【第三部連載中】その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第二部 一章

ささやかな日常 4

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 ◆◆◆

 
「レティシア様の所に……?」

 揃って朝食を食べ終わり、エルが淹れてくれた紅茶を飲みながら甘い菓子を摘んでいると、手短に伝えられた。

「そう。俺としては無理にとは言わないんだけど……貴方が嫌なら行かなくてもいいんだ、でもやっぱり無理にとは……」

 どうやらエルはレティシアに会って欲しくないようで、しきりにこちらの顔色を伺っている。

(……めちゃくちゃ嫌そうだ)

 アルトはゆっくりと紅茶を飲みながら、口の中にある菓子を飲み込んだ。

 いつになく歯切れが悪く、こちらを気に掛けてくれているものの、エルが己の心情を抑えきれていないのは珍しい。

 いつでも冷静で、時として熱くなる時はあるが、それもエルの良さだと思っていた。

 何かエルを脅かすものがあると悟ったが、肝心な時に頼ってくれない男だと既に理解している。

 王太子として周囲に気を配り、弱味を見せないように気を張っていたためだろうが、そう思うと本当の意味で信頼されていない気がした。

 大人しくエルの言葉を汲み取った方がいいのかもしれないが、それはそれでレティシアに対しても失礼ではないか。

(せっかく呼んでくれたのに、エルが乗り気じゃないのも珍しいな)

「……でも、お呼ばれして俺がいないのも失礼じゃないか? エルだけじゃなくて俺も、って場違いかもしれないけど」

 アルトはもごもごと口を開いては閉じてを繰り返しながら、しかしエルを見つめてはっきりと言った。

「お前が許してくれるなら、俺はレティシア様に会ってみたい。──もちろん、駄目ならここで大人しくしてるよ」

「ほん、とう……?」

 こちらを見ながら言ってくれてはいるものの、どこか上の空なエルにアルトは首を傾げた。

(……疲れてるんだろうな)

 ここ数日は共にあまり時間がなく、身体を重ねる事すら──昨日のような触れ合いも、ほとんどなかったと言ってもいい。

 やや柳眉をひそめているエルにこちらを見てほしくて、アルトはいそいそと椅子から立ち上がった。

「エル」

「っ」

 真横に立ってそっと耳元に唇を寄せると、ぴくりと小さく肩が跳ねた。

 普段のエルとは違う反応に、ほんの少し悪戯心が芽生える。

「エル、聞いて」

 ぽそりとアルトは内緒話をするように囁く。

「……何かあればすぐに退室するし、レティシア様も悪いようにはしないと思う」

 それに、とアルトは小さな声で続けた。

(俺はエルの、だから)

 次第に頬が熱くなっていくのを感じるが、言葉にしなければ伝わらない。

 何度も頭の中で唱え、アルトはきゅうと手の平を握り締めると、ゆっくりとそれを唇に乗せる。

「……俺は、エルヴィズに嫁いだから」

 そこでエルが息を呑むのが分かる。

 アルトは殊更ゆっくりと言葉を紡いだ。もう大丈夫、という感情を声に乗せて。

「王配だし、そう簡単に危害は加えられないだろ? だからだいじょ──」

「そんな事、俺がさせない」

「っ……!」

 己の耳元に熱い吐息がかかり、気付けばエルの腕の中に収まっていた。

 とくとくとわずかに早い鼓動は自分か、それともエルなのか判別がつかない。

「──朔真」

 不意に頭を撫でられ、柔らかな髪にそっと口付けられる。

「エ、ル……?」

 そこには予想していなかったキスをされ、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 そろりと頭を上げるとこちらをじっと見つめる瞳は真剣で、ともすれば殺気立っていた。

 普段は柔らかな弧を描く唇は真一文字に引き結ばれ、身体を抱き留めてくれる腕の力は痛いほど強い。

 アルトは小さく息を呑み、しかし目を逸らす事はなかった。

 こちらに意識を向けてくれたのは嬉しいが、これほど神妙な表情をするエルは初めて見る。

 部屋には誰の耳もなく二人だけだが、やや空気が張り詰めており息が苦しい。

 知らず喉が音を立て、身体が震えた。

(ちがう。これは、おれに……むけられてるんじゃ、ない)

 心は『違う』と何度も叫んでいるのに、身体の震えが大きくなっていく。

 こうなる原因は分かっているのだ。

 何度も何度も、元の世界で向けられていた『悪意』と、今のエルは少し似ていた。

 ただの思い過ごしだ、と何度も心の中で言っても、身体は命令を拒否しているようだった。

 呼吸が次第に浅くなっていき、エルの腕を摑むしかできない。

「──ま、……さくま、……朔真!」

「っ、あ……」

 肩を揺すられている感覚とエルに何度も名を呼ばれていた事で、そこでやっと正気に戻った。

「……よかった。ごめんね、朔真……大丈夫?」

 こちらを心配そうに見つめるエルに、先程のような怖さはない。

 むしろこちらを案じてくれ、安心させるように背中や腕を撫で摩ってくれている。

(また、まただ……俺は、こんな)

 自身の不甲斐なさに頬を殴りたくなった。

 もう元の世界に戻れるような手立てもなく、ここでエルと共に生きていくと決めたのに、時としてトラウマが脳裏をぎるのだ。

 朝起きて出社すれば上司の機嫌を取りながら仕事をし、怒られない日の方が少なかった。

 就職した先が世に言うブラック企業でも、必死にしがみついてきた。

 しかし、変わり映えのない毎日を生きているうちに、いつしか心を病み『死にたい』と思うようになっていた。

 今思えば、何か他に自分に適した事があったとも思うが、既に過ぎた事だ。

 この世界は『朔真』にとって優しく、暖かなもので満ちている。

 すぐ傍には愛し合っている男がいてくれ、周囲も優しい者たちばかりだ。

 なのにここまで己の心に巣食う『それ』を、忘れようにも忘れられないのがもどかしかった。

「──朔真、息して」

「っ」

 エルに囁かれ、そこでやっと息をするのが苦しいことに気付いた。

 降ってきた声音はどこまでも優しく、ともすれば泣きそうになってしまう。

 自分でも知らずのうちに気を張っていたようで、最初こそエルを元気付けようとしたのに、こうなってしまうとは予想していなかった。

「吸って……吐いて。……そう、上手だよ」

 エルが幼子にするように軽く背中を叩いてくれるのに合わせ、何度も何度も呼吸を繰り返す。

 浅くなっていた息は次第に落ち着き、エルが額に滲んでいた汗を拭ってくれる。

「……は、っ」

 短く息を吐いて心を落ち着けていると、そろりと頬に手を添えられ上向かせられる。

「ごめんね。俺、怖かった……?」

 至近距離で視線が交わり、エルの水色の瞳が不安で揺れていた。

 己がどんな表情をしていたのか、すべて分かっているというような口振りだ。

「ちが、う」

 アルトはふるふると力なく首を振り、堪らずエルの首に抱き着く。

 自分の様子で何か勘違いさせてしまったようで、気遣わせてしまったという事実が我慢できなかった。

「違う、エルは何も……、悪くない。おれが、俺が……駄目なだけで」

「どうしてそんなことを言うの? 貴方はずっと頑張ってるのに」

 むしろ駄目なのは俺の方だよ、とエルが囁く。

 こちらが後ろ向きになればなるほど、エルも同じくらい自身を卑下してしまうだろう。

『朔真は悪くない』『いい子だよ』と、何度も言ってくれる言葉が、今は悲しいほど無意味だ。

 心に余裕が無いと何も聞こえないというのは本当なようで、己を守るためにただただ黙っているしかできない。

 エルの温もりだけでも泣けてきてしまう自分に、ほとほと嫌になってしまう。

(駄目だな、俺)

 小さな笑いが漏れるのを抑えきれず、安心させるために背中を撫でてくれていたエルの手が止まった。

「朔真……?」

 そっと身体を離し、指通りのいいエルの黒髪を梳かす。

 何をするのか注視しているようで、その実予想していない行動だったのか、エルは目を丸くしていた。

 そんなエルに微笑みかけ、そっと声を出した。

「ごめん、取り乱して。……もう大丈夫だから」

 何かを怖がっているのは、エルも同じなのだ。

 ならばエルが今してくれた事を、次はアルトが返すだけだ。

 それよりも、と小さな声で続ける。

「──お前が駄目って言っても俺はレティシア様に会うから。今度は俺が……エルを守るよ」

 エルの瞳の奥に映るアルトはぎこちない笑みを浮かべていたが、その気持ちは伝わったようだ。

 はぁ、とエルは短く嘆息すると、アルトの手をきゅうと握る。

「……分かった。でも、これだけは覚えていて」

 そして真摯な瞳と視線が合い、エルはゆっくりと言った。

「どれほど俺が貴方を愛しているのか、ってことを」



 レティシアの部屋はエルの部屋の一つ上にある。

 そこは国王や王妃の住まう階で、謁見の時とはまた違った絢爛豪華な続き間に通された。

 扉の左右には屈強な騎士が一人ずつ守っており、見ているだけで身震いするほどだ。

 そんなアルトに気付いてか、エルがくいと手を引いてくる。

 やや上にある顔を見上げると、美しい微笑みを浮かべていた。

「あの人たちは俺より弱いから大丈夫だよ」

「へ」

 今なんと言ったのか、ともう一度聞く勇気はない。

 するとエルはにこやかな表情のまま、小声で続けた。

「右は剣が今ひとつで、左は体術ひとつ俺には敵わない。──強そうなのは身なりだけ、というのは私としても片腹痛いが」

 ふと低い声が静かに響き、左右の男らはきょろきょろと目線を泳がせている。

(わぁ……)

 エルに比べれば弱いという、思っていても言えそうにない言葉に、ひくりとアルトの頬が引き攣る。

 本気を出したエルの姿を見てみたい気もしたが、それでは何人の騎士が沈んでしまうのか想像したくはなかった。

「お、王太子殿下並びに王配殿下が、ただいまご到着されましてございます!」

 気まずい雰囲気を打破したのは左の騎士で、やや声が裏返ったものの定型通りの来訪を告げる。

「──入ってちょうだい」

 ほどなくして鈴の鳴るような声が聞こえると、左右の騎士らが同時に扉を開けた。

 ゆっくりと厳かな音を立てて開いた扉の先には、豪奢な椅子に座った女性と、その傍らには亜麻色の髪をした少女の姿が見えた。

「待っていたわ、エルヴィズ」

 柔らかく艶のある赤茶の髪を結い上げ、淡い色のドレスを身にまとった女性──レティシアその人が、エルに向けてにこりと微笑みを浮かべていた。
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