灰の瞳のレラ

チゲン

文字の大きさ
上 下
8 / 48

第7幕

しおりを挟む
「やあ、こんばんは、麗しの我が姫」
 その日の宵の口。
 郊外の打ち捨てられたあばら家で、レラとメイガスは逢瀬を交わす。
「会いたかったよ」
 抱擁ほうようをしようと近付いてきたメイガスを、レラはするりとかわした。
「冷たいなあ。まるで夜霧のようだ」
「ちょっと黙ってて。あと、姫はやめて」
 レラはパンの入ったかごをテーブルの上に置いた。
「おっ、美味うまそう」
 メイガスが手を伸ばす。その手を、レラがぴしゃりと叩く。
「これは明日の朝食よ。母様たちのね」
「じゃあ、そっちのワインは?」
 もうひとつの籠に入っていた水差しを、メイガスは期待を込めた目で見つめた。
「なんで中身がワインだって判るの?」
「おいらの鼻を舐めてもらっちゃあ困るなあ」
 得意げに、その自慢の鼻とやらを鳴らすメイガス。
「鼻がくのは悪いことじゃないけど、生憎あいにくこれはあなたの分じゃないの。せいぜい匂いだけ楽しむのね」
「……レラって、日に日にリヨネッタさんに似てくるよね」
「…………」
 それには答えず、レラは小屋の隅で小さくなっていた男の前に、水差しと酒盃しゅはいを置いた。
「い、いいのか?」
 男は、びくびくしながらも水差しに手を伸ばした。
「さすがに、あなたの雇い主が飲んでたような高級品じゃないけど」
「へへっ、ありがてえ」
 男は酒盃にワインを注ぐと、喉を鳴らして一気に飲み干した。それをメイガスが羨ましそうに見ているが、レラは気付かないふりをした。
 男の正体は、昨夜、貿易商の馬車を運転していた御者である。
 リヨネッタの指示を受けたレラは、あの後スラムに潜んでいた彼を難なく捕縛した。
 だが本来なら即座に始末するべきところを、メイガスに頼んでここに匿ってもらっていたのだ。命を奪わない替わりに、知っていることを話すという条件で。
 初めてリヨネッタの命令に背いてしまった。いつ見破られるかと、今朝は本当に生きた心地がしなかった。
 踏み込んではいけない領域に、踏み込もうとしているのだから。
「ウチの旦那は、筋金入りのどケチ野郎でなあ。安い給金でこき使うくせに、美味い飯も酒も女も、全部独り占めしてやがったぜ」
「ケチ臭そうな顔してたもんねえ」
 御者とメイガスが、レラの気苦労も知らずにヘラヘラと笑う。軽い殺意を覚えた。
「それより、質問に答えて」
 当日の状況を問いただす。
 リヨネッタの魔術にかかっていたということは、どこかで彼女と接触しているはずだ。そのときの彼女の様子などを知りたかった。
 だが話を聞く限り、その辺りの記憶はすっぽり抜け落ちているようだった。気付いたときには、襲撃のど真ん中にいたらしい。
 有益な情報は得られそうにない。そう判断したレラは人知れず息を吐いた。残念な反面、安堵あんどもあった。
 後のことはメイガスに任せて、さっさと帰ってしまおう。
「まったく、ウチの旦那ときたらよ」
 一杯引っかけたおかげか、御者の舌も随分滑らかになっているようだ。
 調子に乗って、聞かれもしないのに死んだ雇い主の陰口を叩きまくっている。助けたはいいが、あまり関わりあいにはなりたくない人種だと思った。
 その言によると、どうやらくだんの貿易商は相当あくどい男だったらしい。商業ギルドの幹部という立場を隠れみのにして、裏で麻薬や人身売買に手を染めていたのだ。
 もちろん、それらはご法度はっとである。だがいつの世も、法の網を掻い潜り、水面下で蠢く者どもは存在する。
「お役人にも、だいぶ顔が利いたみてえだったしなあ」
「だろうねえ」
「特に衛兵所の所長とは仲が良かったみてえだぜ」
「へえ、衛兵所の所長さんとかい?」
 そういえば、昼間に貿易商の屋敷で姿を見た。こちらもあまり評判がよろしくない人物だから、繋がりがあったと聞いても意外ではない。
 なるほど、所長自ら捜査に出向いていたのは、特別な関係故のことだったからか。
「二人は昔から?」
 レラの疑問を代弁するように、メイガスが御者に続きをうながした。
「だろうな。十年前に俺がやとわれたときにゃ、もうツルんでたぜ」
「まあ悪徳商人と衛兵所長なんて、判りやすい構図だしね」
「訳ありって感じだったな。しょっちゅう、例の奴は見つかったかって話をしてたしよ」
「何かを探してたってこと?」
「ちょこっと聞こえたぐれえだから、詳しくは判んねえけどな……」
 そう前置きして、御者は語りだした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...