【第三部連載中】その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第二部 二章

変わりゆく日々 5

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「じゃあ探してくるから待ってて」

 アルトがこちらに向けて軽く手を上げ、エルは小さく頷いた。

 ややはにかんだ表情を見せると、アルトは足早に目的らしき本棚に向かっていく。

 その姿を目で追いながら、エルは一人椅子に座ってテーブルに肘を突いた。

 目の前にはいつでも筆談出来るよう紙とペンを置いているため、エルは何とはなく黙々と小さくアルトの顔を描いた。

(我ながら子供じみてるけど、いい暇潰しになる)

 簡単な絵はもちろん、目の前にモデルが居れば何であれ描ける。

 幼い頃に読む気にもならない書物を読んでいる時、手慰みに手近にあったものを紙に描き起こしていた。

 あの時は教師に諫められたものの、絵の楽しさに見出されたためエルの好きなことの一つになっているほどだ。

 ここ数ヶ月は何かを描く暇などなかったが、久しぶりに描くと段々楽しくなってくる。

 アルトはこの絵を見て、どんな表情を見せてくれるだろうか。

 あまりにも可愛らしい反応をされては理性を抑えるのに気力が必要だが、満面の笑みを向けて喜んでくれるのは分かっている。

(朔真は分かりやすいから)

 エルの行動一つで百面相するさまは見ていて楽しい。

 時にやり過ぎてしまう自覚はあるものの、どんな形であれすべてを享受してくれるのはありがたかった。
「ん……?」

 ふとエルは緩く顔を上げる。

 今日は丁度民に向けて図書室を解放しているらしく、幼い子供らの声がちらほらと耳に入る。

「王太子様ー? 何書いてんのー?」

 すると、やや高い声がほど近くから響いた。

 声がした方を見れば十歳ほどの少年や少女が手元を不思議そうに見ており、ともすればきらきらと瞳を輝かせている。

 エルはその下の紙にさらさらとペンを滑らせた。

『王配だ。今日は付き添いで来たから待っているんだ』

 そっと少年の前に置き、みんながみんな一枚の紙を覗き込んだ。

「王太子様、お話できないの……?」

 少年の後ろからやってきた少女が心配そうに言い、エルは一瞬考えた後ゆっくりと書き連ねる。

『ああ、少し声が出にくくて。でも、すぐに出せるようになるから心配しないでほしい』

 本当のところ、どれほど掛かるか分からないが自身の身に起こった事を正直に伝える訳にもいかない。

『それまでは筆談だけど大丈夫か?』

 努めて普段の口調で続けて書くと、少女は眉を寄せていたもののやがて微笑んだ。

「うん。お話、したい!」

「俺も! なぁなぁ、王太子様聞いて──」

 少女や少年の言葉を皮切りに、間瞬く間に周囲が騒がしくなる。

(この子たちは……)

 エルは淡く口角を上げる。

 実際、声が出ないと手間が増えてしまうのは事実だ。

 口頭ですぐに伝えられる事も一から文字に起こさなければならず、その少しの『間』を待ってくれる相手によっては申し訳なさがある。

 しかし、こうして子供らが話したいと言ってくれるのはありがたかった。

 次第にエルの姿を見つけた子供たちが集まってきた。

 どうやら紙を持っている事に加え、あまり見ない王太子が珍しいらしく、しきりに声を掛けてくれる。

 エルは飛び交う言葉に順番にペンを走らせて答えながら、時としてリクエストされた絵を描いているとあっという間に時間が過ぎた。

「おうたいしさま!」

「うん……?」

 緩く顔を上げて声がした方を見れば、四、五歳ほどの少女がパタパタとこちらに向かって走ってきていた。

 どこか恥ずかしそうな表情で、後ろ手に何かを持っているようだ。

 エルはペンを置くと椅子から立ち上がり、少女に目線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ。

 緩く首を傾げ、ゆっくりと『どうした』と唇を動かす。

「これ、あげる!」

 目の前に差し出されたのは、王宮の庭に咲いている花を集めて作ったらしい小さな花冠だった。

 エルは小さく目を瞠ると、少女ははきはきと言った。

「おうたいしさま、げんきなさそうだったから。だからね、つくってきたの」

 へへ、とはにかみながら少女が続ける。

「おそとにいるおじさんたちがね、おはなをあげたらどうだっていってくれたの。おねえちゃんにも、てつだってもらったんだよ」

 その後ろから、遅れてやってきた少女の姉らしき子がぺこりとお辞儀した。

「アナがどうしてもって聞かなくて……ごめんなさい、勝手にお花を摘んでしまって」

 どこか申し訳なさそうに眉を寄せ、エルを遠慮がちに見つめる。

 少女──アナはエルの目の前までやってくると、そっと頭に花冠を載せた。

「げんきになれるおまじない!」

 満足そうにアナは笑みを深めると、とてとてと姉の後ろに隠れる。

 その仕草が可愛らしく、ふっとエルは目を細める。

(……前もこんな事があったっけ)

 いつだったか、また別の少女からもこうして花を貰った。

 その時は誕生日が近いからという理由だったが、こうして節目らしきものがなくても人から貰うのはほとんど初めてだった。

 エルは姉の後ろに隠れるアナの肩をそっと叩いた。

『おいで』

 唇でそう形作ると、エルは二人に向けて軽く手招きする。

 すぐにやってきた少女らは、エルが椅子に座ると同時にテーブルを覗き込んできた。

 周囲の子供らの視線が更に増えた気がしたが、そのまま紙にペンを踊らせる。

 薄く顔や身体といった全体の輪郭を描き、続いて髪や服装をちらりとアナを見ながら描いていく。

「わぁ……!」

 やがてアナが感嘆の声を上げ、エルはそのまま視線を受け止める。

 姉である少女は声にこそ出さないものの食い入るように見つめており、時折小さく息を呑んでいるのがかすかに耳に届いた。

「──賑やかだな」

「あ、アルト様だ!」

 不意にやや笑いを含んだ声が耳に響くと同時に、子供らのうちの一人がその名を口にする。

 そろりと顔を上げると、首のほど近くまで本を積んでこちらにやってくるアルトが見えた。

「ごめん、色々探してたらこんなになって……っと、持ってくれるのか。ありがとう」

 よろけながらこちらに向かってくるアルトを見兼ねた数人の子らが、パタパタと駆け寄っていく。

 エルは淡く頬を緩ませながら、改めて手元に視線を移した。

(本当に本が好きなんだな)

 嗜好品としても、単に調べるためでも、アルトは一度に大量の本と向き合う。

 それは根が真面目な所以ゆえんなのか、自分には到底できない事だった。

(……出来た)

 テーブルに向かったのはものの数分だが、その紙をアナの前に滑らせる。

「これ、アナ……?」

 アナは信じられないという表情で、エルを見つめる。

 そこには満面の笑みで、大きな花束を抱えているアナが描かれていた。

 黒一色で簡潔ではあるが、誰が見てもアナと分かるだろう。

 エルはすぐに別の紙にペンを走らせる。

『雑ですまないが、花冠のお礼だ。もらってくれるか?』

 そっとアナを描いた紙の横に置き、反応を伺う。
「うん。……うん! たからものにする!」

 ぎゅうと紙を身体の前で抱き締め、アナが花開くように笑った。

『宝物にするなら、もう少し上手く描いたら良かったな』

 エルは片頬に笑みを浮かべ、ほんの少し悪い顔をする。

 それにアナが慌てて言い募った。

「そんなことない! おうたいしさま、とってもじょうずだよ!」

「……っふ」

 懸命に励まそうとしているアナの言葉に遅れて、忍び笑いが静かに響く。

「いや、ごめん。笑ったんじゃなくて、えっと」

 声のした方にエルだけでなく子供たちも視線を向けると、アルトが口元に手をあてて慌てていた。

「エル、本当になんでも出来るんだなって。みんなから描いた絵を見せてもらったけど、俺には絶対無理だ」

 小さく苦笑したアルトに、エルはぱちくりと目を瞬かせる。

『じゃあ貴方も描いてみて』

 いそいそとエルはアルトの座っている椅子に回り込み、紙を見せてにこりと微笑んだ。

「俺も!? いや、無理だって……下手だし」

 もごもごと唇を動かし、同時にわずかに耳が赤く染まった。

 恥ずかしい時のアルトの癖だ、と嬉しく思いこそすれそんなに言うなら、という好奇心がむくむくと湧き出てくる。

『描いてみて』

 そこを指で指し示しながら、『俺を』とアルトにだけ分かるように唇を動かす。

「……絶対に、絶対に笑うなよ」

 蚊の鳴くような声が静かになりつつある図書室に響いてから、十分近くが経った。

「ほら」

 短い声が聞こえ、向かいに座って完成を待っていたエルはこちらに向けられたた紙に視線を落とす。

 いつの間にか子供たちは飽きてしまったのか、周囲には誰もいなかった。

(……これは)

 なんだ、という感情をすんでのところで飲み込む。

 丸の中には小さな点が三つあり、そのすぐ下には口らしきものが逆三角形で描かれていた。

 辛うじてエルだと理解出来るのは髪型だけで、他に特徴的なはものはない。

 身体は断念したのか、顔から下は描かれていなかった。

「……なんか言えよ」

 アルトは拗ねたように唇を尖らせ、やや上目遣いで睨んでくる。

 その仕草を可愛いと思う感情と、何か書かなければいけないという感情とで、頭の中の天秤てんびんが揺れる。

『上手だよ』

 にこりと微笑んで紙面を向けると、アルトはそれを見るが早いかこちらにやってきた。

「いや嘘だろ! 絶対下手くそって思っただろ!? 分かるんだぞ、それくらい」

 舐めるな、と悪態を吐くようにアルトが続ける。

 このまま抱き締めたい感情を細く深呼吸して落ち着けると、笑みを深くして心からの気持ちを書き連ねた。

『本当だよ。貴方が俺のために描いてくれたんだ、それだけで嬉しいから』

「……遠回しに下手って言ってるよな、それ」

 どこまでも卑屈になっていくアルトに苦笑し、エルは続けてペンを動かす。

『これ、貰ってもいい?』

 ちらりと少し上にあるアルトの顔を見つめ、首を傾げる。

「……こんなのでもいいって変わってるよ、エルは」

 どこか諦めたような口振りで、アルトが呟いた。

 飾りたい、と書かなかっただけまだ良いだろう、と己を褒める。

(まさか朔真にも苦手なものがあるなんて)

 何事も真面目で、時々泣き虫で、それでいて可愛らしい男の新たな一面を知れた気がして嬉しかった。

 それに、少し見慣れればそれ以上の愛おしさが募っていく。

「……やっぱ笑ったから駄目」

「っ」

 不意に眺めていたそれが奪い取られ、頭上に掲げられる。

『どうして』

「駄目ったら駄目だ! もうエルの前で描かない!」

 アルトのやや焦ったような、羞恥を含んだ声が図書室に響き渡る。

 やがて午前は穏やかに過ぎていき、公爵邸へ向かう時間が近付いていく。

 まさか愛しい男の邸に招待される事になるとは、という気持ちがエルの胸をいっぱいにしていた。
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