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第一部 三章

ソルライト商会 2

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 応接室のソファに座り、ウィルと時々ミハルドも交えてぽつぽつ会話をしていると、アルバートがワゴンを転がして入ってきた。

 一口サイズで食べられるサンドイッチから始まり、花の形をしたクッキーやスコーンがこれでもかと載せられている。

「……ちょっと多過ぎやしないか」

 つい本音が出てしまい、アルトはきゅっと口をつぐんだ。

「いいえ、まだ少ないくらいですぞ。──ルシエラ様もいらっしゃるようですし」

 そんなアルトに向けて笑みを浮かべると、アルバートはすぐさま眉根を寄せた。

「あの方が旦那様のご友人でなければ、と何度願ったか知れません……! ふらりとやって来ては旦那様のためにお作りした分を食べ飲みし、満足してお帰りになられるのですから!」

 ワゴンの持ち手を粉砕するかの勢いで、ぎりりと爪を食い込ませる。

「しかし旦那様自らがお呼びになられたのならば、もてなさずしては使用人の名折れ。……ルシエラ様は恵まれているというのに」

 ぴし、と小さな音を立てて何かが割れる音がする。

「あ、アルバート、壊れるからもうそれくらいで……」

 アルトは慌てて立ち上がり、ソファに座るよう促す。

 どうやらルシエラに対して自分がいなくなってから思う事が多かったようで、このまま応接室で落ち着かせるしかなかった。

「大体なんなのですか、旦那様がいなくなられたというのに、ルシエラ様は『遊びに来たぞ!』と仰ったのですぞ!?」

「うん、なんとなく想像つくけど落ち着け。ほら、これ飲んで」

 それとなくミハルドが淹れてくれた紅茶──三客のうちの一つ──を受け取り、手渡す。

「ありがとうございます。……いや、しかしつい一昨日も突然──」

 アルバートは小さく礼を言ってちびちびと飲みながら、尚も言い募ろうとする。

(なんだろう、ルシエラのことになると熱くなるというか……)

 二人の間、特にアルバートには何かがあるらしいが、今聞くのは無粋な気がした。

 すると、荒々しい音を立てて応接室の扉が開いた。

「っ……!」

 部屋に居る全員が音のした方に視線を向けると、汗だくになったルシエラが立っていた。

「は、はぁ……アル、っ……」

 ふらりとその場に膝を突き、ルシエラは肩で息をする。

 アルトはルシエラの傍に駆け寄り、傾ぐ肩を抱いた。

「ちょ、そんなに慌てて来なくてもいいだろ……!?」

 ウィルに『ルシエラを呼んでくれ』と言ったのは、つい三十分ほど前だった。

 邸からソルライト商会までどれほどの距離があるのかは分からないが、思っていたよりも早い来訪に驚愕する他なかった。

「へへっ……たまたま、近くを通って、な」

 アルトの手を借りてふらつきつつも立ち上がり、何度も深呼吸して乱れた息を整える。

「はぁ……、今頃あいつらは俺のことを探してるんだろうなぁ。『ムーンバレイ邸から呼び出しがかかってるのに、なぜいないんだ』とかなんとか言って。……俺のためにあちこち走り回って、いい気味だぜ」

 幾分か落ち着いたのか、ルシエラが笑いを含んだ声で言う。

「ってウィルじゃん。久しぶりだなぁ」

 元気だったか、とルシエラはウィルに笑いかけた。

 つい数秒前まで息を乱していたとは思えない姿に、アルトは少し驚く。

 元の場所では全力で走った後には十分近く動けず、いつも周囲に呆れられていたのをぼんやりと思い出した。

(いや、多分ルシエラよりも非力なだけだな)

 実際に今もあまり体力がないため『アルト』と自分は似たり寄ったりなのだろう。

「はい、お陰様で。ルシエラさんはなぜここに……? 時々いらしてましたけど」

 ウィルはクッキーを食べつつ問い掛ける。

「それはな、アルトに用があるからなんだよ」

「うぉ!?」

 強い力でぐいと肩を抱かれ、突然の事にアルトはつんのめりそうになるのをなんとか耐える。

「よし、アルバートさんやウィルの顔もしっかり見たことだし。二人とも席外してくれない?」

 既に紅茶を飲み終えていたアルバートを、まだ軽食を食べようとしているウィルを交互に見つめ、ルシエラが言う。

「大事な、そりゃあもう……大事な話があるんだ。なぁ相棒」

 至近距離でルシエラに言われ、アルトは頷く。

 そもそもこちらから出向いて欲しいと言った手前、ルシエラ自ら退室を促してくれるのはありがたかった。

「あ、ああ。……悪いな、ウィル。また今度ゆっくり──」

「オレもここに居ます!」

 アルトが最後まで言い終わるよりも早く、ウィルが言葉を被せてくる。

「……はい?」

 ルシエラがさも面倒くさそうな顔をしたが、そんな男を華麗に無視し、ウィルはアルトに向き直った。

「オレは兄さんが王宮に滞在される間の繋ぎでしかありません。けど、俺だってお二人のお役に立てるはずです」

 ウィルはきゅっと唇を引き結び、小さく息を吸い込む。

「ルシエラさん!」

「お、おう」

 名指しされたルシエラはやや仰天しつつも、ウィルの声に押されてアルトから腕を外した。

「アルバートがずっとボヤいてるのを聞いてるから、貴方に言うんですけど。オレが執務室で仕事をしている間も、ここにいらっしゃったんですよね?」

(そうなのか……)

 自分の話題にそっと退室しようとしていたアルバートを目で追い、アルトは人知れず呆れる。

 仮にも主人の弟を愚痴のけ口にするなど、普通ならばあまりよろしくはない。

 ただ、ほぼ毎日邸にやってくるというアルバートの言葉に嘘はなかったようで、ルシエラは小さく口笛を吹いていた。

「お二人の間に何があるのか、これから何を話すのか知りませんが……オレだって、ムーンバレイの人間です。オレにも知る権利はあるはずだ」

 ウィルの真摯な言葉に嘘は無いのだろう。

 しかしルシエラは違うようで、緩く首を振って却下する。

「駄目だ、ウィルは絶対に関わっちゃいけない。あんな所にお前が来たら──」

「来たら、なんですか?」

 ウィルはルシエラの言葉を遮ると、何を言うでもなくじっと見つめた。

 二人の瞳がばちりと交わり、張り詰めた空気が流れた。

「っ、とにかく早く出ていってくれ」

 先に視線を逸らしたのはルシエラで、バツの悪そうな顔でやや俯いた。

 かと思えばすぐに元の笑みを顔に貼り付け、ウィルの傍に寄った。

「……ほら、そろそろ昼だしさ。俺らも後から行くから、食堂で待っててくれよ」

 な、とルシエラは半ば無理矢理ウィルの背を押して退室させる。

 しんと静まり返った応接室には、三人の男が残った。

「……さて、あとはアンタだけど。見たところ身なりもいいし、王宮の人だよな。アルトのお付き?」

 いつの間にか優雅に紅茶を飲んでいたミハルドに視線を移し、ルシエラが問い掛ける。

「おや、これは申し遅れました。どうかお気軽にミハルドとお呼びください」

 にこりと微笑むと何事もなかったようにミハルドは立ち上がり、手本のようなお辞儀をする。

「して、私も同席してよろしいのでしょうか?」

 どこか圧のある声音でミハルドは言った。

「……っ」

 それはアルトも経験した事で、薄ら寒い感覚がよみがえる。

「あー……まぁ、アルトがいいなら俺は別に」

 ミハルドのそれとない威圧に気付いていないのか、それともあえて無視しているのか、普段とそう変わらない声音で言う。

 ちらりとルシエラから視線が寄越され、アルトは一瞬言い淀む。

 馬鹿正直に『エルから護衛を付けられた』と言えば、この友人はきっと不思議がるだろう。

 エル本人がルシエラ──ひいてはソルライト商会をよく思っていない事もあるが、ミハルドが傍にいないとなると後が怖かった。

「ミハルドさんはエル……いや、王太子殿下の護衛なんだ。今日向かう場所が危険なら、お前さえ良ければ連れて行きたい」

 あくまで護衛という言葉を強調し、ルシエラに言う。

 ここでミハルドと別れても、この男ならばアルトを陰ながら見守ってくれるだろう。

(エルにどう報告するかは別として)

 美しい微笑みを浮かべた男の姿が、アルトの脳裏に浮かんでは消える。

『ミハルドを護衛にしたはずなんだけど。どうして約束を破るのかな』

 昨日からずっと柔らかい口調で話すエルの声音が耳奥に響く。

 やや高くなったかと思えば低く掠れた声で何度も囁かれたのを思い出し、身体が知らず熱を持つ。

(あー、あー! 昨日の今日だってのに俺は……!)

 頭を抱えて、のたうち回りたいのを奥歯を噛み締めて堪える。

 エルと離れてそう時間は経っていないのに、こんな時にも考えてしまう自分に嫌気が差した。

 じっとミハルドの頭から爪先を見つめ、ルシエラはやがて破顔した。

「じゃあ決まりだな。……かなりデカいけど」

「はて、どういう意味でしょうか」

 そんなルシエラの言葉が気に障ったのか、ミハルドは普段は隠されている赤い瞳をほんのりと開く。

「よし、出るぞ!」

 しかしルシエラはその言葉に答えることなく、小さく拳を天井に掲げた。

「へ、出るって……」

 ここで話し合うんじゃないのか、とアルトは疑問を投げかける。

「だって」

 言いながらルシエラは扉の前で立ち止まると、ゆっくりとドアノブに手を伸ばした。

「わ、わわっ!?」

 扉の前に居たらしいウィルが顔から盛大に転け、大きな音を立てる。

「こうして聞き耳立てる奴もいるんじゃあ、おちおち話してられないだろ」

 ルシエラは溜め息を吐き、応接室から出て行こうとする。

 アルトやミハルドも続こうとすると、その背中にウィルの声が聞こえた。

「オレも連れて行ってください!」

「まだ言うか」

 呆れともつかない声音でルシエラは頭を搔き、振り向く。

「お前はアルトのために、って腹なんだろうけどさ。その前に大事な仕事があるんじゃないか?」

「そ、そうですけど……終わってからでも間に合うはずです」

 ウィルの言葉に、ぴくりとアルトの頬が強ばる。

 どうやらウィルは本当に『アルト』の役に立ちたいらしかった。

(けど、ルシエラが止めるくらい今から行く場所は危険なんだ)

 漠然とした予想でしかないが、スラム街という場合もある。

 そこには貧しい者がわんさとおり、日夜食うに事欠く生活をしている者が多いという。

(最悪、スリに遭う可能性だってある。ルシエラの手紙に書かれてたのが事実なら、ある程度の人が病気なのかもしれない)

 裕福な者ならすぐに医者を呼べるが、そういう者達にとってはそうもいかない。

 想像したくはないが、手遅れになっている者も少なからずいるはずだ。

 このままウィルを連れて行けば、アルトがいない間誰がこの邸を守るのか──そう、言外に警告しているのだ。

 もっとも、当の本人には少しも伝わっていないようだが。

「……ウィル」

 アルトは小さく弟の名を呼び、ゆっくりと唇を開く。

「もしも俺に何かあった時、お前には公爵の肩書きを譲る。……それは分かってるよな?」

 アルトは頭の中にある貴族制度を紐解きながら、言葉を選んで続ける。

「俺は王太子の婚約者だ。多分、子供は望めない」

 背後でミハルドが息を呑むのが分かる。

 実際、エルと結婚後は二人手を取り合って仲睦まじく暮らすのだろう。

 それはどう足掻こうと逃げられない事実で、アルトの拒否権は無いのだ。

 ならばありがたくその『権利』を借り、弟を説得させてもらうまでだ。

「その時のために、お前には健康でいてもらわないといけない」

 アルトがエルの王配になれば、ムーンバレイ公爵家の事実上の後継者は弟であるウィルのみだ。

 両親は既にいため、ウィルが同性と一緒にならない限り、ムーンバレイという家名は永劫続く。

「俺の言ってることが分かるなら……今日は見逃してくれ、ウィリアム」

 アルトはウィルに向けて頭を下げる。

「そんな、やめてください。オレ一人の我儘なのに、兄さんがそんな事する必要は……!」

「じゃあ邸に居てくれるんだな?」

 アルトは微笑みを浮かべ、間髪入れずに言った。

 それは言質を取ったも同然で、これでウィルの逃げ場は無いに等しい。

「うっ……」

 ウィルは視線を泳がせて押し黙ると、やがて諦めたような表情で囁いた。

「……狡いです。オレが、貴方の言葉に抗えないのを分かっているくせに」

 しかし、拗ねたような声音とは裏腹に、ウィルはどこか誇らしげに笑った。
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