【完結】その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第二部 三章

秘め事と思惑 6

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 レノシクス孤児院は、ムーンバレイ公爵邸から歩いて少しした所にあるという。

 活気のある通りは物売りをしている民の声で行き交い、そこかしこで賑やかな声がひっきりなしに響く。

 正直なところ、公務や視察以外で街に出る事自体久しぶりだった。

 自分の脚で民たちの様子をこの目で見る事すら新鮮で、そして隣りには愛しい男が同じ歩幅で歩いている。

 エルは外套のフードを目深に被り直し、ちらりとアルトに視線を向ける。

 時折触れる手がなんとも言えずもどかしいが、手を繋ぐには少し勇気が足りない。

(さっきの話、聞いていたのかな……)

 アルトは偶然聞いてしまったふうを装っていたが、どこまで聞いていたのかが気になった。

 レティシアに出会わないよう、エルが落ち着けるようにと一生懸命考えてくれたのは素直に嬉しい。

 ただ、ローガンの話を──王宮内にはエルの敵が多いというところから聞いてしまったのなら、弁明しなければならなかった。

 もっとも、こちらから切り出したとてどう足掻いてもその後が気まずくなってしまうため、はっきりと言えないのだが。

(俺は一人でも対処出来るけど……朔真に何かあったら、レティシア様でもただじゃおかない)

 ひとたび王宮に戻れば、レティシアだけでなくソフィアーナと出くわす事は必須だ。

 長期的とは言わないまでも、一国の王太子が姿を見せないとあっては心配させてしまうのは理解出来る。

 しかし父王以上に口を開く相手は第二王妃で、少なからず息のかかった貴族らがエルの姿を見た途端言うだろう。

『王女を娶らないのですか』

『ソフィアーナ王女が気に食わないのならば、他国の王女を複数寄越しましょうか』

 ソフィアーナはただ叔母の元に遊びに来た──というていのはずだ──が、レティシアが最後に言っていた言葉が脳裏に蘇る。

『正式にソフィアーナを妻に迎える、と約束なさい。でなれけば、内々にアルト王配殿下を……聡い貴方なら、すべて言わずともお分かりですね?』

 エルの予想が当たっていたとすれば、アルトは何者かの手で人知れずしいされてしまうだろう。

 ただの冗談などではなく本当にやってのける、レティシアの声音はそうした雰囲気があった。

 事実、レティシアを持ち上げている貴族らの大多数には、きな臭い噂が絶えない。

 それが根拠のない噂だったとしても最大限用心し、利用するに越した事は無いのだが。

「っ」

 エルはふとアルトに視線を向けると同時に、わずかに目を瞠る。

「──ありがとう、またな」

 にこにこと笑って言うアルトの両腕は、いつの間にか沢山の袋を抱えていた。

 エルが一人考え込んでいるうちに果物や野菜、菓子などを店の者から貰ったらしく、見るからに重そうだ。

「アルト」

 エルは掠れた声はそのままに、真正面に回り込む。

 あまり声を出すなとローガンに言われたが、少しの意思疎通で名を呼ぶくらいは許してほしかった。

「っ、エル……?」

 アルトは驚いた表情を見せたものの、エルが控えめに両手を差し出した事で何をしようとしているのか悟ったらしい。

「えっと、じゃあ……これ。もうすぐ着くけど、持っててくれるか?」

 言いながら果物の入った袋を差し出され、エルは満面の笑みで受け取った。

「……嬉しそうだな」

 やがて孤児院に続くという薄暗い路地に入ると、アルトがぽつりと呟く。

「いや?」

 こてりと首を傾げ、アルトを見る。

 前を向いていた青い瞳が不意にこちらに向けられ、柔らかく細められた。

「嫌じゃない。ただ……声、出せるようになったんだな」

 どこか安堵したような、ともすれば泣きそうな声だった。

 安心させたくて、エルはゆっくりと口を開く。

「……そう、だね。貴方のお陰、だ」

 声は相変わらず掠れたままだが、短い言葉であれば喉の負担は少ないだろう、というのがエルなりの見解だ。

 ただ、あまり己の身体を過信してはいけないという自覚はあった。

(朔真……)

 本当ならば、何度も名を呼んで、これまで言えなかった思いの丈をすべてぶつけてしまいたい。

 しかし喉は本調子ではないため、無理をしてはそれこそローガンに叱責されてしまう事は必須だ。

 やきもきしたまま歩いていると、ふとアルトが口を開いた。

「──そうだ。ルシエラが居るかもしれないけど、いつかみたいに顔に出すなよ?」

「いつか……?」

 何かあっただろうか、と首を傾げるとアルトが間髪入れずに応えた。

「商会に行った時」

 ああ、とそこでエルは合点した。

 確かに初めて会った時は二人の距離が思った以上に近く、嫉妬したのは事実だがそれ程顔に出ていたのだろうか。

 あまり表情は出ない方だと思っていたが、アルトの──『朔真』のことになると見境みさかいが無くなるらしい。

「孤児院には小さい子も居るから、極力喧嘩はやめてくれ。もししたら怒るからな」

 そこでアルトは立ち止まると、エルに視線を向ける。

「あと……別に俺は怒ってるわけじゃない」

 少し下から見上げてくる青い瞳は、暗がりの中でもきらきらと輝いており、宝石のようだと場違いなことを思う。

 アルトは腕の中にある袋とエルとを交互に見つめ、しかしはっきりと言葉にした。

「そりゃあ頼られないのは嫌だし、俺の考えた事は間違ってたのかと思って、責めたりもしたけど……」

 きゅうと唇を引き結ぶと、やがてアルトはエルをじっと見つめる。

「俺は何があってもエルの味方だから」

 こちらが気落ちしてしまいそうな時、周囲を信じられなくなった時、何度も言ってくれた言葉がいつも以上に心強く感じた。

 同時に、ローガンとの会話をほとんど最初から聞いていたのだと理解する。

(殺されるかもしれない、って聞いてしまったのに。どうして貴方はそんなに)

 強いんだ、という言葉が胸の内に落ちる。

 普通ならば恐怖し、逃げ出してもおかしくないはずだ。

 だというのにアルトはその何者かに立ち向かおうとし、エルの傍に居てくれている。

「……そうじゃないとこんなこと言わないし、お前の心配もしてない」

 アルトの声が反響し、ゆっくりと消えていく。

 どうやらこの男のことを随分と買い被っていたらしく、逆に相手を守る事ばかり考えている自分に呆れてしまう。

 エルに比べればアルトは確かに弱いが、それ以上に意志の強さがある。

 加えて負けん気が強く、それは王宮の騎士らと同程度はあるだろう。

「エルはずっと守ってくれてるけど……俺だって」

 仄暗い路地の中でも分かるほど耳の縁がほんのりと赤く染まっており、次第に愛しいという感情が生まれた。

「……さく、ま」

 気付けばエルはアルトの言葉を遮り、頬に手を添えていた。

 温かな唇に触れるだけの口付けを落とすと、ほのかな甘さが伝わる。

 蜂蜜か、と理解すると同時にぐいと胸を押された。

 あまり力は強くはなかったが、エルはわずかに距離を取る。

 少し顔を傾けて見ればアルトの頬は袋の中にあるリンゴと同じくらい赤くなっていた。

「な、おま……! せっかく真剣に話してるのにキスするか、普通!?」

 アルトは口元に手を添え、小動物のようにぷるぷると震えている。

 心做しか『もっと』と言っているようにも見えたが、そう思っているのは己の方ということに気付く。

(本当に……貴方は可愛い)

 いくら怒られようとアルトには──『朔真』には、一生敵わないらしい。

 今ですら可愛いと思い、袋を持っていなければ抱き締めてしまいたいほどなのだ。

「ごめん、貴方が……可愛い、から」

 くすりと小さく笑いながら、エルは思ったことと同じ言葉を唇に乗せる。

 すると先程に比べて声は掠れておらず、いつの間にか喉の調子も普段通りになっていた。

 何かが喉に張り付く違和感も、背後からやってくる恐怖ももう感じない。

 (これは……)

 自分でも不思議な感覚に支配され、しかしどこか晴れやかな気持ちのまま、今度は赤く熟れた頬にキスをする。

「おま、可愛い、とか……キスもそんな、簡単に……!」

 エルの甘い言葉と表情に堪えきれなかったのか、アルトはぷいととそっぽを向いた。

「……早く行くぞ。みんな待ってる」

 ぶっきらぼうな口調で言うと、アルトは路地の奥にあるたても向けて歩き出した。

「ん」

 照れているのも可愛いな、と思いながらエルは後を着いていく。

 時折冷たい風が路地の間を吹き付けたが、心は不思議と暖かかった。



 ややあって、こぢんまりとした建物が姿を現す。

「こんにちは」

 言いながらアルトが建物の扉を開けると、すぐに初老の女性がこちらに気付き、満面の笑みで駆け寄ってきた。

「まぁ、王配殿下! ようこそいらしてくれました」

 パタパタと慌ただしくこちらにやってきて、アルトを歓迎した。

「お元気そうで良かったです、フランツ先生。……でも、前も言ったけど王配殿下は止めてください」

 アルトは苦笑しながらフランツに袋を差し出し、ちらりとこちらを見た。

「今日はその……俺の大事な人と来たんです。大丈夫、でしたか?」

 王太子、と言わないのは子供たちの視線がこちらに向けられているからだろう。

 事実、そうでなくてもエルは目立つ。

 高身長というのを抜きにしても、今は外套のフードを目深に被っている。

 顔もほとんど見えないため、その出で立ちも相俟あいまって不思議なのだろう。

「ええ、ええ。もちろんです。あまり豪華なもてなしはできないけれど、どうかご容赦くださいませ」

 フランツはアルトの言わんとする事に気付いてか、にこにこと頷いた。

 そしてエルに顔を向けると、フランツは笑みを浮かべたまま言う。

「ようこそおいでくださいました、フランツ・レノシクスと申します。貴方様にお会い出来て恐悦至極にございます」

 目尻に出来た皺が可愛らしい、おっとりとした雰囲気の女性は続いて子供たちに視線を移す。

「さぁ、貴方たちもアルト様と……エル様にご挨拶なさい」

 フランツの言葉に、エルは小さく目を見開いた。

 本来であれば王族が予告なく訪ねたとあっては平身低頭するはずだが、そこは年の功なのだろうか。

 ただ、フランツはエルの顔を知っていても尚、普段通りに接してくれているのはありがたかった。

 こちらをじっと見ていた子供たちは、フランツの声に一目散に走ってきた。

 アルトとエルの目の前にやってくると、口々に挨拶をする声が響き渡る。

「ひさしぶり、アルトにいちゃん!」

「来てくれるの待ってた!」

「そのひと、だぁれ?」

 アルトは子供たちに目線を合わせ、一人一人の小さな頭を撫でたり順番に声を掛けていく。

「って、見ないうちに大きくなったんじゃないか、レオ」

 するとアルトは一人の少年──レオに目を留め、やや弾んだ声で言った。

「そーだろ? たっくさん寝てるからな! オレもミハルドみたいにでっかくなってやるんだ」

「……そうか。でも沢山食べないとでっかくなれないし、身体も強くならないぞ」

 アルトはやや眉根を寄せ、レオに言う。

 レオは他の子供たちに比べて歳上らしく、育ち盛りというのを抜きにしても孤児院には食料が足りないため、同年代よりも身体の線が細いように見えた。

(今日持ってきた分だけじゃ到底足りないだろうに)

 エルはざっと子供たちに視線を移す。

 玄関から続く広間を含めても十人以上はおり、乳飲み子や他の部屋に居るらしき子を含めるともっとだろうか。

(王家も支援する、って言ったら……朔真は怒るかな)

 周辺の貴族らは古くからあるこの孤児院へは支援せず、比較的新しい孤児院への支援を惜しんでいない、とミハルドから聞いていた。

 よもやここまでとは、とエルは落胆にも似た悔しさを感じた。

 ただ、これからの国の未来を担う子供たちをこんなところで死なせるわけにはいかない。

『アルト』がどんな思いでここに出入りしていたのか、今なら分かる。

 そしてそれは『朔真』にも受け継がれ、今こうして自分は脚を踏み入れている。

 もう見て見ぬふりはできない、そんな思いが込み上げる。

「っ」

 不意にアルトにそろりと手を握られ、小さく肩が揺れた。

「──居るのは今日だけかもしれないけど、仲良くしてくれるか?」

 どうやらエルを紹介してくれていたようで、声音には愛しさが滲んでいた。

「わかった!」

 一人の元気な声が響き、それは次第に伝播でんぱする。

「ね、あそぼ!」

 そう一人の少年が言うが早いか、ぐいぐいと腕を引かれ、エルは瞬く間に幼い子たちの輪の中に入った。

「ちょ、待っ……て」

 エルは突然の事にやや掠れた声もそのままに、しかし手を引かれているため振りほどけもできず、慌てて着いていくしかできない。

 背後からアルトの忍び笑いが聞こえたが、振り向く暇はなかった。



 ◆◆◆



 その日の夜、王宮の廊下には二つの大きな影があった。

 ミハルドは隣りに立つ弟──レオンに語り掛ける。

「それは本当、なのか……?」

 つい今しがた聞いた言葉が信じられず、ミハルドは反射的に瞳を開く。

「ええ、この目で見たので間違いありません。……して、どうされますか」

 自分とよく似た、しかし少しばかり明るい赤眼がこちらを向いた。

 ほんの少し目をすがめ、ミハルドは小さく唸る。

 レオンは王太子の側近であると同時に、国の周辺を暗躍している。

 夜は特に『仕事』をしているため、こうして話が出来ている事は稀だった。

 しかし対面して最初の内容があまりにも予想外のもので、くらりと目眩がしてくる。

「まずは陛下に報告してからだ。……いや、私が行ってもいいが」

 ミハルドはこめかみを抑えながら廊下を二歩三歩と進み、ややあって振り向いた。

「どうする、一緒に向かうか」

 普段よりもずっと低い声は、エルにはもちろんアルトにすら聞かせていない。

 紛れもない身内にだけ向ける声に、レオンがふっと微笑むのが月明かりに照らされていた。

「では兄さんにお任せします。私はまだやる事がありますので」

 しかしそれも一瞬で、レオンは表情を改めると腰からお辞儀をする。

「それに……報告はお一人の方が良いでしょう?」

 次に顔を上げた時のレオンは、普段の無表情ではなく満面の笑みを浮かべていた。

 どこか空恐ろしい雰囲気を肌で感じつつも、ミハルドは曖昧に頷く。

 レオンが時々不穏な影をまとっているのを分かってはいても、そこを突く勇気は持ち合わせていなかった。

「お前が気を遣う必要は無いんだがな」

 ただ、たった今放たれた言葉が冗談だというのは分かる。

 レオンには珍しく、からかいを含んだ声を抑えていないからだ。

 ミハルドがすっと瞳を閉じたのを合図に、レオンは反対側の廊下に向けて歩き出した。

「──あまり無茶はするなよ」

 レオンに向け、聞こえるか聞こえないかの声で囁く。

 返答は無かったが、その代わりにかすかな鼻歌が耳に届いた。
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