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第二部

Prologue 国王からの呼び出し

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 王が政務を行う執務室は、普段とは打って変わって重苦しい空気に満ちていた。

「どういう事ですか、陛下!?」

 ペンを走らせている国王の前には見目麗しい女性──もとい、この国の王太子が憤怒の表情で父王へ向けて声高に言い放つ。

 しかしそれだけでは少しも溜飲は下がらず、執務机を怒りに任せて叩くと高らかな音が鳴った。

(冗談じゃない……!)

 ギリ、とエルは奥歯を強く噛み締める。

 よもや父の口から『恐れていたこと』を聞くことになるとは露ほども思っていなかったため、尚のこと苛立ちが募った。

 リネスト国第二十二代国王──ライアン・リストニアは、険しい表情はそのままに静かな声で言った。

「聡いお前なら、私が命じたのではないと分かるだろう? ……しかし、すまない。もう決まってしまったものは仕方がないのだ」

 ライアンは息子よりも深い色をした碧眼をきつく閉じると、やがて先程と同じ言葉を繰り返した。

「デレッタント帝国はソフィアーナ第五王女を丁重にお迎えせよ。これは王命だ、エルヴィズ」

 眉間に皺を寄せ、ライアンは懇願するように言った。

 ここまで憔悴しきった父の表情は見たことがなく、エルは無意識に息を呑む。

 本来であれば婚約式を経て一年の準備期間がある結婚式を、無理を押して半年後に執り行ったのだ。

 それはつい三ヶ月前のことで、今もエルの愛しい男──アルトは寝室で健やかに眠っている。

 今日は公務や自分宛ての手紙やその確認もなく、久しぶりにゆっくり出来ると思っていた。

 なのに急かすように扉を叩かれ、離れ難く思っていたのに呼び出した理由がこれでは、怒る以外の選択肢がなかった。

「……ですか」

 ぽつりとエルが呟く。

「どうしても、ですか」

 自分はただ一人だけを愛し、以後誰も娶らない事を了承してくれたと思っていたのに。

 いくら父が自分を信じてくれていようとも、この国の最高権力者であればこのまま送り返すのは造作もないのではないか。

 そんな思いで、エルはじっとライアンの言葉を待った。

「お前の気持ちはよく分かる。ただ、私であっても取り消せそうにないのだ」

「なぜ」

 半ば被せるように言い放つと、ライアンは長考するとやがて吐き出すように口を開いた。

「……デレッタントがレティシアの故郷だというのは、お前も知っているだろう」

 エルはこくりと頷く。

 ライアンは、エルの生母である第一王妃が亡くなった後に第二、第三王妃を娶った。

 第三王妃であるベアトリスは二十年前の事故で既に亡いが、レティシアは未だ存命だ。

 御年四十五になり、日に日に色香を蓄えていくレティシアは、エルの苦手な人間のうちの一人だった。

「あれが密かに画策していたようでな。気付いた時には、既に帝国を発ったあとだった。……今更送り返すというのも酷だろう、というのが皆の意見だ」

 デレッタント帝国とリネスト国とでは、馬車を使っても二週間から三週間、場合によっては一ヶ月ほどかかる。

 各国に隠密を放っており、そんな中でライアンが報告を受けた時には帝国を出て優に一週間が経っていたのだ。

 引き返せと言おうにも、報告する間で更に距離が進んでいる。

 リネスト国へ向かう途中、うら若き王女に『国へ帰れ』とまた来た道を戻るのを強いては、帝国側から抗議文が届くだろう。

 それ以上に王女はレティシアの姪であり、おいそれと口出しはできないのが現状だ。

「出迎えと言っても、形だけで構わない。レティシアが何を考えているのか、手に取るように分かるからな。……それがお前にとって最悪の結末になるのは目に見えている」

 ライアンは言葉を切り、エルをまっすぐに見つめた。

 普段は柔らかく下がっている目尻が鋭くなり、心做しか紺碧の瞳にも冷徹な一面が垣間見えた。

「──私の知らぬうちに動かれたのはしゃくだが、この際だ」

 そしてライアンは息子と同じ微笑みを口元に貼り付け、ゆっくりと言った。

「王女には旅の疲れを癒してもらった後、すぐに帝国へ送り返す。……それで構わないな?」



 エルは執務室を後にすると、足早に寝室へ向かった。

 それほど時間は経っていないが、今すぐに愛しい男に会いたい衝動に駆られていた。

 出来る限り先に起き、無防備で可愛らしい寝顔を見るのが日課だったため、普段よりも損をした気分なのだ。

 加えて突然呼び出され、予想していなかったことを伝えられたため二重で苛立っていた。

「……アルト?」

 エルはそろりと扉を開けた。

 しかしベッドにも隣りにあるエルの執務室にもアルトの姿は見えず、部屋の中はしんと静まり返っている。

 もしやと思いアルトに与えた部屋にも向かったが、そちらはしっかりと外から鍵が掛かっており、中にいるという様子はない。

 鍵は信頼出来るメイドに任せているらしく、しかしあまり与えた部屋にはいないようだった。

 ほとんどをエルの傍で過ごしてくれているため、その行動がいじらしいと思うもののせっかくなら使って欲しい、という思いもあった。

「どこに行ったんだ」

 改めて自室に戻り、エルは行儀悪く椅子に座って脚を組む。

 すると淡い色調をしたテーブルと似た便箋が一枚置いてあり、几帳面な文章でこう書かれていた。

『おはよう、図書室に行ってくる。また昼に』

 アルト、と締められた文章を読み終わると何度も同じ箇所を辿り、エルはひっそりと微笑んだ。

「……どれだけ好きなんだ、貴方は」

 自分があまり本を読まないためか、アルトの今の居場所が図書室とは盲点だった。

(少し、妬けるな)

 ただの本に、そんな感情を持っていると知られては笑われるだろうか。

 そもそもテーブルの上すらよく見ていなかったためだが、どこに居るのかさえ分かれば、もう寝室で待つ意味は無いに等しい。

 エルは小さく鼻歌を歌いながら、足取り軽くアルトの居る図書室に向かった。
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