竜剣《タルカ》

チゲン

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第四幕 霧のなか

3頁

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 ありえない。道に迷う訳がない。
 なぜなら、一本道なのだから。
 ミランは何度目かの困惑を覚えた。
 セカイもデルーシャも、ぐずってばかりいた五歳のオリエスも、黙々と歩いている。もはや、泣く気力もないのだろう。
 先程から、同じ景色のなかを堂々巡どうどうめぐりしている気がする。
 乱立する樹木のうず
 濃くなるばかりの霧。
 どこまでも続く下山道。
 休息を挟みつつ、もう二時間以上は歩いていた。計算通りなら、とっくに麓の町に着いているはずだ。
 だが周囲の情景は、一向に変わらない。
「迷う訳がない」
 馬車も通れるような、緩い峠道なのである。遭難そうなんする方が難しい。
 何か違和感を感じる。
「まさか、また魔女の……?」
「ねえミラン、ちょっと待って」
 デルーシャに呼び止められ、自分が早足になっていることに気付いた。
 振り向くと、オリエスが道の真ん中でしゃがみ込んでいた。デルーシャがなだめているが、むずがるばかりで、かたくなに立ち上がろうとしない。
 無理もない。まだ五歳の子供なのだ。宥めるデルーシャにしても、疲労の色が濃い。
「立ちなさい」
 セカイが、母子の前に立ちはだかった。
「この程度で根を上げてどうするの」
 オリエスが怯え、母の胸にしがみついた。
「セカイ、許してあげて。まだ子供なんだし……」
 デルーシャが、哀願あいがんするような目で、血を分けた娘を見上げた。
「ずいぶん甘やかしてるのね」
 セカイはそう言って、鼻で笑った。
 そのやりとりを複雑な顔で見ていたミランだったが、霧の隙間すきまに建物の影が映った。
 小屋だ。細い脇道の先に、小さな山小屋がある。
「とりあえず、あそこで休みましょう」
 険悪な雰囲気を払うように、ミランはなるだけ明るい口調で提案した。
 だが、その声はむなしく響くのみ。
「何で私がこんな役を……」
 ミランは背嚢はいのうを一旦下ろすと、オリエスの前に背を向けてかがみ込んだ。
「どうぞ」
 オリエスが、不安そうにデルーシャの顔色を窺う。デルーシャが頷くと、おずおずとミランの背に覆いかぶさった。
 立ち上がるついでに、足元の背嚢に手を伸ばそうとしたら、セカイが代わりに持ってくれた。
「ありがとうございます」
「貴重な食糧を落とされでもしたらかなわないから」
「……そうですね」
 先が思いやられる。
 人知れず嘆きながら歩いているうちに、小屋に辿り着いた。
 小屋のなかは質素だったが、小奇麗に整頓せいとんされていた。ちょくちょく利用されているのだろう。
「ここでしばらく様子を見るか」
 ミランは、すみに積んであった毛布をデルーシャ母子に配った。暖炉だんろもあるが、襲撃者に発見される恐れがあるため、火をおこすことはできない。
 オリエスはよほど疲労が溜まっていたらしく、毛布にくるまると、あっという間に眠りに落ちた。デルーシャは、そんな我が子の頭をいとおしげに撫でている。
 ミランは彼女に、干し肉と干し果実を差しだした。
「奥様だけでも、今のうちに」
「あ…ありがとう……」
 礼を言ったものの、デルーシャは明らかに困惑していた。
 彼女は生まれも育ちも貴族の令嬢れいじょう、すなわち生粋きっすいの箱入り娘だ。生まれてこの方、こんな貧相な食べ物など見たこともなかったのだろう。
「……できれば食べておいてください」
 保存ができて栄養価も高いため、定番の旅メシなのだが。
「食べないなら返して。元々ミランの分なんだから」
 横合いから、セカイが冷たく言い放った。そういう彼女は、しっかり自分の干し肉を噛みしめている。
「ミランの?」
 デルーシャが戸惑い気味の顔を、ミランに向ける。
「私のことは、おかまいなく。まだ食糧には余裕がありますから」
「じゃあ、わたしに頂戴ちょうだい
「……お嬢様」
「だって、食べないんでしょ?」
 セカイの冷たい視線を受けて、デルーシャは唾を飲んだ。
「頂くわ」
 干し肉を手に取って、鼻に近付ける。だが強烈な匂いに顔をしかめ、慌てて手放した。
 その音で、眠っていたオリエスが目を覚ました。
「干し果実の方なら、そんなにクセはないかと」
「そうね……」
 今度は慎重しんちょうに干し果実の匂いをぎ、目をつぶって、端にかじりついた。
 時間をかけて噛み、ようやく飲み下すと、ほっと肩の力を抜く。
 どうやら、いけるらしい。ちぎってオリエスに手渡してやると、彼も初めての味に戸惑いながら咀嚼そしゃくした。
 二人とも、余程空腹だったのだろう。結局、干し果実は残らず平らげてしまった。
「あんなに嫌がってたくせに、現金なものね」
 セカイが皮肉を忘れない。
「あの、お嬢様……よろしければ、こちらもどうぞ」
 ミランが、デルーシャたちが残した干し肉をセカイに差しだした。
「いらないわ。あんまり美味しくないし」
「……そうですか」
 食べ物でご機嫌が取れないなら、もう他に打つ手はない。
 セカイのことは一旦諦め、ミランは小屋の窓から表の様子を窺った。
 あいかわらず霧が濃い。だが追っ手が迫っている気配はなかった。
「奥様、事情を窺ってもよろしいでしょうか」
「事情?」
「あの連中に、心当たりがあるのでは?」
「それは……」
 デルーシャは言葉に詰まった。
「この辺りに野盗が出るなんて話は聞いてません。要人が訪れることもあるので、治安にも力を注いでるはずなんです」
 つまり母子は、野盗の類いではなく、別の組織に襲われたことになる。
 ミランは振り向いた。
 オリエスは、再び母のひざで眠っている。
「ええと……」
 デルーシャが、横目でセカイの様子を窺う。
「話したくないなら、わたしたちは先に行かせてもらうわよ」
 左手で、ふところに隠したままの右腕をさすりながら、セカイがまた冷たく言い放った。
 デルーシャは覚悟を決めたのか、視線を落としながらも、経緯いきさつを語りだした。
「私は、あの人と離縁りえんした後、すぐにマシカウス家に嫁ぎました」
 セカイが、左手で右腕を強く握った。
「そしてこの子が産まれたの」
 デルーシャが、眠る我が子を優しげな目で見つめる。
 たぶんセカイは、見て見ぬふりをしている。
「マシカウス家は由緒ゆいしょ正しい家系だけど……敵も多いところなのよ」
めごとですか」
「ええ。去年から、隣の領主と、領地の境界線のことで争っているの。境界付近では、小競りあいも起きているようで……」
 レイグリオ国は封建ほうけん制で、基本的に地方自治である。
 領地の境界線争いなど日常茶飯事だった。
 こういったいさかいは、もっぱら当事者同士で話しあって解決していた。ただし、どうしても折りあいがつかない場合は、中央に裁定をゆだねることもある。
 だが、もし裁判となると余計な手間や時間……何より、根回しのために莫大ばくだい金子きんすを費やさなければならない。
「すると相手の領主は、奥様と若君を人質にしようとしてるんですね」
 妻と息子を誘拐し、その命と引き換えに、手っ取り早く領地を奪取しようという算段なのだろう。
「以前にも、何度かさらわれかけたことがありました。ですから夫は、私とこの子を別荘に避難させることにしたのです」
「しかしその道中で、奴らに襲われたと」
「まさか、こんなに早く居場所を知られてしまうとは……」
「それだけ向こうも必死なんでしょう」
 相手も、危ない橋を渡っていることは承知の上だ。
「とにかく、今日はここで様子を窺った方が良さそうですね」
 幸か不幸か、この濃霧なら、敵も動きが取れないはずだ。
「ここに……泊まるのですか?」
 デルーシャが、恐る恐る聞き返してきた。
 彼女が何を言いたいのか、手に取るように判る。このような下賎げせんの山小屋に宿泊するなど、やんごとなき家柄の貴婦人には耐え難いのだろう。
「明日になれば霧も晴れるでしょう。そしたら麓の町まで下りて、助けを呼ぶことができます。それまでの辛抱しんぼうです」
「……判りました」
「よろしいですよね、お嬢様?」
 セカイから返事はない。まるでミランの代わりと言いたげに、小屋の窓から表の様子を窺っている。
 漫然まんぜんと、その目には草木が映っているだけだった。
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