【R-18】凛と咲き誇る花よ、誠の下に咲く華よ ー幕末異聞譚ー

月城雪華

文字の大きさ
21 / 23
嘉永六年(1853)、春

この先に願う事 壱

しおりを挟む
 ゆらゆら、ゆらゆらと足元が覚束無おぼつかない感覚があった。

(此処、は……?)

 凛はそっと瞳を開け、周囲に視線を巡らせる。
 薄暗い中には見覚えのある調度品や、聞き覚えのある声音がひっきりなしに響いていた。

「だーかーらー、この勘定が違うって言ってるでしょう!?」
「すみません、神宮寺さん!」
「はぁ……私は一応監察方なんですけれど。どうして鑑定方の皆々様の、更に鑑定をしなければいけないんですか」

 呆れた声と共に、ぱしんと勘定帳を机に叩き付けているのは自分だ。
 言葉の節々からして、新選組が発足して間もない頃のやり取りだろうか。

「いやぁ、気を付けてはいるんですよ。けど、色々と出費……」

 頭を掻きつつ、申し訳なさそうに言う男の顔は見えない。
 その声音は聞き覚えのあるものだが、どうしてか男の顔には白い靄がかかったままだった。

「言い訳はしないで手を動かす」

 男の言葉に被せるように、身なりからして十六、七ほどの凛がぎろりと睨め付ける。
「はい……」

 男の恐縮しきった声を聞いた事で、それまで黙って傍観していた凛の頭へ僅かな疑問が生じた。

(この時の私はこんなに恐れられていなかった、はずだけれど)

 浪士組ろうしぐみとして上洛すると願い出た男達は、当初二つの派閥に分かれていた。

 片や芹沢せりさわかも、片や近藤──この数年前に勝太は改名したが──勇、といった二つの勢力だ。
 そこから数多ある事件を跳ね除け、ようやく凛の知る新選組として発足していく、その内のどこかの出来事だろう。

 その頃になると凛は『鬼姫』と揶揄され、民や新選組隊士らから恐れられていた。
 ただ、先程の光景は凛の知る出来事よりも過大評価され過ぎているように思う。

(やっぱり私がこの数日見てきた事は全て夢で、もう蝦夷へ戻ろうとしている?)

 自身の記憶と僅かに食い違う人間達の模様も、何故自分が過去へ居るのかも、夢だと片付けてしまえば説明がつく。

 いや、そうであって欲しかった。
 忘れてしまいたいほど凄惨な事を、一度ならず二度も繰り返す事など真っ平なのだ。

(……そうなら、どんなにいいんだろう)

 しかし、凛は既に分かっている。
 今自分が見たものこそが夢であり、それは確定していない未来の出来事なのだと。
 自分の言動一つで簡単に未来が変わる。

 勘定方の男達の顔付きが、はっきりと認識出来ていないという事。何より、自分はあれほど口調が乱れていない。
 すべからく全ての出来事が凛の記憶にあるとは言えないが、先程の光景はあまりにも現実味がなさ過ぎるのだ。

「鑑定方となると河合かわいさん……?」

 金の全てを取り纏めていた男の名を、そっと唇に乗せる。
 河合と会話をしたのは数える程度だった為、あまり凛の記憶にはない。
 しかし、それ以上の疑問がところどころに残るのも確かだった。

(でも、予想が断定したと言い難いのは事実である訳で)

 凛は一度深く呼吸をし、瞼を閉じる。

(私の言葉や行動で未来が変わるのなら、思う存分抗えというもの)

 段々と意識が暗く澱んだ闇へと沈んでいく感覚は、これで二度目になる。

「──何であれ、やってみない事には変わらない」

 身体から完全に力が抜ける間際、凛は覚悟とも言える言葉をひっそりと呟いた。


 ◆ ◆ ◆

「……ん」

 薄らと瞼を開けると、どこかの天井がぼんやり広がった。
 凛が視界を定める為に数度瞬きをしていると、慌てた声が左側から響く。

「凛、良かった……! 気が付いたか!」

 のろのろと声がした方に視線を向けると、そこには蒼馬が居た。

「あに、うえ」

 凛はぽそりと口の中で呟く。
 その声は自分でも驚くほど掠れていた。

(私は……)

 段々とはっきりしていく思考の中、凛は土方の顔を見たその瞬間、意識が途切れてしまった事を思い出した。
 蒼馬の傍にはたらいや手拭いがあった。

 薄い敷布に寝かせられ、布団を掛けられていることから、あれから介抱されていたのだと気付く。

「いきなり若先生に抱えられて来たから吃驚びっくりした。──おい、寝てろ」

 のそりと起き上がろうとしたが、それに目敏く気付いた蒼馬に止められた。
 凛は仕方なくもう一度横になり、ころりと身体ごと蒼馬の方に向ける。

「あの、兄上」

 切羽詰まった蒼馬の様子は勿論気になるが、どれほど意識が無くなっていたのか聞きたかった。

(ここはきっと試衛館で……あの時、私は沖田さんに支えられて)

 意識が黒く塗り潰される手前、総司に背を抱え込まれた所までは記憶にある。
 そして、誰にともなく何かを呟いた気がする。
 その時の総司の表情は分からないが、良くないことを言ってしまったのは確かだろう。

(沖田さんと近藤さんに謝らないと)

 唐突に凛が倒れた為、あの場に集った男達が慌てたという事は想像に難くなかった。
 若先生と呼ばれ、皆から慕われる者は一人しかいない。

 その人物が誰なのか、試衛館に通う者ならば容易に見当がつく。
 出来るならば今すぐにでも此処から出て、総司や勝太に謝りたかった。
 しかし、僅かに覗く障子戸から既に太陽は身を隠し、月に姿を変えようとしていた。

(でも)

 総司は夜が更けるまで稽古場に居る事があるが、勝太に至っては分からなかった。

(明日、またご挨拶出来ればいいけれど)

 次期四代目宗家にと噂されている勝太は、常から稽古場に居たり時折街へ出たりしているらしい。
 らしい、というのは凛に訊ねられた男も真偽は分からないということだ。
 しかし、今ならば分かる。

 勝太は街ではなく、土方に会いに出掛けているのだ。
 朝から昼までは門人達と稽古をし、その後ふらりと何処かへ行く。
 いなくなったかと思えば、いつの間にか居る──勝太は凛の知る限り、そういう男だった。

「ちょっと待て、土方さんを呼んでくる」
「土方、さん?」

 何故土方の名が出るのだろう。
 そんな思いで蒼馬を見つめると、立ち上がり掛けていた腰を再び凛の枕元へ落ち着けた。

 その場に薬売りとして生計を立てている土方が居る事は、幸運と言っても良かった事。
 町医者を呼ぶにしても時間が掛かり、このままでは生命の危機もあった事。

「──土方さんが居て助かったよ。俺ですら医学の心得はないから、本当に目覚めてくれて良かった」

 にこりと淡くはにかんだ蒼馬に、段々と申し訳ない気持ちになる。

「そう、ですか。……すみません」

 凛は布団を口元まで持ち上げ、小さく謝罪する。
 他ならない蒼馬に心配を掛け、あまつさえ看病までさせた。
 その間、稽古に身が入らなかった事は確かだろう。

「謝らなくていい。それよりも体調は大丈夫か? 気分は悪くないか?」

 凛を安心させるように、蒼馬はぽんぽんと頭を撫でる。
 温かい手と気遣ってくれる言葉が嬉しくて、涙腺が僅かに緩んだ。

「……はい、今はなんとも」
「そうか」

 ふ、と蒼馬が小さく笑った。
 これから先、後どれほど見られるか分からない笑みを焼き付けるように、凛はじっと蒼馬の顔を見つめる。

「あの、兄上」

 優しげな黒曜石の瞳に吸い込まれるように、気付けば凛は蒼馬を呼んでいた。

「ん?」

 凛に呼ばれたことで、蒼馬は小さく首を傾げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...