黒豹陛下の溺愛生活

月城雪華

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Prologue ★

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 ぼんやりと薄暗い部屋には、国の中でも美しい調度品の数々が飾られている。

 本来ならば目で見て楽しむものに、そちらに視線の一つ寄越すこともできなかった。

「や、ぁ……」

 調度品の飾られている棚からほど近い寝台の上では、アレンが甘く喘ぐ声がひっきりなしに上がる。

「レオ、レオ……も、やめ」

 アレンは弱々しく首を振った。

 自身の胸に埋まる顔が緩やかに動き、アレンの慎ましく主張する飾りを赤い舌先が弄んでいる。

 ザラザラとしたそれは少しの痛みもあるが、むず痒いような形容し難い感覚があった。

 時に優しく吸われたかと思えば甘く噛まれ、びくりと小さく身体が跳ねる。

 けれど、それ以上の強い快感はやってこなかった。

 先程からもどかしい愛撫を与えられてばかりで、気がおかしくなりそうだというのに。

「──駄目だ」

 ふと顔を上げられ、黒曜石に似た瞳と視線が交わる。

「お前がいいって言うまで、ずっとこのままだ。……嫌だろう? なら、俺の伴侶になると言うんだ」

 男──レオはそっとアレンの頬に触れ、指先で目尻を拭う。

 涙は流れていないものの、触れられた場所が異様に熱かった。

「なん、で……勝手に、決める……なっ」

 口を開く度、甘さを含んだ声が知らず出てしまう。

 それもこれも、連日の『お遊び』でアレンの身体は作り替えられてしまったからなのだが。

「勝手にもなるさ。──俺はこの国の王なんだから」

「っ、え……?」

 何を言われたのか理解するのが遅れた。

 アレンがぱちくりと目を瞬かせていると、レオはふっと小さく笑う。

 それと同時に己のふっさりとした尻尾に、艶やかで長い尾が絡み付いた。

「ふ、ぁ……!?」

 器用に付け根をきゅうと柔らかく握られ、一際高い声が漏れる。

 ぞくりとした愉悦が背中に走り、アレンはいやいやをするように何度も身体をよじった。

 しかし快感を逃がすにはあまりにも微弱な抵抗で、加えてレオの手が逃げる事を阻んでいるため、アレンは甘い責め苦を享受するしかできない。

「……でも好きな奴を泣かせたとあっちゃあ、王の風上にもおけないだろう? だから、お前には俺を好きになってもらう」

 低く艶を帯びた、しかしどこか逆らえない声音に知らず耳が下がる。

 それにレオが何を言っているのか分からず、次第に恐怖が強くなっていく。

「それまではここから出ちゃ駄目だ。お前の母親を殺した奴なら俺が探すし、見つかったら一番に報告する。だから」

 そこでレオは言葉を切ると、ゆっくりと肌に手を這わせながら言った。

「俺の伴侶になるって言ってくれ……アレン」

 熱い手の平の温度に、艶やかな甘い声に、ほだされそうになってしまう。

「や、だ」

 ふるふると首を振って拒否すると、レオの瞳が剣呑な色を帯びる。

「ひ、っぁ……!」

 ぐいと強い力で腰を摑まれ、熱いものが狭い中をこじ開けていく感覚に、アレンは短く息を詰める。

(なんで、おれ……こんなの、レオじゃ……ない)

 今居る部屋に半ば強制的に入れられ、数日。

 小さな窓から見える景色は暗く、今が夜だと思わせる。

 どうしてこんな事になってしまったのか、と自身を恨まずにはいられない。

 このまま舌を噛みちぎってしまえたらどんなに楽か、と何度も思った。

 しかしアレンが行動するより前にレオの熱い唇で塞がれてしまうため、死のうにも死ねないのがもどかしい。

 母をほふった獣人探すために一人街に出てきたというのに、このままでは死んでいった母──アンナに合わせる顔がなかった。

「アレン」

「ん、ぅ……」

 ふと名を呼ばれ、無意識に閉じていた瞳を開くとレオの唇が降ってくる。

 すぐに熱くざらついた舌が割り入れられ、アレンは必死にそれを奥に引っ込める。

 けれど奥にいくほど熱く舌を絡められ、尻尾に絡み付く強さもわずかに強くなる。

「ふ、ん……ぁ、ぅ」

 心では拒絶しているのに、甘い快楽には逆らえない。

 アレンは緩く、時に激しく揺さぶられながら、今日もこの男の下で喘ぐしかなかった。



 ◆◆◆
 

 
 ざぁざぁと大粒の雨が降りしきり、硬い石畳を濡らす。

 満足に補填がされておらず、加えて視界の悪い中でアレンは背中に一筋、雨ではない冷たい汗が流れ落ちていくのを感じた。

(まずい、これじゃ何も見えない)

 自身の手の平ほどの小さな紙切れに、空から降ってくる慈雨がじんわりと滲んでいく。

 そこにはつたない文字で『都市にいる』とだけが走り書きされていた。

 都に来る道中、ある人物の情報を幼い子どもから聞き、その子どもが書いてくれたものだった。

 しかし、段々と強くなる雨足にアレンの身体は冷えきっている。

 これでは情報を貰った都には辿り着けず、このまま体力だけが刻一刻と奪われてしまうのも時間の問題だ。

(どこか雨を凌げる場所は……)

 アレンの胸の内には、知らずのうちに焦りが見え隠れしていた。

 その心に呼応するかのように、曇天どんてんに似た色の尻尾が下がる。

 どちらにしろ、こうも強雨が降りしきると満足を周りに見られない。

 どこかに手近な建物はないか、アレンは雨に濡れた瞼を懸命に瞬かせた。

 長い時間歩いてきたが、ここまで強い雨では皆が皆雨戸を締めて明かりを消しているからか、仄暗い闇がアレンの視界を埋め尽くしていた。

 きょろきょろと辺りを見回しつつ歩を進め、しかし内心は焦りでいっぱいだった。

 アレンは己の意志で昼夜問わず懸命に歩き通し、やっと都市部までやってきたのだ。

 ただ、しっかりとした身分のない浮浪者は、正式な場所で手続きをしなければならない。

 もっともアレンが力尽きてどこかで倒れてしまえば、それこそこの国の法律で裁かれてしまう事も十二分に有り得た。

 ここはアルトワナ公国──肉食系獣人が治める国。

 元は草食系獣人が古来より治めていたが、百年前の紛争で国が二分されたといわれている。

 果たして圧倒的な力の差を見せつけ、公国軍が勝利した。

 今でこそ栄えているが、アレンの歩くこの道も紛争地帯となっていたのだ。

 しかし、ほんの十年前も似たような争いが起きた。

 現公国がおこる前──ロドリネス王国に仕える老臣達が、『やはりアルトワナの者どもの好きにはさせておけない』と奮起し、王国側から宣戦布告を突き付けたのだ。

 最初こそ公国側は不戦的な態度を示して見せた。

 だが、『百年前の争いを蒸し返すとは何事か』という公国側の票が多く、結局のところ政治的制裁を王国側に掛け、一度は終息をみせた。

 アレンは煌びやかな都とは程遠い、草食系獣人が集うスラム街で生まれ育った。

 しかしアレンはその中でも異質な、オオカミの獣人だ。

 本来なら肉食系獣人は草食系獣人に恐れられる存在だが、スラムの者たちは快く受け入れてくれた。

 母と共に二人、食うに事欠く生活が十八年続いた。

 しかし、どんなに苦しくとも手を取り励まし合える仲間らが居た事で、アレンの日々は小さな幸せで溢れていた。

 ──つい最近までは。

 すべてが変わってしまったのは、母であるアンナが何者かに襲われてから。そして、まもなく死んでいった。

 元々スラム街には医者がいない。仮に居たとしても、高い金を払わなければアレン達にほどこしてはくれなかった。

 まして肉食系獣人はアレンと母のみで、少しスラム街を出れば奇異の目で見られてしまう。

 そんな場所に居を構えたせいか、ただ運が悪かっただけなのか、今となっては分からない。

 けれど最愛の母が死に、アレンは本当の意味で天涯孤独の身となってしまったのだ。

 スラム街の仲間達は、表面上は気丈に振る舞うアレンを見かねてか、ひそかに母を襲った獣人の情報を集めてくれていた。

 黒い耳を持ち、身長が高かった。

 薄汚れた服装に加え、脚の速い男だった。

 走り去っていく時、尖った牙を見た。

 様々な情報を照らし合わせ、肉食系獣人だと予想した。

 しかし、黒い耳を持つ獣人はスラム街にはいない。

 皆が皆とまではいかないが、走ることに特化した獣人はほぼいないと言ってもいい。貧相で栄養が足りず、いつも腹を空かせている者がほとんどだからだ。

 生き抜く為にと、最後の力を振り絞って仲間を襲うなど本来であれば重罪だ。

 元来、スラム街に住む獣人はその生態系から、穏やかで心優しい者が多い。

 そんな仲間たちを詰問しようとした自分が恥ずかしくもあり、惨めとさえ感じた。

 結果的に自責の念から、アレンは一人スラム街を飛び出して今に至る。

 建前は『母を襲った犯人を見つけ出す』ということにし、都に出てきて数日になるだろうか。

(何か、何か……食べたい)

 何日もろくに食べていないから腹が空いているし、かと言って無一文なため食べ物さえ買えなかった。

 そして現在、やっと都市部へ着いたかと思えば不意に降った大雨に見舞われている。

「あ……」

 ふらつきながら気力を振り絞って歩を進めていると、建物に淡い明かりがついていた。

 扉の左側には樽が積まれており、雨の中でも分かるほど微かな酒の匂いが漂っている。

 板に何か字のようなものが書かれているようだが、読めない。

 スラム街に生まれた子ども達はアレン同様、勉学する金が無かったからだ。

 けれどアレンの直感が『食べ物がある』と言っていた。

 明るく温かな光に吸い寄せられるように、店らしき建物の扉を開ける。

 外は雨が降りしきり、ますます強くなっていた。

 ここまで歩いてきた脚も、僅かに残った気力ももう限界だった。

「ギャハハ!」

「ほらもっと飲め、もっとだ!」

「どうした、もう終わりかぁ? まだ飲めるだろ、ほれ!」

「おい、こっちにも酒を──」

(なんだ、ここは……)

 しかし扉を開けた先は、あまりにも下卑た笑い声と異様な熱気に包まれ、アレンは疲労感も忘れてしばらくその場に立ち竦んだ。

 肉食系獣人がそこかしこで談笑しており、時折ガラスの割れる音が響き渡る。

 入る店を間違えたのか、そこらに酒樽や食べ物が散乱しており、それも相まってどんよりとした腐臭が漂っている。

「いらっしゃ──お、見ない顔だな。どこのもんだ」

 店主らしき大きな白い耳を持った男がアレンに気付き、いぶかしげに問い掛ける。

「どこ、の……?」

 何を聞かれたのか理解しようとするものの、寒さでかじかんだ身体は、手足だけでなく頭を動かすことすら止めてしまったようだ。

「おいおい、まずはずぶ濡れの奴を放っとく方がどうかしてるだろ。素性なんか後だ、後」

 アレンがどう答えようか迷っているうちに、背後からぽんと肩を摑まれた。

 霞む頭の中、ゆっくりと振り向くと長身の獣人がこちらを見下ろしている。

「手拭いを用意させるから座ってろ。──ほら」

「っ」

 手近にあった椅子に座るよう示され、アレンは図らずも面食らう。

 今の自分はきっとずぶ濡れなだけでなく、薄汚れているだろう。

 加えて都へ来るまでに水浴びをしていないから、臭いもしているはずなのだ。

「座っておけ。見たところ旅か何かだろう、歩き疲れてるんじゃないのか」

 アレンの心の内を見透かしたかのように、男は半ば無理矢理椅子に座らせようとしてくる。

「いや、大丈夫で──っ!」

 首を振ってこばむよりも早く、不意にがくりと膝をつく。

 遅れてやってきた脱力感に、何が起こったのかアレンは理解出来なかった。

 知らずのうちに酷使されていたであろう身体は、指一本たりとも動かせない。

(あ、れ……おれ、なんで)

 焦点が合わなくなると同時に、建物の中の獣人らの視線が自分に向けられるのが分かった。

「持ってきたぞ──って、大丈夫か!?」

 店主らしき男の声がして、バタバタと複数の足音も聞こえてくる。

 周囲はすぐに騒がしくなったが、そんな中でも男が静かに膝をつく気配がした。

「立てるか」

 手を差し出されているのに、その手を取って摑まる事すら今のアレンには出来ない。

 意思に反して身体が重く、言うことを聞いてくれないのだ。

「ぅ、あ……」

 何かを言いたいのに、声を出すことすら今のアレンには億劫極まりない。

 手を借りなくてもいいと頭ではわかっているものの、思考と身体は食い違っているらしかった。

「レオ──が、連れ──くから」

 誰かが名前を呼ぶ声が聞こえ、同時に浮遊感に襲われる。

 冷たく、ほのかに酒の臭いがする床から抱き上げられたのだと霞む思考の中で理解する。

 じんわりとした温もりが身体を包み込み、それも相まってかアレンはゆっくりと目を閉じた。

 ずっと張り詰めていた神経も、身体も何もかもが弛緩していく。

「大丈夫だからな」

 優しく柔らかな声が頭上から降り、アレンの意識は深く暗い泥の中に沈んでいった。
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