」
それでも彼女は、膝を折ろうとはしなかった。立っているのもしんどいだろうに。
「なぜあなたは、そうまでしてあの王を守ろうとするのです。あなたにとっても、父親の仇なのですよ」
「お母さんは、この国もこの国の人たちも愛してました」
「…………」
「だから王が死に、この国が乱れたら、お母さんが悲しみます」
「そうですか」
姉さんらしい、とリヨネッタは呟いた。
「ですが、まだ詰めが甘い」
「えっ?」
不意にレラの足元の土が隆起し、一体の土人形が生まれでた。
「な……」
土人形が、レラの腰にがっしりとしがみつく。
デイジアの姿で。
「!?」
『ウフフ。レラ、会いたかったわぁ』
デイジアは虚ろな目で笑った。口のなかが、深淵のように暗かった。
「母様、あなたは……!」
デイジアが、力強く、レラの腰を締め上げる。
「ぐっ……」
内臓がひしゃげるほどの激痛に、レラは呻いた。
デイジアの腕を引きはがそうとするが、ぴくりとも動かない。むしろ締め上げる力はますます強くなっていく。
『ねえレラ。わたし、お腹空いちゃったぁ。ご飯まだぁ?』
どす黒い低周波が混ざったような声で、デイジアがごろごろと甘えてくる。
「デイジア姉様……はなして……」
そのとき、レラの目の前の土が隆起して、さらにもう一体の土人形が生まれた。
血染めの美しいドレスを着て、シンシアの姿をした土人形。
「シンシア姉様……」
『レラ、今度こそあんたを殺してあげるわ』
シンシアは、さも愉快げに笑った。虚ろな目と、深淵の口から流れる黒血をてらてらと輝かせながら。
「母様、自分が何をしてるか判ってるのですか!」
「それが魔女というものです」
実の娘が土人形と化し、醜い姿で現れても、リヨネッタは眉ひとつ動かさない。
「この程度で狼狽えているようでは、まだ半人前もいいところですね」
「……正気じゃない」
「そんなものは、とうの昔に……姉さんを殺すと決めた日に失くしています。さあ、我が娘たちよ!」
シンシアが短剣を両手で掲げ、にたりと笑い、レラの喉元目がけて振り下ろした。
「くっ!」
その手首を掴む。
『往生際が悪いわよ、レラぁ』
シンシアの腕に力がこもる。短剣の刃が、じわじわと喉に迫ってくる。
『ねえねえ、お腹空いたってばぁ』
腰にしがみついたデイジアが、台詞だけは無邪気に、レラの体を締め上げてきた。
「がはッ!」
激痛に顔が歪む。
シンシアの短剣の刃が、喉に触れた。その先端が食い込み、ぷつりと血が溢れだす。
『さっき私を殺したんだから、今度は私に殺されなさいな!』
『レラぁ、早く早くぅ!』
「……いい加減に」
レラが歯を食いしばる。その肌から、無数の光の粒子が浮かび上がってきた。
「これは……」
リヨネッタの顔に初めて動揺が走る。
輝きは徐々に増してくる。
「まさか、サンドラ姉さんなの?」
レラの肌に浮かんだ粒子。それは彼女が地下水路で浴びた、サンドラの灰だった。
「もういい加減にして下さい……姉様ぁ!」
レラが絶叫する。
無数の粒子が……サンドラの灰が、凄まじい勢いで四散した。
『レラァァッ!』
『レラぁぁっ!』
シンシアとデイジアの体が吹き飛ばされた。
『……アアァァァ……』
その体が、跡形もなく霧散する。
「なんという……」
愕然とするリヨネッタ。いまや彼女は完全に独りだった。
「レラ、これを!」
ユコニスが、レラに向かって彼女の短剣を投げて寄越した。先程の爆発で、先王の土人形も消滅したようだ。
空中で巧みにその柄を握り取ると、レラはリヨネッタに向かって踏み込んだ。
「母様!」
「まだです!」
リヨネッタが咄嗟に両腕を前にかざす。その先に、円形状の光の盾が出現した。
短剣と光の盾が交錯する。
バシッ!
光が爆ぜた。
「くっ!」
「ぐ……」
光の盾が、レラの刃を正面から受け止めていた。
「まだ!」
レラの魔力が、光の奔流となって短剣に流れ込む。徐々に光の盾を圧倒していく。
リヨネッタの額に脂汗が浮かぶ。
「この程度で終わる訳には……!」
リヨネッタが目を見開いた。光の盾に残る全ての魔力を注ぎこむ。
「あぐ……」
今度は光の盾がレラを押し返した。
レラの額にも脂汗が浮かんだ。
「これが……」
あれだけの魔力を放出しながら、まだこれほどの力を有しているとは。
「がはッ!」
リヨネッタが吐血した。
それでもまだ、彼女は魔力を放ち続けた。
「母様、そんなになってまでも、まだ続けるというんですか」
リヨネッタは蒼白の顔で、血走った目で、レラを睨んだ。
「これが魔女の……わたくしの生き様なのです。わたくしには、もうこれしか残されていないのです」
「だからって……」
「あなたもそうでしょう、レラ」
「え……」
「己が命を懸けて、母の仇を討ちにきたのでしょう」
「…………」
「それこそが人の情念。人のあるべき姿です」
「情念……」
ピシリ。
レラの短剣の刃に、皹が入った。
同時にリヨネッタの光の盾にも、亀裂が走った。
「正義でも悪でもない。理性や理屈でもない。情念の強い方が勝つのです」
リヨネッタが最後の魔力を振り絞った。盾がさらなる閃光を放ち始める。
「く……」
魔女リヨネッタの情念に、レラは気圧された。
短剣に、さらに皹が入る。
「レラ」
不意にレラの手を、何者かの手が包みこんだ。
ユコニスだった。
「だめ、逃げて。あなたまで巻き込んじゃうわ」
「今度こそ君を守りたいんだ。力不足かもしれないけど」
ユコニスの手に力が込められた。その温もりが、まるで浄化するようにレラの体を駆け巡った。
「ありがとう」
レラは短剣を握る手に力を……ありったけの魔力を込めた。
「見せてみなさい、あなたの情念を!」
「母様!」
レラの短剣とリヨネッタの盾に、最後の情念が迸る。
カッ!
エネルギーがぶつかりあい、ついに空間が爆発した。
『!!』
短剣と盾が粉々に砕け散った。
レラとユコニスの体が吹き飛ばされ……周囲はまばゆい光に包まれた。
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