【R-18】凛と咲き誇る花よ、誠の下に咲く華よ ー幕末異聞譚ー

月城雪華

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嘉永六年(1853)、春

鬼との邂逅 陸

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 急いで草履を履いて外へ出ると、試衛館へ向かっているようだった。

「あ、あの、沖田さん! 何処に……」

 しかし、急いでいると言った割りに、総司は凛が着いて行けるようにゆっくりと歩いてくれている。
 総司は元来、子供に優しい。

 しかし、特に気に入った人間には子供であろうと悪戯や揶揄おうとする節がある。
 凛が気に入られたのはいつなのか覚えていないが、今か今かと警戒しても罰は当たらないだろう。

「着いてくるだけでいいの、君は」
「ええ……」

 投げやりで自分本意な口調に、つい本音が漏れる。

「なに、僕の言うことに文句でもあるの?」

 じとりと軽く睨み付けられ、背筋が薄ら寒くなった。

「すみません、何もありません」
「ならいいけど。僕がいいって言うまで黙っててね」

 凛の返答に、総司はにこりと微笑した。
 やんわりと脅されるのには慣れている為なんともないが、気を抜き過ぎている自分自身に、凛は呆れ返るしかなかった。
 感情があまり出ない方だと自負しているが、自分でも知らずのうちに興奮していたらしい。

(駄目駄目、気を引き締めないと。沖田さんが連れて行ってくれる所も、誰に会わせてくれるのかも、全て分からない訳だし)

 蒼馬が言っていたように、路地へ行けばその人物が居るのだろうか。
 そんな思いで歩いていくと、試衛館に続く路地はおろかどこにもその人の影は無い。
 時々商人や町人、女子供が小走りで去っていくだけだ。

 路地は昼間でも薄暗く、気を付けていなければ追い剥ぎや物乞いに襲われる事があった。
 ただ、最近になって試衛館の人間が定期的に見回っているからか、その件数は減っている。

(あれ、でも……)

 総司が進む路地は、試衛館へ続く道ではない。
 路地に入る時の道は二手に分かれており、総司と凛は左側の道を進んでいるのだ。
 試衛館に続く路地は右側の為、何かが違うと気付くのにそう時は掛からなかった。

「あ、あの。沖田さ──」

 怒られるのを覚悟で再度総司の名を呼ぼうとしたが、既のところで止めた。

「なんなんだ、勝太さんよ。態々こんなとこまで連れて来るたぁ、何かはかりごとでもあるのか」
「まぁ待て、トシ。実のところ、俺も総司から何も聞いていないんだ。まずは待とうじゃないか」

 よく聞き知った二つの声が、凛の耳に入ったからだ。
 路地の先には男が二人、談笑しながら待っていた。

 一人は勝太だが、もう一人は蓑笠みのかさを目深に被っている為その表情はおろか、誰なのかさえ分からない。
 しかし、凛はとっくに確信した。

(土方、さん……!?)

蓑笠から僅かに覗いている瞳は鋭く、美しい菫色をしている。
 傍には石田散薬やその他の薬が入っているだろう背負い箱と、使い出して日の浅いであろう木刀が紐で肩掛け部分に括り付けられていた。

 記憶に深く根付いている姿よりも髪は短いが、間違いなく土方歳三その人だと凛の本能が告げている。

(土方さんが、本当に……)

 凛は前を向いていた視線を慌てて下げた。
 じっと土方を見つめていては、すぐさま涙腺が決壊してしまう事が目に見えているのだ。

「おお、総司! 凛くんも連れて来たのか!」

 前方から歩いてくる総司と凛に気付いたようで、勝太がこちらに向けて手を上げる。

「お待たせしました、近藤さん。あ、本当に来たんですか」

 総司はにこりと勝太に微笑み掛け、男にはさも小馬鹿にした口調で言った。

「いつ会ってもいけすかねぇ野郎だな」

 長い溜め息と共に、男──土方は蓑笠の隙間から総司を睨め付ける。

「それはどうも」

 土方の言葉を意に介さず、総司はどこ吹く風といったふうだ。

「ねぇ、凛ちゃん。どうしたの、さっきから黙っちゃって」

 それまで黙り込んでいる凛を不審に思ったのか、総司は今まで凛と繋いでいた手を軽く引っ張っては前後に揺らす。

 それでも何も言わず、凛は顔すら上げない。
 そんな態度に何か合点がいったのか、総司は嬉々として口を開いた。

「あ、もしかしてこの人が怖かったりする?」
「はぁ?」

 総司が土方を指さし、指された本人は心外だというふうに声を上げる。

「そうだよね、そりゃあ最初は怖いか。鬼みたいな顔してるし、本人も鬼みたいな性格だし」

 うんうん、分かるよと凛が黙っているのを好機と捉えたのか、総司は湯水の如く土方を貶した。

「凛ちゃん?」

 ここまで言ってもなんの反応も示さない凛に、何を思ったか総司はそっと頬に触れる。
 その手つきは優しくはあるが、無理矢理顔を上向かされた事で、凛の瞳が丁度真正面に居た土方を射抜く。

 土方の瞳も凛を見ており、図らずも互いを見つめる形になった。

 丸く大きな紫紺の瞳と、きりりと男らしく切れ長な菫色の瞳が交わる。
 その瞬間、凛は小さくうめき、思考に霞がかったような錯覚に陥った。

「凛ちゃん!?」

 ぐらりと身体が傾く。
 幸い、咄嗟に総司が支えてくれた事でその場に崩れ落ちる事はなかったが、凛の中に得も言われぬ寒気が、恐怖が全身を駆け巡った。

(なんで、今……)

 この感覚は知っている。
 つい数日前に、凛の身に起こった変化と同じ事だった。

「……うっ」

 頭がぐらぐらと揺れ、意識を保っているのもやっとと言っていい。
 それでも、泣きたくはないのに自然と溢れてくる涙は、知らずのうちに震える身体は、果たして本当に自分の身に起こった事なのだろうか。

 ずきずきと頭が痛み、視界が霞む。
 ぼんやりと靄のかかる光景が見えそうで見えない、そんな感覚があった。

「──に、たい……」

 不意に口から突いて出た言葉は、目の前にいる総司に聞こえてしまっただろうか。

 そんな事も考えられないほど、凛の思考は白く染まっていく。
 ぐらぐらと焦点の合わない視線が、段々と下がる。

 そんな凛の行動に、全員が困惑しているのは明白だろう。
 いきなり殆ど初対面の人間に出会い、その人物を知る少年から『鬼のようだ』と言われ、それを聞いた少女が泣き出したのだ。

 傍から見れば、総司に責任があるように捉えられるだろう。
 実際そうとしか言えないところもあるが、凛にそこまでの冷静さや、自身の言葉を訂正する余裕はなかった。

「──総司!」

 凛の目の前にいた総司よりもいち早く凛の異変を感じ取ったらしい勝太が、鋭く総司の名を呼んだ。

「っ!」

 そこでようやく事態の深刻さに気付いたらしい総司が、凛を抱き上げる。

「何をしている、早く試衛館へ戻るぞ! トシ、何度も連れ回して悪いが、着いて来てくれ!」
「ああ、分かった」

 土方の言葉を最後まで聞くよりも早く、勝太は試衛館に続く道を走る。
 総司はその後を着いて駆け、土方もそれに続いた。
 切羽詰まった周囲の状態に、土方はふっと瞳に力を込めた。

 この場に土方が居る事は、他でもない奇跡だろう。
 かくして。凛と土方の再会は、一言も話す間もなくこの時は幕を閉じた。
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