その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第三部

Prologue 小さな訪問者

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 ぱたぱたと王宮の廊下を走る小さな影と、その後を小走りで続いていく大きな影があった。

「──シュ……ジョシュア! そんなに走ったら危ないよ……!」

 そう大きくはないながらも、男の声はよく通る。

 普段よりも格式張った衣装は動きにくく、いささか窮屈だが小さな息子の後を追うくらいは造作もなかった。

「だいじょーぶ! ととさまもはやくきて!」

 しかし小さな影──ジョシュアは満面の笑みで振り向き、父親を呼ぶ。

 つい先日よわい四つになったばかりで、まだまだ甘えたい盛りだと理解している。

 けれど王宮に着いた途端、一目散に走っていくとは思わずこうして追い掛けているところだった。

(無理に連れて行けば泣くし、本当に子育てって)

「すごいな……」

 無意識に口から出た言葉に少しして気付き、男は小さく笑う。

 同時に子供の成長は早く、こうした時も今だけだと思うと寂しくもあった。

「あ、きれい」

 するとジョシュアがある部屋の扉の前で脚を止め、じっと上を見つめていた。

 どうやら扉の中ほどに嵌め込まれている紺碧の宝石が気になるようで、宝石と同じくらいきらきらとした瞳を向けている。

「……ジョシュア、行くよ」

 満足いくまで見せてやりたいが、早く国王の側近を含めた父や他の身内が待っている場所へ戻り、平身低頭謝罪しなければいけないのだ。

 それからすぐ謁見があり、揃って国王の前で一年間の報告をするというのに。

「やだ!」

 抱き上げようとする腕を器用にすり抜け、ジョシュアはまた走り出す。

 すると前からやってくる者と、ジョシュアの顔がしたたかにぶつかった。

「──おっと」

「わっ!」

 ジョシュアはその場に尻餅をつき、反動でころんと一度転がる。

「だから言ったのに。すまない、うちの子が……っ」

 慌ててジョシュアに駆け寄ると、きょとんとしており何が起こったのか分からない様子だった。

 我が子ながらのんびりとしているなと思いつつ、次いでその相手に視線を向ける。

「ネロ……?」

 不思議そうに丸く見開かれた透明な瞳には、己の顔が映っていた。

 よく晴れた空のようなそれは、一度二度瞬くとすぐに見えなくなる。

「……こんなところで何をしているんだ?」

 にこりと笑みを浮かべた表情はもちろん、やや低い声音は久しぶりに聞く。

「い、いきなりジョシュが走っていって」

 男──ネロはしどろもどろながら唇を動かすと、その人はふいと視線を逸らした。

「そうか」

 分かっていた事だが、王太子は己にとんと関心がないらしい。

 幼い頃から知っており、何度となく顔を合わせているというのにどこか一線を引いているように感じる。

 すると王太子は鎖骨ほどまで伸びている黒髪を揺らし、未だ床に座っているジョシュアに目線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ。

「お爺様が貴方を探しておられます。一緒に来てくれますか?」

 同性にしては細く、長い指先が息子に向けられる。

 ゆっくりと紡がれる口調は優しく、しかし低い声音に冷たさは無い。

(ああ……)

 ネロはそのさまに緩く口角を上げ、そっと心の内で呟いた。

(君は変わってないんだな、エルヴィズ)

 幼い子供に対してはもちろん、王太子としてかくあろうとする姿勢も、ネロが覚えている限り変化はない。

 むしろ洗練されていて、一種の神々しさすら感じるほどだ。

「ととさまっ!」

「っ」

 とん、と膝に軽い衝撃が走った。

 ネロは思考を切り替えて息子に視線を向けると、揃いの色をした紫の瞳が弾けんばかりに輝いている。

「あのね、あのね! おとなしくしてたら、おねーさんがおかしくれるって!」

「……お姉さん?」

 まさか目の前にいる男のことか、と視線を向けると王太子──エルは困ったように笑っていた。

「……謁見が終わったら、ですがね」

 女だと思われたことは訂正する気もないらしく、しかし苦笑した表情一つ取っても同性とは思えないほど美しい笑みだった。


 
 ◆◆◆

 

 リネスト国の四季は温暖だ。

 元の世界では春とはいえ日中の寒暖差が激しく、しかし時折芽吹く花々で四季を感じられた。

 この国は己の知る以上に過ごしやすいと思う反面、あまりにも心地よくて眠ってしまいそうだ。

 すぐ傍にはフィアナが控えており、時折吹く風が心地良い。

 うららかな午後、アルトはのんびりと庭先で紅茶を飲んでいた。

 今日は午後からの予定はなく、久しぶりにゆっくり出来る事を幸いに、考えるのは愛しい男のことだ。

(確か辺境伯? が見えるんだっけ)

 朝は珍しく寝ぼけまなこだったためあまり詳しいことは覚えていないが、国境付近を守る貴族だったと思う。

(……たまに忘れるけど、小説みたいな話だよな)

 どういう訳か目覚めた時には知らない者──アルト・ムールバレイという公爵の身体で、巡り巡ってリネスト国王太子と結婚するまでに至った。

 今となっては元の世界が懐かしく思う反面、生涯にわたってエルを支えていくという覚悟すらあるほどだ。

(そういえば)

 香りのいい紅茶にそっと口を付け、思う。

 つい先日リネスト国『元』第二王妃による、王配暗殺未遂があったのは記憶に新しい。

 その間にも色々とあったが、国王の触れによって『第二王妃』や『レティシア』という声は王宮内ではもちろん、街で聞こえる事は無くなった。

 結局のところ、己の預かり知らない間にレティシアは故郷に帰っており、一人の女による事件は終息したようだった。

(エルもエルで何も言わないし……多分、俺を想ってくれたんだろうけど)

 レティシアの姪であるソフィアーナから手紙をもらい、やっと分かったといったふうだ。

 ソフィアーナからは定期的に手紙が来るため、大雑把ではあるが周囲の近況を教えてくれる。

『本当はいけないのですが』と毎回律儀に前置きしてくれるため申し訳なく思うが、表向きは国際交流でもあるのだ。

 こちらとしては他国の情報が入ってくるのは貴重で、本だけでは知らない事を知るのは楽しかった。

 最初こそエルは難色を示していたが、少しでも役に立ちたいと思うのはいけない事なのだろうかと思う。

「あっ! おいしそー!」

「……ん?」

 高い、ともすれば子供特有の甘さを含んだ声がどこかから聞こえ、アルトはきょろきょろと視線を動かす。

「ねぇねぇ、これたべてもいーい?」

「いい、けど……」

 ちらりとフィアナを見ても不思議そうにしており、おろおろとしている。

「ど、どうしましょう……他の者を」

「ありがとー!」

 するとフィアナの言葉に被せるように元気な声が聞こえ、小さな手がクッキーを摑んだ。

「……そこか!」

 アルトはその手を辿ってテーブルクロスを捲ると、三歳ほどの子供が美味しそうにクッキーを頬張っていた。

「わ、みつかっちゃった」

 こちらに気付いた子供は頬を染め、手に持っているクッキーで顔を隠している。

 少しも隠れていないが、その容姿にアルトだけでなく後ろから覗き込んでいたフィアナも目を丸くした。

 肩近くまである黒髪は艶があり、丸く大きな濃い紫の瞳がきらきらと輝いている。

 袖口にレースがあしらわれた白いブラウスに、黒いリボンの中央には瞳と同じ色の石が嵌め込まれていた。

「あのね、ジョシュ、これすき!」

 言いながら手の平のクッキーを差し出してくる。

「あ、あ……そう、か」

 アルトはぱちくりと目を瞬かせ、幼い子供を見つめた。

(エルに似てる……?)

 どことなく、というよりもほとんどエルを小さくしたようなものだった。

「はぁ……かくれんぼは終わりかな」

 不意に呆れたような声が聞こえ、アルトは反射的にそちらに顔を向けた。

「ととさま!」

 子供はテーブルの下から走り出し、弾けんばかりの笑顔を見せてその人物に駆け寄る。

「お菓子を貰ってくるから大人しく、くれぐれも大人しく待っててって行ったのに……こんな所にいたら心配するよ」

 その人は駆け寄ってくる子供を抱き留め、軽くいさめた。

「あのね、これもらったの」

 子供は手に持っていたクッキーを見せ、にこにこと上機嫌だ。

「……よかったね」

 小さく笑みを浮かべた表情は遠目から見てもやつれており、言動を見るに子供の父親らしかった。

 抱き上げたところでこちらの視線に気付いたらしく、その人はゆっくりとした足取りでやってくる。

「君がエルヴィズのお嫁さん?」

 やや疲れた表情はそのままに、少し甘く艶を含んだ声はエルに似ていた。
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