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第二部 五章

いつまでも慕う 6 ★

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(ちょっと待て、話すんだよな……?)

 エルに抱き上げられたまま心の中で突っ込んでいるうちに、程なくして目的の場所に着いたようだ。

 そこはエルの執務室で、アルトは丁重に二人掛けのソファに下ろされる。

「エル──う、わっ」

 アルトが口を開こうとするよりもわずかに早く、エルの腕が絡み付いてきた。

「──た」

 ぎゅうと強く抱き締められ、甘えるように肩口に額を擦り寄せてくる。

 抱き上げられた時よりも間近で感じるエルの匂いは甘く、わずかな花の匂いが鼻腔を掠めた。

「……やっと、抱き締められた」

 ぽつりと呟かれた言葉は震えており、強い力はこちらが身じろぐ隙を与えてくれない。

(エル……)

 アルトはそっとエルの背中に腕を回す。

 服越しから伝わる体温は熱く、火傷しそうなほどだった。

 とくとくと伝わる少し早い鼓動はどちらのものなのか判然としないが、どんな音よりも落ち着いてしまう己に笑ってしまう。

「……なんで笑うの」

 振動が伝わったのかエルがわずかに顔を上げ、少し拗ねたような表情でこちらを見つめてくる。

 普段は柔らかな弧を描く柳眉は顰められ、背中に添えられている手はきゅうと握り締められている。

「いや、笑ってなんか……ふ、っふふ」

 そのさまが可愛くて、ますます口角が上がってしまう。

「──やっぱりいいな」

「へ、っ……?」

 不意に笑いを含んだ声が聞こえ、アルトは目を瞬かせる。

 視線が交わると、エルはにこりと微笑んだ。

「貴方とこうして抱き締め合ったり、なんでもないことで笑ったり……ずっと考えてたから」

 静かなエルの声が部屋に響き、そこで言葉を切るとゆっくりと目を伏せた。

「……話の続き、しようか」

 そう言うと、エルはそのままアルトの横に座った。

 手は離したくないのか握ったままだが、力はあまり強くない。

 互いの手袋越しから伝わる体温が心地よく、たったそれだけだがエルが己の傍に居る、という事実を噛み締めるには十分過ぎた。

「──あの日の朝、そのままあの人──第二王妃の部屋に行った。手紙を送ってきた理由を直接聞くために」

 ゆっくりとした静かな口調は、王太子として話す時によく似ていた。

 ライアンと同じでレティシアの名など口にしたくないのか、敬称を付けるだけだ。

「俺の近くに朔真以外がいる、ってだけで嫌だったから。……今思えば衝動的だったなって思うよ」

 そこでエルは言葉を切り、小さく息を吐く。

 深く絡んでいる指が、更にきつく絡め合わされた。

「あの手紙はなんだ、って聞いたら……なんて言ったと思う?」

 ふとこちらに向けられた瞳は細められ、その感情は見えない。

 しかしエルが紡ぐ言葉はどれも苦しそうで、まだ核心に触れていないのに胸が痛くなった。

「第二王妃はね──」

『ただ一人、それも同性を傍に置いているままでは貴方の血を継ぐ子は望めない。だから、正式に王女を娶ると皆の前で言いなさい。言わなければ、王配殿下に毒を盛るわ』

 エルの形のいい唇が動く度に、胸の痛みは酷くなっていく。

 本当はそんな顔などして欲しくないのに、止めようとするとこの男はそれを拒むのだ。

(今、口を塞いでも……きっと続けようとする)

 こんなにも辛そうなのに、なぜ自分の口で言おうとするのかアルトにはそれが分からない。

 けれど何か理由があって伝える事があるのならば、何も今でなくてもいいのではないか。

 すべてが落ち着いた時、もしくはエルが言ってもいいと思った時で構わないとさえ思う。

「あの人は……俺の子が欲しかった。だから、俺に愛されてる朔真が邪魔だったんだと思う」

 先程の光景を見てしまっている手前、レティシアが密かに画策していてもおかしくはない。

 初対面の時は仲良くなれると思っていたが、今となってはレティシアに怒りすら湧き出ているのだ。

「産まれた子を次の王太子にする、って野望があったんだろうな……実の息子には見向きもしない、ベアトリス様すらも無視した人間が考えそうな事だ」

「ベアトリスさんも……?」

 唐突に出てきた第三王妃の名に、アルトは反射的に尋ね返す。

 ベアトリスがエルの母親代わりで、仲がいいことは聞いていたがレティシアはその人すらも目の敵にしていたのか。

 加えてエルの口振りからは、ケイトが幼い頃から母の愛を与えられていなかったようにも取れる。

 笑顔を絶やさないケイトが時々見せる寂しそうな笑みは、その背景があるからなのだろうか。

 アルトの言葉にエルが小さく頷く。

「俺が知る限りだけど、ベアトリス様は仲良くなろうとしていた。でも何かしらの理由を付けてかわすか嫌味を言うから、メイドたちもいい顔をしなかった」

 聞けば、一時的にケイトとは話すなと言われた事もあるという。

 けれどエルはこっそりとケイトに菓子をあげたり、隠れて会うなどとしていたようだった。

「関係ない子供にさえ、自分の思い通りにならなかったら制限する。……あの人は昔から何も変わっちゃいない」

 繋いでいる手が、かすかに震えていた。

 震えが治まって欲しくて、アルトは空いている手をそれに重ねる。

 手を重ねるとすぐに震えはなくなったが、今度は黙り込んでしまった。

(エル……)

 何を考えているのか分かる反面、止めたくても一度決めた事に対して頑固なところがあると知っている。

 ならばせめて落ち着けるよう、己に出来るのはじっと待つことだけだった。

 しばらくしてエルはアルトの肩に頭を預け、ゆっくりと続けた。

「自分の姪にも婚約者が居る、っていうのに」

「っ……!」

 静かに放たれた言葉に、アルトは声を短く漏らす。

 それは一瞬思ったものの考えるのを止めたことで、改めてエルの口から言われると予想は当たっていたらしかった。

「……やっぱりおかしいと思うよね、あの人が知らないわけじゃないのに」

 ソフィアーナの婚約者は騎士で、大国を壊滅させた英雄だ。

 その名声は各国を瞬く間に駆け巡り、知らない者はいないほどだという。

「帝国からここまで単に遊びに来たにしては時期が悪い。なのに、あの人は誰にも言わなかった」

 デレッタント帝国からリネスト国までは馬車を使っても一ヶ月は掛かり、特に今は冬だ。

 そろそろ春のきざしが見え始め、今年は大雪が降ったのもあって道中は危険が伴う。

 帝国までは山を超えねばならないため、冬眠から目覚めた獣が出る可能性もあるのだ。

「俺がああならなかったら、今頃ソフィアーナ王女は帝国に着いてるはずだ。少し面倒だけど、こちらで船を出す予定だったから」

 元々長旅の疲れを癒してから帰ってもらう、というのが国王側の意見だったらしい。

 しかしエルが倒れてしまったため、事を起こすには快復してからという結論に至ったようだ。

「今思えば、会わなくても良かったと思う。あれがあったから、あの人は調子に乗ってしまった」

 そこでエルは顔を上げ、こちらを見上げた。

 さらりと黒髪が頬に掛かり、こんな時なのに今のエルは妖艶な色香をまとっている。

 知らず頬が熱くなるのを感じながら、アルトは二度三度と瞬く。

「っ」

 そっと赤くなっているであろう頬に触れられ、手袋越しのかすかな冷たさに肩が竦んだ。

「──貴方にも何度も辛い思いをさせた。未遂とはいえ怖い思い……は、気付かなかったんだっけ。朔真らしいけど」

 広間で己が言ったことを思い出したのか、エルがふっと笑う。

「だ、だって本当に知らなかったんだ。お前の帰りをずっと……待ってたから」

 照れ隠しのように瞳を伏せ、そっと囁く。

「そう、だね」

 ぽつりと声を落とすと、頬に触れていた手がゆっくりと離れていく。

 その温もりを追ってアルトが顔を上げると同時に、ぎゅうと抱き締められた。

「エ、ル……?」

「何も言わずに出ていってごめん」

 更に強くなる抱擁ほうように、唐突な謝罪に、アルトは目を白黒させるしかできない。

「もし顔を合わせたら、直接危害が加えられるかもしれなくて……」

 だから避けてた、とエルは続ける。

「部屋に戻ろうとしたけど止められて、王女の隣りに部屋があるからそこにいろって言われて。もし自室や貴方の部屋に近付いたら……って、脅された」

 あまり直接的な言葉は聞かせたくないのか、曖昧に小声で濁す。

 顔は見えないが、苦しげな声ですべてを悟ってしまう。

 誰にも言うなと口止めをされていたとも言い、その間のエルの心情を思うと可哀想でならなかった。

「……酷い」

 無意識に口を突いて出ていた言葉に、エルがかすかに笑う気配がする。

「貴方は優しいね」

 そっと頭を撫でられ、更に深く抱き締められる。

 少し息を吸い込めばエルの匂いでいっぱいになり、得も言われぬ感情でぐちゃぐちゃになった。

 ぼんやりと視界が歪む気配に、目に力を込めて耐えようとする。

「俺のために泣いてくれて怒ってくれる……それだけで頑張ってよかったと思う」

 あんまり言えたことじゃないけど、とやんわり苦笑して付け足した。

「朔真」

 緩く拘束が解かれ、名を呼ばれる。

 至近距離で見つめ合った瞳は柔らかく細められ、その奥には今にも泣き出しそうな自分が映っていた。

「……なんて顔してるんだ」

 言葉とは裏腹に、目尻に触れる指先は優しい。

 涙は流れていないはずだが、エルがあまりにも愛おしそうに見つめてくるからだろうか。

「え、る……エル、っ……!」

 それまで我慢していたものが、今度こそ溢れ出していく。

 熱い雫がいくつも頬を伝い、エルの服を濡らす。

 脅されて誰にも心の内を言えず、しかしそんな時でもこちらを思ってくれた事が嬉しかった。

 しかし、それと同時に自分は会えない間やきもきし、一度でも嫌ってしまった。

 エルの辛さには比べれば、己の嫉妬や苛立ちは可愛らしいものだと再確認する。

 ──図書室でソフィアーナ王女と楽しそうに話す姿を見てしまった。

 それを言葉にするには勇気が足りなくて、予想とは違う言葉が返ってきたら立ち直れなくて、ただただ声を上げて泣くしかできない自分がもどかしい。

「……っ、ぅ」

 涙も枯れ果てて鼻で小さく息をしていると、落ち着くまで頭や背中を撫でてくれていたエルの手が改めて頬に触れた。

 濡れた瞳を向けると淡く口角を上げ、愛おしそうにこちらを見つめる男が映っていた。

「──朔真」

 さら、と黒髪が揺れたのが視界の端に映ると同時に、柔らかく温かなものが唇に触れる感触があった。

(あ……)

 口付けられている、と思った時には吐息を絡める仕草をされ、深く唇を重ねられていた。

「ん、ぁ……ふ」

 すぐに唇よりも熱い舌が口腔に侵入し、奥にあった己のそれを誘い出す。

 歯列を割って入った舌先は熱く、甘かった。

 久しぶりに触れ合ったためか唾液すらも菓子のように甘く感じ、エルが触れてくるところすべてが壊れ物を扱うような手つきで触れてくる。

 長い指先が柔らかな髪をいたかと思えば、あやすように手を繋がれ深く絡められた。

 手袋越しの熱はすぐに互いの体温で熱くなり、直接触れ合えないのがもどかしい。

(もっと、もっと……)

 深く繋がりたい。

 しかし息をするだけで精一杯で、声を出そうにもすぐに舌を絡め取られてしまい、甘く喘ぐしかできない。

「……朔真」

 キスの合間に名を呼ばれ、それがあまりにも愛おしそうでぞくりと背筋が震えた。

「ふ、ぅ……」

 大きな手の平がわずかに露出している首筋を撫で、服越しに腹から上へゆっくりと撫で上げられる。

 たったそれだけで腰が甘く蕩け、頭がくらくらした。

 ちゅ、と小さな音を立てて唇が離されると、とろりとした唾液が互いを繋ぐ。

 それはすぐにぷつりと切れ、ぼうっとした思考でその軌跡を見つめていると、エルが額を合わせてきた。

「歩ける……?」

 どこか艶を帯びている掠れた声に、無意識に首を横に振った。

 それは己を求めているも同然の言葉で、下腹部がきゅうと切なく疼く。

(でも)

 口付けられて軽く触れられただけなのに、脚に力が入らないのだ。

 情けないが、エルの色香にあてられたせいもある。

 アルトは力の入らない腕をエルの首筋に回し、ぎゅうと抱き着いた。

「……だっこ」

 幼い子が親にせがむ時に言うそれを、ぽそりと囁く。

 すり、と首筋に顔を寄せると不思議と多幸感に包まれる。

 羞恥心も何もかもかなぐり捨て、今はただエルに愛して欲しくて、同じくらい愛を返したかった。

「──それ、煽ってるよね」

「っ、ぇ」

 低い声が耳に届くと同時に、身体が浮遊感に襲われる。

 エルは執務室と寝室とを繋ぐ扉をぞんざいに開け、大股でベッドまでやってくると丁重な手つきで下ろされた。

「煽って、なんか……」

 見慣れた寝室は主がいなかったからか、普段とは違う匂いがする。

 小さな声で抗議しようとすると、すぐに愛しい男が視界に入り、そこでアルトは口をつぐんだ。

 これ以上ないほどエルは艶冶えんやな笑みを浮かべており、ゆっくりと顔を近付けてくる。

「っ」

 キスされる気配にそっと瞼を伏せると軽く肩を押され、呆気なく後ろに倒れ込む。

 ぽふ、とベッドが身体を包んだため痛くはない。

 しかし代わりにエルの重みが加わり、ぎしりとベッドが軋んだ。

「嘘」

 顔の左右に手を突かれ、腕の中に囚われる。

 落ちかかっている黒髪がいやに扇情的で、こちらを見下ろす水色の瞳が美しくて、どくりと心臓が音を立てた。

「嘘じゃ、な……っ!」

 しかし黙ってと言わんばかりに噛み付くような口付けをされ、抗議は唇に吸い込まれた。

 歯列を強引に舌が割って入り、合間に上着を脱がされる。

 早急にシャツのボタンを一つ二つと外され、少しの冷気に寒気がした。

 すると大きな手が肩を撫で擦り、唇を甘く噛まれたかと思えば解かれる。

「ぁ、っ……!」

 自由になった唇からは甘い喘ぎが漏れ、脚の間にあるエルの膝が敏感な箇所を執拗に責め立てた。

 そこは既に濡れており、トラウザーズにまで小さな染みを作っている。

 否が応でもそれを分からせられ、知らず快楽は大きくなっていった。

「待っ、え……る、まっ、て」

 弱々しいながらもエルの腕を摑むと、情欲に染まった水色の瞳がこちらを向いた。

「……なに」

 やや掠れた声は止められたため拗ねてるようにも、ギリギリまで理性を保っているようにも取れる。

「おれ、する……から」

 力の入らない身体を起こし、エルと向かい合う形になる。

 しかし羞恥で真正面から顔を見れず、己の脚先に視線を向けながらぽそりと呟いた。
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