イェルフと心臓

チゲン

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第一部 イェルフと心臓

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「それ、どこで手に入れたの?」
 野営の場所を移した二人は、念のため火を熾さず、月明かりのみを頼りに、干し肉と干し果実だけの簡素な夕食を摂った。
 ウタイが食べている間も、ポロノシューは曲刀の手入れに余念がない。
「これは、ある商人からゆずってもらった」
「その前は?」
「知らん」
「ほんとなんでしょうね」
「信じる気がないなら、初めから聞くな」
「…………」
 嘘を吐いているようには見えない。もっとも元から表情が読めないので、正直なところ真偽しんぎの判断はつかなかった。
 ただ、丹念たんねんに手入れをしている様子からも、彼がこの曲刀を大切に扱っていることだけは見て取れた。
 そして、もうひとつ。この男が並の戦士ではないということも。
「イェルフの曲刀に不老不死も加わったら、ほんとに無敵よね」
 冗談めかし、自嘲じちょう気味に笑う。
 ポロノシューは作業の手を止めた。が、何も答えず、すぐに再開した。
 ウタイは気付いた。先程彼が左腕に受けたはずの矢傷が、ほとんどふさがっていることに。
「え……」
 ウタイは息を呑んだ。
「まさか……」
 確かに、矢が掠めていったはずだ。いくら何でも、こんな短時間であそこまで回復する訳がない。
「うそでしょ。ねえ、ちょっと……」
 ポロノシューは作業に没頭ぼっとうしているのか、聞こえないふりをしているのか、彼女の方を見向きもしない。
「答えなさいよ!」
 枝上しじょうで眠っていた鳥が、一羽二羽、その声に驚いて飛び去った。
 やはり答えは返ってこない。ウタイは舌打ちをすると、水筒のなかの水を一気に飲み干した。
「あんなの、おとぎ話に決まってる」
 ウタイは空になった水筒を放り投げると、その場に仰向けになって、木々の合間から夜空を望んだ。
 青や黄色の星が、いくつも浮かんでは瞬いた。
 果たして、南のイェルフ族の里まで無事に辿り着けるだろうか。今日も彼がいなければ、あの野伏たちに呆気あっけなく捕らわれていただろう。
 奴らは、執拗しつように追ってくる。
 ウタイは身震いした。
 孤立無援こりつむえん
 その事実が、大きく重く、のしかかってきた。
 頼れるものは、目の前にいるこの陰気で胡散臭うさんくさい男だけ。
「こいつ、何考えてるんだろう」
 危険をかえりみず、二度も追っ手から助けてくれた。さらに頼みもしないのに、薬や食糧まで分けてくれる。
 だが、だからといって迂闊うかつに信用はできない。野伏の一味ではないにしても、秘宝を狙っていると公言していたくらいだ。
 もしや、別の誰かに雇われているとか。
 あるいは、奴隷どれい商人にでも高く売りつける気か。
「……切りがないわね」
 思いつく限りの可能性を挙げてみるが、いずれも想像の域を出なかった。
 何にせよ、目的を知られてしまった以上、このまま放置しておく訳にはいかない。だったらいっそ……利用した方がいい。
「ねえ、わたしを護衛してくれない?」
 唐突とうとつに聞こえたのだろう。ポロノシューは怪訝な顔を向けた。
「南の里まで、わたしを守ってほしいの。もちろん、ただでとは言わないわ」
 なるべく余裕のある態度をよそおって、交渉にのぞもうとする。実際は、他人との交渉事などやったことも考えたこともない。
「…………」
 てっきり話に乗ってくるだろうと思いきや、ポロノシューはつまらなそうに、手元の曲刀に視線を戻した。
「ぐ……」
 怒りを飲み込む。
 喉をうるおして落ち着こうとしたら、水筒が空だったので余計に苛立った。
「ていうか、ここまでやっておいて、今更その反応はないでしょ!」
 あっさり限界が来た。
 人間相手に、譲歩じょうほした言い方のつもりだったのに。
報酬ほうしゅうはあるのか?」
 やっと乗ってきた。それでいい。
「無事に向こうに着いたら、ちゃんと払ったげるわ」
「そんな口約束が信用できるか」
「わたしを信用できないっていうの!?」
「無一文のくせに、偉そうなことを言うな」
「お金なら、向こうの長に借りるわよ」
「イェルフの長ともあろう者が、人間に支払うための金を用立ててくれると思うか?」
「それは……」
 図星だった。逆の立場なら、ウタイも拒否するだろう。
「里の場所を知っている人間を、素直に帰すとも思えんしな」
 それも充分有り得る話だ。
「でも……」
 ウタイは唇をむすんだ。
「お金は必ず払う。無事も保証する。約束は必ず守るわ。イェルフのほこりにけて」
 例えどんなにいけすかない相手でも、だまし裏切るような卑劣ひれつな真似だけはしたくない。それこそ人間と同じではないか。
「誇りは金にならん」
「ぐっ」
 言葉に詰まる。
「……だったら、どうして二回も助けてくれたのよ」
「成り行きだと言っただろう」
「嘘。絶対、何か隠してる」
 なおも食い下がるウタイを見て、ポロノシューが、子供のわがままに対するように肩をすくめた。
「確かに始めは、イェルフに恩を売っておけば、何か得をするかもしれないと思っていた」
「ほら、やっぱり」
 思った通りだ。人間が、損得勘定そんとくかんじょう抜きで誰かを助ける訳がない。
「だが、おまえに関わっていると、ろくなことがない」
「えっ?」
 にわかに雲行きが怪しくなってきた。
「これ以上はもう付きあってられん。後は、おまえたちで好きにやってくれ」
「わたしを見捨てるっていうの!?」
厄介事やっかいごとはたくさんだ」
「ちょ…ちょっと待ってよ……」
「しかも何の見返りもないというのに、自分を護衛しろだと? 何様のつもりだ」
「こいつ……」
 正体が露見ろけんした途端、開き直りやがった。
 引っぱたいてやろうか。
 だが彼の力は必要だ。
 例え欲望を剥きだしにした、いやしい人間でも。
「…………」
 もはや、手はひとつしかない。
 わたしは今、イェルフ族の禁忌きんきを犯そうとしている。
「お父様……お母様……」
 二人は、許してはくれないでしょうね。
「……わたしの里の、秘宝の隠し場所を教えてあげるわ」
 ぼそりと、ウタイは言った。
 消え入りそうに言ったのは、せめてもの抵抗だった。口にした後、右ひざを立て、その上に右ひじを乗せててのひらに顔をうずめた。
「その代わり、南の里には手を出さないで」
 涙声になっているのが判ったが、止められなかった。
 情けない。
 いくら同胞を救うためといえ、父や母、仲間たちが命を懸けて守ってきたものを、人間に渡さねばならないとは。
「最低だ」
 何もかも夢なら。
 ふと顔を上げたら、実は故郷の里にいて、父や母や友がいて、みんな楽しそうに笑っているなら。
 きっとこれは悪い夢。
 ねえ、早く覚めて。
 ウタイは顔を上げなかった。最後の希望まで失くしてしまいそうだったから。
「その言い方だと、秘宝はまだあいつらに奪われてないのか」
 顔をうずめたまま、小さく頷く。秘宝は、里から少し離れた場所に隠蔽いんぺいしてある。
「なるほど。だから連中は、おまえを追っているんだな」
「……隠し場所を知ってるのは、たぶんもう、わたしだけだろうし」
「だが、それだけでは足りんな」
「はァ!?」
 まさかの言葉に、ウタイは思わず顔を上げ、怒りの形相ぎょうそうでポロノシューを睨みつけた。
「本気で言ってんの?」
 イェルフ族の秘宝は、人間社会において、小さな国なら買えてしまうほどの高額で取り引きされていると聞いたことがある。
 それなのに、まだ足りないというのか。
 どこまで強欲なんだ。この恥ずべき人間は。
「何が欲しいのよ。はっきり言いなさいよ!」
「いいのか?」
「……どうせ、お金なんでしょ?」
「おまえの体だ」
「!」
 ウタイは硬直した。
「…………」
 頭のすみにはあった。だが、この男だけは違うと、なぜか勝手に思い込んでいた。
 それなのに。
 最後の糸が切れた気がした。
「いいわ」
 ひと呼吸置いてから、ウタイは承諾しょうだくした。
 もう、どうでもよかった。
 わたしはイェルフの誇りを売った。これ以上、失うものは何もない。
 服に手を掛けると、乱暴に脱ぎ捨てた。包帯をほどくと、あざと傷だらけの体があらわになった。
 若く瑞々みずみずしかった肌は、疲労と栄養不足のせいで、すっかりつやを失っている。
「こんな体で良ければ、いくらでもくれてやるわよ」
 上半身一糸まとわぬ姿になったウタイは、その場に横たわった。
「下はあなたが脱がせて。足、動かせないんだから」
 ポロノシューが無言で側に来て、何のためらいもなくウタイのズボンを下ろした。
「……!」
 ウタイは固く目を閉じ、拳を握りしめた。
「くそっ!」
 足の包帯が解かれていく。
 ウタイは待った。
「くそ……くそっ!」
 これから訪れるであろうものを、目を閉じ、歯を食い縛って待った。
「…………」
 しばらく、何も起きない。
「……?」
 恐る恐る目を開ける。
 ポロノシューが、薬と新しい包帯を用意しているところだった。
「えっ……」
 慌てて起き上がろうとしたが、ポロノシューに制された。
「おとなしくしていろ」
「あなた……」
 愕然がくぜんと、ポロノシューの顔を見つめる。その間も、彼は淡々とウタイの傷の具合をている。
「やはり傷の治りが遅いな」
「……もしかして、始めからそのつもりだったの?」
「何か期待していたのか?」
「ば…ばかっ」
 ウタイは頬を赤らめた。
「勘違いしているようだが、怪我人を抱くほど趣味は悪くない。それに、おまえの裸など、初めに治療したときに嫌というほどおがんでいるからな」
「……!」
 よく考えれば当然だ。
「まあ、どうしてもというなら、無事目的地に着いた後でいただくとしよう」
 そんなことを真顔で言われた。
 顔から火が出るとは、このことだ。
「ンンーっ!」
 ウタイは、じたばたとその場でもがいた。
 何でもいいから、いやできればこの男を、死ぬほど殴ってやりたかった。
「動くなと言っているだろう」
「うう……」
 薬を塗り、包帯を巻くと、ポロノシューは服を着せてくれた。
 その夜はそれきり言葉を交わさずけた。
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