イェルフと心臓

チゲン

文字の大きさ
上 下
48 / 61
第三部 人間とイェルフ

9頁

しおりを挟む
「帰れ」
 息を切らして駆けつけたシュイに対して、ポロノシューは冷たく言い放った。
「なによそれ!」
 そこから口喧嘩が勃発ぼっぱつした。
「あんたね……誰のために、苦労して持ってきてやったと思ってんのよ!」
「俺は頼んだ覚えはない」
「その言い方!」
「頼んだ覚えはありません、とでも言えばいいのか?」
「ばかにしてんの!?」
 日は暮れかけ、村は夜の冷気に包まれつつある。
 ただし、二人の戦いは、砂漠の太陽よりも熱かった。
「先生の薬は、すっごくよく効くのよ。これ飲んだら、キローネだってすぐに良くなるわ」
「必要ない」
「なによ、その態度! わざわざ持ってきてあげたのに!」
 シュイは唇を噛みしめた。
 努力が、全て水泡すいほうに帰したような気分だった。
「……なんであたし、こんなことしたんだろう」
 今頃になって後悔の念がよぎる。
 険しい山を、病み上がりの足も顧みず、何かにかれたように駆け下りてきたのに。
「ばかみたい」
 悔しくて薬を投げつけてやりたくなったが、さすがにそれは里の医者に申し訳ない。
 そもそも、この男に窺いを立てる必要などないではないか。
「もういいわ。直接キローネに渡すから」
「待て」
 診療所を出ていこうとすると、ポロノシューが少しあせり気味に制止してきた。
「彼女に、そんなものを飲ませるな」
 言葉の意味を理解できず、シュイは目をしばたたかせた。
「なんであんたが、そんなことを決めるの?」
「俺が医者だからだ」
「医者なら、なんで薬を飲ませるのに反対するのよ」
「薬なら何でもいい、という訳じゃない」
「あのねえ……何度も言うけど、ただの熱冷ましなの。みんな飲んでるの」
 だがそれでも、ポロノシューは首を縦に振らなかった。
「ひょっとして……他人の力は借りたくない、とか思ってんじゃないでしょうね」
 シュイは、小馬鹿にしたように笑う。同胞にもそういう性分の者がいるが、頭が固いとしか思えなかった。主に父や兄のことだが。
 すると、ポロノシューの目がスッとけわしくなる。
「俺は、イェルフの得体えたいの知れない薬など、信用できないと言っているんだ」
「なっ……!」
 耳を疑った。
 まさかの言葉だった。
「なに、それ……」
 信じられなかった。
 どんなに憎まれ口を叩いても、彼だけは他の人間と違い、イェルフ族のことを理解してくれていると思っていた。
 でなければ、怪我をした彼女を助けてくれるはずがない。
 それなのに。
 それなのに。
「結局、あんたも他の人間と変わらないのね」
 勝手な思い込みだった。
 期待してしまった。
 人間なんかに。
 急に押し黙ったシュイを怪訝けげんに思ったのか、ポロノシューは眉をひそめ、無防備に近寄っていった。
 その瞬間、シュイが腰の短剣を引き抜き、目の前で一閃いっせんした。
「な……」
 さすがのポロノシューも、その場で硬直した。
「近付かないで」
 短剣を突きつけたまま、シュイはポロノシューの顔を睨みつけた。
 彼が、息を呑むのが判る。さすが医者というだけあって、怯えたり取り乱したりする様子はないが。
「何のつもりだ」
「うるさいっ!」
 短剣は軽いはずなのに、シュイの腕は震えてきた。誰かに刃を向けるということが、こんなにも苦しいことだとは思わなかった。
 このまま腕を前に突きだせば、目の前の男は簡単に死ぬのだ。
 冷たい汗が頬を伝う。
 掌にじわりとにじんだ汗が、思考を鈍らせる。
「おい……」
「もういいわよ! こんなとこ二度と来ないから!」
 シュイはきびすを返すと、ポロノシューの家を飛びだした。
「待て、話を……」
 ポロノシューが何か叫んでいたようだが、耳を貸す気にもなれなかった。とにかく今は、一刻も早くこの場から消え去りたかった。
「人間の命なんて、どうってことないのに……」
 仲間に知られたら、それこそ笑い者だ。
 父の知るところとなれば、叱られるだけでは済まないかもしれない。たかが人間相手に、尻尾しっぽを巻いて逃げだしたなんて。
「違う、逃げてなんかない……」
 だけど。
「できない」
 いや、むしろ、
「やっちゃいけない」
 そう思ってしまったのだ。
 シュイは走った。
 不意に彼女の前に、小さな人影が現れた。
「うわっ!」
 危うくぶつかりそうになって、シュイは慌てて跳びよけた。
「ちょっと、あぶないじゃな……」
 そこにいたのは、ヤナンだった。
 村を出ていくつもりが、我を忘れて走っていたせいか、キローネ母子の家の前まで来ていたようだ。
 ヤナンは小さな目を皿のように開いて、突然現れたシュイの姿を見つめている。
 ばつが悪くなって、目を逸らした。
「な…なにやってんのよ。こんな時間に」
「みず……」
 ヤナンは、おどおどしながら答えた。
 少年は小さなかめを抱えている。近くの井戸から汲み上げたばかりのようだ。
「あんたが運んでんの?」
「うん」
 この少年の貧相な腕では、家にある大甕を水で満たすまでに、かなりの時間と労力を要するだろう。
「お母さんは、まだ具合が悪いの?」
 ヤナンは頷く。食い入るように、シュイの顔を見上げている。
「やっぱり、あいつの薬なんかじゃ無理なのよ……そうだ。ねえ、ヤナン。ちょっと、家に寄ってっていい?」
 ヤナンは困惑したが、小さく頷いた。
 もう初対面のときのように、警戒している素振りはない。もしかしたら、ただの人見知りだったのかもしれない。
 キローネはベッドで横になっていたが、急な客を笑顔で迎えてくれた。やはり熱があるのか、顔が少し火照ほてっていた。
「こんな時間に悪いわね」
「気にしないで、シュイ。ポロノシューのお遣いかしら?」
 忘れようとしていた男の名を出されて、シュイは力いっぱい否定した。
「知らないわよ、あんな男」
「そう」
 キローネは優しい笑みを浮かべる。見透みすかされているようで落ち着かない。
「一応、あたしの里の薬を持ってきたんだけど」
「薬?」
「あ…余ってたからさ。とってもよく効くから、よかったら飲んでみてよ」
「嬉しい。ありがとう」
 どこかの頭でっかちな医者と違い、キローネはシュイの差しだした粉薬を、ためらいなく服用した。
「怖くないの?」
 あまりにあっさり飲んだので、シュイは拍子抜けしてしまい、思わず訊いてしまった。
「何が?」
「なにって、その……あたしたちの薬なのよ?」
「でも、シュイたちが、いつも飲んでる物なんでしょ」
「そうだけど……」
 くもりのない笑顔で切り返されては、何も言えない。
「それに私、イェルフと話すの、初めてじゃないから」
「へえ」
 だから初めて会ったときも、そんなに驚いた様子は見せなかったのだ。
「ねえシュイ。あなた、人間のこと嫌い?」
 穏やかな声で、いきなり予想外の質問をされて、シュイは動揺した。
「あ…当たり前でしょ!」
「そう……」
「変なこと訊かないでよ」
「……確かに人間は、あなたたちにひどいことをしてるわ。だから恨む気持ちも判る」
「判ってくれて嬉しいわ」
「でも、ちゃんと話しあって、理解しあえば、何かが変わると思うの」
「……なに言ってんの?」
「どちらかが死ぬまで戦うなんて、ばかげてるわ」
「ちょっと待って。人間が一方的に襲ってきてるのよ」
「ええ、もちろん判ってる。だからまず、私たちが武器を収めなくちゃいけないわ。そしたら、ちゃんと話を聞いてくれる?」
「聞いてくれるって言われても……」
「お互いが冷静になれば、きっといい考えが浮かぶわ」
「そりゃそうかもしれないけどさ……」
「なんて、これ、ポロノシューの受け売りなんだけど」
「ポロノシューの?」
 あの無愛想な男が、そんなことを考えていたとは。
「だったら、さっきの態度はなんなのよ」
 こちらの厚意こういを、頭から拒絶したくせに。
 言っていることが矛盾むじゅんしているではないか。
 再び怒りが込み上げてきた。
「彼と何かあったの?」
「別に」
 ふて腐れたような言い方がおかしかったのか、キローネがくすりと笑みを浮かべた。
「なにがおかしいのよ」
 シュイは不機嫌な声で言い返した。
「ポロノシューのこと、判ってあげて」
 本当に、二人の間の出来事を知っているような口振りだ。
 それとも、顔に出ていたのだろうか。
 キローネと話していると、どうにもペースを乱される。
「でも」
 シュイは胸のなかで深い溜め息を吐く。
「一番あいつの気持ちを判ってないのは、ひょっとしたらキローネなんじゃないかしら」 
 目の前で無邪気に笑う女を、複雑な心持ちでシュイは見つめた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

晴明、異世界に転生する!

るう
ファンタジー
 穢れを祓うことができる一族として、帝国に認められているロルシー家。獣人や人妖を蔑視する人間界にあって、唯一爵位を賜った人妖一族だ。前世で最強人生を送ってきた安倍晴明は、このロルシー家、末の息子として生を受ける。成人の証である妖への転変もできず、未熟者の証明である灰色の髪のままの少年、それが安倍晴明の転生した姿だった。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

虐げられた私、ずっと一緒にいた精霊たちの王に愛される〜私が愛し子だなんて知りませんでした〜

ボタニカルseven
恋愛
「今までお世話になりました」 あぁ、これでやっとこの人たちから解放されるんだ。 「セレス様、行きましょう」 「ありがとう、リリ」 私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。 ある日精霊たちはいった。 「あの方が迎えに来る」 カクヨム/なろう様でも連載させていただいております

クラス転移したからクラスの奴に復讐します

wrath
ファンタジー
俺こと灞熾蘑 煌羈はクラスでいじめられていた。 ある日、突然クラスが光輝き俺のいる3年1組は異世界へと召喚されることになった。 だが、俺はそこへ転移する前に神様にお呼ばれし……。 クラスの奴らよりも強くなった俺はクラスの奴らに復讐します。 まだまだ未熟者なので誤字脱字が多いと思いますが長〜い目で見守ってください。 閑話の時系列がおかしいんじゃない?やこの漢字間違ってるよね?など、ところどころにおかしい点がありましたら気軽にコメントで教えてください。 追伸、 雫ストーリーを別で作りました。雫が亡くなる瞬間の心情や死んだ後の天国でのお話を書いてます。 気になった方は是非読んでみてください。

そしてふたりでワルツを

あっきコタロウ
恋愛
★第9回ネット小説大賞(なろうコン)二次選考通過作 どこか遠くに本当にある場所。オフィーリアという国での群像劇です。 本編:王道(定番)の古典恋愛風ストーリー。ちょっぴりダークメルヘン。ラストはハッピーエンドです。 外伝:本編の登場人物達が織りなす連作短編。むしろこちらが本番です。 シリアス、コメディ、ホラーに文学、ヒューマンドラマなどなど、ジャンルごった煮混沌系。 ■更新→外伝:別連載「劫波異相見聞録」と本作をあわせて年4回です。(2,5,8,11月末にどちらかを更新します) ■感想ページ閉じておりますが、下段のリンクからコメントできます。  検索用:そして二人でワルツを ※この作品は、他サイトにも投稿しています。

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします

Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。 相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。 現在、第三章フェレスト王国エルフ編

お前じゃないと、追い出されたが最強に成りました。ざまぁ~見ろ(笑)

いくみ
ファンタジー
お前じゃないと、追い出されたので楽しく復讐させて貰いますね。実は転生者で今世紀では貴族出身、前世の記憶が在る、今まで能力を隠して居たがもう我慢しなくて良いな、開き直った男が楽しくパーティーメンバーに復讐していく物語。 --------- 掲載は不定期になります。 追記 「ざまぁ」までがかなり時間が掛かります。 お知らせ カクヨム様でも掲載中です。

迷宮最深部から始まるグルメ探訪記

愛山雄町
ファンタジー
 四十二歳のフリーライター江戸川剛(えどがわつよし)は突然異世界に迷い込む。  そして、最初に見たものは漆黒の巨大な竜。  彼が迷い込んだのは迷宮の最深部、ラスボスである古代竜、エンシェントドラゴンの前だった。  しかし、竜は彼に襲い掛かることなく、静かにこう言った。 「我を倒せ。最大限の支援をする」と。  竜は剛がただの人間だと気づき、あらゆる手段を使って最強の戦士に作り上げていった。  一年の時を経て、剛の魔改造は完了する。  そして、竜は倒され、悲願が達成された。  ラスボスを倒した剛だったが、日本に帰るすべもなく、異世界での生活を余儀なくされる。  地上に出たものの、単調な食生活が一年間も続いたことから、彼は異常なまでに食に執着するようになっていた。その美酒と美食への飽くなき追及心は異世界人を呆れさせる。  魔王ですら土下座で命乞いするほどの力を手に入れた彼は、その力を持て余しながらも異世界生活を満喫する…… ■■■  基本的にはほのぼの系です。八話以降で、異世界グルメも出てくる予定ですが、筆者の嗜好により酒関係が多くなる可能性があります。 ■■■ 本編完結しました。番外編として、ジン・キタヤマの話を書いております。今後、本編の続編も書く予定です。 ■■■ アルファポリス様より、書籍化されることとなりました! 2021年3月23日発売です。 ■■■ 本編第三章の第三十六話につきましては、書籍版第1巻と一部が重複しております。

処理中です...