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第七幕 交錯するモノたちへ
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女は土に埋められた。
「また一人、あの戦を知る者がいなくなった」
埋葬に立ち会った老人は、虚ろな目をして呟き去っていった。
昨日、酒場でセカイを睨みつけた男が脇に立った。
「あんた、彼女の知りあいだったのか?」
「違うわ」
「そうか……でも礼を言うよ」
「なぜ?」
「最期を看取ってくれたからさ。彼女の、あんな穏やかな顔は……ここに来てから一度も見たことがなかったからな」
「そう……」
「信じられるかい、俺よりひとつ若いんだぜ。それなのに、あんなにやつれちまって……」
男は四十代半ばくらいか。この男も疲れた目をしている。
「グルセンダにいた頃は、評判の歌姫だったんだ。それがあの戦のせいで、息子と生き別れになっちまって……それからずっと、独りで生きてきたんだよ」
「やっぱり坊やがいたのね。でも生き別れってことは、息子は生きてるの?」
「ああ。旦那が引き取ってったらしい」
「……何でいっしょに暮らさなかったの?」
「色々、不幸な行き違いがあったんだよ」
男は辛そうな声で語った。
「戦場から避難してる途中で、彼女と息子はバラバラになっちまってな。その後いくら探しても見付からねえし……死んだと思い込んじまってたのさ」
まさに、戦の混乱が生んだ悲劇だった。
「でも実際には息子は死んでなかった。父親、つまり彼女の旦那に保護されてたのさ。で、旦那の方も母親は死んだと勘違いしたんだろうな」
ろくに調べもしないで、息子を連れてグルセンダから去っていったという。
「全てが判ったときにゃあ、もう手が届かないほど遠くへ行っちまってたって訳だ」
「でもそれなら……会いにいくなり、手紙で報せるなりすれば良かったじゃない」
「ああ、俺もそう言ったよ。でも彼女はそうしなかった」
「なぜ?」
「その旦那ってのがレイグリオの騎士になって、ついでに貴族の嫁さんまで貰っちまったって聞いたからさ」
「え……」
「のこのこ出ていったって、向こうさんが困るだけ。幸い息子は元気で幸せに暮らしてるみてえだし、貧乏暮らしをさせるくらいならって……身を引いたんだよ。可哀想に」
セカイが息を呑んだ。
「……その旦那って、どんな人だったの?」
「流れの傭兵さ。昔からちょくちょくグルセンダにも来てて、それで彼女とも知りあったんだろう。まあ向こうさんにしてみりゃ、現地妻みてえなもんだったのかもしれねえけどよ」
「傭兵……」
「聞いた話だと、伝説級のすげえ強え竜剣使いだったらしいぜ。魔女を倒せたのも、そいつのおかげだって話だ」
「!」
セカイの表情が強張る。
「その……引き取られた息子の名前は?」
「忘れちまったよ。もう十何年も前の話だしよ」
セカイの唇が微かに震えているように見え、男は怪訝に思った。だが仲間に呼ばれ、その場を後にした。
しばらく、セカイは真新しい墓の前で立ち尽くしていた。
女の笑み。
懐かしい温もり。
まさか……。
「お嬢様!」
不意に聞き慣れた声が、セカイの耳朶を打った。
「……!」
振り向くと、彼が立っていた。
夢ではない。
「ミラ…ン……?」
息を切らして、ミランはそこに立っていた。
「何で……」
「お探ししました」
ミランが安堵の微笑を浮かべる。
あまりにも知っていて、懐かしくて……その笑みは棘のようにセカイを突き刺した。
「何で今なのよ……」
セカイは唇を噛んだ。
「酒場で話を聞いたら、こちらの方に向かったと聞いたもので……お嬢様?」
突然、セカイがきびすを返して駆けだした。
「お嬢様、お待ちください。私の話を聞いてください!」
戸惑いつつも、後を追って駆けだすミラン。
だがセカイは一件のあばら家に飛び込むと、なかから鍵を掛けてしまった。
「ちょっと待っ……」
ミランは勢いよく戸を叩いた。
「お嬢様、出てきてください。ここを開けてください!」
だが、戸の向こうからは何の返事もない。
「お嬢様!」
住人たちが、戸の陰や窓からこちらの様子を不審げに窺っている。
あまり目立ちたくない。ミランは、ひとまず身を引いた。
「…………」
それにしても、見れば見るほど粗末な家だ。この戸も、その気になれば力ずくでぶち破れるだろう。
「誰も住んでないのか?」
もし家のなかに住人がいたら、突然飛び込んできたセカイに驚いて、何かしら反応しそうなものだが。
そのとき、戸の向こう側に人の立つ気配がした。
「お嬢様?」
「…………」
沈黙は肯定を意味する。
「お嬢様……開けてください。せめて話だけでも」
「どうして来たの、ミラン」
「それは私の台詞です。どうして黙って出ていったりしたんですか?」
「あなたには関係ないことよ」
「奥様がどんなに心配してることか……」
「大きなお世話だわ。もうあの人とは、縁を切ったんだし」
「いいえ。お嬢様と奥様は、紛れもない家族です」
「家族……」
女の顔が浮かぶ。
この家で、今朝まで生きていた女の、優しい笑みが。
「若君も心配してます。すぐにお戻り下さい」
「……戻る場所なんてない」
「とにかく、ちゃんと奥様と話を……」
「今更、何を話すの? 自分の都合だけで、勝手にわたしとお父様を捨てたくせに」
「それは……」
ミランは黙らざるを得なかった。
薄く、雷鳴が鳴った。
黒雲が、しだいに町を覆い始めていた。
「また一人、あの戦を知る者がいなくなった」
埋葬に立ち会った老人は、虚ろな目をして呟き去っていった。
昨日、酒場でセカイを睨みつけた男が脇に立った。
「あんた、彼女の知りあいだったのか?」
「違うわ」
「そうか……でも礼を言うよ」
「なぜ?」
「最期を看取ってくれたからさ。彼女の、あんな穏やかな顔は……ここに来てから一度も見たことがなかったからな」
「そう……」
「信じられるかい、俺よりひとつ若いんだぜ。それなのに、あんなにやつれちまって……」
男は四十代半ばくらいか。この男も疲れた目をしている。
「グルセンダにいた頃は、評判の歌姫だったんだ。それがあの戦のせいで、息子と生き別れになっちまって……それからずっと、独りで生きてきたんだよ」
「やっぱり坊やがいたのね。でも生き別れってことは、息子は生きてるの?」
「ああ。旦那が引き取ってったらしい」
「……何でいっしょに暮らさなかったの?」
「色々、不幸な行き違いがあったんだよ」
男は辛そうな声で語った。
「戦場から避難してる途中で、彼女と息子はバラバラになっちまってな。その後いくら探しても見付からねえし……死んだと思い込んじまってたのさ」
まさに、戦の混乱が生んだ悲劇だった。
「でも実際には息子は死んでなかった。父親、つまり彼女の旦那に保護されてたのさ。で、旦那の方も母親は死んだと勘違いしたんだろうな」
ろくに調べもしないで、息子を連れてグルセンダから去っていったという。
「全てが判ったときにゃあ、もう手が届かないほど遠くへ行っちまってたって訳だ」
「でもそれなら……会いにいくなり、手紙で報せるなりすれば良かったじゃない」
「ああ、俺もそう言ったよ。でも彼女はそうしなかった」
「なぜ?」
「その旦那ってのがレイグリオの騎士になって、ついでに貴族の嫁さんまで貰っちまったって聞いたからさ」
「え……」
「のこのこ出ていったって、向こうさんが困るだけ。幸い息子は元気で幸せに暮らしてるみてえだし、貧乏暮らしをさせるくらいならって……身を引いたんだよ。可哀想に」
セカイが息を呑んだ。
「……その旦那って、どんな人だったの?」
「流れの傭兵さ。昔からちょくちょくグルセンダにも来てて、それで彼女とも知りあったんだろう。まあ向こうさんにしてみりゃ、現地妻みてえなもんだったのかもしれねえけどよ」
「傭兵……」
「聞いた話だと、伝説級のすげえ強え竜剣使いだったらしいぜ。魔女を倒せたのも、そいつのおかげだって話だ」
「!」
セカイの表情が強張る。
「その……引き取られた息子の名前は?」
「忘れちまったよ。もう十何年も前の話だしよ」
セカイの唇が微かに震えているように見え、男は怪訝に思った。だが仲間に呼ばれ、その場を後にした。
しばらく、セカイは真新しい墓の前で立ち尽くしていた。
女の笑み。
懐かしい温もり。
まさか……。
「お嬢様!」
不意に聞き慣れた声が、セカイの耳朶を打った。
「……!」
振り向くと、彼が立っていた。
夢ではない。
「ミラ…ン……?」
息を切らして、ミランはそこに立っていた。
「何で……」
「お探ししました」
ミランが安堵の微笑を浮かべる。
あまりにも知っていて、懐かしくて……その笑みは棘のようにセカイを突き刺した。
「何で今なのよ……」
セカイは唇を噛んだ。
「酒場で話を聞いたら、こちらの方に向かったと聞いたもので……お嬢様?」
突然、セカイがきびすを返して駆けだした。
「お嬢様、お待ちください。私の話を聞いてください!」
戸惑いつつも、後を追って駆けだすミラン。
だがセカイは一件のあばら家に飛び込むと、なかから鍵を掛けてしまった。
「ちょっと待っ……」
ミランは勢いよく戸を叩いた。
「お嬢様、出てきてください。ここを開けてください!」
だが、戸の向こうからは何の返事もない。
「お嬢様!」
住人たちが、戸の陰や窓からこちらの様子を不審げに窺っている。
あまり目立ちたくない。ミランは、ひとまず身を引いた。
「…………」
それにしても、見れば見るほど粗末な家だ。この戸も、その気になれば力ずくでぶち破れるだろう。
「誰も住んでないのか?」
もし家のなかに住人がいたら、突然飛び込んできたセカイに驚いて、何かしら反応しそうなものだが。
そのとき、戸の向こう側に人の立つ気配がした。
「お嬢様?」
「…………」
沈黙は肯定を意味する。
「お嬢様……開けてください。せめて話だけでも」
「どうして来たの、ミラン」
「それは私の台詞です。どうして黙って出ていったりしたんですか?」
「あなたには関係ないことよ」
「奥様がどんなに心配してることか……」
「大きなお世話だわ。もうあの人とは、縁を切ったんだし」
「いいえ。お嬢様と奥様は、紛れもない家族です」
「家族……」
女の顔が浮かぶ。
この家で、今朝まで生きていた女の、優しい笑みが。
「若君も心配してます。すぐにお戻り下さい」
「……戻る場所なんてない」
「とにかく、ちゃんと奥様と話を……」
「今更、何を話すの? 自分の都合だけで、勝手にわたしとお父様を捨てたくせに」
「それは……」
ミランは黙らざるを得なかった。
薄く、雷鳴が鳴った。
黒雲が、しだいに町を覆い始めていた。
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