【第三部連載中】その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第一部 二章

突然の王宮生活 3

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 エルはあれからアルトを見張るためか、寝るためだけでなく公務以外はこの部屋に居る。

 その間互いにあまり言葉を交わすことなく、時間になればベッドで横になるだけの日々だった。

 今日も一日の公務が終わり、寝室にやってきたエルは両手に書類らしき紙をいっぱいに抱えていた。

 テーブルに肘を突いて読書をしていたアルトは、二度ほど目を瞬かせると椅子から立ち上がろうとする。

「ああ、大丈夫だからそのまま座っていてくれ」

 しかしわずかに早くエルに制され、アルトはしばし考えつつもそのまま座り直した。

「何を読んでいたんだ?」

 エルは書類を置きながらアルトに問い掛ける。

「前持ってきてくれたやつ。あと……多分一時間くらいで読み終わる」

 背表紙を見てから残りのページ数をペラペラと捲り、アルトは曖昧に答えた。

 アルトの手の平より半分ほど大きなそれは、この部屋で過ごすようになって二日経った頃にエルが『面白いらしいから読んでみてくれ』と言ってきたものだ。

 五百ページほどあり、ジャンルは本格ミステリーもの。

 この世界にも娯楽小説があるのか、と最初は驚いたものだがアルトは暇があれば本を開いていた。

 エルの持ってきてくれた本は思った以上に面白く、アルトは自分でも驚くほどの速さで読みふけった。

「早いな、分厚いのに。それは確かシリーズがあったはずだから、朝起きたら一緒に図書室へ行こう」

「え、いいのか!?」

 まさかそう言ってくれるとは思わず、アルトは普段よりも大きたな声を出した。

 今からクライマックスを迎える大事な局面を読もうとしていため、読了した後もまた続きがあるのは嬉しい。

「あ、ああ。……アルトは本が好きなんだな」

 ペンを走らせようとしていたエルはアルトの声に一瞬たじろいだものの、すぐに視線を書類に向けると手を動かした。

「私とは大違いだ」

 聞けばエルは読書が嫌いで、文字を追うごとに段々眠くなってしまうという。

 王太子として幼い頃から帝王学などの難しい本を読ませられていたからか、その反動で娯楽小説であっても楽しめなくなったのだ、と。

(見た目はめちゃくちゃ読んでそうなのに……)

 どちらかというと女性的な風格のエルが読書をしていたら、その姿だけで絵になるだろう。

 細く長い指先がページを捲る度、文字を追う瞳がゆっくりと動く度、それを見ているだけで金を落としてもいいと思える。

(って何を考えてるんだ俺は! こんな、こんなこと考えるとか……)

 最初に謁見の間で出会った時から思っていたが、アルトはエルの顔が好きらしい。

 婚約解消の件とは別に、どうしてかエルを見ていると胸がいっぱいになってしまうのだ。

(一週間くらいほとんど一緒にいるからって、ほだされちゃお終いなんだぞ)

 アルトは己の感情を戒めるように、本をぎゅっと握る。

「……俺も昔は読んでたけど、最近はあんまり読めてなくて。やっぱり楽しいな、読書って」

 よこしまな感情を振り切るように、アルトは努めて明るく声を出す。

 エルは小さく笑うと『そうなのか』とだけ相槌を打った。

 そこから数十分、ページを捲る音や紙にペンを走らせる音が規則正しく響く。

 静かな部屋に大きく響いたが、不思議とアルトは嫌ではなかった。

「……なぁ」

 先に本を読み終えたアルトはそれを閉じると、エルに視線を移す。

「ん?」

 エルは視線を書類に向けたまま応じた。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、……聞いてくれるか?」

「ここから逃げるというのは聞かないぞ」

「っ、そうじゃなくて」

 間髪入れずに言われ、アルトは一瞬たじろぐ。

 エルがこの寝室に来る度に『邸に帰りたい』と言っていたため、エルにとってはいつもの事のような呆れ声だ。

 耳にタコができるほど言っている自覚はあるが、この部屋から出たいというのは本心でもある。

「いや……それもあるけど、もっと別のことだ」

 アルトは語尾を強め、エルをじっと見つめた。

 あわよくばこちらを向いて欲しい、そんな思いを瞳に乗せる。

「なんだ?」

 エルはやおら顔を上げ、アルトの方に視線を向けた。

 その拍子にさらりとした黒い前髪が顔に落ち、どこか扇情的だった。

 水色の瞳は透き通っており、ただアルトだけを見つめている。

「今日、その……ケイトがここに来たんだ」

 アルトはゆっくりと、けれどエルから目を逸らす事なく言った。

 ぴくりとエルの柳眉がわずかに跳ねる。

 しかし何も言わず、エルは腕を組んで椅子の背もたれに背中を預けただけだ。

「俺のことばかり話すから気になった、と」

 ケイトは終始楽しそうにエルのことを褒めては、アルトにも遠慮がないためフィアナに諫められていたこと。

 仮にも一国の王太子で、その婚約者──アルトが婚約解消を申し出たのは知らないらしい──になんという口の利き方だ、とフィアナが可愛らしく怒っていたこと。

 今日の出来事を掻い摘んで話し、アルトは一呼吸置いて口を開く。

「あいつ、心配してくれてた。フィアナがいなくなった時に聞いたんだけど、俺の噂が王宮で広まってるって」

 ケイトに聞いた話はこうだ。

 王太子が熱を入れている婚約者は男であり、結婚を嫌がる婚約者を何らかの理由で監禁している。

 公務が終わればすぐさま寝室に入り、しばらく出て来ないのは婚約者を辱めているからだと。

 前者は紛れもない事実だと思っているが、後者はただアルトを見張っているだけだ。

(どこから漏れたのか知らないけど……名前が割れてないだけマシだ)

 エルがそれほど『アルト』を好きなのはよく分かっているが、どうしても王宮に留まらせたい理由が分からない。

 実際、エルがアルトに熱を入れているのは事実なのだが、この先後者の噂を否定できない日も近いだろう。

「……それで?」

 エルの小さな呟く声が響く。

 その口元はほんのりと上がっており、アルトの話にじっと耳を傾けてくれている。

「あ、えっと。ケイトとは腹違いなんだよな、多分」

 しかしその核心に触れるのはまだ難しくて、アルトは当たり障りない会話を続けようとした。

「アルト」

 不意にエルは椅子から立ち上がり、アルトの背後に回り込んだ。

 数日前、ここに連れて来られた時の事が脳裏を掠める。

「貴方の言いたいことは分かるけど。──俺の部屋で他の男の名前を呼んで、楽しそうに話すのは感心しない」

「あ」

 しくじった、と思った時には既に遅かった。

 温かい唇が重ね合わされ、アルトは小さく息を詰める。

 そう時を経てずに分かった事だがエルには表と裏の顔があり、雰囲気ががらりと変わる。

 おおやけの場では王太子として厳格な口調に、アルトの前では時として柔らかい口調になる。

 今は後者で、エルは怒っているのだと推察できた。

(でも、なんで怒って……)

 ちゅ、ちゅ、と短いキスを何度も繰り返され、時折唇を甘く噛んではアルトの官能をゆっくりと誘い出す。

 脳裏を埋めつくしていた疑問は、エルのキスによって段々と霧散していく。

 この部屋に連れて来られ、エルの手で慰められた日からこうして触れ合う事はなかった。

 ただ他愛もない話をして、寝る時間になれば共にベッドで横になるだけだったのだ。

 しかしそれとこれとは別だ。

「や、……っ」

 アルトはぐいとエルの胸を押そうとするも、逆に手首を摑まれて抑え込まれる。

 エルの手の平が背中を撫で擦り、深く唇を重ねてくる。

 ずくりと下腹部に熱が溜まっていくのを感じ、アルトの頬が知らず赤くなった。

(な、俺……)

 拒否しようとする理性とは裏腹に、身体はもう一度あの官能を与えられる事に期待しているようだ。

(流されちゃ駄目、なのに)

 何度戒めとして心の中で呟いたかしれない言葉を、脳裏が掠めていく。

 しかしそれ以上にもっと触れて欲しいと思う自分は、既にエルの手の内らしかった。

「ん、ん……」

 アルトは無意識に唇を開き、エルの唇を舐めた。

 ぴくりと背中にやっていたエルの手が一瞬止まったが、すぐに舌がアルトの口腔を舐め上げる。

 歯列を割って入ってきたそれに、アルトは夢中で吸い付いた。

 エルはされるがままで、頭や背中を撫でてアルトの官能の熾火おきびをじんわりと高めていく。

「っ、ん……ぁ」

 しばらくアルトの好きにさせていたが、我慢しきれないというふうにエルはアルトの上顎を舐め、頬の内側まで余すことなく舌がうごめく。

 ちゅくちゅくと淫らな音が立ち、耳まで犯されている心地になった。

 アルトがもぞりと腰を揺すると、それに気付いたのかエルの手の平が腹を辿る。

 太腿から鼠径部を撫で上げ、それだけで喉が期待に震えた。

 もう少しで中心に触れようとした時、小さな音を立てて唇が離れる。

「……は」

 二人の間を透明な糸が引き、ぷつりと切れた。

 飲み込み切れなかった唾液が顎を伝い、エルがそれを親指で拭ってくれる。

「──明日は早く起きるから、今日はもう寝ようか」

 同時に、いやに艶めいた声が耳に届く。

 その言葉の意味を理解した途端、かっと全身に熱が回る。

 じわじわと侵食していった快楽の波はそのままに、頭だけが冷静になっていく。

(ここまでしといて何を言ってるんだ……!?)

 ぷるぷると震えるアルトに気付いてないのか、淡く微笑んだエルは優しく頭を撫でてくる。

「図書室に行くならもう寝た方がいい。……それとも、立てなくなる方がお望みかな」

 一段と低くなった声音に、アルトの身体は期待と恐怖とが綯い交ぜになった。

「は、……何、を」

 それはエルにキス以上の事をされるという意味で、数日前に慰められたのはほんのお遊びだったと思えるほどだろう。

 同時に己の感情がどちらなのか処理できず、アルトはエルを見つめることしかできない。

「貴方はどちらがいい?」

 そろりと猫を可愛がるように顎をくすぐられ、そこでアルトは正気に戻る。

「ね、寝る!」

 アルトはエルから逃げるように椅子から立つと、バタバタとベッドに潜り込んだ。

 その後ろから、くすくすとエルが小さく笑う声が聞こえる。

 ぎしりとベッドがきしみ、エルが腰掛けたのがわかった。

「俺はこのまま寝ても構わないけど」

 ふわふわとした布団の上から頭を撫でられ、アルトは突っ込みたいのをぐっと堪える。

(分かってるのに言わせようとして、はぐらかして。やっぱり嫌いだ……!)

 優しく撫でる手とは裏腹に、また『お預け』紛いのことをされてアルトの少ない自尊心は地に落ちようとしていた。

「どうする、アルト?」

「っ……寝るって言ってるだろ!」

 歌うように聞いてくるエルの手を跳ね除け、アルトは布団を被り直す。

 そして絶対に婚約解消を認めさせて必ず邸に帰る、とアルトは改めて決意した。

 何度己を律しようとしても、ここに居てはエルの言動ですぐに流されてしまう未来が見えている。

(絶対、絶対にここから出てやる)

 エルは許さないだろうが、それでも邸に帰る事だけは諦めたくなかった。

 アルトがこの世界に転生した理由は、何かやらなければいけない事があるから──そんな気がするのだ。
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