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第二部 四章
忍び寄る影 7
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それからどうやって自室に戻ってきたか、正直なところあまり覚えていない。
アルトは夕食を摂った後、早々にベッドに入った。
瞳で天井を何とはなしに見つめ、溜め息を吐く。
(……お腹空いた)
いつもならばもう少し美味く感じる夕食は喉を通らず、ほとんど残してしまった。
作ってくれた人間にも申し訳なく、そしてここまで憔悴している自身に驚く。
フィアナを呼んで、何か軽食を持ってきてもらおうと考えた。
しかし、たとえ軽いものであっても無理に詰め込む未来が見えるため、何もできずにいる。
「ん……」
アルトはごろりと寝返りを打ち、横を向いた。
目線の先には天井近くまである本棚が一つあり、正式に婚約してすぐにエルが特注のものを贈ってくれたのだ。
加えて『好きなだけ買ってくれていい』と金まで出してくれた。
きっぱりと固辞しようとしたが、悲しそうな顔をするため控えめに好きな書籍を十数冊買ったものの、それでも未だに九割は空白がある。
読書が好きだと言っただけでここまでするか、とその時は思ったものだが、今思えば喜んで欲しかったのだと思う。
結婚してからは多忙を理由に、しかし本音は読むのがもったいないと思ったため、今の今まで放置していたのだ。
「読まないと……だよな」
本を読めば空腹も少しは紛れると思い、アルトはのそりとベッドから下りる。
「えっと」
部屋の灯りを点け、ぼんやりとした光の中一冊の本を手に取った。
「貴方と歩む未来……?」
表紙を指先でなぞり、そっと呟く。
(こんな本買ったっけ)
アルトは椅子に座り、ゆっくりとページを捲った。
ある国の王太子が王女に一目惚れしたが、その国は自国の敵であったため二人は結ばれない運命にあるという。
しかし王太子はなんとか王女を娶るため、あの手この手で国王やその国の王へ直談判する。
そんな中、王女には婚約者が居るという話を聞いてしまい王太子は悩みに悩んだが自国に帰り、自身の婚約者と結婚した。
風の噂で王女も結婚したというのを聞くと、その後王太子は国王となってから死ぬまで思い続ける、という一途でありつつも悲恋な物語だった。
「……いや、悲しすぎないか」
すべてを読み終え、アルトは本を閉じる。
寝られない時ならばいざ知らず、普段の息抜きに読むにしてもいささか鬱になりそうだ。
女性が好んで読む本の種類は様々だと理解しているが、アルトが好きなのは明るく楽しい話だ。
元の世界では常に気を張り詰め、本を読む暇などなかった。
しかし、読むとなると少しでも現実から離れたかったため、必然的に最後はハッピーエンドのものを好むようになっていた。
(なんだか俺みたいだ)
物語の主軸や結末は違えど、まるで今の自分が最後にはこうなっていくのを辿っているような心地にさせる。
「エルはそんなことしない、か……」
ふとケイトが言っていた言葉を思い出す。
『あいつは黙っていなくならない』
エルを信じていない訳ではないが、突然冷たい態度を取られてからは信用することが怖くなっていた。
そんな時にソフィアーナと居るところを、加えてエルの楽しそうな表情を見ても尚信じろ、というのは無理な話だろう。
「……本当に一緒に逃げてくれるなら、俺はこんなになってない」
一人きりの部屋でぽそりと呟くと、すぐに痛いほどの静寂で満ちる。
テーブルに置いている時計に気だるげに目をやると、普段寝る時間となんら変わらないほどだった。
「……寝よう」
このまま起きていても悪いことばかり考えてしまい、寝不足になる未来が見える。
アルトは本を元の位置に戻し、どこか重い足取りで改めてベッドに横になった。
ぎゅうと強く瞼を閉じると、視界は漆黒に染まる。
それでも足りず頭までしっかりと毛布を被り直し、寝返りを打つと自身を守るように身体を丸めた。
すると思った以上に身体の芯まで冷えていたようで、服越しに触れた肌の冷たさに身震いする。
目を閉じてしばらくそうしていると頭の中にエルの微笑みが浮かんできたが、それは自分に向けられたものではないと思い直す。
(寒い)
自身を見てくれないエルに対しての怒りか、それとも単に悲しいからなのか、次第に身体が震えていく。
また寝返りを打ち、アルトは小さく息を吐く。
エルに対する己の想いがここまで大きいというのを初めて知り、そして戸惑った。
(エルも……こんな気持ちだったのかな)
アルトが楽しそうに誰かと話す度、エルは心の中のどす黒い感情を押さえ込んでいたのだろうか。
こちらから見ればなんら気にしていないふうを装っていても、ここまでの大きな感情をおくびにも出さないのは、自身には到底無理だと思った。
そうとは知らず、今まで酷いことをしていたのだと思うとどれほど謝罪してもし足りなかった。
「……謝る癖、止めないと」
無意識に考えていた言葉が喉を突いて出そうになり、アルトは更に抱き締める腕に力を込める。
それから夢と現を何度も繰り返していると、次第に毛布越しに部屋がうっすらと明るくなっているのに気付いた。
「もう朝、……か」
あまり眠れた気がしないが、そっと毛布から顔を出す。
「っ」
横になる前にカーテンを閉め忘れていたようで、窓からは太陽の光が淡く入ってきていた。
アルトは反射的に目を眇めつつも、のろのろと起き上がる。
丸めた体勢のまま眠っていたため少し身体の節々が痛いが、気合いでベッドから降りた。
「……ん?」
ふと扉の隙間に何かが挟まっているのが目に留まり、アルトは訝しみながらもそれを拾う。
どうやら手紙のようだが、白い封筒には宛名はおろか差出人の名前すら書かれていない。
(使用人の誰かが落としたのか……?)
もしそうならば、後少しで朝食を持ってきてくれるであろうフィアナに渡せばいい。
テーブルに置いておこうとすると、不意にかすかに甘く爽やかな香りが鼻腔を擽った。
「これ……」
アルトはそっと手紙に鼻を近付けると、それはエルがいつも身に纏っているものだった。
エルのものらしい手紙が部屋に入れられた事が信じられない反面、こんな事で浮き足立っている自分がいる事に驚く。
アルトは頭で考えるよりも先に、勢いのまま手紙の封を切っていた。
二つに折られた便箋を開くと、ふわりと香りが強くなる。
『朔真へ』
エルの流麗な字で己の名前が書かれているのを見るのは久しぶりで、どこか懐かしさを思わせる。
視線を走らせると、文字は声となって再生された。
『いきなり部屋に戻らなくなってびっくりしたよね。ごめん、寂しい思いをさせて』
「……お前も謝るのか」
謝罪から始まる文面は数時間前の己を見ているようで、堪らず笑ってしまう。
同時に謝らせてしまった事が申し訳なく、小さく唇を噛み締めた。
『でも、あともう少しだから待っていてほしい』
アルトはその下の文に目を向け、やがて緩く首を傾げる。
『三日後にパーティーがあるんだけど、貴方にも出席してもらいたい』
「パーティー……?」
誰のパーティーなのか詳細には書かれておらず、何かあったかなと記憶を辿る。
「あ」
エルと共にレティシアと初めて対面した時『ソフィアーナの歓迎パーティーを開きたい』と言われたのだ。
あの時は心のままに頷いてしまったが、部屋を出てすぐにエルが倒れてしまった事で結局延期になったらしい。
とてもではないが昨日の今日──三日後、エルと仲睦まじくしていた王女のパーティーに行く気にはなれなかった。
(いや、欠席したら駄目だよな)
ただの自分の我儘で行かないとあれば、たとえ王配とあっても許されないだろう。
仮にもソフィアーナは第二王妃の姪で、それ以前に他国の王女を歓迎しないのでは国として外聞が悪いと分かる。
ただ、ソフィアーナに嫉妬してしまったのは事実なのだ。
もう一度この目でエルがソフィアーナと共にいるところを見るのが嫌だとしても、それが欠席する正当な理由としてはあまりにも弱い。
仮病を使う手も頭に浮かんだが、それではエルや他の使用人たちを心配させてしまう可能性があった。
「……変だな、俺」
寝る前までエルのことを信用できないと思い、少しの嫌悪すら抱いていた。
だというのに、いざ扉の隙間から差し入れられた手紙を開いて読んでみると、普段と何も変わらないエルの言葉の羅列に心が揺るぎそうになる。
まるでこちらが一方的に避けようとしていたのを分かっていたというようで、少し悔しかった。
「ん……?」
もう一枚便箋があるらしく、アルトはそっと二枚目を捲る。
『服を贈るから、当日はそれを着て。パーティーが始まったら、俺の傍から絶対に離れないで』
エルにしてはやや乱雑な筆跡でそう書かれていた。
「なん、で」
それはまるで『自分がソフィアーナの隣りに立つことは無い』と言われているようにも取れ、アルトは戸惑う。
もし予想が当たっていたとしても、その意図が分からなかった。
何か考えがあるのは分かるが、アルトにも知る権利があるのではないか。
(あいつが俺や周りに黙って何かをするのは、今に始まった事じゃない。……けど)
嫌な予感がしてならないのだ。
その反動か、便箋を持つ手がかすかに震えているのに気付く。
それを認めた途端、不意にくらりと目眩がしてきて、堪らずアルトはその場に膝を突いた。
「は、っ……は……ぁ」
反射的に手を突いたことで、封筒と便箋が毛足の長い絨毯にひらりと落ちる。
心臓がうるさく音を立て、呼吸が浅くなる。
額に脂汗が浮かぶのを感じ、唐突な自身の身体の変化に脳が追い付いていなかった。
(なん、だ……これ)
次第に視界が回り、吐き気が込み上げてくる。
しかし口から何も出る事はなく、アルトは蹲るようにして身体を小さくした。
ふぅふぅと息を繰り返し、頭の中で思うのはエルのことだけだ。
こんな時であっても考えてしまうのは心底惚れているからで、同時にほんの少し異性と話しているのを見ただけで嫌おうとしていた自分が情けなくなる。
(エルに、会いたい)
抱き締めてくれなくても、ひと目でも顔を見て安心したかった。
自身に掛けられた言葉ではなくても、一言でもいいから声を聞きたかった。
しかし今エルがどこにいるのかも分からず、アルトは喘鳴にも似た呼吸を繰り返すしかできない。
「おはようございます、朝食を──アルト様……!?」
しばらくして、いつも通り主の朝食を持ってきたフィアナが扉を開け、悲痛な声が聞こえるまでアルトはその場に蹲っていた。
アルトは夕食を摂った後、早々にベッドに入った。
瞳で天井を何とはなしに見つめ、溜め息を吐く。
(……お腹空いた)
いつもならばもう少し美味く感じる夕食は喉を通らず、ほとんど残してしまった。
作ってくれた人間にも申し訳なく、そしてここまで憔悴している自身に驚く。
フィアナを呼んで、何か軽食を持ってきてもらおうと考えた。
しかし、たとえ軽いものであっても無理に詰め込む未来が見えるため、何もできずにいる。
「ん……」
アルトはごろりと寝返りを打ち、横を向いた。
目線の先には天井近くまである本棚が一つあり、正式に婚約してすぐにエルが特注のものを贈ってくれたのだ。
加えて『好きなだけ買ってくれていい』と金まで出してくれた。
きっぱりと固辞しようとしたが、悲しそうな顔をするため控えめに好きな書籍を十数冊買ったものの、それでも未だに九割は空白がある。
読書が好きだと言っただけでここまでするか、とその時は思ったものだが、今思えば喜んで欲しかったのだと思う。
結婚してからは多忙を理由に、しかし本音は読むのがもったいないと思ったため、今の今まで放置していたのだ。
「読まないと……だよな」
本を読めば空腹も少しは紛れると思い、アルトはのそりとベッドから下りる。
「えっと」
部屋の灯りを点け、ぼんやりとした光の中一冊の本を手に取った。
「貴方と歩む未来……?」
表紙を指先でなぞり、そっと呟く。
(こんな本買ったっけ)
アルトは椅子に座り、ゆっくりとページを捲った。
ある国の王太子が王女に一目惚れしたが、その国は自国の敵であったため二人は結ばれない運命にあるという。
しかし王太子はなんとか王女を娶るため、あの手この手で国王やその国の王へ直談判する。
そんな中、王女には婚約者が居るという話を聞いてしまい王太子は悩みに悩んだが自国に帰り、自身の婚約者と結婚した。
風の噂で王女も結婚したというのを聞くと、その後王太子は国王となってから死ぬまで思い続ける、という一途でありつつも悲恋な物語だった。
「……いや、悲しすぎないか」
すべてを読み終え、アルトは本を閉じる。
寝られない時ならばいざ知らず、普段の息抜きに読むにしてもいささか鬱になりそうだ。
女性が好んで読む本の種類は様々だと理解しているが、アルトが好きなのは明るく楽しい話だ。
元の世界では常に気を張り詰め、本を読む暇などなかった。
しかし、読むとなると少しでも現実から離れたかったため、必然的に最後はハッピーエンドのものを好むようになっていた。
(なんだか俺みたいだ)
物語の主軸や結末は違えど、まるで今の自分が最後にはこうなっていくのを辿っているような心地にさせる。
「エルはそんなことしない、か……」
ふとケイトが言っていた言葉を思い出す。
『あいつは黙っていなくならない』
エルを信じていない訳ではないが、突然冷たい態度を取られてからは信用することが怖くなっていた。
そんな時にソフィアーナと居るところを、加えてエルの楽しそうな表情を見ても尚信じろ、というのは無理な話だろう。
「……本当に一緒に逃げてくれるなら、俺はこんなになってない」
一人きりの部屋でぽそりと呟くと、すぐに痛いほどの静寂で満ちる。
テーブルに置いている時計に気だるげに目をやると、普段寝る時間となんら変わらないほどだった。
「……寝よう」
このまま起きていても悪いことばかり考えてしまい、寝不足になる未来が見える。
アルトは本を元の位置に戻し、どこか重い足取りで改めてベッドに横になった。
ぎゅうと強く瞼を閉じると、視界は漆黒に染まる。
それでも足りず頭までしっかりと毛布を被り直し、寝返りを打つと自身を守るように身体を丸めた。
すると思った以上に身体の芯まで冷えていたようで、服越しに触れた肌の冷たさに身震いする。
目を閉じてしばらくそうしていると頭の中にエルの微笑みが浮かんできたが、それは自分に向けられたものではないと思い直す。
(寒い)
自身を見てくれないエルに対しての怒りか、それとも単に悲しいからなのか、次第に身体が震えていく。
また寝返りを打ち、アルトは小さく息を吐く。
エルに対する己の想いがここまで大きいというのを初めて知り、そして戸惑った。
(エルも……こんな気持ちだったのかな)
アルトが楽しそうに誰かと話す度、エルは心の中のどす黒い感情を押さえ込んでいたのだろうか。
こちらから見ればなんら気にしていないふうを装っていても、ここまでの大きな感情をおくびにも出さないのは、自身には到底無理だと思った。
そうとは知らず、今まで酷いことをしていたのだと思うとどれほど謝罪してもし足りなかった。
「……謝る癖、止めないと」
無意識に考えていた言葉が喉を突いて出そうになり、アルトは更に抱き締める腕に力を込める。
それから夢と現を何度も繰り返していると、次第に毛布越しに部屋がうっすらと明るくなっているのに気付いた。
「もう朝、……か」
あまり眠れた気がしないが、そっと毛布から顔を出す。
「っ」
横になる前にカーテンを閉め忘れていたようで、窓からは太陽の光が淡く入ってきていた。
アルトは反射的に目を眇めつつも、のろのろと起き上がる。
丸めた体勢のまま眠っていたため少し身体の節々が痛いが、気合いでベッドから降りた。
「……ん?」
ふと扉の隙間に何かが挟まっているのが目に留まり、アルトは訝しみながらもそれを拾う。
どうやら手紙のようだが、白い封筒には宛名はおろか差出人の名前すら書かれていない。
(使用人の誰かが落としたのか……?)
もしそうならば、後少しで朝食を持ってきてくれるであろうフィアナに渡せばいい。
テーブルに置いておこうとすると、不意にかすかに甘く爽やかな香りが鼻腔を擽った。
「これ……」
アルトはそっと手紙に鼻を近付けると、それはエルがいつも身に纏っているものだった。
エルのものらしい手紙が部屋に入れられた事が信じられない反面、こんな事で浮き足立っている自分がいる事に驚く。
アルトは頭で考えるよりも先に、勢いのまま手紙の封を切っていた。
二つに折られた便箋を開くと、ふわりと香りが強くなる。
『朔真へ』
エルの流麗な字で己の名前が書かれているのを見るのは久しぶりで、どこか懐かしさを思わせる。
視線を走らせると、文字は声となって再生された。
『いきなり部屋に戻らなくなってびっくりしたよね。ごめん、寂しい思いをさせて』
「……お前も謝るのか」
謝罪から始まる文面は数時間前の己を見ているようで、堪らず笑ってしまう。
同時に謝らせてしまった事が申し訳なく、小さく唇を噛み締めた。
『でも、あともう少しだから待っていてほしい』
アルトはその下の文に目を向け、やがて緩く首を傾げる。
『三日後にパーティーがあるんだけど、貴方にも出席してもらいたい』
「パーティー……?」
誰のパーティーなのか詳細には書かれておらず、何かあったかなと記憶を辿る。
「あ」
エルと共にレティシアと初めて対面した時『ソフィアーナの歓迎パーティーを開きたい』と言われたのだ。
あの時は心のままに頷いてしまったが、部屋を出てすぐにエルが倒れてしまった事で結局延期になったらしい。
とてもではないが昨日の今日──三日後、エルと仲睦まじくしていた王女のパーティーに行く気にはなれなかった。
(いや、欠席したら駄目だよな)
ただの自分の我儘で行かないとあれば、たとえ王配とあっても許されないだろう。
仮にもソフィアーナは第二王妃の姪で、それ以前に他国の王女を歓迎しないのでは国として外聞が悪いと分かる。
ただ、ソフィアーナに嫉妬してしまったのは事実なのだ。
もう一度この目でエルがソフィアーナと共にいるところを見るのが嫌だとしても、それが欠席する正当な理由としてはあまりにも弱い。
仮病を使う手も頭に浮かんだが、それではエルや他の使用人たちを心配させてしまう可能性があった。
「……変だな、俺」
寝る前までエルのことを信用できないと思い、少しの嫌悪すら抱いていた。
だというのに、いざ扉の隙間から差し入れられた手紙を開いて読んでみると、普段と何も変わらないエルの言葉の羅列に心が揺るぎそうになる。
まるでこちらが一方的に避けようとしていたのを分かっていたというようで、少し悔しかった。
「ん……?」
もう一枚便箋があるらしく、アルトはそっと二枚目を捲る。
『服を贈るから、当日はそれを着て。パーティーが始まったら、俺の傍から絶対に離れないで』
エルにしてはやや乱雑な筆跡でそう書かれていた。
「なん、で」
それはまるで『自分がソフィアーナの隣りに立つことは無い』と言われているようにも取れ、アルトは戸惑う。
もし予想が当たっていたとしても、その意図が分からなかった。
何か考えがあるのは分かるが、アルトにも知る権利があるのではないか。
(あいつが俺や周りに黙って何かをするのは、今に始まった事じゃない。……けど)
嫌な予感がしてならないのだ。
その反動か、便箋を持つ手がかすかに震えているのに気付く。
それを認めた途端、不意にくらりと目眩がしてきて、堪らずアルトはその場に膝を突いた。
「は、っ……は……ぁ」
反射的に手を突いたことで、封筒と便箋が毛足の長い絨毯にひらりと落ちる。
心臓がうるさく音を立て、呼吸が浅くなる。
額に脂汗が浮かぶのを感じ、唐突な自身の身体の変化に脳が追い付いていなかった。
(なん、だ……これ)
次第に視界が回り、吐き気が込み上げてくる。
しかし口から何も出る事はなく、アルトは蹲るようにして身体を小さくした。
ふぅふぅと息を繰り返し、頭の中で思うのはエルのことだけだ。
こんな時であっても考えてしまうのは心底惚れているからで、同時にほんの少し異性と話しているのを見ただけで嫌おうとしていた自分が情けなくなる。
(エルに、会いたい)
抱き締めてくれなくても、ひと目でも顔を見て安心したかった。
自身に掛けられた言葉ではなくても、一言でもいいから声を聞きたかった。
しかし今エルがどこにいるのかも分からず、アルトは喘鳴にも似た呼吸を繰り返すしかできない。
「おはようございます、朝食を──アルト様……!?」
しばらくして、いつも通り主の朝食を持ってきたフィアナが扉を開け、悲痛な声が聞こえるまでアルトはその場に蹲っていた。
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