【第三部連載中】その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第三部 四章

和解の果てに 3

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 ◆◆◆




 ライアンが王宮を不在にして二日が過ぎた頃、エルの姿は国王の執務室にあった。

 休みなくペンを動かしていた手を止め、ざっと書類に視線を向ける。

(そろそろ父上達は着いた頃か)

 ぎしりと椅子の背凭れに身体を預け、エルは瞼を閉じた。

 元々ある程度の公務や行事はどう進めるか知っていたからか、今日まで何事もなく過ごしていた。

 密かに街の各地に放っていた『影』の報告によると、民たちに特に異変は無いという。

 予想していた暴動の影が無いというのは喜ぶべき事だが、警戒するに越したことはない。

 ただ、ライアンが居る時よりも王宮内があまりにも静か過ぎて、薄気味悪く感じているのも事実だった。

(ここはもちろん、何も無ければいいけど)

 王宮から辺境伯領へ向かうには、大急ぎで馬車を走らせても十日ほど掛かる。

 今回ばかりは火急であるためそのまま船着場まで向かい、先に着いていた少数の護衛と共に出航すると聞いていた。

 船であればある程度行程が短縮されるが、あまり遅くても辺境伯領に住まう民達を危険を晒す事になる。

(まさか国王自ら領地に向かった、とは誰も思わないだろう)

 基本的にナハトを含めた辺境の貴族らを王宮に呼び寄せる事が主なため、暴動を起こした者達もこればかりは予想していないだろう。

 国境付近で諍いを起こしている中心人物が隣国の貴族であれば、場合によっては国際問題になる事は必至だ。

 何を思って辺境の地で諍いを起こしたのかは分からないが、互いに怪我が無ければいいと思う。

 そもそもナハトは『鬼神』と恐れられ、隣りには国王が居るのだ。

 エルは目にした事はないが、二人が力を合わせればどんな暴徒でも軒並み倒してしまう──そういう噂がまことしやかにあった。

「まぁ……多少の犠牲はあるだろうな」

 ややあってエルは目を開け、ぽつりと誰にともなく呟いた。

 誰が決起したのか少しも興味は無いが、むしろ暴動を起こして周囲に負担を掛けているであろう、どこかの首謀者が哀れでならないのだ。

『いいですか、エルヴィズ様。お父上や叔父上の不興を買ってはいけませんよ』

 幼い頃、ミハルドがこっそりと教えてくれた言葉をふと思い出す。

 その時は意味が分からなかったが、今にして思えば十分に理解出来る。

(お二人は頭も切れるし、謙遜しているけど俺よりも強いから)

 己はリネスト国で最強とうたわれているが、それは王太子という肩書きがあるからだ。

 歴戦の騎士に比べればそうでもなく、むしろ赤子の手をひねるように打ち負かされることだろう。

 ただ、こちらの腕がどれほど通用するのか気になるのもまた事実だった。

(無事に帰城されたら、どちらかと一戦交えてみたい)

 成長した己の姿を見て欲しい気持ちと、どれほど強いのかという好奇心で満ちていく。

 これほど何かに打ち込みたいと思うのは久しぶりで、今か今かと楽しみでならない。

 ただ、こちらの我儘であまり無理をさせるべきではない、というのも頭では分かっていた。

「──頑張ってるねぇ、エルヴィズは」

「っ!」

 不意にのんびりとした声が傍から聞こえ、声がした方に鋭い視線を向けた。

 すると長身の男──ネロが机に手を突いて、こちらをにこやかに見つめていた。

「……何の用だ、ネロ」

 いつの間に入って来たんだと思いながら、エルは内に眠る苛立ちを隠さないまま尋ねる。

 この二日は顔を合わせておらず、加えてネロの方から訪ねて来るとは思っていなかったため油断していた。

「用が無かったら駄目なの?」

 歌うように問い掛けられ、エルは溜め息を吐きたくなるのをぐっと堪える。

 こちらを見下ろしてくる紫の瞳はどこか楽しそうで、だからか更に苛立ちが募った。

(早く終わらせたいんだけど)

 少し物思いに耽っていたものの、あとは机に残った書類に目を通すだけで今日のところは終わりだった。

 手早く確認して退室すればいいと分かってはいるが、何があってネロが執務室に来たのかまったく予想できない。

「……アルトがね」

 やや高い声が紡いだ言葉に、意思に反してぴくりと頬が動く。

 まさかあまり関わりたくない人間の口から愛しい男の名が出るとは思わず、エルはきゅうと眉を顰めた。

「王配が何だ」

「そんなにイライラしないでよ、君らしくもない」

「私がどう思おうと勝手だと思うが」

 半ば吐き捨てるように言うと、ネロはくすりと小さく笑った。

 何が面白いのか心底理解したくないが、すこぶる嫌な予感がして身体が強ばる。

「まぁそれもそうか。……あのね、エルヴィズに言い忘れた事があってね」

 ネロはそこで言葉を切ると、机を回り込んでこちらに歩を進めてくる。

 不自然な行動にいぶかしみつつそのままでいると、やがて耳元に唇を寄せられた。

「アルトが──君のことを信じられないみたいなんだ」

「は、……っ?」

 殊更ゆっくりと囁かれた言葉の意味を、すぐには理解できなかった。

 実に二日前の朝、仲直りしたばかりなのだ。

 その時は怒られてしまったが、愛しい男の口からネロの言うような言葉が出たことはなかった。

(隠してる……? いや、朔真はちゃんと約束してくれた)

 何か己に対して嫌なことや不満があれば真っ先に言う──正式に婚約した日の夜、そう決めたのだ。

 しかし、時として互いに意地を張っている時が少なからずあるため、すれ違ってしまうのが数ヶ月に一度あるのが現状でもあった。

「庭園に行こうとした時、君と……そうそう、ケイトにも会ったよね。僕も詳しくは知らないんだけど、ジョシュにだけ言ったらしい」

 幼子に打ち明けてもたかが知れているが、確かに内緒話をするようにアルトがジョシュアに耳打ちをしていた──とネロは言う。

「……用はそれだけか」

 低い声はそのままにネロの方を向くと、さも嬉しそうに頬を染めて小さく頷いた。

 間近で見る紫の瞳は劣情にも似た炎が灯っており、嫌悪感を増幅させる。

(気色悪い)

 エルは心の中で吐き捨てる。

 こちらとしては、そんなことで顔を見せに来るほど暇なのかと思ってしまう。

(昔からそうだ)

 父親同士の仲が良いためか、ネロとは幼い頃から幾度となく顔を合わせてきた。

 そんな中、エルはもちろんケイトもネロと遊んだり、話をすることはほとんどなかった。

 物心つく頃──ベアトリスが亡くなってからは特に避け、エルは一人鍛錬に打ち込んでいたからだ。

 すべては己が大切な人を守れるほど強くあらねば、という思いからだった。

 そのためライアンは気を遣ってくれ、定期的にやって来るナハトも陰ながら見守ってくれていた。

 だというのにネロは幼い頃から顔を合わせる度、こちらの嫌がる事ばかりしてきたのだ。

 ある日の鍛錬を終えて休憩していると、エルの目の前で虫を見せてくる事があった。

 その時は虫が大の苦手だったため、驚きと怒りで泣いてしまった。

 またある時は、ベアトリスの大事にしていた庭園の花を切り、こちらに見せに来た。

 その時は成人して少し経っていたため、ネロなりに祝ってくれたのだと今なら思う。

 しかし育ての母が慈しんでいた花を勝手に切られたことよりも、あまり出回っていない品種を剪定された事に怒気を滲ませた。

 幼い頃から様々な事があったからか、ケイトならまだしもネロと一度顔を合わせると、何か言うよりも先に苛立ってしまうのだ。

 こちらを思いやってくれるのは嬉しいと思いこそすれ、すぐに苛立ってしまうのは大人気ないと頭では分かっている。

 ただ、ここ数年は特に嫌悪感が強まっていくのを感じるのだ。

 今のようにネロが己に向けてくる感情に怖気が走り、加えてあまり良くない噂を耳に挟んでいた。

「──ル、エルヴィズ」

「っ!」

 ひらひらと顔の前で手を振られているのが見え、エルは悲鳴を上げそうになるのをすんでのところで堪える。

 突然黙ってしまったため心配させたようで、ネロはやや眉を下げて口を開いた。

「君を傷付けようとか、怒らせようとか……そういうのじゃないんだ。ただ、アルトは酷いなって」

「もういい」

(これ以上聞きたくない)

 ネロの言葉に被せるように半ば強引に遮ると、エルは音を立てて椅子から立ち上がった。

 机に纏めていた書類を奪うように取り、ネロの横を足早に通り過ぎようとする。

「エルヴィズっ」

 けれどわずかに早くネロに手首を摑まれ、その強さにエルはたたらを踏んだ。

(どうして邪魔をしようとするんだ、お前は)

 ぎりりと強く奥歯を噛み締め、エルは肩越しに振り返った。

「……私はお前と話すことなどない」

 低く、どこまでも冷たい声で短く吐き捨てる。

 ネロの言葉を素直に聞いてしまえ最後、こちらが損をするのは火を見るより明らかだ。

 そもそもネロが言っている事が事実でない可能性の方が高く、それならばアルトに直接聞く方が何倍もいい。

 たとえネロの言葉が本当だったとして、互いに納得いくまで話し合えばいいだけなのだ。

「──いくらお前でも、私の王配をけなすのは許さない」

「へ、っ……?」

 何を言っているのか分からない、という表情だった。

 紫の瞳は驚愕に見開かれ、一瞬だけ手首を摑む力が緩んだ。

 そのわずかな隙を突き、ネロの拘束からすり抜ける。

「分かったらもう顔を見せるな」

 力任せに扉を閉め、エルは足早に廊下を歩いた。

 窓から見える空は愛しい男の瞳に似た、深い海のような色をしている。

(早く、早く朔真に会いたい)

 今日も昼食を共に摂ったばかりで、離れていた時間は五時間にも満たない。

 ただ、ネロと少しとはいえ話してしまったからか、早く顔を見たかった。

 あわよくば深くまで触れ合い、じくじくとすさんだ心を浄化したい。

 大輪の花が開いたような、可愛らしい笑みを己にだけ向けて欲しかった。

「……俺も馬鹿だな」

 執務室から随分と離れた所で立ち止まると、エルは小さく自嘲した。

 ネロではなく『朔真』のことを考えるだけで、こんなにも心が踊っている。

『君のことを信じられないみたいなんだ』

 つい先程ネロが放った言葉が嘘であれ真であれ、少し揺らいでしまった。

 まだ本人の口から真実を聞いていないのに、そう思ってしまう自分が馬鹿らしいと思う。

 エルはゆっくりと深呼吸し、内にくすぶる気持ちを落ち着けた。

 己の感情が右往左往している自覚はある。

 だからこそ冷静にならなければいけないと思うが、やはりネロのことを考えると普段の冷静さが無くなってしまうようだった。

(大丈夫、気にするな。朔真は……朔真は、ちゃんと俺を信じてくれてる)

 何度も心の中で『大丈夫』と繰り返す。

 しかし、今ばかりは王太子としての務めや国王の代理といった己にしか成せないことがある。

 それだけでなく苦手な人間の対処に、気付かないうちに王宮周辺で起こっているであろう、小さな火種の始末もあった。

 街に放っている『影』達は、エルがこうして一人悩んでいる間も暗躍してくれている。

 細々とした雑務をこなすのはもちろん、王宮内外の警備配置に『影』の進捗報告の他、あと数日はやる事が山積みだ。

 早ければ三日でライアン達が帰って来ると予想しているが、それまで己の精神が持つかどうかも瀬戸際だろう。

 ただ、アルトの傍に居る時だけは素の自分でいられるから不思議だった。

 それもこれも誰よりも愛しているからで、何よりエルの帰りを待ってると言ってくれたからだと思う。

 格好悪いところも無様なところも、数え切れないほど見せてきた。

 婚約する前も後も何度となく泣かせてしまったが、嫌わないでいてくれた。

 いつも広い心で包み込んでくれ、的確にエルが欲しい言葉をくれる。

 同じ男として頭が下がる思いがするが、今回ばかりはあまり迷惑を掛けたくなかった。

(俺には朔真だけいてくれたらいい)

 だからもう少しの辛抱だ、と己に言い聞かせる。

 しかし、これほど荒みきった心では、ネロの言葉が本当か否か聞く前に感情を抑えきれなくなりそうだった。

「全部、終わったら」

 ──己のことをどう思っているか聞こう。

 エルは心の中でそっと呟いた。
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