【第三部連載中】その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第一部 四章

小屋の中で 4

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 ◆◆◆


 ほどなくしてアルトの規則正しい息遣いが聞こえ、エルは唇に薄く笑みを浮かべた。

 起こさないよう頭を撫で、頬に軽くキスを落とす。

「……アルト」

 ぽつりとエルは愛しい男の名を呟いた。

 自分が一生をかけて守ると決めた相手が、安心しきって目の前で眠っている事実に頬の緩みが抑えられない。

「貴方のことは俺が守るからね」

 手の甲で頬に触れ、柔らかな唇を撫でる。

 先程何かを言いたそうにしていたが、その言葉を聞く気もこちらから訊ねる気もエルには無かった。

 聞いてしまえば、自分は今度こそおかしくなってしまうから。

(本当に……こっちの気も知らないで)

 アルトをこの小屋に半ば監禁したのは、ソルライト商会の人間に会わせないためだ。

 そのままにしていては、自分のあずかり知らぬところで商会の人間──ルシエラに会いに行く可能性が高いから。

 王族に絶対の忠誠を誓う者にそれとなく調べさせたところ、その男は商会に出入りしており、地位も高いということだった。

 アルトの友人という肩書きは百歩譲って許すとしても、くだんの人間が未だ出入りしている可能性のある場所だ。

 本当はアルトの傍に居るだけで耐えられない自分と、友人とは仲良くしてほしいという想いが、エルの中でぐるぐると混ざり合ってしまっている。

(でも、貴方はよく笑うようになった)

 つい一ヶ月ほど前まではエルに対して素っ気なかったものの、今となってはトゲトゲしかった態度が和らぎ、表情がわずかに明るくなった。

 こちらが少し何かをすれば礼を言い、時々笑顔を見せてくれるようにもなった。

 小さな変化だが、エルはそれが何よりも嬉しかった。

 特にこの三日は酷くしてしまった自覚があるが、先程のアルトは『しないのか』と言ってくれ、危うく誘いに乗ってしまうところだった。

 ゆっくり眠って欲しかったというのもあるが、あのままでは朝までアルトを離したくなくなってしまうのだ。

 今夜は先約があるのに、この小屋から──アルトの傍を離れ難くなってしまっている。

「……行かないと」

 しかし、あまり相手を待たせてはこちらが叱られてしまう。

 そういう男だとよく知っているためエルは後ろ髪引かれつつ、もう一度アルトの頬に口付けた。

 音を立てないよう扉を開閉し、鍵を掛けて小屋を後にする。

 丸い月がこちらを煌々と照らしていた。



 王宮の正門からではなく裏門から中に入り、エルは静かな回廊を一人歩く。

 向かった先は階段を上ってすぐの自室兼執務室──アルトを半ば監禁していた寝室の隣りだ。

 扉を開けると既に先客が居た。

「……早かったんだな」

 低い声を長身の男に投げ掛ける。

 男はこちらを振り返り、エルに向かって静かに一礼した。

 エルはそのまま男の真横を通り、椅子に座る。

「貴方が遅かっただけではないですか」

 こちらが座ったのを見計らい、男──ミハルドが口元に笑みを浮かべた。

 その瞳はうっすらと開かれており、血のように赤い瞳と視線が交わる。

「私にそんな口を聞くのはお前くらいだ」

 エルは低く唸るように言い、額に手をあてる。

 目の前の男は幼い頃から知っており、手ずから剣術指南や教養を教え込まれた。

 言わば師であり、兄のようでもある特別な人間だ。

 しかし、こうした軽口に気の利いた言葉を返すほど今のエルに余裕はない。

 今か今かとアルトが起き、小屋から出るのではないかと気になってならないのだ。

 しっかりと鍵を掛けて来たが、それでもエルには心許こころもとなかった。

「ご冗談を。殿には許されているのでしょう」

 エルの言葉にくすりと苦笑し、ミハルドが机に紙の束を差し出した。

「お調べになりたいと仰った時には無茶を言う、と思ったものですが……ようやく有益な情報を摑みました」

 エルが書類に目線を走らせている間に、ミハルドのゆっくりとした声が執務室に響く。

 ここ数日、特に昨日は護衛と称してアルトと共に公爵邸へ行ってもらった。

 その時にルシエラを呼んだらしく、流れでミハルドも共に孤児院へ行くことになったと報告を受けた。

 まさか子供の子守りをする事になるとはミハルドも予想していなかったようで、報告を受けている間この男には珍しく苦笑いをしていたのは記憶に新しい。

「ソルライト商会に出入りするラディア・マーティー。その男がベアトリス第三夫人を──」

「ミハルド」

 言わなくていい、とエルは目線だけで黙らせる。

 書面にも書いていることをわざわざ口にされ、二重で事実を知るのはいささか刺激が強過ぎた。

「……不躾だったようですね」

 ふふ、と何がおかしいのかミハルドが小さく笑う。

 腹の底が読めない口調は昔から変わらず、むしろ最近はその対応が面倒だと思いつつあった。

 しかし数少ない素を見せられる相手でもあり、この男を敵に回すと厄介だ。

「この後は戻られるので?」

 ふとミハルドが言った。

 小屋に、というのは言わずとも分かる。

 アルトを見張れと命じたのは他でもないエルで、『小屋に囲い込んでは』と進言したのはミハルドなのだから。

「ああ。……お前はどうするんだ」

 エルはパサリと紙の束を机に置き、問うた。

 ミハルドは国王の側近の傍ら、王宮護衛騎士としての顔も併せ持つ。

 その仕事量は多岐に渡り、休む暇などないはずだ。

「陛下のご様子を見に。気を付けていなければ、あの方はすぐに徹夜しますから」

 どこか愛おしそうにミハルドが呟く。

 父親であるライアンはその見た目に似合わずよく働き、記憶力もいい。

 公務で顔を合わせる時は勿論、諸外国の要人に会う時でさえエルの頭に入っていない細かな好みを言う事もしばしばだった。

  幼い時分はなんとも思わなかったが、今にして思えば真面目一辺倒な人間なのだ。

 ほとんどは相手を楽しませるためだが、時には強引な手段で捩じ伏せる力もある。

 エルはそんな父を尊敬している一方、畏怖していた。

 王太子として、次代の国王として本来であれば子を設けなければいけない。

 しかし、エルの唯一の我儘でアルトと婚約した。

 父は最初こそ渋面を作っていたが、エルが折れないと分かると早々に折れてくれたのはありがたかった。

 まだ伝えていないが、アルトには既に『王配殿下』としての肩書きがある。

 だから昨日はミハルドを共に行かせ、それとなく護らせた。

 余裕があればソルライト商会の情報を摑んで来い、というアルトの次に大事な事を命じて。

「……お身体をご自愛してください、と父上に伝えてくれ」

 エルは机の書面を見つめ、呟く。

「直接言わないので?」

 ミハルドの視線が身体に突き刺さるが、目線は上げずに続けた。

「何を言うのかと思えば……本当は逢瀬を邪魔されたくないんだろうに」

「ええ、貴方が共に行くと仰らなくてようございました」

 肯定するミハルドの表情は普段通りだが、否定しない口調に半ば呆れる。

「では、私はこれで失礼致します」

 エルが退室を促す間もなく、ミハルドは一礼をする。

 程なくして扉が閉まると、室内には痛いほどの静寂が満ちた。

 はぁ、とエルは溜め息を吐いて椅子にもたれると、薄暗い明かりの中で天井を何とはなしに見つめる。

 執務室の内観は黒で統一されているためか、どんよりと暗い。

 まるで己の心の中が浮き出ているようだった。

「……アルト」

 ぽそりと呟いたそれはやけに大きく響いた。

 今すぐにでも小屋に戻り、組み伏せてしまいたい衝動に駆られている己に小さく自嘲する。

 己の欲を制御できていたと思ったが、どうやらそれは勘違いだったらしい。

 エルの脳裏にアルトの顔が浮かぶ。

 口では嫌だと言っていても次第に甘い声で啼き、自分を求めてくれる愛しい男。

 このまま小屋に戻っては、よく眠っているであろうアルトを起こしてしまうのは必須だ。

「……先に酒を持ってこさせたら良かったな」

 今は浴びるほど飲んでも酔えそうにないが、新たに人を呼ぶ気力もミハルドを呼び戻す気力もない。

 その代わり額に手をあて、ゆっくりと迫り来る性欲に耐える。

(商会にも、ルシエラにも……誰だか知らないナツキにだって、アルトは渡してやらない)

 昨夜、アルトが気絶するように眠った後の事を思い出す。

 聞いたことのない名前の主とアルトの関係が知りたい反面、なぜ先程はエルを引き止めるような事を言ったのか、疑問が尽きなかった。

 それに、アルトは初めて出会った時の事を覚えていないようだが、この際それでもいい。

 なにぶん互いに幼く、鮮明に覚えている方がおかしいのだ。

 エルは小さく唇を噛み締める。

 アルトに仇なす者がいようものなら、水面下で動く事も易かった。

 ただ、後から泣かせてしまうような手酷い事はしないつもりだ。

 エルが見たいのは他でもないアルトの笑顔で、悲しい顔はしてほしくないから。

 叶うならばずっと笑っていて欲しい、自分だけを見て欲しい──そう願ってしまうほど、エルはアルトに惚れてしまっているのだ。

 ややあってエルは椅子から立ち上がり、窓に脚を向けた。

 月明かりが眩しいほどこちらを照らしており、反射的に目を眇める。

「──眠れよ眠れ」

 エルはアルトに歌った歌を小さく口ずさむ。

「私の天使」

 ベアトリスがよく聞かせてくれた、故郷であるレジアの子守唄だ。

 エルがせがむと苦笑していさめられた事もあったが、必ず歌ってくれた。

「母の腕に……抱かれて、眠れ」

 ぽつぽつとエルは誰にともなく歌う。

 何度となく聞いたそれは大切なもので、ベアトリスが生きていた事を感じられるものの一つだった。

 しかしベアトリスはもういない。

 目の前でいなくなった光景は、ベアトリスの身体の下に溜まっていく赤い血は、未だにエルの頭の奥に刻み込まれている。

 十五年以上前の光景を鮮明に思い出せるのだから、自分の記憶力も捨てたものではないな、と場違いなことを思う。

「愛しい天使よ、とこしえに……花咲き誇る」

 ゆっくりとエルは息を吸い、最後の一節を口にする。

「庭で眠れ──」

 瞬間、こちらを向いて笑う女性の幻影が見えた。

 太陽の日をいっぱいに浴びて輝く白い髪は、お気に入りだと言ってよく来ていた薄桃色のドレスは、忘れるはずもない。

「ベアトリス、様……!?」

 エルは窓枠を摑み、慌ただしく窓を開ける。

 しかしどれほど凝視しても姿は見えず、インクを溶かしたような空が広がっているだけだ。

「ベア、……さま」

 エルの小さな呟きはすぐに溶け、空の彼方へ消えていった。
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