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第一部 二章
突然の王宮生活 5
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一時間後、エルの側近がそろそろ公務の時間だと伝えてきた。
図書室は昼過ぎまで解放しているらしいが、エルはアルトを一人残すのが心配なようで、ちらちらと視線を感じていたのは否めない。
しかし、それすら気にならないほどアルトは本を物色するのに忙しかった。
アルトが図書室を出たのは、エルが側近に連れられて公務に行った二時間後。
アルトは元来た廊下を歩きながら、エルの顔を思い浮かべる。
(……犬か何かなのかな、あいつは)
表情はあまり変わらないが、その代わりに声音の起伏が激しいのか、アルトはそれだけでエルの喜怒哀楽が分かるようになっていた。
やがてエルの部屋の前に着き、アルトはなんとか扉を開ける。
テーブルの上にエルから渡された本を置き、アルトは背後を振り返った。
「手伝ってくれてありがとう、ミハルドさん」
アルトの声から少しして、開け放していた扉から長身の男が姿を現す。
騎士の軽装に身を包んだ男──ミハルドの手には、アルトが運びきれなかった本を抱えていた。
どれもが分厚く、見るからに重そうなそれを持たせてしまったのを申し訳なく思ったが、ミハルドは快活に笑う。
「いいえ、これくらいいつでも頼んでください。残りはどちらに?」
ミハルドの手から本を受け取り、アルトは周囲を見回す。
「んー……持ってきたけど本棚とかないんだった」
失敗したな、とアルトは苦笑する。
とてもではないが、この部屋に本を置ける場所はない。
唯一と言っていいものはテーブルくらいで、それ以外だと苦渋の策で椅子の上かベッドの上。
そもそもこの部屋はエルのもので、アルトは一時的に『しばらくここに居ろ』と言われているだけなのだ。
元から収納という収納はあまりなく、本棚一つ無いという事を失念していた。
「とりあえずここでいいかな」
アルトは自分で持ってきた本の横にそれを置いた。
小さなテーブルだが、丈夫なのか倒れたり脚が折れたりする気配はない。
「あの、差し出がましい事を承知で聞くのですが」
その様子を見ていたミハルドが遠慮がちに問い掛ける。
「こちらではなく、ご自分のお部屋に置いては駄目なのですか?」
「……そう、だよな」
アルトはじっと本を見つめ、ミハルドの言葉を反芻する。
確かにいつかそう訊ねられる可能性はあったが、やはりエルの部屋に居る事自体、俯瞰して見れば疑問でしかないらしい。
普通は王太子の私室には本人しか入れない。
ただ、アルトが四六時中エルの部屋に居るからか不思議なのだ、とミハルドは続けた。
「……しばらくここに居ろ、って言われたから居るだけだよ」
当たり障りない会話で切り上げようとしたが、アルトはふとミハルドを見上げた。
エルと並んでもあまり変わらないであろう体躯は、同性から見ても憧れを抱くほど。
軽装を外せば、きっと引き締まった筋肉が現れるであろうことが分かる。
この男に羽交い締めでもされようものなら、アルトは到底逃げられないだろう。
(ずっとは無理でも、一度くらい邸に帰るのを許してくれてもいいんだけど……)
図書室でエルに『もう逃げない』と言ってしまった手前、どう言っても嘘に捉えられてしまう可能性は十二分にあった。
(意味がちょっと……いや、かなり違う捉え方をされてる気がする)
エルはどうしてか、アルトが自分の傍からいなくなる事を異様に恐れている。
理由は本人に聞かなければ分からないが、それが巡り巡って束縛と化し、一種の執着となっているのは明白だった。
エルの声が普段よりも一段と低くなるのも、固くやや冷たい口調がアルトの前でだけ柔らかくなるのも。
アルトが邸へ帰ると言えば、間髪入れずに拒むのも。
ふとした言葉でエルのまとう空気が変わり、ぞくりとした悪寒が走るのだ。
それは生き物が己の身を守るための本能なのか、時としてアルトを苦しませる。
「ミハルドさん、これって……どっちの意味だと思う?」
「……とは?」
緩く首を傾げ、ミハルドは続きを促す。
「しばらく……この部屋に居ろ、なのか。王宮に居ろ、なのか」
アルトは怖々と、けれどはっきりと唇を動かした。
エルがどちらの意味に取ろうと、エルが許してくれなければアルトに逃げ場というものはない。
そして、それが叶えられるかどうかすら、はっきりと分からないから怖いのだ。
「私にはわかりかねますが……殿下は貴方様をとても大切にされております」
顎に手をあてて少し思案した後、ミハルドは淡く微笑んだ。
「どうかお気を悪くされなければいいのですが」
かと思えばミハルドはそう前置き、アルトの瞳をじっと見つめる。
元よりあまり目を開けているのか閉じているのか分からなかったが、ミハルドの瞳は血を思わせる赤だった。
(いや、血よりももっと……黒い)
まるで数多の血を吸い上げた剣のような、そんなどんよりとした色だ。
やや妖しげな赤い瞳はすぐに伏せられたが、それははっきりとアルトの脳裏に焼き付いた。
「貴方様を留める理由を、私は知っております。こちらから出たいと言うのならば、私は殿下の命令を遂行させて頂くやもしれません」
どくん、とアルトの心臓が嫌な音を立てる。
エルがミハルドに課した命令がなんなのか、考えずともすぐに分かった。
(俺、を……)
「──お戯れが過ぎるかもしれませんが、どうかご理解ください。殿下はずっと、待ち望んでおられたのです」
「それって、どういう」
アルトは震える声を抑えきれず、そのままミハルドに問うた。
何か知ってはいけないことを知ってしまった、そんな気がしてならなかった。
「……ミハルドさん?」
「些か話し過ぎました。アルト様、どうかこの事は殿下にご内密に」
しかしアルトの問いに答えることなく、ミハルドは淡く微笑むとぺこりとお辞儀をした。
「では、私は職務がありますのでこれで。何かありましたら出来うる限り力になりますゆえ、お声掛けください」
やや口早にそう続けるとアルトが何かを言うよりも早く、ぱたんと扉が閉まる。
アルトはしばらくその場に立ち尽くし、足音が聞こえなくなったところでのろのろと椅子に座った。
(何か言えないことでもあるのか……?)
アルトは無意識に懐に手を入れる。
行儀が悪いが、午後のお茶の時に食べる菓子を少しくすねていたのだ。
元の場所でも甘いものが好きで白米よりも食べており、それとなくフィアナに『もっと食べたい』と言った日から心持ち菓子の量が多くなった。
しかし『あとで食べるから置いておいてほしい』という願いは許されず、以来こうして不自然にならない程度に懐に忍ばせていた。
ハンカチに包んでいる菓子を取り出そうとしたが、それよりも先に何かを摑んだ。
「なんだ……?」
訝しつつ取り出してみると、白い封筒が一枚あった。
表面にあるソルライト商会、と書かれた文字を見たところでアルトは思い出す。
(す、すっかり忘れてた……!)
王宮に向かう馬車の中でで読もうとも思ったが、緊張で後回しにし、今の今まで忘れていたのだ。
アルトは急いでペーパーナイフで封を切り、手紙を広げる。
シンプルな便箋に書かれており、軽く香水でも付けていたのか微かに甘い香りが漂った。
『例の場所に行ってきた。俺が一人であの暗い所に行ったんだぞ、褒めてくれてもいいんだからな……!』
「……は?」
最初に目に飛び込んできた、やや乱雑な一行はルシエラの顔が浮かぶような文章で、アルトの頬が引き攣る。
王宮へ向かう前『尻尾を摑んだ』と言っていたため、その事を手紙で書いて寄越してくれたのだろうと思っていた。
しかし、予想しなかったふざけた文章にアルトは内心で溜め息吐いた。
(子供じゃないんだから真面目に書けよ……)
気を取り直して次の行を読むと、打って変わって流麗な字でこうあった。
『ただ、そろそろあの子を病院に行かせてやらないと死んでしまう。他にも何人か気になる奴がいるけど、俺だけじゃとても手が足りない。近々会えるようなら、商会に手紙を送ってくれ。公爵邸で待ってる』
「……商会」
それは手紙に書かれていたソルライト商会のことで、ルシエラはそこに所属しているのだろうか。
そもそもルシエラが貴族であるのか、別な仕事をしているのかアルトは知らない。
『会えなくても勝手に邸に行くけど、アルバートさんには話さないから安心して』
お前の親友、と最後にはそう書かれていた。
「これ……」
ルシエラの字を指先で辿り、アルトは何度も読み返す。
例の場所、あの子、気になる奴、とルシエラの文面には疑問が尽きない。
しかし、きっとアルトの予想以上に何かが複雑に絡んでいるという事は理解できた。
それはアルバートにも言っておらず、ルシエラと『アルト』が内々に進めている事。
なんらかの理由があって二人は行動を共にしていたが、『アルト』からその件について話す事が一切無かった。
ルシエラが突然邸に来る理由は、頃合いを見てそれに関する事を相談するためだと推察した。
ただ、アルトが長期的に邸にいない今、ルシエラが本当に邸に来ているのかすら分からないのだが。
「手紙、か……」
送ろうとすればエルの手が入るだろうか。
友人に送るだけだ、と言っても聞いてくれる可能性は低い。
本当ならアルトは今頃邸に居て、書類整理や領地内の視察をしているはずだが、それも出来ない。
「……聞いてみるか」
仮に駄目だと言われても、ルシエラには必ず手紙を届けなければいけない気がした。
アルトは椅子から立ち上がり呼び鈴を鳴らすと、そう間を置くことなくフィアナがやってきた。
「どうなさいましたか、アルト様」
手には箒を持っており、掃除の途中に呼んでしまったのだと分かる。
「あー……ちょっと人に手紙を送りたいんだけど、便箋や封筒はあるか?」
申し訳なさも感じつつ、アルトは問うた。
「すみませんがどちらの方でしょうか……?」
やっぱり聞かれるよな、と先程も思ったことに小さく苦笑する。
「ソルライト商会に」
「っ……!」
フィアナはアルトの放った言葉に息を詰まらせた。
しかしそれも一瞬で、何事もなかったように微笑んだ。
「い、いえ。なんでもありません。少し待って頂ければご用意できますが……」
箒に視線を向け、フィアナが遠慮がちに言う。
やはり掃除の途中だったようで、少しの罪悪感に駆られる。
しかしすぐに来てくれた事をありがたく思った。
同時に、やはり自分は人に命令をするのが向いてないらしい。
「じゃあ……頼めるか?」
「はい!」
アルトの小さな声よりもずっと明るいフィアナの声が、エルの部屋にこだました。
図書室は昼過ぎまで解放しているらしいが、エルはアルトを一人残すのが心配なようで、ちらちらと視線を感じていたのは否めない。
しかし、それすら気にならないほどアルトは本を物色するのに忙しかった。
アルトが図書室を出たのは、エルが側近に連れられて公務に行った二時間後。
アルトは元来た廊下を歩きながら、エルの顔を思い浮かべる。
(……犬か何かなのかな、あいつは)
表情はあまり変わらないが、その代わりに声音の起伏が激しいのか、アルトはそれだけでエルの喜怒哀楽が分かるようになっていた。
やがてエルの部屋の前に着き、アルトはなんとか扉を開ける。
テーブルの上にエルから渡された本を置き、アルトは背後を振り返った。
「手伝ってくれてありがとう、ミハルドさん」
アルトの声から少しして、開け放していた扉から長身の男が姿を現す。
騎士の軽装に身を包んだ男──ミハルドの手には、アルトが運びきれなかった本を抱えていた。
どれもが分厚く、見るからに重そうなそれを持たせてしまったのを申し訳なく思ったが、ミハルドは快活に笑う。
「いいえ、これくらいいつでも頼んでください。残りはどちらに?」
ミハルドの手から本を受け取り、アルトは周囲を見回す。
「んー……持ってきたけど本棚とかないんだった」
失敗したな、とアルトは苦笑する。
とてもではないが、この部屋に本を置ける場所はない。
唯一と言っていいものはテーブルくらいで、それ以外だと苦渋の策で椅子の上かベッドの上。
そもそもこの部屋はエルのもので、アルトは一時的に『しばらくここに居ろ』と言われているだけなのだ。
元から収納という収納はあまりなく、本棚一つ無いという事を失念していた。
「とりあえずここでいいかな」
アルトは自分で持ってきた本の横にそれを置いた。
小さなテーブルだが、丈夫なのか倒れたり脚が折れたりする気配はない。
「あの、差し出がましい事を承知で聞くのですが」
その様子を見ていたミハルドが遠慮がちに問い掛ける。
「こちらではなく、ご自分のお部屋に置いては駄目なのですか?」
「……そう、だよな」
アルトはじっと本を見つめ、ミハルドの言葉を反芻する。
確かにいつかそう訊ねられる可能性はあったが、やはりエルの部屋に居る事自体、俯瞰して見れば疑問でしかないらしい。
普通は王太子の私室には本人しか入れない。
ただ、アルトが四六時中エルの部屋に居るからか不思議なのだ、とミハルドは続けた。
「……しばらくここに居ろ、って言われたから居るだけだよ」
当たり障りない会話で切り上げようとしたが、アルトはふとミハルドを見上げた。
エルと並んでもあまり変わらないであろう体躯は、同性から見ても憧れを抱くほど。
軽装を外せば、きっと引き締まった筋肉が現れるであろうことが分かる。
この男に羽交い締めでもされようものなら、アルトは到底逃げられないだろう。
(ずっとは無理でも、一度くらい邸に帰るのを許してくれてもいいんだけど……)
図書室でエルに『もう逃げない』と言ってしまった手前、どう言っても嘘に捉えられてしまう可能性は十二分にあった。
(意味がちょっと……いや、かなり違う捉え方をされてる気がする)
エルはどうしてか、アルトが自分の傍からいなくなる事を異様に恐れている。
理由は本人に聞かなければ分からないが、それが巡り巡って束縛と化し、一種の執着となっているのは明白だった。
エルの声が普段よりも一段と低くなるのも、固くやや冷たい口調がアルトの前でだけ柔らかくなるのも。
アルトが邸へ帰ると言えば、間髪入れずに拒むのも。
ふとした言葉でエルのまとう空気が変わり、ぞくりとした悪寒が走るのだ。
それは生き物が己の身を守るための本能なのか、時としてアルトを苦しませる。
「ミハルドさん、これって……どっちの意味だと思う?」
「……とは?」
緩く首を傾げ、ミハルドは続きを促す。
「しばらく……この部屋に居ろ、なのか。王宮に居ろ、なのか」
アルトは怖々と、けれどはっきりと唇を動かした。
エルがどちらの意味に取ろうと、エルが許してくれなければアルトに逃げ場というものはない。
そして、それが叶えられるかどうかすら、はっきりと分からないから怖いのだ。
「私にはわかりかねますが……殿下は貴方様をとても大切にされております」
顎に手をあてて少し思案した後、ミハルドは淡く微笑んだ。
「どうかお気を悪くされなければいいのですが」
かと思えばミハルドはそう前置き、アルトの瞳をじっと見つめる。
元よりあまり目を開けているのか閉じているのか分からなかったが、ミハルドの瞳は血を思わせる赤だった。
(いや、血よりももっと……黒い)
まるで数多の血を吸い上げた剣のような、そんなどんよりとした色だ。
やや妖しげな赤い瞳はすぐに伏せられたが、それははっきりとアルトの脳裏に焼き付いた。
「貴方様を留める理由を、私は知っております。こちらから出たいと言うのならば、私は殿下の命令を遂行させて頂くやもしれません」
どくん、とアルトの心臓が嫌な音を立てる。
エルがミハルドに課した命令がなんなのか、考えずともすぐに分かった。
(俺、を……)
「──お戯れが過ぎるかもしれませんが、どうかご理解ください。殿下はずっと、待ち望んでおられたのです」
「それって、どういう」
アルトは震える声を抑えきれず、そのままミハルドに問うた。
何か知ってはいけないことを知ってしまった、そんな気がしてならなかった。
「……ミハルドさん?」
「些か話し過ぎました。アルト様、どうかこの事は殿下にご内密に」
しかしアルトの問いに答えることなく、ミハルドは淡く微笑むとぺこりとお辞儀をした。
「では、私は職務がありますのでこれで。何かありましたら出来うる限り力になりますゆえ、お声掛けください」
やや口早にそう続けるとアルトが何かを言うよりも早く、ぱたんと扉が閉まる。
アルトはしばらくその場に立ち尽くし、足音が聞こえなくなったところでのろのろと椅子に座った。
(何か言えないことでもあるのか……?)
アルトは無意識に懐に手を入れる。
行儀が悪いが、午後のお茶の時に食べる菓子を少しくすねていたのだ。
元の場所でも甘いものが好きで白米よりも食べており、それとなくフィアナに『もっと食べたい』と言った日から心持ち菓子の量が多くなった。
しかし『あとで食べるから置いておいてほしい』という願いは許されず、以来こうして不自然にならない程度に懐に忍ばせていた。
ハンカチに包んでいる菓子を取り出そうとしたが、それよりも先に何かを摑んだ。
「なんだ……?」
訝しつつ取り出してみると、白い封筒が一枚あった。
表面にあるソルライト商会、と書かれた文字を見たところでアルトは思い出す。
(す、すっかり忘れてた……!)
王宮に向かう馬車の中でで読もうとも思ったが、緊張で後回しにし、今の今まで忘れていたのだ。
アルトは急いでペーパーナイフで封を切り、手紙を広げる。
シンプルな便箋に書かれており、軽く香水でも付けていたのか微かに甘い香りが漂った。
『例の場所に行ってきた。俺が一人であの暗い所に行ったんだぞ、褒めてくれてもいいんだからな……!』
「……は?」
最初に目に飛び込んできた、やや乱雑な一行はルシエラの顔が浮かぶような文章で、アルトの頬が引き攣る。
王宮へ向かう前『尻尾を摑んだ』と言っていたため、その事を手紙で書いて寄越してくれたのだろうと思っていた。
しかし、予想しなかったふざけた文章にアルトは内心で溜め息吐いた。
(子供じゃないんだから真面目に書けよ……)
気を取り直して次の行を読むと、打って変わって流麗な字でこうあった。
『ただ、そろそろあの子を病院に行かせてやらないと死んでしまう。他にも何人か気になる奴がいるけど、俺だけじゃとても手が足りない。近々会えるようなら、商会に手紙を送ってくれ。公爵邸で待ってる』
「……商会」
それは手紙に書かれていたソルライト商会のことで、ルシエラはそこに所属しているのだろうか。
そもそもルシエラが貴族であるのか、別な仕事をしているのかアルトは知らない。
『会えなくても勝手に邸に行くけど、アルバートさんには話さないから安心して』
お前の親友、と最後にはそう書かれていた。
「これ……」
ルシエラの字を指先で辿り、アルトは何度も読み返す。
例の場所、あの子、気になる奴、とルシエラの文面には疑問が尽きない。
しかし、きっとアルトの予想以上に何かが複雑に絡んでいるという事は理解できた。
それはアルバートにも言っておらず、ルシエラと『アルト』が内々に進めている事。
なんらかの理由があって二人は行動を共にしていたが、『アルト』からその件について話す事が一切無かった。
ルシエラが突然邸に来る理由は、頃合いを見てそれに関する事を相談するためだと推察した。
ただ、アルトが長期的に邸にいない今、ルシエラが本当に邸に来ているのかすら分からないのだが。
「手紙、か……」
送ろうとすればエルの手が入るだろうか。
友人に送るだけだ、と言っても聞いてくれる可能性は低い。
本当ならアルトは今頃邸に居て、書類整理や領地内の視察をしているはずだが、それも出来ない。
「……聞いてみるか」
仮に駄目だと言われても、ルシエラには必ず手紙を届けなければいけない気がした。
アルトは椅子から立ち上がり呼び鈴を鳴らすと、そう間を置くことなくフィアナがやってきた。
「どうなさいましたか、アルト様」
手には箒を持っており、掃除の途中に呼んでしまったのだと分かる。
「あー……ちょっと人に手紙を送りたいんだけど、便箋や封筒はあるか?」
申し訳なさも感じつつ、アルトは問うた。
「すみませんがどちらの方でしょうか……?」
やっぱり聞かれるよな、と先程も思ったことに小さく苦笑する。
「ソルライト商会に」
「っ……!」
フィアナはアルトの放った言葉に息を詰まらせた。
しかしそれも一瞬で、何事もなかったように微笑んだ。
「い、いえ。なんでもありません。少し待って頂ければご用意できますが……」
箒に視線を向け、フィアナが遠慮がちに言う。
やはり掃除の途中だったようで、少しの罪悪感に駆られる。
しかしすぐに来てくれた事をありがたく思った。
同時に、やはり自分は人に命令をするのが向いてないらしい。
「じゃあ……頼めるか?」
「はい!」
アルトの小さな声よりもずっと明るいフィアナの声が、エルの部屋にこだました。
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