呪われ公爵様は偏執的に花嫁を溺愛する

香月文香

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毒杯も甘美

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 しばらく自室で一人食事を摂っていたイリーシャだったが、何日かするとユージンとともに食堂で同じテーブルを囲むことになった。忙しさが落ち着いてきたらしく、ユージンが彼女とともに食事をしたがったからだ。決して彼に心を許したとかそういうわけではなかった。それよりもむしろ——。

「よく私と食事をともにする気になりますね。毒を入れられるかもしれない、なんて考えないんですか?」

 これから夕食が始まるというとき、イリーシャは口火を切った。
 食前酒のグラスを口に運びかけていたユージンが、視線だけイリーシャに向ける。ふっと甘く微笑った。

「俺が憎いか?」
「許せない、とはずっと思っています」
「なら、好きなようにするといい」

 ユージンはグラス越しにイリーシャを眺めた。透き通った食前酒の向こうで、険しい顔をした彼女が歪んで映っていた。

「イルが注ぐのであれば、毒杯も喜んで飲み干そう。きっとどんな美酒よりも甘いだろうな」

 それがあまりに確信に満ちた言い方だったので、イリーシャはぞっとした。鳥肌の立つ腕をそっとさする。
 それから、彼の首元に広がる呪紋に目線を向けた。

「……ジーン、呪いはどうするのですか」

 ユージンがニヤリと唇を吊り上げる。

「気になるか?」
「心配です」

 イリーシャの言葉に、ユージンは声を上げて笑った。目元を手のひらで覆う。指の隙間から、笑みを残した瞳が覗いた。

「嘘が下手すぎないか? イルにとっては、俺が早く死んだ方が好都合だろう。いつ死ぬのか直截に聞いて構わないぞ」

 イリーシャは口ごもった。人の死をそんな冗談のように扱うには、心の傷がまだありありと残っていた。それは常に生々しい傷口を晒していて、ふとした瞬間に血を流すのだ。

 ユージンはその様子を眺め、小さく息を吐く。水を飲むと、淡々と語り出した。

「呪いを解く方法は、大きく分けて二種類ある」

 ユージンの長い指が二本立てられた。

「一つは、神殿の神官や聖女に解呪を依頼する方法。これは俺が幼い頃にやったが、呪いが強力すぎて失敗した。相当金を積んだが、解呪できる人間はとうとう現れなかったらしい。大聖女なら可能かもしれないが……依頼するのはまず無理だな」
「どうしてです?」

 問いかけて、イリーシャは答えに思い当たった。ユージンも軽く首を縦に振る。

「そうだ。クロッセル公爵家は宰相職を担う。神殿は権勢拡大のために国政に領域を広げようと奮闘中。宰相として、神殿につけ込まれるような隙は作りたくない。だから、両親は絶対に依頼しなかったし、俺もそのつもりだ」
「ジーンも? あなたならなりふり構わず、脅しつけてでも解呪をお願いするものと思っていました」

 首を傾げたイリーシャに、ユージンが苦笑を浮かべる。

「そうしたいところだが……今代の大聖女がいなくてな」
「え?」
「俺が生まれて四年ほど経った後に消息を絶っている。それ以来、大聖女の座は空席のままだ。ふさわしい魔力を持った人間がいないらしい。だからこの方法での解呪は不可能だ」
「そんな……他に解呪できそうな人はいないんですか? 大聖女がいなくても、大神官なら?」

 イリーシャは知らず知らずのうちに、机の端を手で掴んで身を乗り出していた。手元でカトラリーがカチャンと音を立て、ハッと身を引く。ユージンは遠くを見つめ、何かを思い出すように口元を手で覆った。

「解呪には……色々とやり方があるが、異性間でしか効果がないものが多い。大神官は魔力を保持する男が就く役職だから、俺には意味がないな」
「そう、なのですか……」

 イリーシャは声を失う。ユージンは気にせず話を続けた。

「もう一つは、呪いをかけた呪術師を殺す方法だ。こちらはいくつか手を打ってきたが、収穫なしだな。これほど強力な呪いをかけられる呪術師はそう多くはいないはずだが、まだどこかに隠れているらしい。俺としては、こちらで片をつけるつもりだ」

 言葉を切り、物騒な光を宿した瞳でイリーシャを見つめる。酷薄に笑ってみせた。

「残念だったな? 俺が死ななくて」
「そういうわけではないですが……」

 イリーシャは、目の前に置かれたカトラリーに視線を落とした。給仕係がやってきて、次々に料理の盛られた皿を並べていく。牛肉のワイン煮込み、白身魚のポワレ、焼きたてのパン、とどれもいい匂いを漂わせていたが、イリーシャは手をつける気になれなかった。

 クロッセル家において、ユージンの呪いの問題は、すでに「解決済み」として扱われていた。当然だ。そのためにロビンを養子にしたのだから。簡単に口に出せる雰囲気ではなく、誰もが見てみぬふりをしていた。

 だから、今までイリーシャがユージンの運命について深く考える隙はなかった。

 それに思い当たったとき、地面が崩れるような感覚がした。

 周りの誰もが自分を「そのうち死ぬもの」として扱うのはどんな気持ちなのだろう。実の両親でさえ助けを諦めた。そんなことには気づきもせず、無邪気に慕っていた無神経な双子を、彼は本当は一体どう思っていたのか。

 彼は自らを化け物というが、それは誰が作り上げたものなのか。

 ユージンはロビンを殺した。それは間違いない事実だ。だが、そもそもの原因になったのは、双子の振る舞いが関わっているのではないか。

「イルが何を考えたかおおよそ察しがつくが——」

 黙り込んだイリーシャに、ユージンが静かに話し出した。

「俺は自らを憐れと思ったことは一度もない。この人生にもおおむね満足している。それを可哀想に思われるのは、正直愉快ではないな」

 イリーシャは顔を赤らめた。彼自身がこう言う以上、何を思っても侮辱になるだろう。
 ユージンがナイフを取り上げ、皿の上の肉を切り始めた。

「呪いがあろうがなかろうが、イルを手に入れるために邪魔になるのであれば、俺はロビンを殺したよ」

 その言葉に、イリーシャは弾かれたように面を上げる。傷口から鮮やかに血が噴き出すのを感じる。ユージンは愉快そうに笑った。
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