【第三部連載中】その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第一部 四章

小屋の中で 2

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「……なんなんだよ、本当」

 ぽそりと呟いた言葉はすぐに溶けていき、後には静寂が落ちた。

 小屋には時計が無く、ゆっくりとした時間が流れていく。

「……エル」

 エルが小屋を出ていってからどれほど経っただろうか。

 自身に掛けてくれた外套にエルの匂いが染み付いている気がして、アルトはそっと己を抱き締める。

 冷たい感触はそのままだが、それでもエルの温情でアルトの胸はぽかぽかと温かくなった。

「っ!」

 不意にノックが聞こえ、びくりと肩を竦める。

 その拍子で外套がばさりと床に落ち、重い音を立てる。

 アルトは慌てて拾い上げ、改めて羽織った。

「……様、アルト様。ミハルドです。替えの服をお持ちしましたので、お手数をお掛けしますがこちらからお取りくださいますよう」

 そう言い終わると同時に声の主──ミハルドの手によって扉が解錠された。

 そこから薄く扉が開き、ミハルドの腕がギリギリ通るほどの隙間から服が差し出された。

 清潔な白いシャツと黒いスラックスという、いかにも簡素なものだった。

「あ、ありがとう……ミハルドさん」

 アルトはゆっくりと扉に近付き、ミハルドの手から服を受け取る。

「では──」

 受け取ったのを確認することもなく閉めようとするミハルドの隙を突き、アルトはすんでのところで腕を摑んだ。

「な、……っ」

 アルトの予想外の行動に、ミハルドがわずかに息を呑む気配がする。

 開け放った扉からは、驚きで見開かれた赤い瞳と視線が一瞬交じわい、しかしすぐに逸らされる。

 摑まれた腕はそのままに、ミハルドが静かな声で言った。

「離してはくれませんか。私にも職務があるのです」

 エルから命じられたのか、アルトをねじ伏せようとする素振りも、強引に離れようとする素振りもない。

 エルが思う『口の堅い人間』の一人にミハルドが選ばれたらしく、ただただその口調は冷静だった。

「……ミハルド、さん」

 アルトは小さく名を呼んだ。

 何を言うでもなく、ミハルドは目を伏せていた。

 まるで何かを堪えるように、アルトの視線から逃れている。

「なんで……何も言ってくれないんだ」

 いや、分かっている。

 こんなことを言っても目の前の男は答えてくれず、無意味でしかないことくらい。

「……お風邪を引かれては殿下に叱られてしまいます」

 だから離してくれ、とミハルドが暗に言っている。

 強引に腕を引くことも出来るはずだが、ミハルドはただアルトの方から行動するのを待っていた。

 それがなんとも奇妙で、どこかおかしさがあった。

「っ、エルから何か──」

「アルト様」

 ミハルドはアルトの言葉を半ば遮り、口を開いた。

 普段はあまり開かれることのない赤い瞳が、じっとアルトを見つめていた。

「どうか、私と話した事はご内密に」

「へ」

 そう言い終わるとミハルドに引き寄せられ、アルトはつんのめった。

 よろけそうになるのをすんでのところで支えられ、その拍子でミハルドの胸に飛び込む形になる。

 騎士の軽装に身を包んだミハルドからは、ほんのりと甘い香りがした。

「な、ミハ……」

「──殿下はほとぼりが冷めるまで……いや、あの方のお気が済むまで貴方様を閉じ込めておくおつもりです」

 直接耳に届いた言葉に、アルトの背中に冷たい汗が伝う。

(それ、って……)

 アルトの頭に『監禁』という二文字が浮かんだ。

 そう考えてしまえば、エルが放った言葉の一つ一つが繋がっていく。

 小屋に着き、早々に押し倒された時の言葉が脳裏によみがえった。

『今から貴方にはここで過ごしてもらう』

『人と会うのは許さないから』

 半ば命令にも近いそれは、やはりアルトを縛り付けようとしていたのだ。

『──ルシエラには会わせない』

 そう言った時のエルの顔は見えなかったが、まるで自身に言い聞かせているかのようだった。

 もしくはその背後にあるソルライト商会から守る、とでもいうように。

(エルは、そんなに俺を──『アルト』を自分のものにしたいのか)

 改めてなんとも言えない感情が胸の内に広がり、羽織っていた外套を摑む。

 そこには確かにエルの温もりがあったのに、先程に比べてずっと冷たく感じた。

「貴方様にとって、このような状況はお辛いかもしれません。しかし、今しばらくご辛抱ください。殿下に進言しますゆえ」

 そう言うと、ミハルドはアルトの肩を押して離れさせる。

 既に赤い瞳は見えず、ただいつも通りのミハルドがそこに居た。

「ミハルドさん、一体何を……?」

「では、私はこれにて」

 手本のようなお辞儀をするとアルトに問い掛けに答える間もなく、ミハルドはこちらを振り返ることもなく小屋から離れていく。

 一人残った小屋の中で、アルトは新しい服に着替えながらぼんやりと昨夜の事に思いを巡らせる。

 王宮の門に入り馬車から降りてすぐ、まるでアルトの帰りを待っていたかのようにエルが立っていた。

 さも『今帰ってきた』というふうな言葉を並べていたが、傍には自分たちが乗ってきた馬車以外は見受けられなかった。

 エルが本当に公務でどこかへ行ったのであれば、半日ほどで帰るのは余程すぐに終わらない限り有り得ない。

 街の視察であれば別だが、仮にエルが馬車に乗らず一人どこかへ行くと目立つのは確かだろう。

 顔を隠していようと、王族の者が持つ雰囲気で気付かれてしまうのは確実だった。

 エルが何も言わないためアルトも何も聞かなかったが、本当に公務だったのだろうか。

(もし、またはぐらかされたら……信用できない気がする)

 小屋に連れて来られた時の事が脳裏に浮かぶと同時に、エルの顔を思い出す。

 アルトが今まで知る以上の冷たい視線が脳裏を掠め、ぞくりと首筋に怖気が走った。

『──だから、今度は俺が守ってやらないと』

 庭園の中で抱き締められ、弱々しく紡がれた言葉の意味が誰を指し、誰から守るのか理解している。

 ただ、思っていた以上に『アルト』に執着しており、最悪の場合命を投げ打ってしまいそうな気がしてならないのだ。

「……俺、信用されてないんだな」

 何度となく頭の中で反芻し、言葉にせずにいたそれを唇に乗せる。

 一度口にしてしまえば楽になれるかと思ったが、それ以上に胸が苦しくなった。

 エルが抱える闇にこちらが手を差し伸べても跳ね返され、一人で抱え込もうとするのは悪い癖だと思う。

 そう本人に言っても無駄でしかないが、それでもアルトは諦めきれなかった。

「ケイトなら。あいつなら……何か、知ってるかな」

 一度会ったきり姿を見せることのなかった第二王子。

 王宮のどこに居るか定かではないが、ケイトであればエルに関する事を教えてくれるだろうか。

(いや、駄目だ。きっと許してくれない)

 エルからケイトの話を聞く事はなく、言ったとしてもこの小屋に通すことを許してくれる確証は無いに等しい。

 人と会うのは許さない、その言葉通りアルトが誰かと会う権利は無いのだ。

 よくてエルが許した相手──口の堅い人間の中で、エルのことを知る者は限られてくるだろう。

 ミハルドなどは忠誠を尽くしている節があるが、手助けはしてくれてもその背後にあるエルの重苦しい感情まで教えてくれるかは怪しかった。

 やはり本人に聞くしか道はないのだろうか。

「あ……」

 そこでアルトははたと気付く。

 エルが絶対に逆らえない相手が、この世でただ一人だけ居ることに。

「国王、陛下」

 エルとよく似た顔立ちで、柔和な笑みが印象に残った。

 笑うと目尻に寄る皺が可愛らしく、その表情はどこにでもいる男に見えた。

 しかし一度謁見をしたきりで、アルトは国王のことをほとんど知らない。

 そもそもリネスト国について調べていた資料は公爵邸にすべて置いてあり、小屋に半ば監禁されていては図書館へ行く事もエルの許しがなければ叶わないのだ。

 本来ならば昨夜改めて国王に会うはずだったが、先にエルが居た事でそれも立ち消えとなった。

 ミハルドがアルトの訪れがない理由を、帰城の旨と一緒に伝えてくれているだろう事は予想出来る。

 ただ、エルがアルトを半ば監禁しているのを知っているかとなると分からない。

 もしも知っていたなら、アルトは小屋でなく王宮の中に居るはずだ。

 それに国王から叱責されており、こうしてアルトの傍に居るという事もなかったはずなのだ。

(国王陛下ならあるいは……)

 ベアトリスは国王の第三王妃だった。

 そのため、ベアトリスが殺された時の状況やソルライト商会の事を調べさせており、エルが知らない事まで知っている可能性があった。

「なんとか伝えられれば……」

 エルにはぐらかされるのは嫌だ。

 けれど本人に言っても教えてくれない以上、それしか道はないも同然だ。

 アルトは部屋の中をぐるりと見回した。

 エルに勘付かれず、国王にだけ分かるもの。

 手紙であれば先に中を改められ、エルの手で破棄される可能性が高い。

 かと言って分かりやすくては、それこそすぐに気付かれてしまう。

 あれで中々鋭いところのあるエルに何をされるか、もう分からないほどではない。

 必要最低限のものしかない小屋に何があるかは限られてくるが、考えを巡らせればきっと伝わるはずだ。

「──これだ」

 目線の先にはおあつらえ向きの『それ』があり、呟いたアルトの小さな声が、やけに大きく響いた。
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