灰の瞳のレラ

チゲン

文字の大きさ
上 下
42 / 48

第41幕

しおりを挟む
「なんであのとき、あんたもいっしょに殺しておかなかったのか……今でもずっと後悔してるわ」
 シンシアは憤懣ふんまんやる方ない顔で、レラを睨みつけた。
「でも、私を殺す機会は今まで何度もあったはずです」
 あの日と同じくらいの憎悪に満ちた視線を受けながらも、レラは目を逸らすことなく問いかけた。
「……母様の命令だからに決まってるでしょ」
「それだけですか?」
「もちろんよ。それで充分。いいえ、それが全て」
 シンシアは迷いなき声で言った。
「母様の言うことは絶対よ。逆らうことは許されない。母様の前では、私の意志などゴミも同然」
 それは普段のシンシアの言動を見ていればよく判る。うっかり彼女の前でリヨネッタの悪口でも言おうものなら、その日のうちにスラムのドブ川に浮かぶことになるだろう。
「私の使命は、母様の心を安んじることだけ」
 シンシアはうっとりと夜空を見上げた。そこに浮かぶ月を、まるで母に見立てるかのように。
「母様を苦しめる奴原やつばらは、生きる資格もないのよ」
「だから、お母さんを殺したんですか?」
「あの薄汚い魔女は、母様から父様を奪った。だから死んで当然なのよ」
「うす…ぎたない……?」
「そうよ。どうせお得意の妖しげな薬を使って、父様の心を操って、母様から奪っていったんだわ」
「シンシア姉様。あなたは……」
「そして次はあんたの番。やっとよ、やっとあんたを殺せる日が来たわ。この時を、どれだけ待ち焦がれたことか」
 やはりシンシアも、デイジアと同じように命じられていたようだ。レラの記憶が戻ったら始末しろと。
 彼女には、リヨネッタの言葉があればそれでいいのだ。
「だったら私も」
 レラは短剣を握り直した。
「お母さんの仇を取るだけです」
「やってみなさいな」
 月明かりの下で、月を真っ二つに裂くが如く、二振りの刃が交わる。
 シンシアの剣先が、レラの肌を掠めた。デイジアよりも鋭く力強い太刀筋。いつも以上に鮮やかに冴え渡っている。
 彼女が努力の人であることを、レラはよく知っていた。姉妹の誰よりも、暗殺の腕を磨いてきたのだ。自らの人生をそこに捧げるべく。
 一撃、また一撃。繰りだされる、殺人のための剣。
 全ては母様のため。それがシンシアの強さであり……そしてもろさであることを、レラは感じた。
「もし私が心を取り戻してなかったら、簡単に殺されてたかもしれない」
 シンシアが短剣を振り下ろす。
 身を引いて躱すレラ。すると左から右に、軌道を変えて斬りかかってくる。
 それを短剣の腹で受け止める。腕にしびれが走り、一瞬、レラは顔をしかめた。
「魔女の力とやらは、この程度なの?」
 シンシアが力任せに押してきた。
 不意を突かれて、レラはバランスを崩した。
「しまった!」
 シンシアが袈裟けさ切りに仕掛けてくる。身を捻って躱し、勢いそのままで地面に転がる。髪が数本、切られて飛んだ。
 草むらに倒れ込んだレラの頭上に、刃が光る。再び身を捻る。刃はレラの頬を掠め、すれすれのところで地面に突き刺さった。
 短剣を地面から抜き、再び振り下ろすシンシア。その僅かな隙を突いて、レラは両足を翻し、シンシアの足を払った。
「くっ!」
 今度はシンシアがバランスを崩し、転倒した。
 レラが起き上がりざま、そこに斬りかかっていく。しかし。
「!」
 咄嗟に踏み留まった。
 シンシアが、左手にも短剣を隠し持っていることに気付いたからだ。迂闊に近付いていれば、喉を掻き切られていただろう。
「チッ」
 舌打ちして、シンシアは立ち上がった。
「どうしたの? 封印が解けたって割りには、たいしたことないじゃない」
 挑発的な口調。頬は紅潮し、体も燃え上がらんばかりに熱を発している。
「シンシア姉様……」
 彼女の肢体が、いつもより大きく見えた。
「あんたに姉様と呼ばれる筋合いはないのよ!」
 シンシアが跳躍する。
 右手の短剣と、左手の短剣。交互に、時にフェイントを使い、左右から刺突や斬撃を繰りだしてくる。
「死になさいよ。母様のために。母様のために!」
 右手の短剣一本だけでは避けきれない。レラのドレスが裂け、肌に幾筋もの傷が走った。血の飛沫しぶきに、シンシアが恍惚こうこつとした笑みを浮かべた。
「これが人の心……」
 レラは確かに震えた。
 姉の自分に対する憎しみを、初めて肌で感じていた。
 ヒリヒリする。
 封印が解かれたレラは、ようやく、他人の感情に触れることができたのだ。
「母様のためにぃッ!」
 妄執もうしゅうはここまで人を強くする。
 妄執はここまで人をはかなくする。
 シンシアの美しい顔が歪んでいる。
「姉様!」
 レラが左手を振り上げた。
 その手から、無数の小さな物体が飛び散った。
「!?」
 咄嗟に、シンシアが顔を庇った。
 土だ。先程、転倒した際に掴み取っていたのだ。
 そこに隙が生まれた。彼女はあまりにも、殺すことに夢中になり過ぎていた。
 レラが跳躍し、間合いを詰める。
「はや……!」
 シンシアの胸部に、右肩からタックルを食らわせた。
「ぐッ!」
 シンシアの体が軽々と吹き飛ばされ、背中から大木の幹に激突した。
 ゴッ!
「がはッ!」
 衝撃で、体じゅうの骨と内臓が破砕はさいした。
「あが……」
 けた外れの威力だった。
 息ができない。
「が……」
 体が、力なく、ずり落ちていく。
「なに…が……」
 動けない。
 体がぴくりとも動かない。
「まだ、よ……」
 それでも起き上がろうとして、シンシアは吐血して倒れた。
 折れた肋骨ろっこつが、肺に突き刺さっているようだ。
 意識が朦朧とする。
「こんな、ところで……」
 終わるはずがないのに。
 一瞬で。
 たった一撃で、自分の人生を懸けた業が粉々に打ち砕かれてしまった。
「なによそれ……」
 馬鹿馬鹿しくて、それ以上言葉にならなかった。
 足音。
 シンシアは薄目を開け、近付いてくる死神を睨みつけた。右肩を抑え、哀れむような目で敗者を見下ろす、憎き義妹の顔を。
「……あんたも、肩やられてんじゃない」
 シンシアは声を絞りだした。
「思った以上に、力が入り過ぎてしまいました。しばらく、右手は使えそうにありません」
「いい気味だ、わ……」
 笑おうとしたが、血でむせ返ってしまった。
「これが、魔女のちから……」
 レラの身体能力は、魔力によって格段に向上していた。そんなことが簡単にできてしまうのだ。このとてつもない才能を持った魔女は。
「どうしてあんただけなの……どうして私は、母様の魔力を受け継がなかったの……」
 レラは静かに、かぶりを振った。彼女に判り得るはずもない。
 遠くに人影が見えた。
「!」
 城の衛兵だ。見回りの途中なのだろう。
「た…すけ……」
 襲われているふりをすれば、この危機を打破できるかもしれない。咄嗟にシンシアは、哀れな被害者を装って助けを乞うた。
 しかしその衛兵はすぐに向きを変え、どこかへ歩き去ってしまった。
「すでに目眩ましの結界を張ってあります」
 最後通告のように、レラが言った。
「な……」
「母様のを見様見真似でやってみましたが、うまくできたみたいですね」
 どうりでこれだけ派手な戦闘をしても、誰にも気付かれなかった訳だ。
 お話にならない。初めから負けていたのだ。シンシアはもう、笑うしかなかった。
「ムカ…つくわ。あんた、ほんとうに、ムカつく……」
 まだだ。まだ終わってない。
 シンシアは、最期の力を振り絞って立ち上がった。
「早く、母様のところに、行かないと」
 ふらふらと枯れ木のように揺れながら、一歩を踏みだす。
「今日こそ、復讐ふくしゅうするんだから……」
 もうレラなんて、どうでもいい。大事なことは他にあるじゃないか。
「かあさま」
 愛しい人を呼びながら。
「かあさま」
 尊い人を乞いながら。
「かあ…さま……」
 目の前に、その人が立っていた。シンシアの目には、確かに映っていた。
 だから彼女は、安らぎの笑みを浮かべ、
「か…あ…さま……」
 月光の下に倒れた。
 星が落ちるように。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

処理中です...