【R-18】凛と咲き誇る花よ、誠の下に咲く華よ ー幕末異聞譚ー

月城雪華

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嘉永六年(1853)、春

この先に願う事 参

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 もう大丈夫だろうという土方のお墨付きを貰う頃には、辺りはとっぷりと闇が広がっていた。
 月以外では唯一の灯りである提灯を横目に、蒼馬と手を繋いで家までの道を歩く。

「本当に肝が冷えたんだからな。暫くは俺がいない時に出歩くな──ってのは言い過ぎか。それとなく夜鷹よだかの人間を……」

 ぶつぶつと一人で今後の事を考えている蒼馬に、凛はやや呆れてしまう。

(こればかりは私も悪いから反省しているけれど、何もそこまでしなくても)

 夜鷹とは、幼馴染みであり従兄弟でもある朱玄が属する組織の名前だった。
 依頼があればどんな悪事もうけたまわる、と一部の人間から信頼を置かれている。

 しかし、朱玄の父──有楽が若い頃、全ての人間を解雇させたらしかった。
 江戸において、お上の許可なく組織を結成する事は頂かれぬ事であり、最悪は斬首刑に処される場合もあると聞く。

 実情は分からないが、一度は解散させたであろう夜鷹が再結成した事を蒼馬はどこかで知り、ひっそりと依頼をしているのだろう。

(朱玄さん……)

 燃え盛る火のような髪に、それ以上の闘志を瞳に宿した男。
 蒼馬以上に気さくに話してくれ、凛自身も朱玄に懐いていたように思う。

 京で戦が起こって以後は夜鷹の者達を含めて消息不明となったが、無事に生きてくれているのだろうか。
 それを知る為にも、凛はなんとしても生き抜かなければならなかった。

「凛」

 不意に蒼馬が手の平に力を込め、小さく凛の名を呼んだ。

「はい?」

 きょとんと首を傾け、蒼馬を見上げる。
 月明かりが蒼馬の艶のある黒髪を柔らかく照らし、さも輝いて見えた。

「疲れてるならおぶってやろうか?」
「だ、大丈夫です! 自分で歩けます」

 こちらを気遣ってくれるのは有難いが、凛とて自分の体調くらい分かる。

 この身体はまだ子供だが、目覚めて数刻後であってもある程度は動けるし、頭の中もすっきりとしている。
 凛の知る蒼馬は過保護だが、今この場に居る兄はそれ以上に甘く感じた。

「……土方さんはああ言っていたが、この事は父上の耳に入れるからな」
「分かって、ます」

(あ、あれ……?)

 何故声が震えているのだろう。
 そう思うと同時に、蒼馬の手が頭に置かれた。

「母上にも怒られるだろう。まぁ、多少は覚悟しておいた方がいい」

 わしわしとあやすように撫でられ、涙が溢れそうになる。
 この身体は、まだ子供だ。

 成熟するまで、あと十年以上の時が掛かることは必須だろう。
 そんな中で、凛は自分でも知らずのうちに気を張っていたらしい。

「う、うっ……」

 抗う事の出来ない生理的現象に、やがて凛は為す術もなく泣きじゃくる。
 その間、蒼馬は落ち着くまで何も言わなかった。
 ただ、優しい手つきはそのままに、凛の頭を撫でるだけだった。


「──それで? もう身体は大事ないのか」

 屋敷に着いて暫くして、尚士の自室で蒼馬と凛は揃って正座をしていた。
 とうに夜も更け、奈津と橙馬は既に眠っている為この場にはいない。

 真正面に座る尚士と雪子は神妙な面持ちで、二人の言葉を待っている。
 両親に怒られる事は過去でも殆ど無かった為か、凛は終始蒼馬の言葉に耳を傾けているだけだった。

「試衛館に出入りしている薬売りの方の見立てでは、気疲れだろうとの事でした」

 こんな時に考えるものではないが、まだよわい十かそこらでしかない落ち着いた様子の蒼馬に、凛は関心してしまう。

(兄上は今も昔も、この先も変わらないんだろうな)

 同じくらいの少年であれば、まだ悪戯いたずら盛りという年頃だろう。それこそ、総司のように。
 しかし、思い返せば凛の知る蒼馬は年齢以上に冷静で、心優しかった。

 凛が新選組として京へ上ると文を送った時も『来るな』とは言わず、ただただその身を案じてくれた。
 一度は縁遠くなったものだが、風の便りで蒼馬の活躍を聞いた時は嬉しく思ったものだ。

(先程は醜態を晒してしまったけれど……今のはどうしているんだろう)
 この身体は過去の自分のもので、然るべき器ではない。

 加えて、蝦夷にある自分の身体が空っぽなのかという可能性も否めない。
 目覚めたあの時から二日しか経っていないが、気掛かりな事に違いなかった。

「──お前が倒れた事は産まれてから無いはずなんだがな」

 お転婆で元気が有り余っていたから、と尚士が懐かしげに続ける。

「どうか凛を怒らないでやってください」

 蒼馬が凛の手に己のそれを添え、ゆっくりと言った。

(あ……)

 かたかたと小刻みながら両手が震えていた。
 父に怒られる恐怖からか、それともこれからの事が悪い方向になるのではと考えての震えか、どちらなのかは分からない。両方という場合も大いにあった。

「あ、あの」

 その不調がどうあれ、凛は何か言おうと慌てて口を開く。

「何を怒るものか。それよりも今日は早く寝なさい。きっと昨日の今日だからな、知らずの内に無理をしていたのだろう」

 しかしそれよりも早く、尚士の大きな手が凛の頭に置かれた。
 久しぶりに感じる父の体温に、図らずも泣きそうになる。
(いけない、さっきも泣いてしまったばかりなのに)

 泣くものか、と凛は奥歯を噛み締めて耐えた。
 屋敷へ帰る前も泣いてしまい、蒼馬が慰めてくれはばかりなのだ。
 しかし、今の自分が幼い身体という事を抜きにしても、現実の両親には久しく会っていない。

 今どうしているのか、息災なのか、奈津や橙馬はどれほど成長しているのか、全てをこの目で見てみたいと思った。
 生きて、凛が無事だという姿を見せたいと思った。

「……はい」

 凛は尚士や蒼馬に心の内を悟られぬよう、小さく返事をするだけで精一杯だった。

「では行きましょうか、凛。父上と蒼馬にご挨拶なさい」

 頃合いを見計らい、雪子が音も無く立ち上がる。
 凛を弟妹らの眠る寝床へ連れていく為だ。

「はい。父様、兄上、お休みなさい」

 ぺこりと頭を下げると、優しい声音がすぐに降ってきた。

「お休み、凛」
「今日は俺も泊まるからな。また朝餉の時に」

 尚士が手を振り、蒼馬からは柔らかく微笑まれる。
 先程とは打って変わり、ほわほわとした気持ちになりつつ凛は雪子の後を着いて行った。

「足元に気を付けなさいね」
「はい」

 蒼馬と共に帰宅した時よりも空は暗く、廊下へ一歩出ると深い闇に包まれている。
 唯一月の明かりが廊下を照らすだけで、後には何も無い。

(本当は手を繋いでくれなくても良いのだけれど)

 雪子に手を引かれてはいるものの、凛は過去での鍛錬から普通の幼子よりも遙かに夜目が効くようになっていた。

 それもこれも、自分が過去にやってきた努力の賜物なのだろうなと思う。
 ただ、こんな事を思ってしまう自分を恥じた。

(母様と手を繋ぐのも何年ぶりかな)

 少なくとも、雪子に甘えたのは十に満たない頃が最後だった記憶がある。
 その頃には試衛館での稽古にも慣れ、精神的にも強くなったと思える時分だった。

(温かい)

 たおやかな手の温もりをもっと感じたくて、凛は繋がれた手の平に僅かに力を込めた。

「凛」

 ふと雪子に名を呼ばれ、凛はゆっくりと顔を上向ける。
 月明かりに照らされていると、雪子の肌は普段よりも透き通るように白く、美しい。
 ぼうっと浮かぶ切れ長な双眸には、娘を案じる感情が見え隠れしていた。

「なんですか、母様」

 それに気付かないふりをし、子供らしく声を出す。
 こちらが少しでも明るくせねば、余計な心配を掛けるだけだと凛は身を持って知っていた。

「貴方は誰よりも強くなると、有楽様が蒼馬から聞いたと仰っていましたが……無理をしなくても良いのですよ?」

 どうやら昼間、有楽と談笑している時の言葉が引っ掛かっているらしかった。

(そういえば母様は羽嶋はじまの家の出と言っていたっけ)

 戦国時代、天下人を陰ながら支えた功労者──紀乃下きのした胤房つぐふさという男がいた。
 かの天下人から大層気に入られ、一時は十万石の大名へなるはずだった。

 というのも、紀乃下氏の家臣が『上様に謀反の企てあり』といういさかいから帳消しになったのだ。

 その家臣の名は歴史に載っていないが、以後紀乃下氏は旗本として江戸城付近に居を構えている。
 雪子はその末裔の出であり、現在の羽嶋家は旗本という役職の傍ら、剣術道場を家業にしていた。

「母とて武家を祖先に持つ娘でした。男子であろうが、連日の稽古はきついものだと知っております。これでも一度、竹刀をとっていましたからね」

 この事は父上には内緒ですよ、と雪子は人差し指を口元にあてる。

「あの、母様?」

 何を言いたいのか薄々察しているが、凛はくいくいと雪子の袂を引いた。
 その行動に何を思ったか、柳眉が緩くしかめられた。

「……私は、叶うならば剣をとって欲しくはありません」

 袂を摑んでいた手をそっと外させ、雪子は縁側へ腰掛ける。
 続けて凛も隣りに腰を下ろした。
 腰掛けた場所は沓脱石がある所だったらしく、素足にひんやりと冷気を感じる。

「女子は戦うでなく、おいえを守るものです。剣術など、男子でなければ到底役に立ちません。……母はそう教えられました」

 瞳を伏せ、雪子は訥々とつとつと語る。
 女だてらに剣の稽古をする事は、その立場や年齢は違えど昔の自分を見ているようなのだろう。

 全て『女だから』という理由で反故ほごにされ、制限された過去や反論も辞さなかった事が雪子にはあったと聞いた。

『いいですか、凛。貴方は誰よりも強くなるのです。そして、叶うならば母にその姿を見せてください』

 上京する折、これが最後の別れになると冗談交じりで凛が言うと、涙ながらに雪子が言った言葉だった。

『貴方は私の自慢の娘です。尚士様も誇りに思っています。しかし、これだけは約束なさい。必ずや、生きて帰ると』

 肩を摑まれ、ぼろぼろと雫を流しながら雪子が紡いだ言葉たちは、今も凛の心の奥深くに刻まれている。

 過去も現在も、試衛館への入門は半ば無理矢理と言っても良かったが、蒼馬には感謝しなければならないだろう。

 そうでなければ上京する事もなく、神宮寺凛こと『鬼姫』は誕生しないはずなのだ。
 そして、なんの因果か過去へ居る事も無かった。

「──時代が変わるのならば、人も変わるのでしょう。女子が剣を持つ事は、世間では褒められたものではありません。しかし、母は凛が決めたのならば応援したく思います」

 雪子はゆっくりと伏せていた瞼を開く。

「何があろうと私は貴方の味方です。危険な選択をした時は止めますが……今は、凛のしたいようになさい」
「っ」

 こんな時なのに、微笑みを浮かべた母はこの世の誰よりも美しいと思った。
 同時に、凛の心の中に得も言われぬ感情が湧き上がる。

(母様は、そんなにも私を……)

 幼い頃は分からなかった言葉の数々が今、すうっと凛の胸に入って広がる。
 ただの美辞麗句よりも、今は雪子の言葉が何よりも嬉しい。

「か、あさま」
「なんですか?」
「ありがとう、ございます」

 内から湧き上がってくる感情を理性で押さえ付け、凛はなんとかそれだけを口にする。
 礼を言われた雪子はぱちくりと瞳を瞬かせた。

「──ああ、ごめんなさいね。母の話に付き合わせてしまったから、こんなに冷えてしまって」

 凛が微かに震えている事に気付いたのか暫くの間、雪子が肩や背をゆっくりと撫で摩ってくれる。
 その時僅かに雲がかげり、やがて月が隠れた。
 暗闇の深くなる中、凛はひっそりと思う。

(やはり私は生きなければ。母様の為にも、兄上の為にも。そして──いつか八郎さんに、この目でもう一度お会いするまで)

 まだ見ぬ愛しい人の姿を思い浮かべ、凛は雪子に甘えるように擦り寄った。

「早くしとねに入りましょうね」

 頭を撫でてくれる雪子の優しい手つきに、この身が段々と睡魔に襲われてゆく。
 凛は自分でも知らずのうちに、ゆっくりと微睡まどろみの中に入っていった。
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