23 / 48
第22幕
しおりを挟む
夕刻。
リヨネッタ母子を乗せた馬車は、ミューキプン城の門前に差しかかった。
堀の端には整然と篝火が立ち並び、上衣を纏った衛兵たちが誇らしげな面持ちで賓客の馬車を出迎えていた。
「その誇りが何の上に成り立っているか、知りもしないのでしょうね」
リヨネッタは衛兵のなかに知った顔を探した。だが若い衛兵ばかりで、記憶にある人物はいなかった。
このときばかりは、十年の歳月を実感せざるを得ない。
「母様、そろそろ……母様?」
シンシアが心配そうに顔を覗き込んできた。
「……判っています」
リヨネッタが、次いでシンシアとデイジアが馬車を降りると、たちまち周囲から感嘆の声が上がった。
「なんと美しい」
「どこの国のご婦人かしら」
「まるで王妃と姫のようだ」
いかにも気が多そうな貴族の子弟などが、さっそく彼女らに色目を送ってくる。
「汚らわしい連中。反吐が出るわ」
シンシアが本当に唾を吐きかねないほど、露骨に顔をしかめた。
「まあ、お姉様ったら。そんな顔をしてたら、せっかくのおめかしが台無しですわよー」
デイジアが姉を冷やかしつつ、上品ぶった貴族のお坊っちゃんにウィンクしてみせる。こちらは男の視線にも手慣れたものだ。
「二人とも、くれぐれも目立つ行動は控えるように。判っていますね」
「もちろんです、母様」
「あたしらのことを覚えてる人なんて、もうほとんどいないだろうけどね」
デイジアがこの城を後にしたのは、彼女が八歳の頃だ。あの頃とは身も心も見違えている。当時は、いつも母の陰に隠れているような引っ込み思案な子だった。
十二歳だったシンシアも同様だ。当時の面影こそあるが、余程のことがない限り気付かれる心配はないだろう。
だがリヨネッタはそうもいかない。十年経って多少は皺も増えたが、先王を虜にしたという美貌は健在である。だから、
「おや、あなたはどこかで……」
招待状を確認にきた衛兵は、やや年嵩の男だった。リヨネッタの顔を見て、少しだけ考え込む。
「少し宜しいでしょうか」
「ん?」
リヨネッタが衛兵の目を覗き込んだ。
「え……」
その瞳が一瞬、妖しく輝く。衛兵の視線が吸い寄せられる。
「…………」
心まで吸い寄せられるのに、たいして時間はかからなかった。
衛兵は虚ろな顔で、リヨネッタに一礼した。
「どうか…心ゆくまで……お楽しみ下さいませ」
「ありがとう」
衛兵に見送られ、リヨネッタたちは悠々と城へ向かって歩きだした。
「さすが母様ですわ」
「魔術って、ほんと便利だよねー」
二人の娘が尊敬の眼差しを送る。
「感心してないで気を引き締めなさい。ここから先は、余計な魔力は使いたくありません。あなたたちの力にかかっているのですよ」
「はい。心得てます」
「あーあ、あたしもそっちが良かったな。お姉ちゃん、やっぱり替わんない?」
「今更、何を言ってるのよ」
「だぁって、そっちは美味しそうなご馳走がたくさんあるじゃん」
「またそんなことを……」
緊張感がまるで感じられないデイジアの発言に、シンシアは心底呆れて溜め息を吐く。
そのやりとりを傍らで聞きながら、リヨネッタはついと顔を上げた。
十年前と何も変わらない、城郭の佇まい。時を告げる鐘楼。それらを見ていると、自然と自嘲気味の笑みが浮かんでくる。
だが、それに気付いた者は誰一人いなかった。
リヨネッタ母子を乗せた馬車は、ミューキプン城の門前に差しかかった。
堀の端には整然と篝火が立ち並び、上衣を纏った衛兵たちが誇らしげな面持ちで賓客の馬車を出迎えていた。
「その誇りが何の上に成り立っているか、知りもしないのでしょうね」
リヨネッタは衛兵のなかに知った顔を探した。だが若い衛兵ばかりで、記憶にある人物はいなかった。
このときばかりは、十年の歳月を実感せざるを得ない。
「母様、そろそろ……母様?」
シンシアが心配そうに顔を覗き込んできた。
「……判っています」
リヨネッタが、次いでシンシアとデイジアが馬車を降りると、たちまち周囲から感嘆の声が上がった。
「なんと美しい」
「どこの国のご婦人かしら」
「まるで王妃と姫のようだ」
いかにも気が多そうな貴族の子弟などが、さっそく彼女らに色目を送ってくる。
「汚らわしい連中。反吐が出るわ」
シンシアが本当に唾を吐きかねないほど、露骨に顔をしかめた。
「まあ、お姉様ったら。そんな顔をしてたら、せっかくのおめかしが台無しですわよー」
デイジアが姉を冷やかしつつ、上品ぶった貴族のお坊っちゃんにウィンクしてみせる。こちらは男の視線にも手慣れたものだ。
「二人とも、くれぐれも目立つ行動は控えるように。判っていますね」
「もちろんです、母様」
「あたしらのことを覚えてる人なんて、もうほとんどいないだろうけどね」
デイジアがこの城を後にしたのは、彼女が八歳の頃だ。あの頃とは身も心も見違えている。当時は、いつも母の陰に隠れているような引っ込み思案な子だった。
十二歳だったシンシアも同様だ。当時の面影こそあるが、余程のことがない限り気付かれる心配はないだろう。
だがリヨネッタはそうもいかない。十年経って多少は皺も増えたが、先王を虜にしたという美貌は健在である。だから、
「おや、あなたはどこかで……」
招待状を確認にきた衛兵は、やや年嵩の男だった。リヨネッタの顔を見て、少しだけ考え込む。
「少し宜しいでしょうか」
「ん?」
リヨネッタが衛兵の目を覗き込んだ。
「え……」
その瞳が一瞬、妖しく輝く。衛兵の視線が吸い寄せられる。
「…………」
心まで吸い寄せられるのに、たいして時間はかからなかった。
衛兵は虚ろな顔で、リヨネッタに一礼した。
「どうか…心ゆくまで……お楽しみ下さいませ」
「ありがとう」
衛兵に見送られ、リヨネッタたちは悠々と城へ向かって歩きだした。
「さすが母様ですわ」
「魔術って、ほんと便利だよねー」
二人の娘が尊敬の眼差しを送る。
「感心してないで気を引き締めなさい。ここから先は、余計な魔力は使いたくありません。あなたたちの力にかかっているのですよ」
「はい。心得てます」
「あーあ、あたしもそっちが良かったな。お姉ちゃん、やっぱり替わんない?」
「今更、何を言ってるのよ」
「だぁって、そっちは美味しそうなご馳走がたくさんあるじゃん」
「またそんなことを……」
緊張感がまるで感じられないデイジアの発言に、シンシアは心底呆れて溜め息を吐く。
そのやりとりを傍らで聞きながら、リヨネッタはついと顔を上げた。
十年前と何も変わらない、城郭の佇まい。時を告げる鐘楼。それらを見ていると、自然と自嘲気味の笑みが浮かんでくる。
だが、それに気付いた者は誰一人いなかった。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる