6 / 28
毒杯も甘美
しおりを挟む
しばらく自室で一人食事を摂っていたイリーシャだったが、何日かするとユージンとともに食堂で同じテーブルを囲むことになった。忙しさが落ち着いてきたらしく、ユージンが彼女とともに食事をしたがったからだ。決して彼に心を許したとかそういうわけではなかった。それよりもむしろ——。
「よく私と食事をともにする気になりますね。毒を入れられるかもしれない、なんて考えないんですか?」
これから夕食が始まるというとき、イリーシャは口火を切った。
食前酒のグラスを口に運びかけていたユージンが、視線だけイリーシャに向ける。ふっと甘く微笑った。
「俺が憎いか?」
「許せない、とはずっと思っています」
「なら、好きなようにするといい」
ユージンはグラス越しにイリーシャを眺めた。透き通った食前酒の向こうで、険しい顔をした彼女が歪んで映っていた。
「イルが注ぐのであれば、毒杯も喜んで飲み干そう。きっとどんな美酒よりも甘いだろうな」
それがあまりに確信に満ちた言い方だったので、イリーシャはぞっとした。鳥肌の立つ腕をそっとさする。
それから、彼の首元に広がる呪紋に目線を向けた。
「……ジーン、呪いはどうするのですか」
ユージンがニヤリと唇を吊り上げる。
「気になるか?」
「心配です」
イリーシャの言葉に、ユージンは声を上げて笑った。目元を手のひらで覆う。指の隙間から、笑みを残した瞳が覗いた。
「嘘が下手すぎないか? イルにとっては、俺が早く死んだ方が好都合だろう。いつ死ぬのか直截に聞いて構わないぞ」
イリーシャは口ごもった。人の死をそんな冗談のように扱うには、心の傷がまだありありと残っていた。それは常に生々しい傷口を晒していて、ふとした瞬間に血を流すのだ。
ユージンはその様子を眺め、小さく息を吐く。水を飲むと、淡々と語り出した。
「呪いを解く方法は、大きく分けて二種類ある」
ユージンの長い指が二本立てられた。
「一つは、神殿の神官や聖女に解呪を依頼する方法。これは俺が幼い頃にやったが、呪いが強力すぎて失敗した。相当金を積んだが、解呪できる人間はとうとう現れなかったらしい。大聖女なら可能かもしれないが……依頼するのはまず無理だな」
「どうしてです?」
問いかけて、イリーシャは答えに思い当たった。ユージンも軽く首を縦に振る。
「そうだ。クロッセル公爵家は宰相職を担う。神殿は権勢拡大のために国政に領域を広げようと奮闘中。宰相として、神殿につけ込まれるような隙は作りたくない。だから、両親は絶対に依頼しなかったし、俺もそのつもりだ」
「ジーンも? あなたならなりふり構わず、脅しつけてでも解呪をお願いするものと思っていました」
首を傾げたイリーシャに、ユージンが苦笑を浮かべる。
「そうしたいところだが……今代の大聖女がいなくてな」
「え?」
「俺が生まれて四年ほど経った後に消息を絶っている。それ以来、大聖女の座は空席のままだ。ふさわしい魔力を持った人間がいないらしい。だからこの方法での解呪は不可能だ」
「そんな……他に解呪できそうな人はいないんですか? 大聖女がいなくても、大神官なら?」
イリーシャは知らず知らずのうちに、机の端を手で掴んで身を乗り出していた。手元でカトラリーがカチャンと音を立て、ハッと身を引く。ユージンは遠くを見つめ、何かを思い出すように口元を手で覆った。
「解呪には……色々とやり方があるが、異性間でしか効果がないものが多い。大神官は魔力を保持する男が就く役職だから、俺には意味がないな」
「そう、なのですか……」
イリーシャは声を失う。ユージンは気にせず話を続けた。
「もう一つは、呪いをかけた呪術師を殺す方法だ。こちらはいくつか手を打ってきたが、収穫なしだな。これほど強力な呪いをかけられる呪術師はそう多くはいないはずだが、まだどこかに隠れているらしい。俺としては、こちらで片をつけるつもりだ」
言葉を切り、物騒な光を宿した瞳でイリーシャを見つめる。酷薄に笑ってみせた。
「残念だったな? 俺が死ななくて」
「そういうわけではないですが……」
イリーシャは、目の前に置かれたカトラリーに視線を落とした。給仕係がやってきて、次々に料理の盛られた皿を並べていく。牛肉のワイン煮込み、白身魚のポワレ、焼きたてのパン、とどれもいい匂いを漂わせていたが、イリーシャは手をつける気になれなかった。
クロッセル家において、ユージンの呪いの問題は、すでに「解決済み」として扱われていた。当然だ。そのためにロビンを養子にしたのだから。簡単に口に出せる雰囲気ではなく、誰もが見てみぬふりをしていた。
だから、今までイリーシャがユージンの運命について深く考える隙はなかった。
それに思い当たったとき、地面が崩れるような感覚がした。
周りの誰もが自分を「そのうち死ぬもの」として扱うのはどんな気持ちなのだろう。実の両親でさえ助けを諦めた。そんなことには気づきもせず、無邪気に慕っていた無神経な双子を、彼は本当は一体どう思っていたのか。
彼は自らを化け物というが、それは誰が作り上げたものなのか。
ユージンはロビンを殺した。それは間違いない事実だ。だが、そもそもの原因になったのは、双子の振る舞いが関わっているのではないか。
「イルが何を考えたかおおよそ察しがつくが——」
黙り込んだイリーシャに、ユージンが静かに話し出した。
「俺は自らを憐れと思ったことは一度もない。この人生にもおおむね満足している。それを可哀想に思われるのは、正直愉快ではないな」
イリーシャは顔を赤らめた。彼自身がこう言う以上、何を思っても侮辱になるだろう。
ユージンがナイフを取り上げ、皿の上の肉を切り始めた。
「呪いがあろうがなかろうが、イルを手に入れるために邪魔になるのであれば、俺はロビンを殺したよ」
その言葉に、イリーシャは弾かれたように面を上げる。傷口から鮮やかに血が噴き出すのを感じる。ユージンは愉快そうに笑った。
「よく私と食事をともにする気になりますね。毒を入れられるかもしれない、なんて考えないんですか?」
これから夕食が始まるというとき、イリーシャは口火を切った。
食前酒のグラスを口に運びかけていたユージンが、視線だけイリーシャに向ける。ふっと甘く微笑った。
「俺が憎いか?」
「許せない、とはずっと思っています」
「なら、好きなようにするといい」
ユージンはグラス越しにイリーシャを眺めた。透き通った食前酒の向こうで、険しい顔をした彼女が歪んで映っていた。
「イルが注ぐのであれば、毒杯も喜んで飲み干そう。きっとどんな美酒よりも甘いだろうな」
それがあまりに確信に満ちた言い方だったので、イリーシャはぞっとした。鳥肌の立つ腕をそっとさする。
それから、彼の首元に広がる呪紋に目線を向けた。
「……ジーン、呪いはどうするのですか」
ユージンがニヤリと唇を吊り上げる。
「気になるか?」
「心配です」
イリーシャの言葉に、ユージンは声を上げて笑った。目元を手のひらで覆う。指の隙間から、笑みを残した瞳が覗いた。
「嘘が下手すぎないか? イルにとっては、俺が早く死んだ方が好都合だろう。いつ死ぬのか直截に聞いて構わないぞ」
イリーシャは口ごもった。人の死をそんな冗談のように扱うには、心の傷がまだありありと残っていた。それは常に生々しい傷口を晒していて、ふとした瞬間に血を流すのだ。
ユージンはその様子を眺め、小さく息を吐く。水を飲むと、淡々と語り出した。
「呪いを解く方法は、大きく分けて二種類ある」
ユージンの長い指が二本立てられた。
「一つは、神殿の神官や聖女に解呪を依頼する方法。これは俺が幼い頃にやったが、呪いが強力すぎて失敗した。相当金を積んだが、解呪できる人間はとうとう現れなかったらしい。大聖女なら可能かもしれないが……依頼するのはまず無理だな」
「どうしてです?」
問いかけて、イリーシャは答えに思い当たった。ユージンも軽く首を縦に振る。
「そうだ。クロッセル公爵家は宰相職を担う。神殿は権勢拡大のために国政に領域を広げようと奮闘中。宰相として、神殿につけ込まれるような隙は作りたくない。だから、両親は絶対に依頼しなかったし、俺もそのつもりだ」
「ジーンも? あなたならなりふり構わず、脅しつけてでも解呪をお願いするものと思っていました」
首を傾げたイリーシャに、ユージンが苦笑を浮かべる。
「そうしたいところだが……今代の大聖女がいなくてな」
「え?」
「俺が生まれて四年ほど経った後に消息を絶っている。それ以来、大聖女の座は空席のままだ。ふさわしい魔力を持った人間がいないらしい。だからこの方法での解呪は不可能だ」
「そんな……他に解呪できそうな人はいないんですか? 大聖女がいなくても、大神官なら?」
イリーシャは知らず知らずのうちに、机の端を手で掴んで身を乗り出していた。手元でカトラリーがカチャンと音を立て、ハッと身を引く。ユージンは遠くを見つめ、何かを思い出すように口元を手で覆った。
「解呪には……色々とやり方があるが、異性間でしか効果がないものが多い。大神官は魔力を保持する男が就く役職だから、俺には意味がないな」
「そう、なのですか……」
イリーシャは声を失う。ユージンは気にせず話を続けた。
「もう一つは、呪いをかけた呪術師を殺す方法だ。こちらはいくつか手を打ってきたが、収穫なしだな。これほど強力な呪いをかけられる呪術師はそう多くはいないはずだが、まだどこかに隠れているらしい。俺としては、こちらで片をつけるつもりだ」
言葉を切り、物騒な光を宿した瞳でイリーシャを見つめる。酷薄に笑ってみせた。
「残念だったな? 俺が死ななくて」
「そういうわけではないですが……」
イリーシャは、目の前に置かれたカトラリーに視線を落とした。給仕係がやってきて、次々に料理の盛られた皿を並べていく。牛肉のワイン煮込み、白身魚のポワレ、焼きたてのパン、とどれもいい匂いを漂わせていたが、イリーシャは手をつける気になれなかった。
クロッセル家において、ユージンの呪いの問題は、すでに「解決済み」として扱われていた。当然だ。そのためにロビンを養子にしたのだから。簡単に口に出せる雰囲気ではなく、誰もが見てみぬふりをしていた。
だから、今までイリーシャがユージンの運命について深く考える隙はなかった。
それに思い当たったとき、地面が崩れるような感覚がした。
周りの誰もが自分を「そのうち死ぬもの」として扱うのはどんな気持ちなのだろう。実の両親でさえ助けを諦めた。そんなことには気づきもせず、無邪気に慕っていた無神経な双子を、彼は本当は一体どう思っていたのか。
彼は自らを化け物というが、それは誰が作り上げたものなのか。
ユージンはロビンを殺した。それは間違いない事実だ。だが、そもそもの原因になったのは、双子の振る舞いが関わっているのではないか。
「イルが何を考えたかおおよそ察しがつくが——」
黙り込んだイリーシャに、ユージンが静かに話し出した。
「俺は自らを憐れと思ったことは一度もない。この人生にもおおむね満足している。それを可哀想に思われるのは、正直愉快ではないな」
イリーシャは顔を赤らめた。彼自身がこう言う以上、何を思っても侮辱になるだろう。
ユージンがナイフを取り上げ、皿の上の肉を切り始めた。
「呪いがあろうがなかろうが、イルを手に入れるために邪魔になるのであれば、俺はロビンを殺したよ」
その言葉に、イリーシャは弾かれたように面を上げる。傷口から鮮やかに血が噴き出すのを感じる。ユージンは愉快そうに笑った。
0
あなたにおすすめの小説
幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない
ラム猫
恋愛
幼い頃に、セリフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セリフィアはそれを喜んで受け入れた。
その後、十年以上彼と再会することはなかった。
三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セリフィアはその場を離れた。
しかし治療師として働いているセリフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセリフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セリフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない
百門一新
恋愛
男の子の恰好で走り回る元気な平民の少女、ティーゼには、見目麗しい完璧な幼馴染がいる。彼は幼少の頃、ティーゼが女の子だと知らず、怪我をしてしまった事で責任を感じている優しすぎる少し年上の幼馴染だ――と、ティーゼ自身はずっと思っていた。
幼馴染が半魔族の王を倒して、英雄として戻って来た。彼が旅に出て戻って来た目的も知らぬまま、ティーゼは心配症な幼馴染離れをしようと考えていたのだが、……ついでとばかりに引き受けた仕事の先で、彼女は、恋に悩む優しい魔王と、ちっとも優しくないその宰相に巻き込まれました。
※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
ゆるふわな可愛い系男子の旦那様は怒らせてはいけません
下菊みこと
恋愛
年下のゆるふわ可愛い系男子な旦那様と、そんな旦那様に愛されて心を癒した奥様のイチャイチャのお話。
旦那様はちょっとだけ裏表が激しいけど愛情は本物です。
ご都合主義の短いSSで、ちょっとだけざまぁもあるかも?
小説家になろう様でも投稿しています。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる