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第二部 二章

変わりゆく日々 1

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 華美な装飾の施された部屋には、どこか張り詰めた空気が流れている。

 レティシアは来訪者を交互に目に留めると、にこりと微笑んだ。

 ややつり目がちの瞳は微笑むとわずかに目尻が下がり、どこか少女のような雰囲気を漂わせる。

「よくいらっしゃいましたね、エルヴィズ。……王配殿下も御機嫌うるわしゅう」

 レティシアは椅子から立ち上がり、淡いのドレスの裾をそっと摘むと軽くこうべを垂れた。

 こちらも礼を返すべきかと思ったが、エルが何も行動を起こさないため直立不動のままだ。

「……第二王妃様におかれましては、ご健勝のようで。大変喜ばしく思います」

 ややあってエルは格式張った言葉を唇に乗せると、そっとアルトの肩を抱いた。

「昨夜、私をお呼びだとレオンハルトから伺ったのですが。王配を同席させる意味はあるのでしょうか」

(エル……?)

 どこか怒気を孕んだ口調に、アルトは戸惑いながらもエルの横顔を見つめる。

 低い声は王太子としてのそれだが、エルの瞳はいつになく冷えきっていた。

 まるで目の前の──レティシアが敵であるかのように。

「簡単なことですわ。この子を貴方と……王配殿下に紹介するため、同席を願った次第です」

 レティシアはエルの視線に怯むことなく、さぁ、と隣りに立つ少女の背を軽く押した。

 亜麻色の髪をした少女は頬を薔薇色に染めながらも、はきはきと言った。

「は、はじめまして、エルヴィズ王太子様! デレッタント帝国は第五王女、ソフィアーナ・デレィシスと申します」

 そしてレティシアと同じくドレスの裾を摘み、そっと頭を垂れる。

 亜麻色の髪がさらさらと落ち、ふわりと花のような香りが鼻腔をくすぐった。

 アルトはしばらく少女──ソフィアーナを見つめ、思う。

(人形、みたいだ……)

 淡い亜麻色の髪は天井に吊るされたシャンデリアが反射して、きらきらと輝いている。

 角度によっては白銀にも金髪にも見える、不思議な髪色だった。

 丸く大きな瞳は薄い赤で、瞬く度に長い睫毛が頬に柔らかな影を落とす。

 小さな唇は赤くぽってりとしており、日焼けを知らないほどの白い肌も相俟あいまって、どこか浮世離れした雰囲気を漂わせている。

「ん……?」

 ソフィアーナがこちらに向かってくるのが視界に入り、アルトは瞬きを繰り返す。

 可憐な顔がゆっくりと近付き、やがて人ひとり分の距離を開けて立ち止まった。

 間近で見るとやはり人形のようで、不思議と視線を捕らわれてしまう。

「──た」

 ぽそりとソフィアーナが何かを呟いたが、それは小さ過ぎて聞こえなかった。

 アルトだけでなくエルも不審な瞳を向けたのと同時に、ソフィアーナがエルの身体目掛けて飛び込んだ。

「っ……!」

 反射的にエルが王女を抱き留める。

 すぐに引き剥がそうとした手は、どうしてかそのまま空中で止まった。

「やっと。やっと、お会い出来た……! エルヴィズ様……!」

「は……っ?」

 女性特有の高い声が聞こえ、それから程なくしてエルの小さな声が漏れ聞こえる。

 真横から甘い香りが漂い、女という紛れもない匂いが鼻腔を強く刺激した。

 ぎゅうと衣服の隙間など無いほどのソフィアーナの距離に、アルトの心にうっすらと影がかかった。

(ちょっと、……いや、かなり近過ぎやしないか)

「……あの、離してはくれないでしょうか。ソフィアーナ王女」

 エルの声が、ほんのわずかに震えていた。

 どうしたものかという行き場のない手すら小さく震えており、アルトの違和感が増していく。

(どうしたんだ……?)

 しかしソフィアーナはそう気に留める事なく、ぎゅうぎゅうと身体を密着させる。

「いいえ、離しませんわ。だって、私はずっと貴方様に──」

 ふとソフィアーナがエルを見上げると、その体勢のまましばらく固まった。

「も、申し訳ございません……!」

 言いながら飛び跳ねるようにエルから身体を離すと、両手で顔を隠しながら俯きがちに後退あとずさる。

「私ったら、大変はしたない真似を……!」

 レティシアの座る椅子の背後に隠れるように、ソフィアーナが身体を縮こまらせた。

 わずかに見える頬は真っ赤に染まっており、ぷるぷると小刻みに身体を震えさせていた。

 小動物を思わせるソフィアーナの様子に、アルトの心がほんの少し浄化されていく。

(小動物か何かか……?)

 捕食される前の小さなうさぎが脳裏をぎり、慌てて打ち消す。

 一国の王女に向けて考えていいことではない、と己を戒めた。

「まったく貴方は……あれほど感情に任せて行動するな、と何度も言ったでしょう?」

 レティシアの呆れた声音に、見る間にソフィアーナはしょんぼりと項垂れる。

「……すみません、叔母様。取り乱しました」

 力ないソフィアーナの声に、レティシアは短く息を吐くとやおら立ち上がる。

「──エルヴィズ」

 ゆっくりとこちらに向けてやってくるレティシアに気付いたエルは、床に片膝を突いて頭を下げる。

 半ばくずおれるような動きに心配になったが、アルトもそれにならった。

「あまり堅苦しい事はよしてちょうだい。私と貴方の仲ですのに」

 エルヴィズ、とレティシアはドレスが汚れるのも構わず膝を突いた。

「……っ」

 びくりとエルの肩が跳ね、レティシアはそんなエルの肩にそっと手を乗せる。

「貴方が嫌だと言っても、あの子を勝手に送り返してはなりませんよ。陛下に直談判をしてもなりません。──この先、帝国へ続く道中に何が待っているか……貴方ならお分かりでしょう?」

 エルはその言葉に目を見開く。

「……は、い」

 やがて何かに耐えるような、苦しげに振り絞ったエルの短い肯定に、レティシアは悠然と微笑んだ。

 続いてこちら──アルトを見つめ、ゆっくりと口角を上げる。

 あおい瞳はどこか楽しげに細められ、見る者が見れば震え上がることだろう。

「──王配殿下」

「は、はい!」

 じっと見つめられ名指しされたアルトは少し声が裏返りながらも、緊張した面持ちでレティシアの言葉を待った。

 するとレティシアは困ったような笑みを返し、ゆっくりと言った。

「そんなに堅くならないで。私たちはもう家族となったのですから」

 レティシアは緩く背後を振り返り、未だ椅子の影で小さくなっているソフィアーナの姿に苦笑すると、やや声高に言葉を紡いだ。

「しばらくの間、姪がこちらにご厄介になるのだけど……大丈夫かしら?」

「へ」

 レティシアの言葉を理解するのがわずかに遅れる。

 それは王宮に滞在するという事で、しかしその理由を教える気はないという頑とした口調だった。

「俺は、構いませんが……」

 なぜ困惑したような顔でそんな事を聞くのか、それが分からなかった。

 そうした考えが顔に出ていたのか、そこでレティシアは思い出したように口を開く。

「良かった。……そうそう、少ししたら小さなパーティーを開こうと思うの。王配殿下も同席してくださる?」

「パーティー?」

「ええ、もう少ししたらソフィアーナが誕生日なの。本当は祖国で盛大にお祝いするのだけど、しないのは可哀想でしょう? だから、せめてこちらでお祝いしたくて……」

 レティシアはやや眉尻を下げ、瞼を伏せる。

 それは姪を想う者のそれで、アルトは考えるよりも前に声に出していた。

「ぜひ! そういう事でしたら、喜んでお祝いします……!」

「ありがとう、王配殿下。貴方にそう言っていただけて嬉しいわ!」

 アルトの言葉に、レティシアは花開くような笑みを浮かべた。

 そしてレティシアはエルに視線を向け、そっと耳打ちする。

「──っ!」

 何を言われたのか、エルは信じられないものを見るような瞳をレティシアに向けていた。

「……よろしいですか? このことは絶対に、絶対に……陛下のお耳に入れてはなりませんよ」

 一言一句、ゆっくりと言うレティシアの表情は微笑んでいるだけで何も変わらない。

 しかしエルは何を言うでもなく、やや顔を俯きがちにして立ち上がった。

「エル……!」

 その拍子にふらりと身体が傾くのが視界に映り、アルトは慌ててエルの手を摑む。

「っ、ごめ……」

 ぎりぎり倒れる事はなかったが、エルは小さな謝罪の言葉をこちらに投げ掛けた。

(どうしたんだ……? さっきからずっと様子がおかしい)

 今すぐに問い詰めたい衝動に駆られたが、レティシアやソフィアーナが居る手前、それすらもできない。

 慌てて握った手の平にふと力が込もり、アルトはそろりとエルを見つめた。

 心做しか顔色が悪く、今にも倒れそうだった。

「……せっかくお呼びしていただいて申し訳ありませんが、退席してもよろしいでしょうか」

 エルの低い声が更に低くなり、半ば投げやりな口調にレティシアがわずかに目をみはる。

 しかしそれも一瞬で、すぐに碧眼が心配そうに揺れる。

「あら、どうなさったの? ──顔色が悪いわね。体調が優れないのに、無理をして来ていただいて……私も悪かったわ。今日はゆっくりお休みなさい」

 柳眉を下げ、レティシアはエルの肩に手を添えた。

「……申し訳、ございません」

 エルはもう一度謝罪の言葉を口にすると、小さく頭を下げた。

 くい、とそのまま手を引かれる。

 挨拶をする暇もないため、アルトはレティシアに会釈すると慌ててエルに着いて歩いた。

 部屋の左右を守っていた騎士らへの挨拶もそこそこに、しばらくエルに手を握られたまま廊下を小走りで横切る。

(エル……)

 やや大股で廊下を歩くエルに疑問ばかりが浮かんだ。

 レティシアの待つ部屋の扉を開けるまでは普段通りだったのに、エルの体調が悪いとは少しも気付けなかった。

 アルトはそんな自分を責める。

(気付かなかった俺もだけど、もっと早く……部屋に通される前に大丈夫かって聞けば良かった)

 そうすればエルはこんなに辛そうな顔をしなかったはずだ、と過ぎてしまった事ばかりが浮かんでは消えていく。

「……は、っ」

「っ!」

 がくん、と不意にエルが廊下の壁際に身体を預けるようにくずおれた。

 同時にアルトも転けそうになり、反射的に空いている方の手を前に突き出して身体を守る。

「エ、ル……?」

 どうしたんだ、と問うよりも前にアルトは小さく息を呑んだ。

 エルは苦しげに肩を上下させており、先程感じた手の平に伝わる震えが強くなっていた。

「ごめ……っ、少しこうしてたら、落ち着く、から……」

 こちらを見ることなく、顔を俯けたままエルが小さく言う。

 とてもではないが、落ち着くようには見えなかった。

 アルトはそっと片膝を突き、エルの頬に触れて顔を上げさせる。

「アル、ト……?」

 突然のことにエルは驚いていたものの、喘鳴はそのままに瞼を伏せたまま手に頬を擦り寄せてくる。

 普段ならば可愛らしく思うと共に少し羞恥心も感じる仕草が、今ばかりは心配でならなかった。

「……ここじゃゆっくりできないだろ。あ──」

 言いながら前からやってくる使用人らしき影を見つけ、その場で声を出そうとする。

 エルがこのまま廊下で座り込んでいては、心配した人間らが集まってくるだろう。

 ならば先にこちらから声を掛け、どこかで休む方が効率的だと言えた。

「っ、いい……ここで、大丈夫だ、から」

 震える手の平を己のそれに重ねられ、エルがいやいやをするように首を振る。

 幼子のような仕草に段々と苛立ちと、行き場のない不安とでアルトの心を支配した。

「じゃあ……こっち」

 ぐいと空いた方の手でエルの片方の手を引くと、アルトは周囲に視線を走らせる。

 丁度近くにあった部屋の扉の鍵は掛かっておらず、半ば身体の動かないエルを押し込めるようにし、続けて自分も部屋に入った。

 ぱたん、と小さな音を立てて扉が閉まると、エルはすぐに背中を預けるようにして扉にもたれ掛かった。
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