【第三部連載中】その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

文字の大きさ
上 下
40 / 88
第二部 二章

変わりゆく日々 2

しおりを挟む
 浅い呼吸を繰り返し、額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 シャツをくつろげさせようかと思ったが、すべてが気だるいのかエルは扉に凭れたまま脚を投げ出し、指一本すら動かしていない。

「大丈夫、か……?」

 とても大丈夫には見えそうにないが、アルトはそう聞かずにはいられなかった。

 するとエルは弱々しく首を振り、のろのろと膝を抱え込むようにして顔を伏せた。

「は、……っ」

 聞こえるのは苦しそうな呼吸だけで、身体の震えは少し和らいだものの、完全に収まる気配はない。

「……エル」

 アルトは膝を突くと、エルの指通りのいい黒髪をそっと撫でた。

 一瞬ぴくりと頭が動いたが、触れられていると安心するのか、されるがままだ。

「誰か呼んでくるから、ちょっと待って……嫌、か」

 このままにしておく訳にもいかず、部屋の外に人を呼びに行こうとするもののすぐに頭を横に振られる。

「でも、このままじゃ辛いだろ? せめてベッドで寝ないと……」

「──いて」

 尚も言い募ろうとすると、蚊の鳴くような声が聞こえた。

「ここ、いて。おれの、そばから……はなれない、で」

 震える声音や身体はそのままに、エルが悲痛な声で呟く。

 ぎゅうと手を握られ、そのままアルトは仕方なくエルの隣りに腰を下ろした。

 これでは外へ出ようとしても、エルが扉の前に居るため出られない。

 加えて廊下に人が通っているのかも分からず、焦燥感で額に汗が滲む。

(どう、したら……)

 きゅうと心臓が痛いほど音を立て、鼓動が早くなる。

 ここまで弱ったエルを見るのは初めてで、どうすればいいのか分からなかった。

 そもそも体調の悪い人間を相手にした事などほとんどなく、加えて愛しい男が辛そうにしているのをただ見ているだけなのは耐えられなかった。

(ここでゆっくり、休めそうな場所……)

 アルトは懸命に頭をはたらかせながら、落ち着きなく周囲を見回す。

 部屋の奥にはやや大きなベッドがあるだけで、それ以外は小さな棚に申し訳程度の本が入れられているだけだ。

 勢いで部屋に入ったはいいが誰かの部屋のようで、しかし使い込まれた形跡はほとんど感じられなかった。

 がらんどうだが定期的に掃除がなされているのか、埃っぽくはないのが救いだろう。

 見つけたベッドへ向けて手を引こうにも、エルに動く気は少しもないらしく、他の方法を考えついても堂々巡りでしかなかった。

「……なんだこれ」

 ふとアルトの足元に何かが当たり、そっと空いた方の手で拾い上げる。

 指先ほどの小さな塊は鈍く光っており、少し重さがあった。

「拳銃とかの弾、か?」

 きらりと光るそれは小説の中でしか見たことはないが、無意識に口を突いて出ていた。

「──誰かいるのか」

「っ!」

 不意に低い声が部屋の外から聞こえ、同時に扉がそろりと開けられる。

 アルトは反射的に立ち上がり、扉に視線を向けた。

 エルが凭れ掛かっているため廊下から漏れる光程度しか開いていなかったが、その隙間からはどす黒い血に似た瞳がうっすらと見えた。

「ミハルド、さん……?」

 よく知った顔を思い浮かべ、アルトはその名を口にした。

「……王配殿下ですか。兄ではなくて申し訳ございません、レオンハルトです」

 小さな謝罪をすると、感情の分からない声で男──レオンはゆっくりと続けた。

「こちらからかすかに声が聞こえ、駆け付けた次第なのですが……扉の前に何かを置いているのでしょうか」

「っ、助けてくれレオンさん! エルが、エルが……このままじゃ……!」

 アルトは扉に向かって半ば叫ぶように言った。

 知らず己の手はエルの手をぎゅうと痛いほど握っており、しかし先程のように力が込められる事はなかった。

「殿下が? ……落ち着いて。何があったのか、順を追って説明していただけますか」

 レオンは一瞬言葉に詰まったものの、すぐに冷静な声音で事の経緯を促す。

 エルの手を強く握ったまま、アルトは掻い摘んで事の次第を唇に乗せる。

「さっき、レティシア様に会ってきたんだ。でも途中から急にふらついて、退席したらもっと辛そうにしてて。エルは少し休んだらいいって言ってたけど……どんどん酷くなってる」

 ちらりとエルを見つめると、喘鳴はそのままに肩で大きく息をしていた。

 心做しか白い肌が更に白く見え、死人のような錯覚さえ覚える。

「鍵が開いてたから、休ませるためにここに連れてきた」

 でも、とそこで言葉を切ると、扉の向こうにあるレオンの赤い瞳を見つめた。

「部屋を出た後から、ずっと震えてるんだ。俺の声も多分、聞こえてない。どうしようレオンさん……! 俺……おれ、エルがいなくなったら……!」

 自分でも何を言っているのか理解しきれていないが、エルを守って欲しい──そんな想いでまくし立てる。

「……分かりました。衛兵を数名こちらに向かわせ、自室に医師を呼び寄せて参ります」

 レオンはすぐに扉を閉めようとしたが、王配殿下、と扉の隙間から言うとこちらを見下ろした。

「貴方は私が戻るまで、殿下に声を掛けてさしあげてください。──きっと、その方が安心されるでしょう」

「……分かった」

 その言葉を言い終わる前に薄く開けていた扉が閉まると、アルトは改めて床に膝を突いた。

 レオンにしてはやや慌ただしい足音を聞きながら、エルの肩をそっと揺する。

「もう少ししたら、レオンさんと衛兵の皆が部屋に連れて行ってくれるって。その時に扉開けるから移動、できるか……?」

 言いながら手を軽く引くと、そろりとエルが顔を上げた。

 時間にしてこの部屋に来たのは十分にも満たないというのに、その表情は酷くやつれて見えた。

「さ、くま……?」

 何度もゆっくりと瞳を瞬かせ、ぽそりと吐息に近い声で名を呼ぶとエルの身体がそのまま横に傾く。

「エル……!」

 慌てて肩を貸そうとしたが、やや前──膝の上に頭が載せられた。

 間一髪で床に直撃する事はなかったのを幸いに、汗で張り付いた髪を耳に掛ける。

「っ……!」

 掠めるように触れた頬や首は火傷しそうなほど熱く、ともすればこのまま死んでしまうのではないか、という錯覚に陥った。

(いや、死なない。エルはこんなことじゃ、死なない……!)

 自分に言い聞かせるように、心の中で『大丈夫』と繰り返す。

 そうしなければとても心を保っておれず、レオンや衛兵が来るまでにこちらの意識が途切れてしまいそうだった。

「さく、ま。朔真……」

 うわ言のようにエルが何度も何度も名前を呼んでくれ、知らず涙腺が緩む。

(エル……)

 レティシアに会うまで普段通りだったというのに、ここまで不調になる原因が単なる体調不良ではない気がした。

「あなた、……は」

 不意にエルの手が震え、アルトの手を摑む。

 先程に比べて力はなかったが、握り返してくれた事が堪らなく嬉しく感じた。

「うん、何?」

 涙を堪え、エルの唇に耳を寄せる。

「あなたは、おれから……はなれない? きらい、とか……おれのまえから、にげようとか……おもわない?」

 やや泣きそうな、上擦った声でエルが囁くように問うた。

「何、言ってるんだよ」

 どこかで聞いたような言葉が聞こえ、こんな時なのにふっと頬が緩む。

「離れないし、嫌いにもならない。もちろん、逃げようとか思わない。……ちゃんと、エルの傍にいるだろ?」

 焦点の合っていないエルの瞳がこちらを向き、じっと見つめられる。

 透明で美しい水色の瞳が今ばかりはかげりを帯びており、そんなエルにアルトは安心させるように微笑んだ。

 いつもエルがこちらに向けてくれる笑みを真似ると、そっと頭を撫でて頬を撫でる。

 熱い感覚が手の平に伝わり、それだけで泣きそうになってしまいそうだった。

(辛い、よな)

 震えは収まっているものの、代われるものなら自分が今すぐにでも代わってやりたい、という感情が心の中を支配する。

 それと同時に、レティシアと対峙した時のエルの恐れにも似た横顔を思い出し、かすかな疑問が浮かんだ。

(レティシア様かソフィアーナさん、もしくは二人ともが原因、なのか……?)

 もしアルトの予想が当たっていたとすれば、真実がどうあれエルの傍に近付けるべきではないだろう。

 公式な場では仕方ないが、そもそも『レティシアが呼んでいた』と伝えなければよかったのでは、という考えがふと頭をもたげる。

(いや、俺から伝えなくてもきっとレオンさんが言うから意味なんてない。でも)

 エルはソフィアーナに抱き着かれた時、ほんの一瞬だけ目を見開いていた。

 あれは突然の事に驚いたのではなく、ソフィアーナの何かが気に入らなかったのではないか。

(そう考えたらエルの言葉や行動も……昨日みたいな事も、全部説明がつく。あとはその何かだけ)

 それさえ分かれば、エルを守る事が出来る。

 エルは己を──『アルト』を守ろうとしてくれた時はもちろん、その後に本当の『朔真』を受け入れてくれたのだ。

 あまりに大き過ぎる借りを、今度はこちらが返す番だと思った。

「……エル」

 言いながらエルの頬に手を添えるとそっと顔を伏せ、ゆっくりと顔を傾ける。

 こちらを見つめる瞳は優しさを滲ませているでもなく、愛おしそうに見つめ返すでもなく、あるのはただ虚空だけだった。

 そろりと瞼を伏せると、周囲に闇が広がる。

 アルトはきゅっと唇を噛み締め、愛しい男の頬を撫でた。

「ん、っ」

 小さな声がエルの唇の端から漏れ、その声ごと己のそれを重ねた。

 泣いていたのか、普段のキスよりもほんの少し塩辛い味がした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

買われた悪役令息は攻略対象に異常なくらい愛でられてます

瑳来
BL
元は純日本人の俺は不慮な事故にあい死んでしまった。そんな俺の第2の人生は死ぬ前に姉がやっていた乙女ゲームの悪役令息だった。悪役令息の役割を全うしていた俺はついに天罰がくらい捕らえられて人身売買のオークションに出品されていた。 そこで俺を落札したのは俺を破滅へと追い込んだ王家の第1王子でありゲームの攻略対象だった。 そんな落ちぶれた俺と俺を買った何考えてるかわかんない王子との生活がはじまった。

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

実はαだった俺、逃げることにした。

るるらら
BL
 俺はアルディウス。とある貴族の生まれだが今は冒険者として悠々自適に暮らす26歳!  実は俺には秘密があって、前世の記憶があるんだ。日本という島国で暮らす一般人(サラリーマン)だったよな。事故で死んでしまったけど、今は転生して自由気ままに生きている。  一人で生きるようになって数十年。過去の人間達とはすっかり縁も切れてこのまま独身を貫いて生きていくんだろうなと思っていた矢先、事件が起きたんだ!  前世持ち特級Sランク冒険者(α)とヤンデレストーカー化した幼馴染(α→Ω)の追いかけっ子ラブ?ストーリー。 !注意! 初のオメガバース作品。 ゆるゆる設定です。運命の番はおとぎ話のようなもので主人公が暮らす時代には存在しないとされています。 バースが突然変異した設定ですので、無理だと思われたらスッとページを閉じましょう。 !ごめんなさい! 幼馴染だった王子様の嘆き3 の前に 復活した俺に不穏な影1 を更新してしまいました!申し訳ありません。新たに更新しましたので確認してみてください!

弟が生まれて両親に売られたけど、売られた先で溺愛されました

にがり
BL
貴族の家に生まれたが、弟が生まれたことによって両親に売られた少年が、自分を溺愛している人と出会う話です

【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」  洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。 子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。  人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。 「僕ね、セティのこと大好きだよ」   【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印) 【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ 【完結】2021/9/13 ※2020/11/01  エブリスタ BLカテゴリー6位 ※2021/09/09  エブリスタ、BLカテゴリー2位

処理中です...