【第三部連載中】その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第一部 五章

明らかになる事 3

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 ◆◆◆



 ラディアはそこで一息つくと、ゆっくりと頭を下げた。

「──この年まで自責の念にさいなまれておりました」

 悲痛な声音はそのままに、ラディアは続ける。

「王太子殿下並びに国王陛下には申し訳ないことをした。……本来ならば、このような大事な事は早くに言うべきだったと理解しております。しかし」

「……第三王妃を刺した男は、今も生きているのか?」

 ラディアの言葉を遮り、エルが呟くように言った。

 怒りを最大限押し殺した声色は痛ましく、アルトはそっとエルの手に己のそれを重ねる。

 先程自分にしてくれたように、少しでも心を落ち着けて欲しかった。

「いえ、……もうこの世にはいません」

 ラディアの言葉に、エルの手がわずかに震える。

 しかし目の前の男はエルの変化に気付くことなく、殊更ゆっくりと唇を動かした。

 長年胸の内に秘め、親しい者にすら言えなかったことを今一度吐露するように。

「自分が刺した女性が高貴な方だと分かり、ほどなくして店を畳むと妻とも離縁し、酒に溺れ……一人ひっそりと息を引き取りました」

 ラディアは遠くを見るような瞳をエルに向け、やがて微笑む。

「ですので、復讐しようとしても無駄骨となりましょう。それ以上に、貴方様は手を汚さない方がいい」

「だが──!」

 尚もエルが言い募ろうとすると、ラディアは笑みを深くする。

「どうかご理解ください。このようなきな臭い事、本来であれば私たちの仕事なのです」

 ラディアの言葉には有無を言わせぬ圧がある。

 幾多の困難を乗り越えてきた者のそれは、どこか『そちら側』のようだった。

「それ、って……どういうことですか?」

 それまで黙って聞いていたアルトは堪らず口を挟んだ。

 ラディアの口調はいかにも『それ』を生業なりわいとしている者で、それ即ちルシエラも同業者になるということ。

 表向き、ソルライト商会は小さな銀行だ。

 しかしその実態は、金さえ積めばどんな事でもする──そういう悪どい裏の顔があるというのだろうか。

「──お二人は知らない方が幸せでしょう。もし言ってしまっては、会長に叱られてしまいますゆえ」

 アルトが何を考えているのか察したらしく、ラディアは曖昧に言葉を濁す。

「……どうかしましたか?」

 何も言わずじっと見つめているのをどこか不審に思ったようで、緩く首を傾げて問うてくる。

「あ、いや……」

「遠慮せず仰ってください」

 にこりと微笑まれ、その言葉に背中を押されるようにアルトは一度唇を引き結んだ。

(この人は本当は)

 部屋に姿を現してから、ずっと平身低頭の姿勢を崩さない男の頭から上半身まで視線を動かす。

 その内からは、人を慈しむ心があまりあるほど滲んでいた。

「優しい、んですね」

「はい?」

 何を言われたのか理解できないようで、ラディアは困惑した表情を浮かべる。

「あの、俺……貴方のこと勘違いしていたみたいです。……何も教えてくれなかった奴にも、責任はありますけど」

 ちらりとエルを見つめると、こちらに口を挟むでもなくむっすりと押し黙っていた。

 アルトの方から添えた手は、いつの間にかしっかりと指を絡められ、ぎゅうと握り締められている。

 そんな愛しい男の仕草に気付かないふりをし、アルトは続ける。

「貴方はずっと、陰ながら王太子殿下のことを気に掛けてくれていた。第三王妃様を守ろうとしてくれた。……それが分かっただけでも、幸せなことだと思います」

 俺は夏輝が何を思って死んだか知らないから、と心の中で付け加える。

 あの時ああすれば良かった、とその出来事を知る相手から状況を聞かされるだけでも、まだ幸せな事なのだ。

 死んでしまったら最後、その相手と話すこともできず、何があったのか聞き出せないのだから。

「ありがとうございます、教えてくれて。これで、第三王妃様も安心してくれるかと──」

「いいえ、それは有り得ません」

 アルトの言葉を遮り、ラディアは口を開いた。

「私は本当に酷い事をしたのです。知らなかったとは言えど、女性一人……第三王妃様を守れなかったのですから」

 目元の傷に触れ、その時の事を思い出すようにラディアは瞳を閉じる。

「この傷も、少し見方を変えれば死闘の末に出来た負傷と言えるかもしれない。しかし、実際は弾が掠っただけで……逆に仕留め損なって興奮した店主から、私は庇われてしまった」

 そこでラディアは短く息を吐くと、すべてを吐露するように口を開いた。

「──本来であればあの方は生きていて、私はもうこの世にいないはずなのです」

 ラディアはややあってエルに視線を向ける。

 その瞳は何かが吹っ切れたような、温かく優しい色をしていた。

「本日こちらにいらしたのは、私が恐れ多くも第三王妃様をこの手で……ということでしたね、殿下」

 最後まで言い終わることなく、ラディアはソファから立ち上がると、エルの目の前に膝を突いて頭を床に擦り付けた。

「目の前で死にゆくあの方を見ていることしかできなかった、愚かな私にどうか罰をお与えください」

 エルは黙ったまま瞬きを繰り返す。

 何を思っているのかアルトには理解が追い付かないが、ラディアの話を聞いてどう行動するのかは分かる気がした。

(だってエルは優しいから)

 たとえ小さな子供一人でも対等に接し、王太子として日々の務めをしっかりとこなしている男だ。

 理不尽な事で自分の感情を優先させるなど、アルトの知るエルではない。

(ただ、誰よりも犯人に復讐しようと決めていた。でもそれは……ベアトリスさんも、ラディアさんも。俺も望んじゃいない)

 先程のラディアの言葉を借りるならば、アルトとて手を汚して欲しくないのだ。

 いずれ次期王になるからという理由ではなく、エルが他人の血に染まるのは見たくないから。

 部屋の中には重い沈黙が落ち、どこかにあるらしい規則正しい時計の音だけが大きく響く。

「──お前のことはどうもしない」

 やがてぽつりとエルが呟いた。

「それよりも、疑ってすまなかった」

 そう言うとラディアと同じように床にひざまずき、頭を下げた。

「な、何をなさいます!? お止めください、貴方様は私などに頭を下げる必要はないというのに……!」

 突然のエルの行動に、文字通りラディアは飛び跳ねるように立ち上がる。

「いち従業員に頭を下げたとあっては、それこそ私の首が飛びます!」

 だから早く顔を上げてくれ、とラディアは悲鳴じみた声を出した。

「……ミハルドと似たようなことを言うのだな」

 あまりの慌てように、エルは頭を下げたまま堪えきれず小さく笑う。

 反対にラディアの顔色は可哀想なほど青くなっており、アルトの頬がひくりと動く。

(いや、笑う要素なんかないはずだが……!?)

 アルトは心の中で突っ込みを入れ、そしてラディアに同情する。

 見た目に反して穏やかで優しいらしいラディアは、ルシエラ初め商会の者たちに手を焼いているのだろう。

 人というのはその性格が人相に現れるもので、目元の傷以外は優しげな初老の男といったふうなのだ。

 やっと笑いが収まったのかエルは顔を上げて立ち上がると、ラディアをじっと見つめた。

「しかし、勝手に勘違いをしたのはこちらだ。お前には気に病む思いをさせた」

 すまなかった、ともう一度謝罪の言葉を口にする。

「改めて詫びを入れさせる。……受け入れてくれるか?」

「それで、殿下のお気が済むのであれば」

 ラディアは何度か瞬きを繰り返し、やがて困ったように笑う。

 こうと決まれば頑としても動かない人間に覚えがあるのか、諦めたように溜め息を吐くと小さく唇を動かした。

「その頑固なところ、本当にルシエラにそっくりだ」

「ルシエラ……?」

 突然耳に入った名前に、アルトは半ば尋ねるような口調で声に出す。

 その声に気付いたラディアは、柔らかく口角を上げた。

「ええ、会長……ルシエラも、一度こうと決めたら首を縦に振らないのです。こちらが何度反論しようと、全員が承諾するまで動かない方なのです」

 半ば呆れたような口調だったが、ルシエラには何か特別な感情以上のものがあるのか、ラディアの言葉の節々は優しい。

「なんか、分かる気がします。俺も……色々とあいつに助けられてますから」

 くすりとアルトは小さく笑い、別の部屋で客の対応しているであろうルシエラの姿を思い浮かべる。

 頑固な面を持っている反面、少し鬱陶しい時もあるがすべては周りをよく見ているからだとアルトは思う。

 その行動を取れば相手がどう思い何を言うのか、ルシエラには分かるらしい。

「実際、その通りにすると商売が上手くいくものばかりで……今となっては駄々を捏ねる前にこちらが折れているのですが」

 ややあってラディアはアルトとエルを交互に見つめると、小さく頭を下げた。

「今後ともソルライト商会、並びにルシエラをどうぞよろしくお願い致します」

「はい、もちろんです!」

「アルトに無茶をさせなければ私は構わない」

 ぽそりと落ちたエルの言葉は少し拗ねており、それがおかしく、アルトだけでなくラディアも笑う。

「きっと大丈夫でしょう。貴方の事が大層好きなようですから」

「……それはそれで困るな。やはり一度釘を刺しておくか」

「ちょ、そんなことしなくていいから! ほら、帰るぞ!」

 ルシエラの居る部屋に突入しそうな勢いのエルを、アルトは慌てて止める。

 背後ではラディアが慈しみに満ちた表情で見つめていた。

 笑うと下がる目尻はどこまでも優しく、ラディアという男の人柄を表しているようだった。
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