【第三部連載中】その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第一部 二章

突然の王宮生活 4

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 翌日、アルトはエルと共に早朝の王宮の廊下を歩いていた。

(あんまり眠れなかった……)

 アルトは欠伸を噛み殺し、目を擦る。

 背中合わせで眠っている普段とは違い、昨日エルはアルトを包み込むようにして寝たのだ。

 何度拒んでも『今日は抱き締めて寝たい』と言ったため、どうにかしてエルを諭そうと試みた。

『でも貴方は次こそ逃げてしまうだろう? これは貴方のためでもあるんだよ』

『俺と抱き合った方が暖かいし、よく眠れると思うよ』

 しかしエルの方が何枚も上手で、アルトの言葉など届いていないようだった。

 美しい微笑みで言われてしまえば断れない、とエルは理解しているらしい。

(俺、弱過ぎないか)

 考えれば考えるほど自分の不甲斐なさに嫌気がさす。

(そういえば……プレゼンした日なんか、いつも怒られてたな)

 元の世界に居た頃、ギスギスとした空気の中で会社の役人らにプレゼンをした時の事が思い出される。

 表面上は上手くいったと思ったが、終わればあれが駄目これが駄目、と嫌味にも近い説教が常に待っていたのだ。

 それはつい一ヶ月半ほど前の事で、今に比べればあまりにも酷いものだったと思わせられた。

 疎らな騎士の姿を横目に流しながら、アルトは隣りを歩くエルをそっと伺う。

 すっと通った鼻梁やほんのりと赤い唇は勿論のこと、男にしては長い睫毛が妖しい雰囲気を醸し出している。

 頭一つ分ほど上にある横顔は、こちらを見ることなくただ前だけを見据えていた。

 周囲には厳格であれ、と国王から言われたのか自分で決めたのか実際のところは分からないが、普段のエルは無口だ。

 必要最低限のことしか言わず、こちらから話さない限りあまり声を聞くことはない。

 そうした時のエルは何を考えているか分からないため、少し空恐ろしさを感じてしまう。

「──ここだ」

 騎士が左右に二人ずつ居る大扉の前でエルが立ち止まり、アルトの方を見た。

「少し待っていてくれ」

 エルが何事かを騎士の者らに告げ、しばらくして大扉が開けられた。

 重い音を立てて開いた扉の中から、本特有の匂いが鼻腔を擽った。

「うわぁ……」

 アルトは感嘆の溜め息を吐いた。

 図書室には天井近くまで本があり、アルトが頑張ってもとても読み切れそうにないほどの量があった。

 まさかこれほどだとは思わず、逸る気持ちを抑えきれない。

「気になったものがあれば持っていってくれて構わない」

 アルトの表情が余程輝いていたのか、エルが顔を綻ばせて言う。

 口元に手を添え、くすくすと忍び笑っているエルにアルトは小声で問うた。

「よく見れば小さな子達も居るんだな」

 周囲を見回すと紳士淑女の卵たちが、さも嬉しそうに本を抱えて笑顔を見せていた。

「ああ、民にも解放しているからな。今日はその日みたいだ」

 聞けば王宮は月に二度、決まった日に図書室を解放しているという。

 屈強な騎士が左右に二人居たのもそれが理由で、本来は王宮に入る前に身体検査をした後に図書室へ通すらしい。

 たとえ刺客が検査を掻い潜ってやってきても即気付けるよう、観察眼にけた騎士が配置されていると。

「──あった、これだ」

 不意にエルの声が聞こえると同時に、アルトの目の前に本が差し出される。

 それは昨日読み終わった書籍のシリーズで、エルの手には五巻まであった。

「ありがとう」

 アルトはすべて受け取ると、じっくりと表紙を見る。

(……どう足掻いても見たことない言葉なのに、やっぱり全部読めて理解もできる)

 アルトはそっとタイトルに指を滑らせた。

 エルの置き手紙を読んだ時から不思議で仕方なかったが、何度この国の文字を見ても脳は理解しているようだ。

 試しに日本語を書いてみたが、それは逆に分からない。

 書けはしても読めない、というのはアルトをなんとも不思議な気持ちにさせた。

(この身体が知ってる事を『俺』が受け継いでるんだな)

 それは少し悲しく、もう生まれた時の言葉が分からないことに気持ちが沈んでいく。

「……ト、アルト」

 ひらひらと目の前で手を振られ、アルトはそこで正気に戻る。

「っ、ごめん」

 アルトは反射的に謝罪の言葉を口にし、エルの方を見た。

 やや怪訝な表情を浮かべていたがそれも一瞬で、エルの柳眉がわずかに跳ねる。

「いや、こちらこそ気付かなくてすまない。周りがうるさかったら人払いさせ──」

「いや、そこまでしなくていい」

 アルトが黙ってしまったのは人の多さから来るものだと捉えたようで、エルが騎士を呼びに行こうとするのを既のところで遮る。

「……そうか」

 心なしかエルの表情がわずかに曇った気がした。
 とうに分かっている事だが、アルトに対してだけ心配する節がある。

 それを少し鬱陶しく思いつつも、断ったら断った分落ち込むのだから憎めない部分もあった。

(これが母性ってやつなのかな、男だけど)

 心の中で溜め息を吐き、アルトは気を取り直してエルに言った。

「今から色々見てくるけど、お前はどうするんだ?」

 アルトが何を読もうか追加で選んでいる間、エルは手持ち無沙汰のはずだ。

 何も用がなければこのまま公務に行ってもいいはずだが、エルがアルトの傍から動く気配はない。

「そう、だな。私の側近が来るまでは一緒に居られるはずだ」

 一呼吸分たっぷり考えた後、エルは淡く微笑む。

「……はい?」

 今、この男はなんと言ったのか。

 さも嬉しそうに、アルトの傍に居られる事が至福だとでもいうような口振りだ。

(エルがこういう性格ってのは知ってるけど! いつもなら部屋を出る前に『じゃあな』って言ってほいほい出ていくのに!?)

 なぜ今日だけは動かず、にこにこと笑っているのか。

「アルト……? 探さなくてもいいのか?」

 こてりと首を傾げ、エルは尚もアルトを見つめる。

 それは幼子のようにも見え、アルトは目眩がしそうになった。

「今から探すよ。けど──」

「おうたいしさまっ!」

 不意に高い声が聞こえ、アルトだけでなくエルも声の主に視線を向けた。

 アルトの膝ほどの背丈のある少女が、じっとエルを見上げていた。

「……どうしたんだ?」

 エルは床に膝を突き、少女の目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。

 普段の固くやや冷たい声音とは違って幾分か優しげなそれは、素のエルを見ているようだった。

「えっとね、えっとね、これ!」

 頬を赤く染め、少女が後ろ手に隠し持っていたものをエルに差し出す。

 黄色やオレンジ、白などの可愛らしい花が、赤いリボンでラッピングされていた。

「おうたいしさま、そろそろ『おたんじょうび』でしょ? だからね、おかあさまといっしょにプレゼントをさがしてきたの!」

 へへ、と少女は照れくさそうに言うと、近くにいた母親の後ろに隠れてはにかんだ。

「も、申し訳ございません。娘がどうしてもと聞かなくて……」

 母親は平身低頭でエルの様子を伺う。

「いや」

 エルは短く言うと、少女に向けて微笑んだ。

「ありがとう、レディ」

 笑顔を向けられた少女は先程よりも頬が赤くなっており、母親のドレスの裾をきゅっと摑んで離さない。

「私に渡すために朝早くから来てくれたのだな」

 それだけでも嬉しいのに、とエルが呟いたのをアルトは聞き逃さなかった。

(エル……?)

 どこか寂しそうな声音にも聞こえ、アルトは疑問を抱く。

 しかしそれもすぐに霧散し、エルは優しい声音はそのままに少女と談笑していた。

 瞬間、アルトの胸に何かがぽっかりと空いたような感覚があった。

(なんだ……?)

 本を持っていても分かるほど、トクトクと規則正しい鼓動が聞こえるだけで、その『何か』が分かる気配はなかった。

「ばいばーい!」

 終始嬉しそうに少女がエルに向けて手を振り、母親に促されながら図書室を出ていく。

 エルも小さく手を振り返し、ゆっくりと扉が閉まったのを合図にアルトに向き直った。

「待たせてすまない。先程、何か言おうとしていなかったか?」

「なん、でもない」

 なぜかアルトはエルの顔を見れず、ふいと明後日の方を向いた。

 今、自分の中に渦巻く感情の処理の仕方をどうすればいいのか分からないのだ。

(病気か何か、か……? これ以上悪くならないといいけど)

 エルに気付かれないよう、本を持っていない方の手を握り締める。

 自分が体調を崩せば、たとえ些末なことであってもそれだけで周囲に迷惑が掛かってしまう、とアルトは身を持って知っていた。

「……本当に?」

 ほんの少し声が低くなった気がして、アルトはちらりとエルの方に視線を向ける。

 待たせてしまったのが申し訳ないというふうに、エルの柳眉が八の字になっているのが視界の端に見えた。

「本当」

 それ以上は顔を見れず、アルトはエルから逃げるように近くの本棚に脚を向ける。

「……一人でも大丈夫だし、もう逃げないから。時間になったら公務に行ってくれ」

 エルに聞こえる声音で口早に言うと、アルトは返答も待たずに気持ちを切り替える。

 これ以上エルの近くに居ては駄目になる、そんな気がしてならなかったのだ。

「──嘘は止めてくれると嬉しいんだけど」

 エルの低い囁きは、本棚の向こう側に行ったアルトには聞こえておらず、図書室に集う子供達の声に紛れていった。
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